海島冐檢奇譚 海底軍艦


        はしがき
一。太平洋の波に浮べる、この船にも似たる我日本の國人は、今や徒らに、富士山の明麗なる風光にのみ恍惚たるべき時にはあらざるべし。
光譽ある桂の冠と、富と權力との優勝旗は、すでに陸を離れて、世界の海上に移されたり。
この冠を戴き、この優勝旗を握らむものは誰ぞ。
他なし、海の勇者なり。海の勇者は即ち世界の勇者たるべし。
一。天長節の佳日に際し
  子爵  伊東海軍大將
      肝付海軍少將
  伯爵  吉井海軍少佐
  子爵  小笠原海軍少佐
      上村海軍少佐
各位の清福を賀※、つたなき本書のために、題字及び序文を賜はりし高意にむかつて、誠實なる感謝の意を表す。
一。上村海軍少佐の懇切なる教示と、嚴密なる校閲とを受けたるは、啻に著者の幸福のみにはあらず、讀者諸君若し此書によりて、幾分にても、海上の智識を得らるゝあらば、そは全く少佐の賜なり。
一。遙かに、獨京伯林なる、巖谷小波先生の健勝を祈る。
著者※るす


海島冐檢奇譚海底軍艦目次
 第一回 海外かいぐわいの日本人につぽんじん

子ープルス港の奇遇――大商館――濱島武文――春枝夫人――日出雄少年――松島海軍大佐の待命

 第二回 魔まの日ひ魔まの刻こく

送別會――老女亞尼――ウルピノ山の聖人――十月の祟の日――黄金と眞珠――月夜の出港

 第三回 怪あやしの船ふね

銅鑼の響――ビール樽の船長――白色檣燈――古風な英國人――海賊島の奇聞――海蛇丸

 第四回 反古ほごの新聞しんぶん

葉卷煙草――櫻木海軍大佐の行衞――大帆走船と三十七名の水兵――奇妙な新體詩――秘密の發明――二點鐘カーンカン

 第五回 ピアノと拳鬪けんとう

船中の音樂會――鵞鳥聲の婦人――春枝夫人の名譽――甲板の競走――相撲――私の閉口――曲馬師の虎

 第六回 星火榴彈せいくわりうだん

難破船の信號――イヤ、流星の飛ぶのでせう――無稽な――三個の舷燈――船幽靈め――其眼が怪しい

 第七回 印度洋インドやうの海賊船かいぞくせん

水雷驅逐艦か巡洋艦か――往昔の海賊と今の海賊――潜水器――探海電燈――白馬の如き立浪――海底淺き處――大衝突

 第八回 人間にんげんの運命うんめい

弦月丸の最後――ひ、ひ、卑怯者め――日本人の子――二つの浮標――春枝夫人の行衞――あら、黒い物が!

 第九回 大海原おほうなはらの小端艇せうたんてい

亞尼の豫言――日出雄少年の夢――印度洋の大潮流――にはか雨――昔の御馳走――巨大な魚群

 第十回 沙魚ふかの水葬すゐさう

天の賜――反對潮流――私は黒奴、少年は炭團屋の忰――おやや變な味になりました――またも斷食

 第十一回 無人島むじんとうの響ひゞき

人の住む島か魔の棲む島か――あら、あの音は――奇麗な泉――ゴリラの襲來――水兵ヒラリと身を躱はした――海軍士官の顏

 第十二回 海軍かいぐんの家いへ

南方の無人島――快活な武村兵曹――おぼろな想像――前は絶海の波、後は椰子の林――何處ともなく立去つた

 第十三回 星影ほしかげがちらら

歡迎――春枝夫人は屹度死にません――此新八が先鋒ぢや――浪の江丸の沈沒――此島もなかか面白いよ――三年の後

 第十四回 海底かいていの造船所ざうせんじよ

大佐の後姿がチラリと見えた――獅子狩は眞平御免だ――猛犬稻妻――秘密の話――屏風岩――物凄い跫音――鐵門の文字

 第十五回 電光艇でんくわうてい

鼕々たる浪の音――投鎗に似た形――三尖衝角――新式魚形水雷――明鏡に映る海上海底の光景――空氣製造器――鐵舟先生の詩

 第十六回 朝日島あさひじま

日出雄少年は椰子の木蔭に立つて居つた――國際法――占領の證據――三尖形の紀念塔――成程妙案々々――其處だよ

 第十七回 冐險鐵車ぼうけんてつしや

自動の器械――斬頭刄形の鉞――ポンと小胸を叩いた――威張れません――君が代の國歌――いざ帝國の萬歳を唱へませう

 第十八回 野球競技ベースボールマツチ

九種の魔球――無邪氣な紛着――胴上げ――西と東に別れた――獅子の友呼び――手頃の鎗を捻つて――私は殘念です――駄目だんべい

 第十九回 猛獸隊まうじうたい

自然の殿堂――爆裂彈――エンヤヤの掛聲――片足の靴――好事魔多し――砂滑りの谷、一名死の谷――深夜の猛獸――かゞり火

 第二十回 猛犬まうけんの使者ししや

山又山を越えて三十里――一封の書面――あの世でか、此世でか――此犬尋常でない――眞黒になつて其後を追ふた――水樽は空になつた

 第二十一回 空中くうちうの救すくひ
何者にか愕いた樣子――誰かの半身が現はれて――八日前の晩――三百反の白絹――お祝の拳骨――稻妻と少年と武村兵曹

 第二十二回 海うみの禍わざわい

孤島の紀元節――海軍大佐の盛裝――海岸の夜會――少年の劍舞――人間の幸福を嫉む惡魔の手――海底の地滑り――電光艇の夜間信號

 第二十三回 十二の樽たる

海底戰鬪艇の生命――人煙の稀な橄欖島――鐵の扉は微塵――天上から地獄の底――其樣な無謀な事は出來ません――無念の涙

 第二十四回 輕氣球けいききうの飛行ひかう

絶島の鬼とならねばならぬ――非常手段――私が參ります――無言のわかれ――心で泣いたよ――住馴れた朝日島は遠くく

 第二十五回 白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかん

大陸の影――矢の如く空中を飛走した――ポツンと白い物――海鳥の群――「ガーフ」の軍艦旗――や、や、あの旗は! あの船は!

 第二十六回 顏かほと顏かほと顏かほ

帝國軍艦旗――虎髯大尉、本名轟大尉――端艇諸共引揚げられた――全速力――賣れた顏――誰かに似た顏――懷かしき顏

 第二十七回 艦長室かんちやうしつ

鼻髯を捻つた――夢ではありますまいか――私は何より嬉しい――大分色は黒くなりましたよ、はい――今度は貴女の順番――四年前の話

 第二十八回 紀念軍艦きねんぐんかん

帝國軍艦「日の出」――此虎髯が御話申す――テームス造船所の製造――「明石」に髣髴たる巡洋艦――人間の萬事は天意の儘です

 第二十九回 薩摩琵琶さつまびは

春枝夫人の物語――不屆な悴――風清き甲板――國船の曲――腕押し脛押と參りませう――道塲破りめ――奇怪の少尉

 第三十回 月夜げつやの大海戰だいかいせん

印度國コロンボの港――滿艦の電光――戰鬪喇叭――惡魔印の海賊旗大軍刀をブンンと振廻した――大佐來! 電光艇來!―朝日輝く印度洋


目次終


    第一回 海外かいぐわいの日本人につぽんじん

ネープルス港の奇遇――大商館――濱島武文――春枝夫人――日出雄少年――松島海軍大佐の待命

 私わたくしが世界せかい漫遊まんゆうの目的もくてきをもつて、横濱よこはまの港みなとを出帆ふなでしたのは、既すでに六年ろくねん以前いぜんの事ことで、はじめ亞米利加アメリカに渡わたり、それから大西洋たいせいようの荒浪あらなみを横斷よこぎつて歐羅巴エウロツパに遊あそび、英吉利イギリス、佛蘭西フランス、獨逸等ドイツとう音おとに名高なだかき國々くににの名所めいしよ古跡こせきを遍歴へんれきして、其間そのあひだに月つきを閲けみすること二十有餘箇月いうよかげつ、大約おほよそ一萬まん五千里せんりの長途ながたびを後あとにして、終つひに伊太利イタリーに入ゐり、往昔むかしから美術國びじゆつこくの光譽ほまれ高たかき、其そのさままの奇觀きくわんをも足たる程ほど眺ながめたれば、之これより我わが懷なつかしき日本ふるさとへ歸かへらんと、當夜そのよ十一時じ半はん拔錨ばつべうの弦月丸げんげつまるとて、東洋とうよう行ゆきの滊船きせんに乘組のりくまんがため、國くにの名港めいかうネープルスまで來きたのは、今いまから丁度ちやうど四年ねん前まへ、季節せつは櫻さくら散ちる五月ごぐわつ中旬なかばの或ある晴朗うらゝかな日ひの正午せうご時分じぶんであつた。市街まちはづれの停車塲ステーシヨンから客待きやくまちの馬車ばしやで、海岸かいがん附近まぢかの或ある旅亭はたごやに着つき、部室へやも定さだまり軈やがて晝餉ひるげもすむと最早もはや何なにも爲する事ことがない、船ふねの出港しゆつこうまでは未まだ十時間じかん以上いじやう。長ながい旅行りよかうを行やつた諸君しよくんはお察さつしでもあらうが、知しる人ひともなき異境ゐきやうの地ちで、滊車きしやや滊船きせんの出發しゆつぱつを待まち暮くらすほど徒然つまらぬものはない、立たつて見みつ、居ゐて見みつ、新聞しんぶんや雜誌等ざつしなどを繰廣くりひろげて見みたが何なにも手てに着つかない、寧いつそ晝寢ひるねせんか、市街まちでも散歩さんぽせんかと、思案しあんとりり窓まどに倚よつて眺ながめると、眼下がんかに瞰みおろす子ープルス灣わん、鏡かゞみのやうな海面かいめんに泛うかんで、出でる船ふね、入いる船ふね停泊とゞまつて居ゐる船ふね、其その船々ふねねの甲板かんぱんの模樣もやうや、檣上しやうじやうに飜ひるがへる旗章はたじるしや、また彼方かなたの波止塲はとばから此方こなたへかけて奇妙きめうな風ふうの商舘しやうくわんの屋根やねなどを眺ながめ廻まわしつゝ、たゞ譯わけもなく考想かんがへて居をる内うちにふと思おもひ浮うかんだ一事ことがある。それは濱島武文はまじまたけぶみといふ人ひとの事ことで。
濱島武文はまじまたけぶみとは私わたくしがまだ高等學校かうとうがくかうに居をつた時分じぶん、左樣さやうかれこれ十二三年ねんも前まへの事ことであるが、同おなじ學まなびの友ともであつた。彼かれは私わたくしよりは四つ五つの年長者としかさで、從したがつて級くみも異ちがつて居をつたので、始終しじう交まぢはるでもなかつたが、其頃そのころ校内かうないで運動うんどうの妙手じやうずなのと無暗むやみに冐險的旅行ぼうけんてきりよかうの嗜好すきなのとで、彼かれと私わたくしとは指ゆびを折をられ、從したがつて何なにゆゑとなく睦むつましく離はなれがたく思おもはれたが、其後そのゝち彼かれは學校がくかうを卒業そつぎやうして、元來ぐわんらいならば大學だいがくに入いる可べきを、他たに大望たいもうありと稱しようして、幾何いくばくもなく日本ほんごくを去さり、はじめは支那シナに遊あそび、それから歐洲をうしうを渡わたつて、六七年ねん以前いぜんの事こと、或ある人ひとが佛京巴里フランスパリの大博覽會だいはくらんくわいで、彼かれに面會めんくわいしたとまでは明瞭あきらかだが、私わたくしも南船北馬なんせんほくばの身みの其後そのゝちの詳つまびらかなる消息せうそくを耳みゝにせず、たゞ風かぜのたよりに、此頃このごろでは、伊太利イタリーのさる繁華はんくわなる港みなとに宏大りつぱな商會しやうくわいを立たてゝ、專もつぱら貿易事業ぼうえきじげふに身みを委ゆだねて居をる由よし、おぼろながらに傳つたへ聞きくのみ。伊太利イタリーの繁華はんくわなる港みなとといへば、此處こゝは國中こくちう隨一ずゐいちの名港めいかう子ープルス、埠頭はとばから海岸通かいがんどうりへかけて商館しやうくわんの數かずも幾百千いくひやくせん、もしや濱島はまじまは此この港みなとで、其その商會しやうくわいとやらを營いとなんで居をるのではあるまいかと思おもひ浮うかんだので、實じつに雲くもを掴つかむやうな話はなしだが、萬まんが一もと旅亭やどやの主人しゆじんを呼よんで聽きいて見みると、果然くわぜん! 主人しゆじんは私わたくしの問とひを終みなまで言いはせず、ポンと禿頭はげあたまを叩たゝいて、
『オヽ、濱島はまじまさん⁈ よく存ぞんじて居をりますよ、雇人やとひにんが一千人にんもあつて、支店してんの數かずも十の指ゆび――ホー、其そのお宅たくですか、それは斯かう行いつて、あゝ行いつて。』と口くちと手眞似てまねで窓まどから首くびを突出つきだして
『あれれ、あそこに見みへる宏壯りつぱな三階がいの家いへ!』
天外てんぐわい萬里ばんりの異邦ゐほうでは、初對面しよたいめんの人ひとでも、同おなじ山河やまかはの生うまれと聞きけば懷なつかしきに、まして昔馴染むかしなじみの其人そのひとが、現在げんざい此この地ちにありと聞きいては矢やも楯たても堪たまらない、私わたくしは直すぐと身仕度みじたくを整とゝのへて旅亭やどやを出でた。
旅亭やどやの禿頭はげあたまに教をしへられた樣やうに、人馬じんばの徃來ゆきゝ繁しげき街道かいだうを西にしへへと凡およそ四五町ちやう、唯とある十字街よつかどを左ひだりへ曲まがつて、三軒目げんめの立派りつぱな煉瓦造れんぐわづくりの一構ひとかまへ、門かどに T. Hamashimaはまじまたけぶみ, と記しるしてあるのは此處こゝと案内あんないを乞こふと、直すぐ見晴みはらしのよい一室ひとまに通とうされて、待まつ程ほどもなく靴音くつおと高たかく入いつて來きたのはまさしく濱島はまじま! 十年ねん相あひ見みぬ間まに彼かれには立派りつぱな八字髯はちじひげも生はへ、其その風采ふうさいも餘程よほど變ちがつて居をるが相變あひかはらず洒々落々しややらくくの男おとこ『ヤァ、柳川君やながはくんか、これは珍めづらしい、珍めづらしい。』と下したにも置おかぬ待遇もてなし、私わたくしは心しんから憘うれしかつたよ。髯ひげは生はへても友達ともだち同士どうしの間あひだは無邪氣むじやきなもので、いろろの話はなしの間あひだには、昔むかし倶ともに山野さんやに獵暮かりくらして、※あやまつて農家ひやくしやうやの家鴨あひるを射殺ゐころして、辛からき目めに出逢であつた話はなしや、春季はるの大運動會だいうんどうくわいに、彼かれと私わたくしとはおのの級くみの撰手チヤンピオンとなつて、必死ひつしに優勝旗チヤンピオンフラグを爭あらそつた事ことや、其他そのほかさままの懷舊談くわいきうだんも出でて、時ときの移うつるのも知しらなかつたが、ふと氣付きづくと、當家このやの模樣もやうが何なにとなく忙いそがし相さうで、四邊あたりの部室へやでは甲乙たれかれの語かたり合あふ聲こゑ喧かまびすしく、廊下ろうかを走はしる人ひとの足音あしおともたゞならず速はやい、濱島はまじまは昔むかしから極ごく沈着ちんちやくな人ひとで、何事なにごとにも平然へいぜんと構かまへて居をるから夫それとは分わからぬが、今いま珈琲カツヒーを運はこんで來きた小間使こまづかひの顏かほにも其その忙いそがしさが見みへるので、若もしや、今日けふは不時ふじの混雜中こんざつちうではあるまいかと氣付きづいたから、私わたくしは急きふに顏かほを上あげ『何なにかお急いそがしいのではありませんか。』と問とひかけた。
『イヤ、イヤ、决けつして御心配ごしんぱいなく。』と彼かれは此時このとき珈琲カツヒーを一口ひとくち飮のんだが、悠々ゆううと鼻髯びぜんを捻ひねりながら
『何なにね、實じつは旅立たびだつ者ものがあるので。』
オヤ、何人どなたが何處どこへと、私わたくしが問とはんとするより先さきに彼かれは口くちを開ひらいた。
『時ときに柳川君やながはくん、君きみは當分たうぶん此この港みなとに御滯在おとまりでせうねえ、それから、西班牙イスパニヤの方はうへでもお廻まはりですか、それとも、更さらに歩ほを進すゝめて、亞弗利加アフリカ探險たんけんとでもお出掛でかけですか。』
『アハヽヽヽ。』と私わたくしは頭つむりを掻かいた。
『つい昔話むかしばなしの面白おもしろさに申遲まうしおくれたが、實じつは早急さつきふなのですよ、今夜こんや十一時じ半はんの滊船きせんで日本くにへ皈かへる一方いつぱうなんです。』
『えい、君きみも?。』と彼かれは眼めを見張みはつて。
『矢張やはり今夜こんや十一時じ半はん出帆しゆつぱんの弦月丸げんげつまるで?。』
『左樣さやう、殘念ざんねんながら、西班牙イスパニヤや、亞弗利加アフリカの方はうは今度こんどは斷念だんねんしました。』と、私わたくしがキツパリと答こたへると、彼かれはポンと膝ひざを叩たゝいて
『やあ、奇妙きめう々々。』
何なにが奇妙きめうなのだと私わたくしの審いぶかる顏かほを眺ながめつゝ、彼かれは言ことばをつゞけた。
『何なんと奇妙きめうではありませんか、これ等らが天てんの紹介ひきあはせとでも云いふものでせう、實じつは私わたくしの妻子さいしも、今夜こんやの弦月丸げんげつまるで日本につぽんへ皈國かへりますので。』
『え、君きみの細君さいくんと御子息ごしそく⁈』と私《わたくし》は意外《いぐわい》に※さけんだ。十年ねんも相あひ見みぬ間あひだに、彼かれに妻子さいしの出來できた事ことは何なにも不思議ふしぎはないが、實じつは今いまの今いままで知しらなんだ、况いはんや其人そのひとが今いま本國ほんごくへ皈かへるなどゝは全まつたく寢耳ねみゝに水みづだ。濱島はまじまは聲こゑ高たかく笑わらつて
『はゝゝゝゝ。君きみはまだ私わたくしの妻子さいしを御存ごぞんじなかつたのでしたね。これは失敬しつけい々々。』と急いそがはしく呼鈴よびりんを鳴ならして、入いり來きたつた小間使こまづかひに
『あのね、奧おくさんに珍めづらしいお客樣きやくさまが……。』と言いつたまゝ私わたくしの方はうに向直むきなほり
『實じつは斯かうなんですよ。』と小膝こひざを進すゝめた。
『私わたくしが此この港みなとへ貿易商會ぼうえきしやうくわいを設立たてた翌々年よくくとしの夏なつ、鳥渡ちよつと日本につぽんへ皈かへりました。其頃そのころ君きみは暹羅サイアム漫遊中まんゆうちゆうと承うけたまはつたが、皈國中きこくちゆう、或ある人ひとの媒介なかだちで、同郷どうきやうの松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさの妹いもとを妻つまに娶めとつて來きたのです。これは既すでに十年ねんから前まへの事ことで、其後そのゝちに生うまれた兒こも最早もはや八歳はつさいになりますが、さて、私わたくしの日頃ひごろの望のぞみは、自分じぶんは斯かうして、海外かいぐわいに一商人いつしやうにんとして世よに立たつて居をるものゝ、小兒せうに丈だけはどうか日本帝國につぽんていこくの干城まもりとなる有爲りつぱな海軍々人かいぐんんじんにして見みたい、夫それにつけても、日本人にほんじんの子こは日本にほんの國土こくどで教育けういくしなければ從したがつて愛國心あいこくしんも薄うすくなるとは私わたくしの深ふかく感かんずる所ところで、幸さいはひ妻つまの兄あには本國ほんこくで相當さうたうの軍人ぐんじんであれば、其人そのひとの手許てもとに送おくつて、教育けういく萬端ばんたんの世話せわを頼たのまうと、餘程よほど以前いぜんから考かんがへて居をつたのですが、どうも然しかる可べき機會きくわいを得えなかつた。然しかるに今月こんげつの初旬はじめ、本國ほんごくから届とゞいた郵便ゆうびんによると、妻つまの令兄あになる松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさは、兼かねて帝國軍艦高雄ていこくぐんかんたかをの艦長かんちやうであつたが、近頃ちかごろ病氣びやうきの爲ために待命中たいめいちゆうの由よし、勿論もちろん危篤きとくといふ程ほどの病氣びやうきではあるまいが、妻つまも唯たゞ一人ひとりの兄あにであれば、能あたふ事ことなら自みづから見舞みまひもし、久ひさしぶりに故山こざんの月つきをも眺ながめたいとの願望ねがひ、丁度ちやうど小兒せうにのこともあるので、然しからば此この機會をりにといふので、二人ふたりは今夜こんやの十一時じ半はんの弦月丸げんげつまるで出發しゆつぱつといふ事ことになつたのです。無論むろん、妻つまは大佐たいさの病氣びやうき次第しだいで早はやかれ遲おそかれ歸かへつて來きますが、兒こは永ながくく――日本帝國につぽんていこくの天晴あつぱれ軍人ぐんじんとして世よに立たつまでは、芙蓉ふようの峯みねの麓ふもとを去さらせぬ積つもりです。』と、語かたり終をはつて、彼かれは靜しづかに私わたくしの顏かほを眺ながめ『で、君きみも今夜こんやの御出帆ごしゆつぱんならば、船ふねの中なかでも、日本につぽんへ皈かへつて後のちも、何呉なにくれ御面倒ごめんどうを願ねがひますよ。』
此この話はなしで何事なにごとも分明ぶんめいになつた。それに就つけても濱島武文はまじまたけぶみは昔むかしながら壯快おもしろい氣象きしやうだ、たゞ一人ひとりの兒こを帝國ていこくの軍人ぐんじんに養成ようせいせんが爲ために恩愛おんあいの覊きづなを斷切たちきつて、本國ほんごくへ送おくつてやるとは隨分ずゐぶん思おもひ切きつた事ことだ。また松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさの令妹れいまいなる彼かれの夫人ふじんにはまだ面會めんくわいはせぬが、兄君あにぎみの病床やまひを見舞みまはんが爲ために、暫時しばしでも其その良君おつとに別わかれを告つげ、幼いとけなき兒こを携たづさへて、浪風なみかぜ荒あらき萬里ばんりの旅たびに赴おもむくとは仲々なかか殊勝しゆしようなる振舞ふるまひよと、心こゝろ竊ひそかに感服かんぷくするのである。更さらに想おもひめぐらすと此度このたびの事件ことは、何なにから何なにまで小説せうせつのやうだ。海外かいぐわい萬里ばんりの地ちで、ふとした事ことから昔馴染むかしなじみの朋友ともだちに出逢であつた事こと、それから私わたくしは此この港みなとへ來きた時ときは、恰あだかも彼かれの夫人ふじんと令息れいそくとが此處こゝを出發しゆつぱつしやうといふ時ときで、申合まうしあはせたでもなく、同おなじ時ときに、同おなじ船ふねに乘のつて、之これから數すうヶ月げつの航海かうかいを倶ともにするやうな運命うんめいに立到たちいたつたのは、實じつに濱島はまじまの云いふが如ごとく、之これが不思議ふしぎなる天てんの紹介ひきあはせとでもいふものであらう、斯かう思おもつて、暫時しばし或ある想像さうざうに耽ふけつて居ゐる時とき、忽たちまち部室へやの戸とを靜しづかに開ひらいて入いり來きたつた二個ふたりの人ひとがある。言いふ迄までもない、夫人ふじんと其その愛兒あいじだ。濱島はまじまは立たつて『これが私わたくしの妻つま春枝はるえ。』と私わたくしに紹介ひきあはせ、更さらに夫人ふじんに向むかつて、私わたくしと彼かれとが昔むかしおなじ學まなびの友ともであつた事こと、私わたくしが今回こんくわいの旅行りよかうの次第しだい、また之これから日本につぽんまで夫人等ふじんらと航海かうかいを共ともにするやうになつた不思議ふしぎの縁ゆかりを言葉ことば短みじかに語かたると、夫人ふじんは『おや。』と言いつたまゝいと懷なつかし氣げに進すゝみ寄よる。年としの頃ころ廿六七、眉まゆの麗うるはしい口元くちもとの優やさしい丁度ちやうど天女てんによの樣やうな美人びじん、私わたくしは一目ひとめ見みて、此この夫人ふじんは其その容姿すがたの如ごとく、心こゝろも美うるはしく、世よにも高貴けだかき婦人ふじんと思おもつた。
一通ひとゝほりの挨拶あいさつ終をはつて後のち、夫人ふじんは愛兒あいじを麾さしまねくと、招まねかれて臆をくする色いろもなく私わたくしの膝許ひざもと近ちかく進すゝみ寄よつた少年せうねん、年齡としは八歳さい、名なは日出雄ひでをと呼よぶ由よし、清楚さつぱりとした水兵すいへい風ふうの洋服ようふく姿すがたで、髮かみの房々ふささとした、色いろのくつきりと白しろい、口元くちもとは父君ちゝぎみの凛々りゝしきに似に、眼元めもとは母君はゝぎみの清すゞしきを其儘そのまゝに、見みるから可憐かれんの少年せうねん。私わたくしは端はしなくも、昨夜ゆふべローマ府ふからの滊車きしやの中なかで讀よんだ『小公子リツトルロー、トフオントルローイ』といふ小説せうせつ中ちうの、あの愛あいらしいい小主人公せうしゆじんこうを聯想れんさうした。日出雄少年ひでをせうねんは海外かいぐわい萬里ばんりの地ちに生うまれて、父母ちゝはゝの外ほかには本國人ほんこくじんを見みる事ことも稀まれなる事こととて、幼いとけなき心こゝろにも懷なつかしとか、憘うれしとか思おもつたのであらう、其その清すゞしい眼めで、しげげと私わたくしの顏かほを見上みあげて居をつたが
『おや、叔父おぢさんは日本人につぽんじん!。』と言いつた。
『私わたくしは日本人につぽんじんですよ、日出雄ひでをさんと同おなじお國くにの人ひとですよ。』と私わたくしは抱いだき寄よせて
『日出雄ひでをさんは日本人につぽんじんが好すきなの、日本につぽんのお國くにを愛あいしますか。』と問とふと少年せうねんは元氣げんきよく
『あ、私わたくしは日本につぽんが大好だいすきなんですよ、日本につぽんへ皈かへりたくつてなりませんの、でねえ、毎日まいにち>日ひの丸まるの旗はたを立たてゝ、街まちで戰爭事いくさごつこをしますの、爾そしてねえ、日ひの丸まるの旗はたは強つよいのですよ、何時いつでも勝かつてばつかり居ゐますの。』
『おゝ、左樣さうでせうともも。』と私わたくしは餘あまりの可愛かあいさに少年せうねんを頭上づじやう高たかく差さし上あげて、大日本帝國だいにつぽんていこく萬歳ばんざいと※さけぶと、少年せうねんも私わたくしの頭つむりの上うへで萬歳々々ばんざいいと小躍こをどりをする。濱島はまじまは浩然かうぜん大笑たいせうした、春枝夫人はるえふじんは眼めを細ほそうして
『あら、日出雄ひでをは、ま、どんなに憘うれしいんでせう。』と言いつて、紅くれないのハンカチーフに笑顏えかほを蔽おふた。

    第二回 魔まの日ひ魔まの刻こく

送別會――老女亞尼アンニー――ウルピノ山の聖人――十月の祟の日――黄金と眞珠――月夜の出港

 それから談話はなしにはまた一段いちだんの花はなが咲さいて、日永ひながの五月ぐわつの空そらもいつか夕陽ゆうひが斜なゝめに射さすやうにあつたので、私わたくしは一先ひとまづ暇乞いとまごひせんと折をりを見みて『いづれ今夜こんや弦月丸げんげつまるにて――。』と立たちかけると、濱島はまじまは周章あはてて押止おしとゞめ『ま、ま、お待まちなさい、お待まちなさい、今いまから旅亭やどやへ皈かへつたとて何なにになります。久ひさしぶりの面會めんくわいなるを今日けふは足たる程ほど語かたつて今夜こんやの御出發ごしゆつぱつも是非ぜひに私わたくしの家いへより。』と夫人ふじんともも切せつに勸すゝめるので、元來ぐわんらい無遠慮勝ぶゑんりよがちの私わたくしは、然さらば御意ぎよゐの儘まゝにと、旅亭やどやの手荷物てにもつは當家たうけの馬丁べつとうを取とりに使つかはし、此處こゝから三人みたり打揃うちそろつて出發しゆつぱつする事ことになつた。
いろろの厚あつき待遇もてなしを受うけた後のち、夜よるの八時じ頃ごろになると、當家たうけの番頭ばんとう手代てだいをはじめ下婢かひ下僕げぼくに至いたるまで、一同いちどうが集あつまつて送別そうべつの催もようしをする相さうで、私わたくしも招まねかれて其その席せきへ連つらなつた。春枝夫人はるえふじんは世よにすぐれて慈愛じひに富とめる人ひと、日出雄少年ひでをせうねんは彼等かれらの間あひだに此上こよなく愛めで重おもんせられて居をつたので、誰たれとて袂別わかれを惜をしまぬものはない、然しかし主人しゆじんの濱島はまじまは東洋とうやうの豪傑がうけつ風ふうで、泣なく事ことなどは大厭だいきらひの性質たちであるから一同いちどうは其その心こゝろを酌くんで、表面うはべに涙なみだを流ながす者ものなどは一人ひとりも無なかつた。イヤ、茲こゝに只たゞ一人いちにん特別とくべつに私わたくしの眼めに止とゞまつた者ものがあつた。それは席せきの末座まつざに列つらなつて居をつた一個ひとりの年老としをいたる伊太利イタリーの婦人ふじんで、此この女をんなは日出雄少年ひでをせうねんの保姆うばにと、久ひさしき以前いぜんに、遠とほき田舍ゐなかから雇入やとひいれた女をんなの相さうで、背せの低ひくい、白髮しらがあたまの、極ごく正直しやうじき相さうな老女らうぢよであるが、前さきの程ほどより愁然しゆうぜんと頭かうべを埀たれて、丁度ちやうど死出しでの旅路たびぢに行ゆく人ひとを送おくるかの如ごとく、頻しきりに涙なみだを流ながして居をる。私わたくしは何故なぜともなく異樣ゐやうに感かんじた。
『オヤ、亞尼アンニーがまた詰つまらぬ事ことを考かんがへて泣ないて居をりますよ。』と、春枝夫人はるえふじんは良人おつとの顏かほを眺ながめた。
頓やがて、此この集會つどひも終をはると、十時じ間近まぢかで、いよよ弦月丸げんげつまるへ乘船のりくみの時刻じこくとはなつたので、濱島はまじまの一家族いつかぞくと、私わたくしとは同おなじ馬車ばしやで、多おほくの人ひとに見送みおくられながら波止塲はとばに來きたり、其邊そのへんの或ある茶亭ちやていに休憇きうけいした、此處こゝで彼等かれらの間あひだには、それれ袂別わかれの言ことばもあらうと思おもつたので、私わたくしは氣轉きてんよく一人ひとり離はなれて波打際なみうちぎはへと歩あゆみ出だした。
此時このときにふと心付こゝろつくと、何者なにものか私わたくしの後うしろにこそそと尾行びかうして來くる樣子やうす、オヤ變へんだと振返ふりかへる、途端とたんに其その影かげは轉まろぶが如ごとく私わたくしの足許あしもとへ走はしり寄よつた。見みると、こは先刻せんこく送別そうべつの席せきで、只たゞ一人ひとりで泣ないて居をつた亞尼アンニーと呼よべる老女らうぢよであつた。
『おや、お前まへは。』と私わたくしは歩行あゆみを止とめると、老女らうぢよは今いまも猶なほ泣なきながら
『賓人まれびとよ、お願ねがひで厶ござります。』と兩手りやうてを合あはせて私わたくしを仰あほぎ見みた。
『お前まへは亞尼アンニーとか云いつたねえ、何なんの用ようかね。』と私わたくしは靜しづかに問とふた。老女らうぢよは虫むしのやうな聲こゑで『賓人まれびとよ。』と暫時しばし私わたくしの顏かほを眺ながめて居をつたが『あの、妾わたくしの奧樣おくさまと日出雄樣ひでをさまとは今夜こんやの弦月丸げんげつまるで、貴方あなたと御同道ごどうだうに日本につぽんへ御出發ごしゆつぱつになる相さうですが、それを御延のべになる事ことは出來できますまいか。』と恐おそるる口くちを開ひらいたのである。ハテ、妙めうな事ことを言いふ女をんなだと私わたくしは眉まゆを顰ひそめたが、よく見みると、老女らうぢよは、何事なにごとにか痛いたく心こゝろを惱なやまして居をる樣子やうすなので、私わたくしは逆さからはない
『左樣さうさねえ、もう延のばす事ことは出來できまいよ。』と輕かろく言いつて
『然しかし、お前まへは何故なぜ其樣そんなに嘆なげくのかね。』と言葉ことばやさしく問とひかけると、此この一言いちごんに老女らうぢよは少すこしく顏かほを擡もたげ
『實じつに賓人まれびとよ、私わたくしはこれ程ほど悲かなしい事ことはありません。はじめて奧樣おくさまや日出雄樣ひでをさまが、日本にほんへお皈かへりになると承うけたまはつた時ときは本當ほんたうに魂消たまぎえましたよ、然しかしそれは致方いたしかたもありませんが、其後そのゝちよく承うけたまはると、御出帆ごしゆつぱんの時日じじつは時ときもあらうに、今夜こんやの十一時じ半はん……。』といひかけて唇くちびるをふるはし
『あの、あの、今夜こんや十一時じ半はんに御出帆ごしゆつぱんになつては――。』
『何なに、今夜こんやの滊船きせんで出發しゆつぱつすると如何どうしたのだ。』と私わたくしは眼まなこを睜みはつた。亞尼アンニーは胸むねの鏡かゞみに手てを當あてゝ
『私わたくしは神樣かみさまに誓ちかつて申まうしますよ、貴方あなたはまだ御存ごぞんじはありますまいが、大變たいへんな事ことがあります。此事このことは旦那樣だんなさまにも奧樣おくさまにも毎度いくたびか申上まうしあげて、何卒どうか今夜こんやの御出帆ごしゆつぱん丈だけは御見合おみあはせ下くださいと御願おねがひ申まうしたのですが、御兩方おふたり共ともたゞ笑わらつて「亞尼アンニーや其樣そんなに心配しんぱいするには及およばないよ。」と仰おほせあるばかり、少すこしも御聽許おきゝにはならないのです。けれど賓人まれびとよ、私わたくしはよく存ぞんじて居をります、今夜こんやの弦月丸げんげつまるとかで御出發ごしゆつぱつになつては、奧樣おくさまも、日出雄樣ひでをさまも、决けつして御無事ごぶじでは濟すみませんよ。』『無事ぶじで濟すまんとは――。』と私わたくしは思おもはず釣込つりこまれた。
『はい、决けつして御無事ごぶじには濟すみません。』と、亞尼アンニーは眞面目まじめになつた、私わたくしの顏かほを頼母たのもし氣げに見上みあげて
『私わたくしは貴方あなたを信しんじますよ、貴方あなたは决けつしてお笑わらひになりますまいねえ。』と前置まへおきをして斯かう言いつた。
『ウルピノ山さんの聖人ひじりの仰おつしやつた樣やうに、昔むかしから色々いろろの口碑くちつたへのある中なかで、船旅ふなたび程ほど時日ときを選えらばねばならぬものはありません、凶日わるいひに旅立たびだつた人ひとは屹度きつと災難わざはひに出逢であひますよ。これは本當ほんたうです、現げんに私わたくしの一人ひとりの悴せがれも、七八年ねん以前いぜんの事こと、私わたくしが切せつに止とめるのも聽きかで、十月ぐわつの祟たゝりの日ひに家出いへでをしたばかりに、終つひに世よに恐おそろしい海蛇うみへびに捕とられてしまいました。私わたくしにはよく分わかつて居ゐますよ。奧樣おくさまとて日出雄樣ひでをさまとて今夜こんや御出帆ごしゆつぱんになつたら决けつして御無事ごぶじでは濟すみません、はい、其その理由わけは、今日けふは五月ぐわつの十六日にちで魔まの日ひでせう、爾そして、今夜こんやの十一時じ半はんといふは、何なんと恐おそろしいでは御座ございませんか、魔まの刻限こくげんですもの。』
私わたくしは聽ききながらプツと吹ふき出だす處ところであつた。けれど老女らうぢよは少すこしも構かまはず
『賓人まれびとよ、笑わらひ事ごとではありませぬ、魔まの日ひ魔まの刻こくといふのは、一年中いちねんちゆうでも一番いちばんに不吉ふきつな時ときなのです、他ほかの日ひの澤山たくさんあるのに、此この日ひ、此この刻限こくげんに御出帆ごしゆつぱんになるといふのは何なんの因果いんぐわでせう、私わたくしは考かんがへると居ゐても立たつても居をられませぬ。其上そのうへ、私わたくしは懇意こんいの船乘せんどうさんに聞きいて見みますと、今度こんどの航海かうかいには、弦月丸げんげつまるに澤山たくさんの黄金わうごんと眞珠しんじゆとが積入つみいれてあります相さうな、黄金わうごんと眞珠しんじゆとが波なみの荒あらい海上かいじやうで集あつまると、屹度きつと恐おそろしい祟たゝりを致いたします。あゝ、不吉ふきつの上うへにも不吉ふきつ。賓人まれびとよ、私わたくしの心こゝろの千分せんぶんの一いちでもお察さつしになつたら、どうか奧樣おくさまと日出雄樣ひでをさまを助たすけると思おもつて、今夜こんやの御出帆ごしゆつぱんをお延のべ下ください。』と拜おがまぬばかりに手てを合あはせた。聽きいて見みるとイヤハヤ無※ばかな話はなし! 西洋せいようでもいろろと縁起えんぎを語かたる人ひとはあるが、此この老女らうぢよのやうなのはまア珍めづらしからう。私わたくしは大笑おほわらひに笑わらつてやらうと考かんがへたが、待まてよ、たとへ迷信めいしんでも、其その主人しゆじんの身みの上うへを慮おもふこと斯かくまで深ふかく、かくも眞面目まじめで居をる者ものを、無下むげに嘲笑けなすでもあるまいと氣付きづいたので、込こみ上あげて來くる可笑をかしさを無理むりに怺こらえて『亞尼アンニー!。』と一聲いつせい呼よびかけた。
『亞尼アンニー! お前まへの言いふ事ことはよく分わかつたよ、其その忠實ちうじつなる心こゝろをば御主人樣ごしゆじんさまも奧樣おくさまもどんなにかお悦よろこびだらう、けれど――。』と彼女かのぢよの顏かほを眺ながめ
『けれどお前まへの言いふ事ことは、みんな昔むかしの話はなしで、今いまでは魔まの日ひも祟たゝりの日ひも無なくなつたよ。』
『あゝ、貴方あなたも矢張やはりお笑わらひなさるのですか。』と亞尼アンニーはいと情なさけなき顏かほに眼まなこを閉とぢた。
『いや、决けつして笑わらふのではないが、其事そのことは心配しんぱいするには及およばぬよ、奧樣おくさまも日出雄少年ひでをせうねんも、私わたしが生命いのちにかけて保護ほごして上あげる。』と言いつたが、亞尼アンニーは殆ほとんど絶望ぜつぼう極きはまりなき顏かほで
『あゝ、もう無益だめだよよ。』とすゝり泣なきしながら、むつくと立上たちあがり
『神樣かみさま、佛樣ほとけさま、奧樣おくさまと日出雄樣ひでをさまの御身おんみをお助たすけ下ください。』と叫さけんだ儘まゝ、狂氣きやうきの如ごとくに走はしり去さつた。
丁度ちやうど此時このとき、休憩所きうけいしよでは乘船のりくみの仕度したくも整とゝのつたと見みへ、濱島はまじまの頻しきりに私わたくしを呼よぶ聲こゑが聽きこえた。

    第三回 怪あやしの船ふね

銅鑼の響――ビール樽の船長――白色の檣燈――古風な英國人――海賊島の奇聞――海蛇丸

 春枝夫人はるえふじんと、日出雄少年ひでをせうねんと、私わたくしとが、多おほくの身送人みおくりにんに袂別わかれを告つげて、波止塲はとばから凖備よういの小蒸滊船こじようきせんで、遙はるかの沖合おきあひに停泊ていはくして居をる弦月丸げんげつまるに乘組のりくんだのは其その夜よ十時じ※すぎ三十分ぷん。濱島武文はまじまたけぶみと、他ほかに三人みたりの人ひとは本船ほんせんまで見送みおくつて來きた。此この弦月丸げんげつまるといふのは、伊太利イタリーの東方滊船會社とうはうきせんくわいしやの持船もちふねで、噸數とんすう六千四百。二本ほんの煙筒えんとうに四本ほん檣マストの頗すこぶる巨大きよだいな船ふねである、此度このたび支那シナ及および日本につぽんの各港かくかうへ向むかつての航海こうかいには、夥おびたゞしき鐵材てつざいと、黄金わうごん眞珠等しんじゆなど少すくなからざる貴重品きちやうひんを搭載たうさいして居をる相さうで、其その船脚ふなあしも餘程よほど深ふかく沈しづんで見みえた。
弦月丸げんげつまるの舷梯げんていへ達たつすると、私共わたくしどもの乘船じやうせんの事ことは既すでに乘客じやうきやく名簿めいぼで分わかつて居をつたので、船丁ボーイは走はしつて來きて、急いそがはしく荷物にもつを運はこぶやら、接待員せつたいゐんは恭うややしく帽ぼうを脱だつして、甲板かんぱんに混雜こんざつせる夥多あまたの人ひとを押分おしわけるやらして、吾等われらは導みちびかれて船ふねの中部ちゆうぶに近ちかき一等とう船室せんしつに入いつた。どの滊船きせんでも左樣さうだが、同おなじ等級とうきふの船室キヤビンの中うちでも、中部ちゆうぶの船室キヤビンは最もつとも多おほく人ひとの望のぞむ所ところである。何故なぜかと言いへば航海中かうかいちゆう船ふねの動搖どうえうを感かんずる事ことが比較的ひかくてきに少すくない爲ためで、此この室へやを占領せんりやうする爲ためには虎鬚とらひげの獨逸人ドイツじんや、羅馬風ローマンスタイルの鼻はなの高たかい佛蘭西人等フランスじんとうに隨分ずゐぶん競爭者きようそうしやが澤山たくさんあつたが、幸さいはひにもネープルス市し中ちゆうで「富貴ふうきなる日本人につぽんじん。」と盛名せいめい隆々りううたる濱島武文はまじまたけぶみの特別とくべつなる盡力じんりよくがあつたので、吾等われらは遂つひに此この最上さいじやうの船室キヤビンを占領せんりやうする事ことになつた。加くわふるに春枝夫人はるえふじん、日出雄少年ひでをせうねんの部室へやと私わたくしの部室へやとは直すぐ隣合となりあつて居をつたので萬事ばんじに就ついて都合つがうが宜よからうと思おもはるゝ。私わたくしは元來ぐわんらい膝栗毛的ひざくりげてきの旅行りよかうであるから、何なにも面倒めんだうはない、手提革包てさげかばん一個ひとつを船室キヤビンの中なかへ投込なげこんだまゝ直すぐ春枝夫人等はるえふじんらの船室キヤビンへ訪おとづれた。此時このとき夫人ふじんは少年せうねんを膝ひざに上のせて、其その良君をつとや他ほかの三人みたりを相手あひてに談話はなしをして居をつたが、私わたくしの姿すがたを見みるより
『おや、もうお片附かたづきになりましたの。』といつて嬋娟せんけんたる姿すがたは急いそぎ立たち迎むかへた。
『なあに、柳川君やながはくんには片附かたづけるやうな荷物にもつもないのさ。』と濱島はまじまは聲こゑ高たかく笑わらつて『さあ。』とすゝめた倚子ゐすによつて、私わたくしも此この仲間なかま入いり。最早もはや袂別わかれの時刻じこくも迫せまつて來きたので、いろろの談話はなしはそれからそれと盡つくる間まも無なかつたが、兎角とかくする程ほどに、ガラン、ガラ、ガラン、ガラ、と船中せんちゆうに布ふれ廻まはる銅鑼どらの響ひゞきが囂かまびすしく聽きこえた。
『あら、あら、あの音おとは――。』と日出雄少年ひでをせうねんは眼めをまん丸まるにして母君はゝぎみの優やさしき顏かほを仰あふぐと、春枝夫人はるえふじんは默然もくねんとして、其その良君をつとを見みる。濱島武文はまじまたけぶみは靜しづかに立上たちあがつて
『もう、袂別おわかれの時刻じこくになつたよ。』と他たの三人みたりを顧見かへりみた。
すべて、海上かいじやうの規則きそくでは、船ふねの出港しゆつかうの十分ぷん乃至ないし十五分ふん前まへに、船中せんちうを布ふれ廻まはる銅鑼どらの響ひゞきの聽きこゆると共ともに本船ほんせんを立去たちさらねばならぬのである。で、濱島はまじまは此時このとき最早もはや此この船ふねを去さらんとて私わたくしの手てを握にぎりて袂別わかれの言葉ことば厚あつく、夫人ふじんにも二言ふたこと三言みこと云いつた後のち、その愛兒あいじをば右手めてに抱いだき寄よせて、其その房々ふささとした頭髮かみのけを撫なでながら『日出雄ひでをや、汝おまへと父ちゝとは、之これから長時しばらくの間あひだ別わかれるのだが、汝おまへは兼々かねね父ちゝの言いふやうに、世よに俊すぐれた人ひととなつて――有爲りつぱな海軍士官かいぐんしくわんとなつて、日本帝國につぽんていこくの干城まもりとなる志こゝろを忘わすれてはなりませんよ。』と言いひ終をはつて、少年せうねんが默だまつて點頭うなづくのを笑えまし氣げに打うち見みやりつゝ、他たの三人みたりを促うながして船室キヤビンを出でた。
先刻せんこくは見送みおくられた吾等われらは今いまは彼等かれらを此この船ふねより送おくり出いださんと、私わたくしは右手めてに少年せうねんを導みちびき、流石さすがに悄然せうぜんたる春枝夫人はるえふじんを扶たすけて甲板かんぱんに出でると、今宵こよひは陰暦いんれき十三夜や、深碧しんぺきの空そらには一片ぺんの雲くももなく、月つきは浩々かううと冴さえ渡わたりて、加くはふるに遙はるかの沖おきに停泊ていはくして居をる三四艘そうの某ぼう國こく軍艦ぐんかんからは、始終しじゆう探海電燈サーチライトをもつて海面かいめんを照てらして居をるので、其その明あきらかなる事ことは白晝まひるを欺あざむくばかりで、波なみのまにに浮沈うきしづんで居をる浮標ブイの形かたちさへいと明あきらかに見みえる程ほどだ。
濱島はまじまは船ふねの舷梯げんていまで到いたつた時とき、今いま一度ど此方こなたを振返ふりかへつて、夫人ふじんとその愛兒あいじとの顏かほを打眺うちながめたが、何なにか心こゝろにかゝる事ことのあるが如ごとく私わたくしに瞳ひとみを轉てんじて『柳川君やながはくん、然さらば之これにてお別わかれ申まうすが、春枝はるえと日出雄ひでをの事ことは何分なにぶんにも――。』と彼かれは日頃ひごろの豪壯がうさうなる性質せいしつには似合にあはぬ迄まで、氣遣きづかはし氣げに、恰あだかも何者なにものか空中くうちゆうに力強ちからつよき腕うでのありて、彼かれを此この塲ばに捕とらへ居をるが如ごとくいとゞ立去たちさり兼かねて見みへた。之これが俗ぞくに謂いふ虫むしの知しらせとでもいふものであらうかと、後のちに思おもひ當あたつたが、此時このときはたゞ離別りべつの情じやうさこそと思おもひ遣やるばかりで、私わたくしは打點頭うちうなづき『濱島君はまじまくんよ、心豐こゝろゆたかにいよよ榮さかえ玉たまへ、君きみが夫人ふじんと愛兒あいじの御身おんみは、此この柳川やながはの生命いのちにかけても守護しゆごしまいらすべし。』と答こたへると彼かれは莞爾につこと打笑うちえみ、こもも三人みたりと握手あくしゆして、其儘そのまゝ舷梯げんていを降くだり、先刻せんこくから待受まちうけて居をつた小蒸滊船こじやうきせんに身みを移うつすと、小蒸滊船こじやうきせんは忽たちまち波なみを蹴立けたてゝ、波止塲はとばの方かたへと歸かへつて行ゆく、其その仇浪あだなみの立騷たちさわぐ邊ほとり海鳥かいてう二三羽ば夢ゆめに鳴ないて、うたゝ旅客たびゞとの膓はらわたを斷たつばかり、日出雄少年ひでをせうねんは無邪氣むじやきである
『あら、父君おとつさんは單獨ひとりで何處どこへいらつしやつたの、もうお皈かへりにはならないのですか。』と母君はゝぎみの纎手てに依よりすがると春枝夫人はるえふじんは凛々りゝしとはいひ、女心をんなごゝろのそゞろに哀あはれを催もよほして、愁然しゆうぜんと見送みおくる良人をつとの行方ゆくかた、月つきは白晝まひるのやうに明あきらかだが、小蒸滊船こじようきせんの形かたちは次第々々しだいいに朧おぼろになつて、殘のこる煙けむりのみぞ長ながき名殘なごりを留とゞめた。『夫人おくさん、すこし、甲板デツキの上うへでも逍遙さんぽして見みませうか。』と私わたくしは二人ふたりを誘いざなつた。かく氣きの沈しづんで居をる時ときには、賑にぎはしき光景くわうけいにても眺ながめなば、幾分いくぶんか心こゝろを慰なぐさむる因よすがともならんと考かんがへたので、私わたくしは兩人ふたりを引連ひきつれて、此時このとき一番ばんに賑にぎはしく見みえた船首せんしゆの方かたへ歩ほを移うつした。
最早もはや、出港しゆつかうの時刻じこくも迫せまつて居をる事こととて、此邊このへんは仲々なかかの混雜こんざつであつた。輕かろき服裝ふくさうせる船丁等ボーイらは宙ちうになつて驅かけめぐり、逞たくましき骨格こつかくせる夥多あまたの船員等せんゐんらは自己おのが持塲もちば>に列れつを作つくりて、後部こうぶの舷梯げんていは既すでに引揚ひきあげられたり。今いましも船首甲板せんしゆかんぱんに於おける一等運轉手チーフメートの指揮しきの下したに、はや一團だんの水夫等すいふらは捲揚機ウインチの周圍しゆうゐに走はせ集あつまつて、次つぎの一令れいと共ともに錨鎖べうさを卷揚まきあげん身構みがまへ。船橋せんけうの上うへにはビール樽だるのやうに肥滿ひまんした船長せんちやうが、赤あかき頬髯ほゝひげを捻ひねりつゝ傲然がうぜんと四方はうを睥睨へいげいして居をる。私わたくしは三々五々さんんごゞ群むれをなして、其處此處そここゝに立たつて居をる、顏色いろの際立きはだつて白しろい白耳義人ベルギーじんや、「コスメチツク」で鼻髯ひげを劍けんのやうに塗ぬり固かためた佛蘭西フランスの若紳士わかしんしや、あまりに酒さけを飮のんで酒さけのために鼻はなの赤あかくなつた獨逸ドイツの陸軍士官りくぐんしくわんや、其他そのほか美人びじんの標本へうほんともいふ可べき伊太利イタリーの女俳優をんなはいゆうや、色いろの無暗むやみに黒くろい印度インド邊へんの大富豪おほがねもちの船客等せんきやくらの間あひだに立交たちまじらつて、此この目醒めざましき光景くわうけいを見廻みまはしつゝ、春枝夫人はるえふじんとくささの物語ものがたりをして居をつたが、此時このとき不意ふいにだ、實じつに不意ふいに私わたくしの背部うしろで、『や、や、や、しまつたゾ。』と一度いちどに※さけぶ水夫すゐふの聲こゑ、同時どうじに物ものあり、甲板かんぱんに落おちて微塵みじんに碎くだけた物音ものおとのしたので、私わたくしは急いそぎ振返ふりかへつて見みると、其處そこでは今いましも、二三の水夫すゐふが滑車くわつしやをもつて前檣ぜんしやう高たかく掲かゝげんとした一個いつこの白色燈はくしよくとう――それは船ふねが航海中かうかいちゆう、安全あんぜん進航しんかうの表章ひやうしようとなるべき球形きゆうけいの檣燈しやうとうが、何なにかの機會はづみで糸いとの縁えんを離はなれて、檣上しやうじやう二十呎フヒートばかりの所ところから流星りうせいの如ごとく落下らくかして、あはやと言いふ間まに船長せんちやうが立たてる船橋せんけうに衝あたつて、燈とうは微塵みじんに碎くだけ、燈光とうくわうはパツと消きえる、船長せんちやう驚おどろいて身みを躱かわす拍子へうしに足あし踏滑ふみすべらして、船橋せんけうの階段かいだんを二三段だん眞逆まつさかさまに落おちた。水夫すゐふ共どもは『あツ』とばかり顏かほの色いろを變かへた。船長せんちやうは周章あはてゝ起上おきあがつたが、怒氣どき滿面まんめん、けれど自己おのが醜態しゆうたいに怒おこる事ことも出來できず、ビール樽だるのやうな腹はらに手てを當あてゝ、物凄ものすごい眼まなこに水夫すゐふ共どもを睨にらみ付つけると、此時このとき私わたくしの傍かたはらには鬚ひげの長ながい、頭あたまの禿はげた、如何いかにも古風こふうらしい一個ひとりの英國人エイこくじんが立たつて居をつたが、此この活劇ありさまを見みるより、ぶるぶると身慄みぶるひして『あゝ、あゝ、縁起えんぎでもない、南無阿彌陀佛なむあみだぶつ! 此この船ふねに惡魔あくまが魅みいつて居ゐなければよいが。』と呟つぶやいた。
えい。また御幣ごへい擔かつぎ! 今日けふは何なんといふ日ひだらう。
勿論もちろん、此樣こんな事ことには何なにも深ふかい仔細しさいのあらう筈はづはない。つまり偶然ぐうぜんの出來事できごとには相違さうゐないのだが、私わたくしは何なんとなく異樣ゐやうに感かんじたよ。誰たれでも左樣さうだが、戰爭いくさの首途かどでとか、旅行たびの首途かどでに少すこしでも變へんな事ことがあれば、多少たせう氣きに懸かけずには居をられぬのである。特ことに我わが弦月丸げんげつまるは今いまや萬里ばんりの波濤はたうを志こゝろざして、音おとに名高なだかき地中海ちちゆうかい、紅海こうかい、印度洋等インドやうとうの難所なんしよに進すゝみ入いらんとする其その首途かどでに、滊船きせんが安全あんぜん航行かうかうの表章しるしとなるべき白色檣燈はくしよくしやうとうが微塵みじんに碎くだけて、其その燈光ともしびは消きえ、同時どうじに、此この船ふねの主長しゆちやうともいふべき船長せんちやうが船橋せんけうより墮落ついらくして、心こゝろの不快ふくわいを抱いだき、顏かほに憤怒ふんぬの相さうを現あらはしたなど、或ある意味いみからいふと、何なにか此この弦月丸げんげつまるに禍わざはひの起おこる其その前兆ぜんてうではあるまいかと、どうも好よい心持こゝちはしなかつたのである。無論むろん此樣こんな妄想もうざうは、平生いつもならば苦くもなく打消うちけされるのだが、今日けふは先刻せんこくから亞尼アンニーが、魔まの日ひだの魔まの刻こくだのと言いつた言葉ことばや、濱島はまじまが日頃ひごろに似にぬ氣遣きづかはし氣げなりし樣子やうすまでが、一時いちじに心こゝろに浮うかんで來きて、非常ひじやうに變へんな心地こゝちがしたので、寧むしろ此この塲ばを立去たちさらんと、春枝夫人はるえふじんを見返みかへると、夫人ふじんも今いまの有樣ありさまと古風こふうなる英國人エイこくじんの獨言ひとりごとには幾分いくぶんか不快ふくわいを感かんじたと見みへ『あの艫ともの方はうへでもいらつしやいませんか。』と私わたくしを促うながしつゝ蓮歩れんぽを彼方かなたへ移うつした。
頓やがて船尾せんびの方かたへ來きて見みると、此處こゝは人影ひとかげも稀まれで、既すでに洗淨せんじようを終をはつて、幾分いくぶんの水氣すゐきを帶おびて居をる甲板かんぱんの上うへには、月つきの色ひかりも一段いちだんと冴渡さへわたつて居をる。
『矢張やはり靜しづかな所ところが宜よう厶ございますねえ。』と春枝夫人はるえふじんは此時このとき淋さびしき笑えみを浮うかべて、日出雄少年ひでをせうねんと共ともにずつと船端せんたんへ行いつて、鐵欄てすりに凭もたれて遙はるかなる埠頭はとばの方はうを眺ながめつゝ
『日出雄ひでをや、あの向むかふに見みえる高たかい山やまを覺おぼえておいでかえ。』と住馴すみなれし子ープルス市街まちの東南とうなんに聳そびゆる山やまを指ゆびざすと、日出雄少年ひでをせうねんは
『モリス山ざんでせう、私わたくしはよつく覺おぼえて居ゐますよ。』とパツチリとした眼めで母君はゝぎみの顏かほを見上みあげた。
『おゝ、それなら、あの電氣燈でんきとうが澤山たくさんに輝かゞやいて、大おほきな煙筒けむりだしが五本ほんも六本ぽんも並ならんで居をる處ところは――。』
『サンガロー街まち――おつかさん、私わたくしの家いへも彼處あそこにあるんですねえ。』と少年せうねんは兩手りようてを鐵欄てすりの上うへに載のせて
『父君おとつさんはもう家うちへお皈かへりになつたでせうか。』
『おゝ、お皈かへりになりましたとも、そして今頃いまごろは、あの保姆ばあやや、番頭ばんとうのスミスさんなんかに、お前まへが温順おとなしくお船ふねに乘のつて居をる事ことを話はなしていらつしやるでせう。』と言葉ことばやさしく愛兒あいじの房々ふささせる頭髮かみのけに玉たまのやうなる頬ほゝをすり寄よせて、餘念よねんもなく物語ものがたる、これが夫人ふじんの爲ためには、唯一ゆいいつの慰なぐさみであらう。かゝる優やさしき振舞ふるまひを妨さまたぐるは、心こゝろなき業わざと思おもつたから、私わたくしは態わざと其處そこへは行ゆかず、少すこし離はなれてたゞ一人ひとり安樂倚子アームチエヤーの上うへへ身みを横よこたへて、四方よもの風景けしきを見渡みわたすと、今宵こよひは月つき明あきらかなれば、さしもに廣ひろきネープルス灣わんも眼界がんかい到いたらぬ隈くまはなく、おぼろろに見みゆるイスチヤの岬みさきには廻轉燈明臺くわいてんとうめうだいの見みえつ、隱かくれつ、天てんに聳そびゆるモリス山ざんの頂いたゞきにはまだ殘のこんの雪ゆきの眞白ましろなるに、月つきの光ひかりのきららと反射はんしやして居をるなど得えも言いはれず、港内かうないは電燈でんとうの光ひかり煌々くわううたる波止塲はとばの附近ほとりからずつと此方こなたまで、金龍きんりう走わしる波なみの上うへには、船艦せんかん浮うかぶ事こと幾百艘いくひやくさう、出でる船ふね、入いる船ふねは前檣ぜんしやうに白燈はくとう、右舷うげんに緑燈りよくとう、左舷さげんに紅燈こうとうの海上法かいじやうはふを守まもり、停泊とゞまれる船ふねは大鳥おほとりの波上はじやうに眠ねむるに似にて、丁度ちやうど夢ゆめにでもあり相さうな景色けしき! 私わたくしは此樣こんな風景ふうけいは今迄いまゝでに幾回いくくわいともなく眺ながめたが、今宵こよひはわけて趣味しゆみある樣やうに覺おぼえたので眼まなこも放はなたず、それからそれと眺ながめて行ゆく内うち、ふと眼めに止とまつた一つの有樣ありさま――それは此處こゝから五百米突メートルばかりの距離きよりに停泊ていはくして居をる一艘そうの蒸滊船じようきせんで、今いま某ぼう國こく軍艦ぐんかんからの探海燈たんかいとうは其邊そのへんを隈くまなく照てらして居をるので、其その甲板かんぱんの裝置さうちなども手てに取とるやうに見みえる、此この船ふね噸數とんすう一千噸とん位くらゐ、船體せんたいは黒色こくしよくに塗ぬられて、二本にほん煙筒チム子ーに二本にほん檣マスト、軍艦ぐんかんでない事ことは分わかつて居をるが、商船しやうせんか、郵便船ゆうびんせんか、或あるひは他たに何等なにらかの目的もくてきを有いうして居をる船ふねか夫それは分わからない。勿論もちろん、外形ぐわいけいに現あらはれても何なにも審いぶかしい點てんはないが、少すこしく私わたくしの眼めに異樣ゐやうに覺おぼえたのは、總さう噸數とんすう一千噸とん位くらゐにしては其その構造かうざうの餘あまりに堅固けんごらしいのと、また其その甲板かんぱんの下部したには數門すもんの大砲等たいほうなどの搭載つみこまれて居をるのではあるまいか、其その船脚ふなあしは尋常じんじやうならず深ふかく沈しづんで見みえる。今いまや其その二本にほんの烟筒えんとうから盛さかんに黒煙こくえんを吐はいて居をるのは既すでに出港しゆつかうの時刻じこくに達たつしたのであらう、見みるる船首せんしゆの錨いかりは卷揚まきあげられて、徐々じよよとして進航しんかうを始はじめた。私わたくしは何氣なにげなく衣袋ポツケツトを探さぐつて、双眼鏡さうがんきやうを取出とりいだし、度どを合あはせて猶なほよく其その甲板かんぱんの工合ぐあひを見みやうとする、丁度ちやうど此時このとき先方むかふの船ふねでも、一個ひとりの船員せんゐんらしい男をとこが、船橋せんけうの上うへから一心いつしんに双眼鏡そうがんきやうを我わが船ふねに向むけて居をつたが、不思議ふしぎだ、私わたくしの視線しせんと彼方かなたの視線しせんとが端はしなくも衝突しようとつすると、忽たちまち彼男かなたは双眼鏡そうがんきやうをかなぐり捨すてゝ、乾顏そしらぬかほに横よこを向むいた。其その擧動ふるまひのあまりに奇怪きくわいなので私わたくしは思おもはず小首こくびを傾かたむけたが、此時このとき何故なにゆゑとも知しれず偶然ぐうぜんにも胸むねに浮うかんで來きた一ひとつの物語ものがたりがある。それは忘わすれもせぬ去年きよねんの秋あきの事ことで、私わたくしが米國ベイこくから歐羅巴エウロツパへ渡わたる航海中かうかいちうで、ふと一人ひとりの英國イギリスの老水夫らうすゐふと懇意こんいになつた。其その老水夫らうすゐふがいろろの興味けうみある話はなしの中なかで、最もつとも深ふかく私わたくしの心こゝろに刻きざまれて居をるのは、世よに一番いちばんに恐おそろしい航路かうろは印度洋インドやうだとうふ物語ものがたり、亞弗利加洲アフリカしうの東方ひがしのかた、マダカッスル島たうからも餘程よほど離はなれて、世よの人ひとは夢ゆめにも知しらない海賊島かいぞくたうといふのがある相さうだ、無論むろん世界地圖せかいちづには見みる事ことの出來できぬ孤島こたうであるが、其處そこには獰猛どうまう鬼神きじんを欺あざむく數百すうひやくの海賊かいぞくが一團體いちだんたいをなして、迅速じんそく堅固けんごなる七艘さうの海賊船かいぞくせんを浮うかべて、絶たえず其邊そのへんの航路かうろを徘徊はいくわいし、時ときには遠とほく大西洋たいせいやうの沿岸えんがんまでも船ふねを乘出のりだして、非常ひじやうに貴重きちやうな貨物くわぶつを搭載とうさいした船ふねと見みると、忽たちまち之これを撃沈げきちんして、惡にくむ可べき慾よくを逞たくましうして居をるとの話はなし。而そして歐米をうべいの海員かいゐん仲間なかまでは、此事このことを知しらぬでもないが、如何いかにせん、此この海賊かいぞく團體だんたいの狡猾かうくわつなる事ことは言語げんごに絶たえて、其その來きたるや風かぜの如ごとく、其その去さるも亦また風かぜの如ごとく。海賊かいぞく共どもは如何いかにして探知たんちするものかは知しらぬが其その覬ねらひ定さだめる船ふねは、常つねに第だい一等とうの貴重きちやう貨物くわぶつを搭載とうさいして居をる船ふねに限かぎる代かわりに、滅多めつたに其その形かたちを現あらはさぬ爲ためと、今いま一つには此この海賊かいぞく輩はいは何時いつの頃ころよりか、利りをもつて歐洲をうしうの某ぼう強國きやうこくと結托けつたくして、年々ねんん五千萬弗まんどるに近ちかい賄賂わいろを納をさめて居をる爲ために、却かへつて隱然いんぜんたる保護ほごを受うけ、折をりふし其その船ふねが貿易港ぼうえきかうに停泊ていはくする塲合ばあひには立派りつぱな國籍こくせきを有いうする船ふねとして、其その甲板かんぱんには該その強國きやうこくの商船旗しようせんきを飜ひるがへして、傍若無人ぼうじやくむじんに振舞ふるまつて居をる由よし、實じつに怪けしからぬ話はなしである。私わたくしは今いま、二本にほん煙筒えんとう二本にほん檣マストの不思議ふしぎなる船ふねを見みて、神經しんけいの作用さようかは知しらぬがふと思おもひ浮うかんだ此この話はなし、若もしかの老水夫らうすゐふの言げんが眞實まことならば、此樣こんな船ふねではあるまいか、其その海賊船かいぞくせんといふのは、兎とに角かく氣味きみの惡わるい事ことだと思おもつて居をる内うちに、怪あやしの船ふねはだんんと速力そくりよくを増まして、我わが弦月丸げんげつまるの左方さはうを掠かすめるやうに※去すぎさる時とき、本船ほんせんより射出しやしゆつする船燈せんとうの光ひかりでチラと認みとめたのは其その船尾せんびに記しるされてあつた「海蛇丸かいだまる」の三字じ、「海蛇丸かいだまる」とはたしかにかの船ふねの名稱めいしやうである。見みるる内うちに波なみを蹴立けたてゝ、蒼渺そうびやうの彼方かなたに消きえ去うせた。
『あゝ、妙めうだだ、今日けふは何故なぜ此樣こんなに不思議ふしぎな事ことが續つゞくのだらう。』と私わたくしは思おもはず叫さけんだ。
『おや、貴方あなた如何どうかなすつて。』と春枝夫人はるえふじんは日出雄少年ひでをせうねんと共ともに驚おどろいて振向ふりむいた。
『夫人ふじん!』と私わたくしは口くちを切きつたが、待まてよ、今いまの塲合ばあひに此樣こんな話はなし――寧むしろ私わたくし一個人いつこじんの想像さうざうに※すぎない事ことを輕々かろろしく語かたつて、此この美うるはしき人ひとの、優やさしき心こゝろを痛いためるでもあるまい、と心付こゝろづいたので
『いや、何なんでもありませんよ、あはゝゝゝ。』と態わざと聲こゑ高たかく笑わらつた。丁度ちやうど此時このとき、甲板かんぱんには十一時じ半はんを報ほうずる七點鐘てんしようが響ひゞいて、同時どうじにボー、ボー、ボーツと恰あだかも獅子しゝの吼ほゆるやうな滊笛きてきの響ひゞき、それは出港しゆつかうの相圖あひづで、吾等われらの運命うんめいを托たくする弦月丸げんげつまるは、遂つひに徐々じよよとして進航しんかうをはじめた。
    第四回 反古ほごの新聞しんぶん

葉卷烟草シーガレツト――櫻木海軍大佐の行衞――大帆走船と三十七名の水夫――奇妙な新體詩――秘密の大發明――二點鐘カヽン々々

 灣口わんこうを出いづるまで、私わたくしは春枝夫人はるえふじんと日出雄少年ひでをせうねんとを相手あひてに甲板上かんぱんじやうに佇たゞずんで、四方よもの景色けしきを眺ながめて居をつたが、其内そのうちにネープルス港かうの燈光ともしびも微かすかになり、夜寒よざむの風かぜの身みに染しむやうに覺おぼえたので、遂つひに甲板かんぱんを降くだつた。
夫人ふじんと少年せうねんとを其その船室キヤビンに送おくつて、明朝めうてうを契ちぎつて自分じぶんの船室へやに歸かへつた時とき、八點鐘はつてんしようの號鐘がうしようはいと澄渡すみわたつて甲板かんぱんに聽きこえた。
『おや、もう十二時じ!』と私わたくしは獨語どくごした。既すでに夜よる深ふかく、加くわふるに當夜このよは浪なみ穩おだやかにして、船ふねに些いさゝかの動搖ゆるぎもなければ、船客せんきやくの多數おほかたは既すでに安やすき夢ゆめに入いつたのであらう、たゞ蒸滊機關じようききくわんの響ひゞきのかまびすしきと、折々をりり當番たうばんの船員せんゐんが靴音くつおと高たかく甲板かんぱんに往來わうらいするのが聽きこゆるのみである。
私わたくしは衣服ゐふくを更あらためて寢臺ねだいに横よこたわつたが、何故なぜか少すこしも眠ねぶられなかつた。船室キヤビンの中央ちゆうわうに吊つるしてある球燈きゆうとうの光ひかりは煌々くわううと輝かゞやいて居をるが、どうも其邊そのへんに何なにか魔性ませうでも居をるやうで、空氣くうきは頭あたまを壓おさへるやうに重おもく、實じつに寢苦ねぐるしかつた。諸君しよくんも御經驗ごけいけんであらうが此樣こんな時ときにはとても眠ねむられるものではない、氣きを焦いらだてば焦いらだつ程ほど眼まなこは冴さえて胸むねにはさままの妄想もうざうが往來わうらいする。私わたくしは思おもひ切きつて再ふたゝび起上おきあがつた。喫烟室スモーキングルームへ行ゆくも面倒めんだうなり、少すこし船ふねの規則きそくの違反ゐはんではあるが、此室こゝで葉卷シユーガーでも燻くゆらさうと思おもつて洋服やうふくの衣袋ポツケツトを探さぐりて見みたが一本ぽんも無ない、不圖ふと思おもひ出だしたのは先刻せんこくネープルス港かうを出發しゆつぱつのみぎり、濱島はまじまの贈おくつて呉くれた數かずある贈物おくりものの中うち、四角かくな新聞しんぶん包つゝみは、若もしや煙草たばこの箱はこではあるまいかと考かんがへたので、急いそぎ開ひらいて見みると果然くわぜん最上さいじやうの葉卷はまき! 『しめたり。』と火ひを點てんじて、スパスパやりながら餘念よねんもなく其邊そのへんを見廻みまわして居をる内うち、見みると今いま葉卷はまきの箱はこの包つゝんであつた新聞紙しんぶんし。
『オヤ、日本につぽんの新聞しんぶんだよ。』と私わたくしは思おもはず取上とりあげた。
本國ほんごくを出いでゝから二年間ねんかん、旅たびから旅たびへと遍歴へんれきして歩あるく身みは、折々をりり日本につぽんの公使館こうしくわんや領事館りようじくわんで、本國ほんこくの珍めづらしき事件ことを耳みゝにする外ほかは、日本につぽんの新聞しんぶんなどを見みる事ことは極きはめて稀まれであるから、私わたくしは實じつに懷なつかしく感かんじた。急いそぎ皺しわを延のばして見みると、これは既すでに一年ねん半はんも前まへの東京とうけいの某ぼう新聞しんぶんであつた。一年ねん半はんも前まへといへば私わたくしがまだ亞米利加アメリカの大陸たいりくに滯在たいざいして居をつた時分じぶんの事ことで、隨分ずいぶん古ふるい新聞しんぶんではあるが、古ふるくつても何なんでもよい、故郷こきやう懷なつかしと思おもふ一念ねんに、眼めも放はなたず讀よんでゆく内うち、忽たちまち眼めに着ついた一段だんの記事きじがあつた。それは本紙ほんし第だい二面めんの左さの如ごとき雜報ざつぽうであつた。◎櫻木豫備海軍大佐の行衞==讀者どくしやは記臆きおくせらる可べし、先年せんねん一種しゆの強力きやうりよくなる爆發藥ばくはつやくを發明はつめいし、つゞいて浮標水雷ふへうすゐらい、花環榴彈等くわくわんりうだんとう二三の軍器ぐんきに有功いうこうなる改良かいりようを施ほどこしたるを以もつて、海軍部内かいぐんぶないに其人そのひとありと知しられたる豫備海軍大佐櫻木重雄氏よびかいぐんたいささぐらぎしげをしは一昨年さくねん英國エイこくに遊あそび歸朝きてう以來いらい深ふかく企くわだつる所ところあり、驚おどろく可べき軍事上ぐんじじやうの大發明だいはつめいをなして、我國々防上わがくにこくぼうじやうに貢獻こうけんする處ところあらんと、兼かねて工夫くふう慘憺さんたんの由よし仄ほのかに耳みゝにせしが、此度このたびいよよ機き熟じゆくしけん、或あるひは他たに慮おもんぱかる處ところありてにや、本月ほんげつ初旬しよじゆん横濱よこはまの某ぼう商船會社しやうせんくわいしやより浪なみの江丸えまるといへる一大だい帆走船ほまへせんを購あがなひ、密ひそかに糧食りようしよく、石炭せきたん、氣發油きはつゆう、※卷蝋くわけんらう、鋼索こうさく、化學用くわがくようの諸しよ劇藥げきやく、其他そのほか世人せじんの到底たうてい豫想よさうし難がたき幾多いくたの材料ざいりようを蒐集中しうしふちうなりしが、何時いつとも吾人われらの氣付きづかぬ間まに其その姿すがたを隱かくしぬ。櫻木大佐さくらぎたいさが其その姿すがたを隱かくすと共ともにかの帆走船ほまへせんも其その停泊港ていはくかうに在あらずなり、併あはせて大佐たいさが年來ねんらいの部下ぶかとして神かみの如ごとく親おやの如ごとくに氏しに服從ふくじゆうせる三十七名めいの水兵すゐへいも其その姿すがたを失うしなひたりといへば、想おもふに大佐たいさは暗夜あんやに乘じようじて、竊ひそかに其その部下ぶかを引連ひきつれ本邦ほんぽうをば立去たちさりしものならん、此事このことは海軍部内かいぐんぶないに於おいても極きはめて秘密ひみつとする處ところにして、何人なんぴとも其その行衞ゆくえを知しる者ものなし、只たゞ心當こゝろあたりとも云いふ可べきは、昨夕さくゆう横濱よこはまに入港にふかうせし英國エイこくの某ぼう郵船ゆうせんは四五日にち前ぜんの夜半やはん、北きたボル子ヲ島たう附近ふきんにて日本につぽんの國旗こくきを掲かゝげし一大だい帆走船ほまへせんを認みとめし由よしにて、其その船ふねの形状等けいじようとう恰あだかも大佐たいさの帆走船ほまへせんに似寄によりたる處ところあれば、氏しは其その航路かうろを取とりて支那海シナかいを※すぎ印度洋インドやうの方面はうめんに進すゝみしにあらずやとの疑うたがひあり、元もとより氏しが今回こんくわいの企圖くわだては秘中ひちうの秘事ひじにして、到底たうてい測知そくちし得う可べきにあらざれども、兎とにも角かくにも非凡ひぼんの智能ちのうと遠大えんだいの目的もくてきとを有いうする氏しの事ことなれば、何時いつ意外いぐわいの方面はうめんより意外いぐわいの大功績だいこうせきを齎もたらして再ふたゝび吾人ごじんの眼前がんぜんに現あらはれ來きたるやも知しる可べからず、刮目くわつもくして待まつ可べきなり。== 云々うんぬん。何等なにらの關係くわんけいはなくとも、斯かかる記事きじを讀よんだ人ひとは多少たせう心こゝろを動うごかすであらう。殊ことに私わたくしは櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさとは面識めんしきの間柄あひだがらで、數年すねん前ぜんの事こと、私わたくしがまだ今回こんくわいの漫遊まんゆうに上のぼらぬ以前いぜん、ある夏なつ、北海道旅行ほくかいだうりよかうを企くわだてた時とき、横濱よこはまから凾館はこだてへ赴おもむく滊船きせんの中なかで、圖はからずも大佐たいさと對面たいめんした事ことがある。其頃そのころ大佐たいさは年輩としごろ三十二三、威風ゐふう凛々りんんたる快男子くわいだんしで、其その眼光がんくわうの烱々けいいたると、其その音聲おんせいの朗々ろううたるとは、如何いかにも有爲いうゐの氣象きしやうと果斷くわだんの性質せいしつに富とんで居をるかを想おもはしめた。其人そのひと今いまや新聞しんぶんの題目だいもくとなつて世人よのひとの審いぶかる旅路たびぢに志こゝろざしたといふ、其その行先ゆくさきは何地いづこであらう、其その目的もくてきは何なんであらう。軍事上ぐんじじやうの大發明だいはつめい――一大だい帆走船ほまへせん――三十七名めいの水兵すゐへい――化學用くわがくよう藥品やくひん、是等これらから思おもひ合あはせると朧おぼろながらも想像さうぞうの出來できぬ事ことはない。今いまや世界せかいの各國かくこくは互たがひに兵へいを練ねり武ぶを磨みがき、特ことに海軍力かいぐんりよくには全力ぜんりよくを盡つくして英佛露獨エイフツロドク、我われ劣をとらじと權勢けんせいを爭あらそつて居をる、而しかして目今もくこん其その權力けんりよく爭議さふぎの中心點ちゆうしんてんは多おほく東洋とうやうの天地てんちで、支那シナの如ごとき朝鮮テウセンの如ごときは絶たえず其その侵害しんがいを蒙かふむりつゝある、此時このときに當あたつて、東洋とうやうの覇國はこくともいふ可べき我わが大日本帝國だいにつぽんていこくは其その負おふ處ところ實じつに重おもく一方ぱう東洋とうやうの平和へいわを保たもたんが爲ため、他方たはう少すくなくとも我國わがくにの威信ゐしんを存そんせんが爲ためには非常ひじやうの决心けつしんと實力じつりよくとを要えうするのである。然しかるも我國わがくにの財源ざいげんには限かぎりあり、兵船へいせんの増加ぞうかにも限度げんどあり、國くにを思おもふの士しは日夜にちや此事このことに憂慮ゆうりよし、絶たえず此點このてんに向むかつて策さくを講こうじて居をる。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは元來ぐわんらい愛國あいこく慷慨かうがいの人ひと、甞かつて北海ほくかいの滊船きせんで面會めんくわいした時ときも、談話だんわ爰こゝに及およんだ時とき、彼かれはふと衣袋ポツケツトの底そこを探さぐつて、昨夜さくや旅亭りよていの徒然つれれに作つくつたのだと言いつて、一篇ぺんの不思議ふしぎな新體詩しんたいしを示しめされた。猛たけき武人ものゝふの風流ふうりうの道みちは、また格別かくべつに可笑をかしいではないか。其その詩しは斯かうだ。

月つき高たかく、風かぜは寢ねむれる印度洋インドやう。 鏡かゞみの如ごとき海うみの面おもに。
 俄にはかに起おこる水みづけぶり。 鯨鱷げいがくは吼ほえ、龍りよう跳をどる!!!

見みよ、巨浪なみは怒いかりて天てんを挐さき。 黒雲こくうん低ひくく海うみに埀たる。
 閃きらめくは電いなづまか、轟とゞろくは雷いかづちか。 砲火ほうくわ閃々せんん、砲聲ほうせい殷々いんん。
見みよ、硝煙せうえんの裡うちをぬけ。 月つきの光ひかりを耻はぢ顏がほに。
 波濤はたうを蹴けりて數百すうひやくの。 艨艟まうしやう旗はたを捲まきて北にぐ。
逃のがるゝ鯨鱷げいがく、追おひ行ゆく飛龍ひりう!。 飛龍ひりうは勇いさみ鯨鱷げいがくは。
 青息あほいきならぬ黒烟こくえんを。 吐はきて影かげをば隱かくしけり。

かの鯨鱷げいがくぞ、天てんの涯はて。 はた地ちの角かくに至いたる迄まで。
 凡およそ波濤はたうの打うつところ。 凡およそ珍寳ちんぽうの在あるところ。
山やまなす浪なみを船ふねとなし。 千里せんりの風かぜを帆ほとなして。
 跳梁跋扈てうりやうばつこ厭あき足たらぬ。 かの歐洲をうしうの聯合艦隊れんがふかんたい!!!

飛龍ひりうは何なにぞ、東洋とうやうの。 鎖鑰さやくを握にぎる日出につしゆつの。
 光ひかりを海うみに輝かゞやかす。 其その名なも高たかき日本艦隊につぽんかんたい!!!

それ日本につぽんは東洋とうやうの。 飛龍ひりうに似にたる一小邦いつせうはう。 それ歐洲をうしうは、鯨げいよりも。 はた鱷がくよりも最いと猛たけき。
     宇内うだいを睥睨にらむ。 一大いちだい洲しう。

いぶかしや。
 大だいは破やぶれて、小せうは勝かつ。 何故なにゆゑぞ⁈

聽きけ。 敗將はいしやうの言いふところ。
 彼かれ艦橋かんけうに昇のぼり行ゆき。 星ほしを仰あほぎて嘆たんずらく。
  我われに百萬ひやくまんの巨艦きよかんあり。 雲霞うんかの如ごとき將士しやうしあり。
   砲ほうあり。 劔けんあり。 火藥くわやくあり。
何なんぞ恐おそれむ日本海軍につぽんかいぐん。 秋あきの木この葉はの散ちる如ごとく。
 海屑もくづとなさん勢いきほひに。 進すゝむや、英エイ、佛フツ、獨ドク、露ロ艦かん。

思おもひきや。  日本につぽんに不思議ふしぎの魔力まりよくあり。
 これ。 俄砲ガツトリングほうか。 あらず。
 シエルブルの水雷艇すゐらいていか。 あらず。
未いまだ見みず。 未いまだ聞きかざる大軍器だいぐんき!!!
 風かぜのごとく來きたり。 風かぜのごとく去さり。
鯱しやちの魚群ぎよぐんを追おふ如ごとく。 エレキの物ものを打うつごとく。
 見みよ、我わが艦隊かんたいを粉韲うちくだく、 電光石火でんくわうせきくわの大魔力だいまりよく!!!

あゝ、 恐おそるべし。 恐おそるべし。
 龍りうは眠ねむれる日本海につぽんかい。 黒雲こくうん飛とべる東洋とうやうの。
  空そらを劈つんざく日ひの光ひかり。 海うみに潜ひそめる大軍器だいぐんき!!!


と言いふ樣やうな文句もんくで、隨分ずゐぶん奇妙きめうな、恐おそらくは新派しんぱ先生せんせい一派いつぱから税金ぜいきんを徴收とりに來きさうな詩しではあつたが、月つき明あきらかに、風かぜ清きよき滊船きせんの甲板かんぱんにて、大佐たいさ軍刀ぐんたうの柄つかを後部うしろに廻まはし、其その朗々らううたる音聲おんせいにて、誦しようじ來きたり誦しようし去さつた時ときには、私わたくしは思おもはず快哉くわいさいを※さけんだよ。勿論もちろん、其時そのときは別べつに心こゝろにも留とめなかつたが、今いまになつて初はじめてそれと思おもひ當あたる節ふしの無ないでもない。何なには兎ともあれ此この反古ほご新聞しんぶんの記事きじによると、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさが此この秘密ひみつなる旅行りよかうを企くはだてたのは既すでに一年ねん半はんも以前いぜんの事ことで、前まへにもいふ通とうり私わたくしがまだ亞米利加アメリカの大陸たいりくを漫遊まんゆうして居をつた時分じぶんの事ことで、其後そのゝち、私わたくしは絶たえず旅たびから旅たびへと遍歴へんれきして居をつたので、此この珍聞ちんぶんを知しつたのも今いまが初はじめてであるが、あゝ、大佐たいさは其後そのゝち如何いかにしたであらう、遂つひに其その目的もくてきを達たつして再ふたゝび日本につほんへ歸かへつたであらうか。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは其その性質せいしつからいつても、かゝる擧動きよどうに出いでたのは大おほいに期きする所ところがあつたに相違さうゐない。爾そしてかれは一度ど企くわだてた事ことは其その目的もくてきを達たつするまでは止やまぬ人ひとであるから、大佐たいさが再ふたゝび此世このよに現あらはれて來くる時ときには必かならず絶大ぜつだいの功績こうせきを齎もたらして來くる事ことは疑うたがひもない、されば櫻木大佐さくらぎたいさが再ふたゝび日本につぽんへ皈かへつたものとすれば、其その勳功くんこうは日月じつげつよりも明あきらかに輝かゞやきて、如何いかに私わたくしが旅たびから旅たびへと經廻へめぐつて居をるにしても其その風聞ふうぶんの耳みゝに達たつせぬ事ことはあるまい、然しかるに今日こんにちまで幾度いくたびか各國市府かくこくしふの日本公使館につぽんこうしくわんや領事館りやうじくわんを訪おとづれたが、一度どもそれと覺おぼしき消息せうそくを耳みゝにせぬのは、大佐たいさは其その行衞ゆくゑを晦くらましたまゝ未まだ世よに現あらはれて來こぬ何なによりの證據しようこ。あゝ、大佐たいさは其後そのご何處いづこに如何どうして居をるだらうと考かんがへるとまた種々さままの想像さうざうも沸わいて來くる。此時このとき第だい二點鐘てんしようカン、カンと鳴なる。(船中の號鐘は一點鐘より八點鐘まで四時間交代なり)
『おや、とうう一時じになつた。』と私わたくしは欠伸あくびした。何時いつまで考かんがへて居をつたとて際限さいげんのない事こと、且かつは此樣こんなに夜よを更ふかすのは衞生上ゑいせいじやうにも極きわめて愼つゝしむ可べき事ことと思おもつたので私わたくしは現げんに想像さうぞうの材料ざいりようとなつて居をる古新聞ふるしんぶんをば押丸おしまろめて部室へやの片隅かたすみへ押遣おしやり、強しいて寢臺ねだいに横よこたはつた。初はじめの間あひだは矢張やはり頭あたまが妙めうで、先刻せんこくと同おなじ樣やうにいろろの妄想まうざうが消けしても消けしても胸むねに浮うかんで來きて、魔まの日ひ魔まの刻こく――亞尼アンニーの顏かほ――微塵みじんに碎くだけた白色檣燈はくしよくしようとう――怪あやしの船ふね――双眼鏡さうがんきやうなどが更かはるる夢ゆめまぼろしと腦中のうちゆうにちらついて來きたが、何時いつか晝間ひるの疲勞つかれに二時じの號鐘がうしようを聽きかぬ内うちに有耶無耶うやむやの夢ゆめに落おちた。

    第五回 「ピアノ」と拳鬪けんとう

船中の音樂會――鵞鳥聲の婦人――春枝夫人の名譽――甲板の競走――相撲――私の大閉口――曲馬師の虎

 翌朝よくあさ、銅鑼どらの鳴なる音ねに驚おどろき目醒めさめたのは八時じ三十分ぷんで、海上かいじやうの旭光あさひは舷窓げんさうを透たうして鮮明あざやかに室内しつないを照てらして居をつた。船中せんちゆう八時じ三十分ぷんの銅鑼どらは通常つうじやう朝食サツパーの報知しらせである。
『や、寢※ねすぎたぞ。』と急いそぎ飛起とびおき、衣服ゐふくを更あらため、櫛髮くしけづりを終をはつて、急足いそぎあしに食堂しよくどうへ出でて見みると、壯麗さうれいなる食卓しよくたくの正面しようめんには船ふねの規則きそくとして例れいのビール樽だる船長せんちやうは威儀ゐぎを正たゞして着席ちやくせきし、それより左右さゆうの兩側りやうがわに、英エイ、佛フツ、獨ドク、露ロ、白ハク、伊等イとう各國かくこくの上等じやうとう船客せんきやくは何いづれも美々びゞしき服裝ふくさうして着席ちやくせきせる其中そのなかに交まじつて、美うるはしき春枝夫人はるえふじんと可憐かれんの日出雄少年ひでをせうねんとの姿すがたも見みえた。少年せうねんは私わたくしを見みるよりいと懷なつかし氣げに倚子ゐすから立たつて『おはよう。』とばかり可愛かあいらしき頭かうべを垂たれた。『好朝おはよう。』と私わたくしも輕かろく會釋えしやくして其その傍かたはらに進すゝみ寄より、何なにとなく物淋ものさびし氣げに見みえた春枝夫人はるえふじんに眼まなこを轉てんじ『夫人おくさん、昨夜ゆふべは御安眠ごあんみんになりましたか。』と問とふと、夫人ふじんは微かすかな笑えみを浮うかべ
『イエ、此この兒こはよく眠ねむりましたが、私わたくしは船ふねに馴なれませんので。』と答こたふ。さもありぬべし、雪ゆきを欺あざむく頬ほうの邊へん、幾分いくぶんの蒼色あをみを帶おびたるは、たしかに睡眠ねむりの足たらぬ事ことを證しようして居をる。船中せんちゆう朝あさの食事しよくじは「スープ」の他ほか冷肉れいにく、「ライスカレー」、「カフヒー」それに香料にほひの入いつた美麗うるはしき菓子くわし、其他そのほか「パインアツプル」等とう極きはめて淡泊たんぱくな食事しよくじで、それが濟すむと、日出雄少年ひでをせうねんは何なにより前さきに甲板かんぱんを目指めざして走はしつて行ゆくので、夫人ふじんも私わたくしも其その後あとに續つゞいた。
甲板かんぱんへ出でて見みると、弦月丸げんげつまるは昨夜ゆふべの間あひだにカプリ島とうの沖おきを※すぎ、今いまはリコシアの岬みさきを斜なゝめに見みて進航しんかうして居をる、季節せつは五月ぐわつの中旬なかば、暑あつからず寒さむからぬ時※じこう、加くはふるに此邊このへん一帶たいの風光ふうくわうは宛然えんぜんたる畫中ぐわちゆうの景けいで、すでに水平線上すゐへいせんじやうに高たかく昇のぼつた太陽たいようは燦爛さんらんたる光ひかりを水みづに落おとして金波きんぱ洋々やううたる海うみの面おもには白帆はくはんの影かげ一點てん二點てん、其その間あひだを海鴎かいおうの長閑のどかに群むらがり飛とんで居をる有樣ありさまなどは自然しぜんに氣きも心こゝろも爽さはやかになる程ほどで、私わたくしは昨夕ゆふべ以來いらいのさままの不快ふくわいの出來事できごとをば洗あらひ去さつた樣やうに忘わすれてしまつた。春枝夫人はるえふじんもいと晴々はれれしき顏色がんしよくで、そよよと吹ふく南みなみの風かぜに鬢びんのほつれ毛げを拂はらはせながら餘念よねんもなく海上かいじやうを眺ながめて居をる。日出雄少年ひでをせうねんは特更ことさらに子供心こどもごゝろの愉快ゆくわいで愉快ゆくわいで堪たまらない、丁度ちやうど牧塲まきばに遊あそぶ小羊こひつじのやうに其處此處そここゝとなく飛とんで歩あるいて、折々をりり私わたくしの側そばへ走はしつて來きては甲板かんぱんの上うへに裝置さうちされた樣々さままの船具せんぐについて疑問ぎもんを起おこし、又または母君はゝぎみの腕うでにすがつて遙はるかに見みゆる島々しままを指ゆびざし『あれは子ープルスの家いへの三階がいから見みへるエリノ島しまにその儘まんまです事こと、此方こなたのは頭あたまの禿はげた老爺おぢいさんが魚さかなを釣つつて居をる形かたちによく似にて居ゐますねえ。』などゝいと樂たのし氣げに見みえた。日ひは漸やうやく高たかく、風かぜは凉すゞしく、船ふねの進行すゝみは矢やのやうである。私わたくしは甲板かんぱんの安樂倚子あんらくゐすに身みをよせて倩々つららと考かんがへた。昨日きのふまでは經廻へめぐる旅路たびの幾いく千里り、憂うき時ときも樂たのしき時ときも語かたらふ人ひととては一人ひとりもなく、晨あしたに明星めうぜうの清すゞしき光ひかりを望のぞみ、夕ゆふべに晩照ゆふやけの華美はなやかなる景色けしきを眺ながむるにも只たゞ一人ひとり、吾われと吾心わがこゝろを慰なぐさむるのみであつたが、昨日きのふは圖はからずも天外てんぐわい萬里ばんりの地ちで我わが同胞どうほうにめぐり逢あひ、恰あだかも天てんのなせるが如ごとき奇縁きえんにて今いまは優美やさしき春枝夫人はるえふじん、可憐かれんなる日出雄少年等ひでをせうねんらと同おなじ船ふねに乘のり同おなじ故國ふるさとに皈かへるとは何なにたる幸福しあはせであらう。今度こんど此この弦月丸げんげつまるの航海かうかいには乘客じやうきやくの數かずは五百人にんに近ちかく船員せんゐんを合あはせると七百人にん以上いじやうの乘組のりくみであるが、其中そのなかで日本人につぽんじんといふのは夫人ふじんと少年せうねんと私わたくしとの三名めいのみ、此この不思議ふしぎなる縁えんに結むすばれし三人みたりは之これから海原うなばら遠とほく幾千里いくせんり、ひとしく此この船ふねに運命うんめいを托たくして居をるのであるが、若もし天てんに冥加めうがといふものが在あるならば近ちかきに印度洋インドやうを※すぐる時ときも支那海シナかいを行ゆく時ときにも、今日けふの如ごとく浪路なみぢ穩おだやかに、頓やがて相あひ共ともに※去くわこの平安へいあんを祝いはひつゝ芙蓉ふようの峯みねを仰あふぐ事ことが出來できるやうにと只管ひたすら天てんに祈いのるの他ほかはないのである。ネープルス港かうから海路かいろ數すう千里り、多島海たたうかいを※すぎ、地中海ちちゆうかいに入いり、ポートセツトにて石炭せきたん及および飮料水ゐんりようすゐを補充ほじうして、それより水先案内みづさきあんないをとつてスエスの地峽ちけうを※すぎ、往昔むかしから世界せかい第だい一の難所なんしよと航海者かうかいしやの膽きもを寒さむからしめた、紅海こうかい一名めい死海しかいと呼よばれたる荒海あらうみの血汐ちしほの如ごとき波濤なみの上うへを駛はしつて、右舷うげん左舷さげんより眺ながむる海上かいじやうには、此邊このへん空氣くうきの不思議ふしぎなる作用さようにて、遠とほき島しまは近ちかく見みえ、近ちかき船ふねは却かへつて遠とほく見みえ、其爲そのために數知かずしれず不測ふそくの禍わざはひを釀かもして、此この洋中やうちゆうに難破なんぱせる沈沒船ちんぼつせんの船體せんたいは既すでに海底かいていに朽くちて、名殘なごりの檣頭しやうとうのみ波間はかんに隱見いんけんせる其その物凄ものすごき光景くわうけいを吊とふらひつゝ、進すゝみ進すゝんで遂つひに印度洋インドやうの海口かいこうともいふ可べきアデン灣わんに達たつし、遙はるかにソコトラ島じまを煙波えんぱ縹茫へうぼうたる沖おきに望のぞむまで、大約たいやく二週間しうかんの航路かうろは毎日まいにち毎日まいにち天氣てんき晴朗せいらうで、海波かいは平穩おだやかで、十數年すうねん來らい浪なみを枕まくらに世よを渡わたる水夫すゐふ共どもも未曾有みそういうの好かう航海かうかいだと語かたつた程ほどで、從したがつて其間そのあひだには格別かくべつに記しるす程ほどの事こともない。たゞ二つ三つ記臆きおくに留とゞまつて居をるのは斯かゝる平和へいわの間あひだにも不運ふうんの神かみは此この船ふねの何處いづこにか潜伏ひそんで居をつたと見みえ、船ふねのメシナ海峽かいけうを出いでんとする時とき、一人ひとりの船客せんきやくは海中かいちゆうに身みを投なげて無殘むざんの最後さいごを遂とげた事ことと、下等船客かとうせんきやくの一いち支那人シナじんはまだ伊太利イタリーの領海りやうかいを離はなれぬ、頃ころより苦くるしき病やまひに犯おかされて遂つひにカンデイア島じまとセリゴ島じまとの間あひだで死亡しぼうした爲ために、海上かいじやうの規則きそくで船長せんちやう以下いか澤山たくさんの船員せんゐんが甲板かんぱんに集あつまつて英國エイこくの一宣教師せんけうしの引導いんだうの下もとに其その死骸しがいをば海底かいていに葬はうむつてしまつた事ことと、是等これらは極きはめて悲慘ひざんな出來事できごとであるが、他ほかに愉快ゆくわいな事ことも二つ三つ無ないでもない。何處どこでも長ながい航海かうかいでは船中せんちゆうの散鬱うさばらしにと、茶番ちやばんや演劇えんげきや舞踏ぶたうの催もようしがある。殊ことに歐洲をうしうと東洋とうやうとの間あひだは全世界ぜんせかいで最もつとも長ながい航路かうろであれば斯かゝる凖備じゆんびは一層そうよく整とゝなつて居をる。此この弦月丸げんげつまるにも屡しばば其その催もようしがあつて私等わたくしらも折々をりり臨席りんせきしたが、或ある夜よの事こと、電燈でんとうの光ひかり眩まばゆき舞踏室ぶたうしつでは今夜こんやは珍めづらしく音樂會おんがくくわいの催もようさるゝ由よしで、幾百人いくひやくにんの歐米人をうべいじんは老おいも若わかきも其處そこに集あつまつて、狂氣きやうきのやうに騷さはいで居をる。禿頭はげあたまの佛蘭西フランスの老紳士らうしんしが昔日むかしの腕前うでまへを見みせて呉くれんとバイオリンを採とつて彈ひくか彈ひかぬに歌うたの曲きよくをハツタと忘わすれて、頭あたま撫なでで罷退まかりさがるなど隨分ずゐぶん滑※的こつけいてきな事こともあるが、大概たいがいは腕うでに覺おぼえの歐米人をうべいじんの事こととて、いづれも得意とくいの曲きよくを調しらべては互たがひに天狗てんぐの鼻はなを高たかめて居をる。私わたくしが春枝夫人はるえふじんと此この席せきに列つらなつた時ときには丁度ちやうどある年増としまの獨逸ドイツ婦人ふじんがピアノの彈奏中だんそうちゆうであつたが、此この婦人ふじんは極きはめて驕慢けうまんなる性質せいしつと見みえて、彈奏だんそうの間あひだ始終しゞうピアノ臺だいの上うへから聽集きゝての顏かほを流盻ながしめに見みて、折をりふし鵞鳥がてうのやうな聲こゑで唱うたひ出だす歌うたの調しらべは左迄さまで妙手じやうずとも思おもはれぬのに、唱うたふ當人たうにんは非常ひじやうの得色とくしよくで、やがて彈奏だんそうが終をはると小鼻こばなを蠢うごめかし、孔雀くじやくのやうに裳もすそを飜ひるがへして席せきに歸かへつた。此この次つぎは如何いかなる人ひとが出でるだらうと、私わたくしは春枝夫人はるえふじんと語かたりながら一方ぽうの倚子ゐすに倚よりて眺ながめて居をつたが、暫時しばらくは何人たれも出でない、大方おほかた今いまの鵞鳥聲がてうごゑの婦人ふじんの爲ために荒膽あらぎもを※ぬかれたのであらう。忽たちまち見みる一個この英國人エイこくじんはつかかと私共わたくしどもの前まへへ進すゝみ寄よつて。大聲おほごゑに『サア、今度こんどは貴方等あなたがたの順番じゆんばんです、日本につぽんの代表者だいひやうしやとして何なにかおやりなさい。』と喚わめく、滿塲まんじやうは一度いちどに拍手はくしゆした。
「南無三なむさん。」と私わたくしは逡巡しりごみした。多おほくの白晢はくせき人種じんしゆの間あひだに人種じんしゆの異ちがつた吾等われらは不運ふうんにも彼等かれらの眼めに留とまつたのである。私わたくしは元來ぐわんらい無風流ぶふうりう極きはまる男をとこなので此この不意打ふいうちにはほとと閉口へいこうせざるを得えない。春枝夫人はるえふじんも頻しきりに辭退じたいして居をつたが彼男かのをとこも一旦たん言いひ出だした事こととて仲々なかか後あとへは退ひかぬ。幾百いくひやくの人ひとは益々ますす拍手はくしゆする。此時このとき忽たちまち私わたくしの横側よこがはの倚子ゐすで頻しきりに嘲笑あざわらつて居をる聲こゑ、それは例れいの鷲鳥聲がてうごゑの婦人ふじんだ。
『何なにね、いくら言いつたつて無益だめでせうよ、琴こととか三味線さみせんとか私共わたくしどもは見みた事こともない野蠻的やばんてきな樂器がくきの他ほかは手てにした事ことも無ない日本人につぽんじんなどに、如何どうして西洋せいやうの高尚かうしような歌うたが唱うたはれませう。』などゝ態わざと聽きこえよがしに並ならんで腰掛こしかけて居をる年としの若わかい男をとこと耳語さゝやいて居をるのだ。
「不埓ふらちな女をんなめツ」と私わたくしは唇くちびるを噛かんだ、が、悲哉かなしや、私わたくしは其道そのみちには全まつたくの無藝むげいの太夫たゆう。あゝ此樣こんな事ことと知しつたら何故なぜ倫敦ロンドン邊へんの流行歌はやりうたの一節ひとふし位ぐらいは覺おぼえて置おかなかつたらうと悔くやんだが追付おひつかない、餘あまりの殘念くやしさに春枝夫人はるえふじんの顏かほを見みると、夫人ふじんも今いまの嘲罵あざけりを耳みゝにして多少たせう心こゝろに激げきしたと見みへ、柳やなぎの眉まゆ微かすかに動うごいて、そつと私わたくしに向むかひ『何なにかやつて見みませうか。』といふのは腕うでに覺おぼえのあるのであらう、私わたくしは默だまつて點頭うなづくと夫人ふじんは靜しづかに立上たちあがり『皆樣みなさまのお耳みゝを汚けがす程ほどではありませんが。』と伴ともなはれてピアノ臺だいの上うへへ登のぼつた。忽たちまち聽きく盤上ばんじやう玉たまを轉まろばすが如ごとき響ひゞき、ピアノに神かみ宿やどるかと疑うたがはるゝ、其その妙たへなる調しらべにつれて唱うたひ出いだしたる一曲ひとふしは、これぞ當時たうじ巴里パリーの交際かうさい境裡じやうりで大流行だいりうかうの『菊きくの國くにの乙女おとめ』とて、筋すぢは日本につぽんの美うるはしき乙女おとめの舞衣まひぎぬの姿すがたが、月夜げつやにセイヌ河かはの水上みなかに彷徨さまよふて居をるといふ、極きはめて優美ゆうびな、また極きはめて巧妙こうめうな名曲めいきよくの一節ひとふし、一句くは一句くより華はなやかに、一段だんは一段だんよりおもしろく、天女てんによ御空みそらに舞まふが如ごとき美音びおんは、心こゝろなき壇上だんじやうの花はなさへ葉はさへ搖ゆるぐばかりで、滿塲まんじやうはあつと言いつたまゝ水みづを打うつた樣やうに靜しづまり返かへつた。其その調しらべがすむと、忽たちまち崩くづるゝ如ごとき拍手はくしゆのひゞき、一團だんの貴女きぢよ神士しんしははやピアノ臺だいの側そばに走はしり寄よつて、今いまや靜しづかに其處そこを降くだらんとする春枝夫人はるえふじんを取卷とりまいて、あらゆる讃美さんびの言ことばをもつて、此この珍めづらしき音樂おんがくの妙手めうしゆに握手あくしゆの譽ほまれを得えんと嘈ひしめくのである。かの鵞鳥がてうの聲こゑの婦人ふじんは口くちあんぐり、眞赤まつかになつて眼めを白黒しろくろにして居をる、定さだめて先刻せんこくの失言しつげんをば後悔こうくわいして居をるのであらう。此この夜よのピアノの響ひゞきは、今いまも猶なほ私わたくしの耳みゝに殘のこつて、※去くわこの出來事できごとの中うちで最もつとも壯快さうくわいな事ことの一つに數かぞへられて居をるのである。
其他そのほか面白おもしろい事ことも隨分ずゐぶんあつた。音樂會おんがくくわいの翌々日よくくじつの事ことで、船ふねは多島海たたうかいの沖おきにさしかゝつた時とき、多おほくの船客せんきやくは甲板かんぱんに集合あつまつて種々いろろの遊戯あそびに耽ふけつて居をつたが、其内そのうちに誰たれかの發起はつきで徒競走フートレースが始はじまつた。今日こんにち、世界せかいで最大さいだいな船ふねは長ながさ二百三十ヤード、即すなはち町ちやうにして二町ちやうを超こゆるものもある、本船ほんせんの如ごときも其その一で、競走レースは前部甲板ぜんぶかんぱんから後部甲板こうぶかんぱんへと、大約おほよそ三百ヤード許ばかりの距離きよりを四回くわい往復わうふくするのであるが優勝者チヤンピオンには乘組のりくみの貴婦人連レデイれんから美うるはしき贈物おくりものがあるとの事ことで、英人エイじん、佛人フツじん、獨逸人ドイツじん、其他そのほか伊太利イタリー、瑞西スイツツル、露西亞等ロシヤとうの元氣げんき盛さかんなる人々ひととは脛すねを叩たゝいて跳をどり出でたので、私わたくしもツイ其その仲間なかまに釣込つりこまれて、一發ぱつの銃聲じうせいと共ともに無む二無む三に驅かけつたが、殘念ざんねんなるかな、第だい一着ちやくに决勝點けつしようてんに躍込をどりこんだのは、佛蘭西フランスの豫備海軍士官よびかいぐんしくわんとか云いへる悽すさまじく速はやい男をとこ、第だい二着ちやくは勤務きんむのため我わが日本につぽんへ向むかはんとて此この船ふねに乘組のりくんだ伊太利イタリーの公使館こうしくわん附づき武官ぶくわんの海軍士官かいぐんしくわん、私わたくしは辛からうじて第だい三着ちやく、あまり面白おもしろくないので、今度こんどは一つ日本男兒につぽんだんじの腕前うでまへを見みせて呉くれんと、うまく相撲すまうの事ことを發議はつぎすると、忽たちまち彌次連やじれんは集あつまつて來きた。彌次連やじれんの其中そのなかから第だい一に私わたくしに飛掛とびかゝつて來きた一人にんは、獨逸ドイツの法學士はふがくしとかいふ男をとこ、隨分ずゐぶん腕力わんりよくの逞たくましい人間にんげんであつたが、此方こなたは多少たせう柔道じうだうの心得こゝろえがあるので、拂腰こしはらひ見事みごとに極きまつて私わたくしの勝かち、つゞいて來くる奴やつ、四人よにんまで投なげ倒たふしたが、第だい五番目ばんめにのつそりと現あらはれて來きた露西亞ロシヤの陸軍士官りくぐんしくわん、身みの丈たけ六尺しやくに近ちかく阿修羅王あしゆらわうの荒あれたるやうな男をとこ、力任ちからまかせに私わたくしの兩腕りよううでを握にぎつて一振ひとふりに振ふり飛とばさんず勢いきほひ、私わたくしも之これには頗すこぶる閉口へいこうしたが、どつこひ待まてよ、と踏止ふみとゞまつて命掛いのちがけに揉合もみあふ事こと半時はんときばかり、漸やうやくの事ことで片膝かたひざを着つかしてやつたので、此この評判へうばんは忽たちまち船中せんちゆうに廣ひろまつて、感服かんぷくする老人らうじんもある、切齒はがみする若者わかものもあるといふ騷さはぎ、誰たれいふとなく『日本人につぽんじんは鐵てつの一種しゆである、如何いかんとなれば黒くろく且かつ堅固けんごなる故ゆゑに。』などゝ不思議ふしぎなる賞讃しようさんをすら博はくして、一時じは私わたくしの鼻はなも餘程よほど高たかかつたが、茲こゝに一大だい事件じけんが出來しゆつたいした、それは他ほかでもない、丁度ちやうど此この船ふねに米國ベイこくの拳鬪けんとうの達人たつじんとかいふ男をとこが乘合のりあはせて居をつたが、此この噂うわさを耳みゝにして先生せんせい心安こゝろやすからず、『左程さほど腕力わんりよくの強つよい日本人につぽんじんなら、一番ばん拳鬪けんとうの立たち合ひをせぬか。』と申込まうしこんで來きた。私わたくしは拳鬪けんとうの仕合しあひは見みた事ことはあるが、まだやつた事ことは一度どもない、然しかし斯かく申込まうしこまれては男をとこの意地いぢ、どうなるものかと一番ばん立合たちあつて見みたが馴なれぬ業わざは仕方しかたがない、散々さんんな目めに逢あつて、氣絶きぜつする程ほど甲板かんぱんの上うへに投倒なげたふされて、折角せつかく高たかまつた私わたくしの鼻はなも無殘むざんに拗折へしをられてしまつた。春枝夫人はるえふじんは痛いたく心配しんぱいして『あまりに御身おんみを輕かろんじ玉たまふな。』と明眸めいぼうに露つゆを帶おびての諫言いさめごと、私わたくしは實じつに殘念ざんねんであつたが其儘そのまゝ思おもひ止とゞまつた。一時じは拳鬪けんとうのお禮れいに眞劍勝負しんけんしやうぶでも申込まうしこんで呉くれんかとまで腹立はらたつたのだが。
拳鬪けんとうの翌日よくじつまた一ひと騷動さうどうが持上もちあがつた。それは興行こうげうのためにと香港ホンコンへ赴おもむかんとて、此この船ふねに乘組のりくんで居をつた伊太利イタリーの曲馬師きよくばしの虎とらが檻おりを破やぶつて飛とび出だした事ことで、船中せんちう鼎かなへの沸わくが如ごとく、怒いかる水夫すゐふ、叫さけぶ支那人シナじん、目めを暈まはす婦人ふじんもあるといふ騷さはぎで、弦月丸げんげつまる出港しゆつかうのみぎりに檣燈しやうとうの微塵みじんに碎くだけたのを見みて『南無阿彌陀佛なむあみだぶつ、此この船ふねには魔まが魅みいつて居をるぜ。』と呟つぶやいた英國エイこくの古風こふうな紳士しんしは甲板かんぱんから自分じぶんの船室へやへ逃にげ込こまんとて昇降口しようかうぐちから眞逆まつさかさまに滑落すべりおちて腰こしを※ぬかした、偶然ぐうぜんにも船ふねの惡魔あくまが御自分ごじぶんに祟たゝつたものであらうか。虎とらは漸やうやくの事ことで捕押とりおさへたが其爲そのために怪我人けがにんが七八人にんも出來できた。かゝる樣々さままの出來事できごとの間あひだ、吾等われらの可憐かれんなる日出雄少年ひでをせうねんは、相變あひかはらず元氣げんきよく始終しじゆう甲板かんぱんを飛廻とびまはつて居をる内うちに、ふとリツプとか云いふ、英吉利イギリスの極きはめて剽輕へうきんな老爺をやぢさんと懇意こんいになつて、毎日々々まいにちち面白おもしろく可笑をかしく遊あそんで居をる内うち、或ある日ひの事こと其その老爺をやぢさんが作こしらへて呉くれた菱形ひしがたの紙鳶たこを甲板かんぱんに飛とばさんとて、頻しきりに騷さはいで居をつたが、丁度ちやうど其時そのとき船橋せんけうの上うへで、無法むはふに水夫等すゐふらを叱付しかりつけて居をつた人相にんさうの惡わるい船長せんちやうの帽子ぼうしを、其その鳶糸たこいとで跳飛はねとばしたので、船長せんちやうは元來ぐわんらい非常ひじやうに小八釜こやかましい男をとこ、眞赤まつかになつて此方こなたに向直むきなほつたが、あまりに無邪氣むじやきなる日出雄少年ひでをせうねんの姿すがたを見みては流石さすがに怒鳴どなる事ことも出來できず、ぐとと口くちの中うちで呟つぶやきながら、其そのビール樽だるのやうな身體からだを轉まろばして、帽子ぼうしの後あとを追おひかけた話はなしなど、いろろ變かはつた事こともあるが、餘あまり管々くだだしくは記しるすまい。
かくて吾等われらの運命うんめいを托たくする弦月丸げんげつまるは、アデン灣わんを出いでゝ印度洋インドやうの荒浪あらなみへと進入すゝみいつた。

    第六回 星火榴彈せいくわりうだん

難破船の信號――イヤ、流星の飛ぶのでせう――無稽な三個の船燈――海幽靈め――其眼が怪しい

 荒浪あらなみ高たかき印度洋インドやうに進航すゝみいつてからも、一日いちにち、二日ふつか、三日みつか、四日よつか、と日ひは暮くれ、夜よは明あけて、五日目いつかめまでは何事なにごともなく※去すぎさつたが、其その六日目むいかめの夜よるとはなつた。私わたくしは夕食後ゆふしよくご例いつものやうに食堂しよくだう上部じやうぶの美麗びれいなる談話室だんわしつに出いでゝ、春枝夫人はるえふじんに面會めんくわいし、日出雄少年ひでをせうねんには甲比丹カピテンクツクの冐瞼旅行譚ぼうけんりよかうだんや、加藤清正かとうきよまさの武勇傳ぶゆうでんや、また私わたくしがこれ迄までの漫遊中まんゆうちうの失策談しつさくばなしなどを語かたつて聽きかせて、相變あひかはらず夜よを更ふかしたので、夫人ふじんと少年せうねんをば其その船室ケビンに送おくり込こみ、明朝めうてうを約やくして其處そこを去さつた。印度洋インドやう中ちうの氣※きかう程ほど變化へんくわの激はげしいものはない、今いまは五月ぐわつの中旬ちうじゆん、凉すゞしい時ときは實じつに心地こゝちよき程ほど凉すゞしいが、暑あつい時ときは日本につぽんの暑中しよちうよりも一層そう暑あついのである。殊ことに今宵こよひは密雲みつうん厚あつく天てんを蔽おほひ、四邊へんの空氣くうきは變へんに重々おももしく、丁度ちやうど釜中ふちうにあつて蒸むされるやうに感かんじたので、此儘このまゝ船室ケビンに歸かへつたとて、迚とても安眠あんみんは出來できまいと考かんがへたので、喫煙室スモーキングルームに行ゆかんか、其處そこも暑あつし、寧むしろ好奇ものずきではあるが暗夜あんやの甲板かんぱんに出いでゝ、暫時しばし新鮮しんせんの風かぜに吹ふかれんと私わたくしは唯たゞ一人ひとりで後部甲板こうぶかんぱんに出でた。此時このとき時計とけいの針はりは既すでに十一時じを廻めぐつて居をつたので、廣漠くわうばくたる甲板かんぱんの上うへには、當番たうばん水夫すゐふの他ほかは一個この人影ひとかげも無なかつた、船ふねは今いま、右舷うげん左舷さげんに印度洋インドやうの狂瀾きやうらん怒濤どたうを分わけて北緯ほくゐ十度どの邊へんを進航しんかうして居をるのである。ネープルス港かうを出いづる時ときには笑えめるが如ごとき月つきの光ひかりは鮮明あざやかに此この甲板かんぱんを照てらして居をつたが、今いまは日數ひかずも二週ふためぐりあまりを※すぎて眞しんの闇やみ――勿論もちろん先刻せんこくまでは新月しんげつの微かすかな光ひかりは天てんの奈邊いづくにか認みとめられたのであらうが、今いまはそれさへ天涯でんがいの彼方かなたに落おちて、見渡みわたす限かぎり黒暗々こくあんんたる海うみの面おも、たゞ密雲みつうんの絶間たへまを洩もれたる星ほしの光ひかりの一二點てんが覺束おぼつかなくも浪なみに反射はんしやして居をるのみである。實じつに物淋ものさびしい景色けしき!!! 私わたくしは何故なにゆゑともなく悲哀あはれを感かんじて來きた。すべて人ひとは感情かんじやうの動物どうぶつで、樂たしき時ときには何事なにごとも樂たのしく見みえ、悲かなしき時ときには何事なにごとも悲かなしく思おもはるゝもので、私わたくしは今いま、不圖ふと此この悽愴せいさうたる光景くわうけいに對たいして物凄ものすごいと感かんじて來きたら、忽然たちまち樣々さままな妄想まうぞうが胸裡こゝろに蟠わだかまつて來きた、今日こんにちまでは左程さほど迄までには心こゝろに留とめなかつた、魔まの日ひ、魔まの刻こくの怪談くわいだん。白色檣燈はくしよくしやうとうの落下らくか、船長せんちやうの憤怒ふんぬの顏かほ。怪あやしの船ふねの双眼鏡さうがんきやう。さては先日せんじつ反古ほごの新聞しんぶんに記しるされてあつた櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさと其その帆走船ほまへせんとの行衞ゆくゑなどが恰あだかも今夜こんやの此この物凄ものすごい景色けしきと何等なにらかの因縁いんねんを有いうするかのごとく、ありありと私わたくしの腦裡のうりに浮うかんで來きた。
『無※ばかなッ、無※ばかなッ。」と私わたくしは單獨ひとりで叫さけんで見みた。強しいて斯かゝる妄念まうねんを打消うちけさんとて態わざと大手おほてを振ふつて甲板かんぱんを歩あゆみ出だした。前檣ぜんしやうと後檣こうしやうとの間あひだを四五回くわいも往復わうふくする内うちに其その惡感あくかんも次第しだい>に薄うすらいで來きたので、最早もはや船室ケビンに歸かへつて睡眠すいみんせんと、歩あゆむ足あしは今いまや昇降口しようかうぐちを一段だん降くだつた時とき、私わたくしは不意ふいに一種しゆ異樣ゐやうの響ひゞきを聽きいた。響ひゞきは遙はるかの海上かいじやうに當あたつて、極きはめて微かすかに――實じつに審いぶかしきまで微かすかではあるが、たしかに砲ほう又または爆裂ばくれつ發火はつくは信號しんがうの響ひゞき!!!
私わたくしはふいと頭かうべを左方さはうに廻めぐらしたが、忽たちまち『キヤツ』と叫さけんで再ふたゝび甲板かんぱんに跳出をどりでた。今迄いまゝでは少すこしも心付こゝろづかなかつたが、唯たゞ見みる、我わが弦月丸げんげつまるの左舷船尾さげんせんびの方向はうかう二三海里かいり距へだゝつた海上かいじやうに當あたつて、また一度ど微かすかな砲聲ほうせいの響ひゞきと共ともに、タール桶おけ、油樽等あぶらだるとうを燃燒もやすにやあらん、㷔々えんんたる猛火まうくわ海うみを照てらして、同時どうじに星火せいくわを發はつする榴彈りうだん二發はつ三發ぱつ空くうに飛とび、つゞいて流星りうせいの如ごとき火箭くわせんは一次じ一發ぱつ右方うはう左方さはうに流ながれた。
私わたくしは實じつに驚愕おどろいたよ。
此邊このへんは印度洋インドやうの眞中たゞなかで、眼界がんかいの達たつする限かぎり島嶼たうしよなどのあらう筈はづはない、まして約やく一分ぷんの間隙かんげきをもつて發射はつしやする火箭くわぜん及および星火榴彈せいくわりうだんは危急存亡きゝふそんぼうを告つぐる難破船なんぱせんの夜間信號やかんしんがう!!!
『やア、大變たいへんだだ。』と叫さけびつゝ私わたくしは本船ほんせんの右舷うげん左舷さげんを眺ながめた。船ふねには當番たうばん水夫すゐふあり。海上かいじやうに起おこる千差萬別さばんべつの事變じへんをば一も見遁みのがすまじき筈はづの其その見張番みはりばんは今いまや何なにをか爲なすと見廻みまはすと、此時このとき右舷うげんの當番たうばん水夫すゐふは木像もくざうの如ごとく船首せんしゆの方かたに向むかつたまゝ、今いまの微かすかな砲聲ほうせいは耳みゝにも入いらぬ樣子やうす、あらぬ方かたを眺ながめて居をる。左舷さげんの當番たうばん水夫すゐふは今いまや確たしかに星火せいくわ迸ほとばしり、火箭くわせん飛とぶ慘憺さんたんたる難破船なんぱせんの信號しんがうを認みとめて居をるには相違さうゐないのだが、何故なぜか平然へいぜんとして動どうずる色いろもなく、籠手こてを翳かざして其方そなたを眺ながめて居をるのみ。『當番たうばん水夫すゐふ! 何なにを茫然ぼんやりして居をるかツ!!!』と叫さけんだまゝ、私わたくしは身みを飜ひるがへして船長室せんちやうしつの方かたへ走はしつた。勿論もちろん、船ふねに嚴然げんぜんたる規律きりつのある事ことは誰たれも知しつて居をる、たとへ霹靂へきれき天空てんくうに碎くだけやうとも、數萬すうまんの魔神まじんが一時じに海上かいじやうに現出あらはれやうとも、船員せんゐんならぬ者ものが船員せんゐんの職權しよくけんを侵おかして、之これを船長せんちやうに報告ほうこくするなどは海上かいじやうの法則はふそくから言いつて、到底たうてい許ゆるす可べからざる事ことである。私わたくしも其それを知しらぬではない、けれど今いまは容易ようゐならざる急變きふへんの塲合ばあひである、一分ぷん一秒びやうの遲速ちそくは彼方かなた難破船なんぱせんのためには生死せいしの堺界わかれめかも知しれぬ、加くはふるに本船ほんせん右舷うげんの當番たうばん水夫すゐふは眼めあれども眼無めなきが如ごとく、左舷さげんの當番たうばん水夫すゐふは鬼おにか蛇じやか、知しつて知しらぬ顏かほの其その心こゝろは分わからぬが、今いまは瞬間しゆんかんも躊躇ちうちよすべき塲合ばあいでないと考かんがへたので、私わたくしは一散いつさんに走はしつて、船橋せんけうの下部したなる船長室せんちやうしつの扉ドーアを叩たゝいた。
『船長閣下せんちやうかくか、起おき玉たまへ、難破船なんぱせんがある! 難破船なんぱせんがある!』と叫さけぶと、此時このとき船長せんちやうは既すでに寢臺ベツドの上うへに横よこたはつて居をつたが、『何なんですか。』とばかり澁々しぶぶ起上おきあがつて扉ドーアを開ひらいた。私わたくしはツト進すゝみ入ゐり
『船長閣下せんちやうかくか、越權えつけんながら報告ほうこくします、本船ほんせん左舷さげん後方こうほう、三海里かいり許ばかり距へだゝつた海上かいじやうに當あたつて一個いつこの難破船なんぱせんがありますぞ。』
『難破船なんぱせん⁈ あはゝゝゝゝ。』と船長せんちやうは大聲おほごえに笑わらつた。驚愕おどろくと思おもひきや、彼かれはいと腹立はらだたし氣げに顏かほを顰しかめて
『難船なんせん? それは何なんですか、本船ほんせんには絶たえず海上かいじやうを警戒みはる當番たうばん水夫すゐふがあるです、敢あへて貴下きかを煩はずらはす筈はづも無ないです。』
『無論むろんです、けれど本船ほんせんの當番たうばん水夫すゐふは眼めの無ない奴やつに、情こゝろの無ない奴やつです、一人ひとりは茫然ぼんやりして居ゐます、一人ひとりは知しつて知しらぬ顏かほをして居ゐます。船長閣下せんちやうかくか、早はやく、早はやく、難破船なんぱせんの運命うんめいは一分ぷん一秒びやうの遲速ちそくをも爭あらそひますぞ。』
『いけません!』と船長せんちやうは冷ひやゝかに笑わらつた。
『貴下あなたは海上かいじやうの法則ほうそくを知しりませんか、たとへ如何どんな事ことがあらうとも船員せんゐん以外いぐわいの者ものが其それに嘴くちばしを容ゐれる權利けんりが無ないです、また私わたくしは貴下あなたから其樣そんな報告ほうこくを受うける義務ぎむが無ないです。』と彼かれは右手ゆんでを延のばして卓上たくじやうの葉卷シユーガーを取上とりあげた。私わたくしは迫込せきこみ
『理屈りくつを申まうすぢやありません、私わたくしの越權えつけんは私わたくしが責任せきにんを負おひます。貴下あなたは信しんじませんか、今いま現げんに難破船なんぱせんが救助きゆうじよを求もとめて居をるのを。』『信しんじません、信しんぜられません。』と船長せんちやうは今いま取上とりあげた葉卷シユーガーを腹立はらたたし氣げに卓上たくじやうに投なげ返かへして
『當番たうばん水夫すゐふからは何等なにらの報告ほうこくの無ない内うちは决けつして信じません。况いわんや此樣こんな平穩おだやかな海上かいじやうに難破船なんぱせんなどのあらう筈はづは無ない、無※ばかなツ。』
『無※ばかなツ。』と私わたくしは勃然むつとしてしまつた。日頃ひごろから短氣たんきは私わたくしの持病やまひ、疳癪玉かんしやくだまが一時いちじに破裂はれつしたよ。
『無ない、無ない、無ないとは何なんです、私わたくしは今いま現げんに目撃もくげきして來きたのです。』
『はゝゝゝゝ。何なにを目撃もくげきしましたか。はゝゝゝゝ。』と彼かれは空惚そらとぼけて大聲おほごえに笑わらつた。私わたくしは實じつに腹はらの中なかから煑返にへかへつたよ。序ついでだから言いつて置おくが、私わたくしは初はじめ此この船ふねに乘組のりくんだ時ときから一見いつけんして此この船長せんちやうはどうも正直しようじきな人物じんぶつでは無ないと思おもつて居をつたが果はたして然しかり、彼かれは今いま、多少たせうの勞らうを厭いとふて他船たせんの危難きなんをば見殺みころしにする積つもりだなと心付こゝろついたから、私わたくしは激昂げきこうのあまり
『何なにを見みたもありません、本船ほんせん左舷さげん後方こうほうの海上かいじやうに當あたつて星火榴彈せいくわりうだんに一次いちじ一發いつぱつの火箭くわせん、それが難破船なんぱせんの信號しんがうである位くらゐを知しりませんか。』
『其樣そんな事ことは承うけたまはる必要ひつえうもありません。』と船長せんちやうは鼻はなで笑わらひつゝ『それは大方おほかた貴下あなたの眼めの誤あやまりでせうよ。うふゝゝゝ。』
『眼めの誤あやまり⁈ 之これは怪けしからん、私わたくしにはちやんと二個ふたつの眼めがありますぞ。』
『其その眼めが怪あやしい、海うみの上うへではよく眩惑ごまかされます、貴下あなたは屹度きつと流星りうせいの飛とぶのでも見みたのでせう。』とビール樽だるのやうな腹はらを突出つきだして
『いや、よしんば其それが眞個ほんたうの難破信號なんぱしんがうであつたにしろ、此樣こんな平穩おだやかな海上かいじやうで難破なんぱするやうな船ふねは全まつたく我等われれ海員かいゐんの仲間以外なかまはづれです、何なにも面倒めんだうな目めを見みて救助きうじよに赴おもむく義務ぎむは無ないのです。』と言いつて空嘯そらぶき笑わらつた
最早もはや問答もんだうも無益むえきと思おもつたから、私わたくしは突然ゐきなり船長せんちやうを船室ケビンの外そとへ引出ひきだした
『あれが見みえませんか、あれが、あの悲慘ひさんなる信號しんがうの光ひかりを見みて何なにとも感かんじませんか。』とばかり、遙はるかに指ゆびさす左舷船尾さげんせんびの海上かいじやう。私わたくしは『あツ。』と叫さけんだまゝ暫時しばらく開あいた口くちも塞ふさがらなかつたよ。審いぶかしや。今いまから二分にふん三分さんぷん前まへまでは確たしかに閃々せんんと空中くうちうに飛とんで居をつた難破信號なんぱしんがうの火光ひかりは何時いつの間まにか消きえ失うせて、其處そこには海面かいめんより數すう十尺しやく高たかく白色球燈はくしよくきうとう輝かゞやき、船ふねの右舷うげん左舷さげんと覺おぼしき處ところに緑燈りよくとう、紅燈こうとうの光ひかりがぼんやりと見みゆるのみである。前檣ぜんしやうに白燈はくとう、右舷うげんに緑燈りよくとう、左舷さげんに紅燈こうとうは言いふ迄までもない、安全航行あんぜんかうかうの信號しんがう!!!『はゝあ、或程なるほど、星火榴彈せいくわりうだんに一次いちじ一發いつぱつの火箭くわせん、救助きゆうじよを求もとむる難破船なんぱせんの信號しんがうがよく見みえます、貴下あなたの眼は仲々なかか結構けつこうな眼めです。』と意地惡ゐぢわるき船長せんちやうはぢろりッと私わたくしの顏かほを睨にらんだか、私わたくしは一言いちごんも無ないのである。然しかし實じつに奇怪きくわいな事ことではないか、今いま安全信號燈あんぜんしんがうとうの輝かゞやいて居をる邊へんの海上かいじやうには、確實たしかに悲慘ひさんなる難破船なんぱせんの信號しんがうが見みえて居をつたのに。さては船長せんちやうの言いふがごとく私わたくしの眼めの誤あやまりであつたらうか。否いや、否いや、如何どう考かんがへても私わたくしは白しろ、緑みどり、紅あかの燈光とうくわうを星火榴彈せいくわりうだんや火箭くわぜんと間違まちがへる程ほど惡わるい眼まなこは持もつて居をらぬ筈はづ。して見みると先刻せんこくの難破船信號なんぱせんしんがうは、何時いつの間まにか安全航行あんぜんかうかうの信號しんがうに變かはつたに相違さうゐない。さてて奇妙きめうな事ことだと、私わたくしは暫時しばらく五里霧中ごりむちうに彷徨さまよふた。
船長せんちやうは一時いちじは毒々どくくしく私わたくしの顏かほを眺ながめて嘲笑あざわらつて居をつたが此時このとき稍やや眞面目まじめになつて其その光ひかりの方かたを眺ながめつゝ
『然しかし妙めうだぞ、今月こんげつの航海表かうかいへうによると、今頃いまごろ此この航路かうろを本船ほんせんの後あとを追おふて斯かく進航しんかうして來くる船ふねは無ない筈はづだが。』と小首こくびを傾かたむけたが忽たちまちカララと笑わらつて『あゝ分わかつたた、畜生ちくしやう巧うまくやつてるな、此前このまへあの邊へんで沈沒ちんぼつしたトルコ丸まるの船幽靈ふないうれいめが、まだ浮うかび切きれないで難破船なんぱせんの眞似まねなんかして此この船ふねを暗礁あんせうへでも僞引寄おびきよせやうとかゝつて居いるんだな、どつこい、其手そのては喰くはんぞ。』と呟つぶやきながら私わたくしに向むかひ
『だが先刻せんこくは確實たしかに救助きゆうじよを求もとむる難破船なんぱせんの信號しんがうが見みえましたか。』と眉まゆに唾つばきした。可笑をかしい樣やうだが船乘人ふなのりにはかゝる迷信めいしんを抱いだいて居をる者ものが澤山たくさんある、私わたくしは相手あいてにせず簡單かんたんに
『左樣さやう、確たしかに救助きうじよを求もとむる難破なんぱの信號しんがう!。」と答こたへて、彼かれが『うむ、いよよ違ちがひない、船幽靈ふなゆうれいメー。』と單獨ひとりでぐとと何事なにごとをか言いつて居をるのを聽きき流ながしながら、猶なほよく其その海上かいじやうを見渡みわたすと、今いま眼めに見みゆる三個さんこの燈光とうくわうは、决けつして愚おろかなる船長せんちやうの言いふが如ごとき、怨靈おんれうとか海うみの怪物ばけものとかいふ樣やうな世よに在あり得可うべからざる者ものの光ひかりではなく、緑りよく、紅こうの兩燈りようとうは確たしかに船ふねの舷燈げんとうで、海面かいめんより高たかき白色はくしよくの光ひかりは海上法かいじやうほふに從したがひ甲板かんぱんより二十尺しやく以上いじやう高たかく掲かゝげられたる檣燈しやうとうにて、今いまや、何等なにらかの船ふねは、我わが弦月丸げんげつまるの後あとを追おふて進航しんかうしつゝ來きたるのであつた。
    第七回 印度洋インドやうの海賊かいぞく

水雷驅逐艦か巡洋艦か――昔の海賊と今の海賊――海底潜水器――探海電燈サアチライト――白馬の如き立浪――海底淺き處――大衝突

 私わたくしが一心いつしんに見詰みつめて居をる間あひだに、右舷うげんに緑燈りよくとう、左舷さげんに紅燈こうとう、甲板かんぱんより二十尺しやく以上いじやう高たかき前檣ぜんしやうに閃々せんんたる白色燈はくしよくとうを掲かゝげたる一隻いつさうの船ふねは、印度洋インドやうの闇黒やみを縫ぬふてだんんと接近せつきんして來きた。今いま、我わが弦月丸げんげつまるは一時間じかんに十二三海里ノツトの速力そくりよくをもつて進航しんかうして居をるのに、其その後あとを追おふて斯かくも迅速じんそくに接近せつきんして來くるとは、實じつに非常ひじやうの速力そくりよくでなければならぬ。今いまの世よに、かくも驚おどろく可べき速力そくりよくをもつて居をる船ふねは、水雷驅逐艦すゐらいくちくかんか、水雷巡洋艦すゐらいじゆんやうかんの他ほかはあるまい、あの燈光とうくわうの主體しゆたいは果はたして軍艦ぐんかんの種類しゆるいであらうか。軍艦ぐんかんの種類しゆるいならば何なにも配慮しんぱいするには及およばないが――若もしや――若もしや――と私わたくしはふと或ある事ことを想起おもひおこした時とき、思おもはずも戰慄せんりつしたよ。
未いまだ其その船ふねの船體せんたいも認みとめぬ内うちから、斯かゝる心配しんぱいをするのは全まつたく馬鹿氣ばかげて居をるかも知しれぬが、先刻せんこくからの奇怪きくわいの振舞ふるまひを見みては、どうも心こゝろが安やすくないのである、第一だいゝちに遙はるかかの闇黒あんこくなる海上かいじやうに於おいて、星火榴彈せいくわりうだんを揚あげ、火箭くわぜんを飛とばして難破船なんぱせんの風體ふうていを摸擬よそをつたなど、船長せんちやうは單たんに船幽靈ふないうれいの仕業しわざで御坐ござるなどゝ、無※ばかな事ことを言いつて居をるが其實そのじつ、かの不思議ふしぎなる難破船なんぱせんの信號しんがうは、現世このよに存在得ありうべからざる海魔かいまとか船幽靈ふなゆうれいとかよりは百倍ひやくばいも千倍せんばいも恐怖おそるべき或ある者ものの仕業しわざで、何なにか企圖くわだつる所ところがあつて、我わが弦月丸げんげつまるを彼處かしこの海上かいじやうへ誘引おびき寄よせやうとしたのではあるまいか、實じつに印度洋インドやうの航海かうかい程ほど世よに恐おそるべき航海かうかいはない、颶風タイフンや、大強風ストロング、ゲーや、咫尺しせきを辨べんぜぬ海霧シーフ、オツグや、其他そのほか、破浪はらう、逆潮浪ぎやくてうらうの悽すざまじき、亂雲らんうん、積雲せきうんの物凄ものすごき、何處いづくの航海かうかいにも免まぬかれ難がたき海員かいゐんの苦難くなんではあるが、特ことに此この印度洋インドやうでは是等これらの苦難くなんの外ほかに、今一個いまひとつ最もつとも恐怖おそる可べき『海賊船かいぞくせんの襲撃しゆうげき』といふ禍わざわいがある。往昔むかしから此この洋中やうちうで、海賊船かいぞくせんの襲撃しゆうげきを蒙こうむつて、悲慘ひさんなる最後さいごを遂とげた船ふねは幾百千艘いくひやくせんざうあるかも分わからぬ。人ひとの談話はなしでは今いまは往昔むかし程ほど海賊船かいぞくせんの横行わうかうははげしくは無ないが、其代そのかはり往昔むかしの海賊船かいぞくせんは一撃いちげきの下もとに目指めざす貨物船くわぶつせんを撃沈げきちんするやうな事ことはなく、必かならず其その船ふねをもつて此方こなたに乘掛のりかけ來きたり、武裝ぶさうせる幾多いくたの海賊かいぞく輩どもは手てにに劔戟けんげきを振翳ふりかざしつゝ、彼方かなたの甲板かんぱんから此方こなたへ乘移のりうつり、互たがひに血汐ちしほを流ながして勝敗しようはいを爭あらそふのであるから、海賊かいぞく勝かてば其後そのゝちの悲慘ひさんなる光景くわうけいは言いふ迄までもないが、若もし此方こなた強つよければ其その賊ぞく輩どもを鏖殺みなごろしにする事ことも出來できるのである。けれど今日こんにちに於おいては、海賊かいぞくも餘程よほど狡猾かうかつになつて、かゝる手段しゆだんに出いづる事ことは稀まれで、加くわふるに海底潜水器かいていせんすいきの發明はつめいがあつて以來いらい、海賊船かいぞくせんは多おほく其その發明はつめいを應用おうようして、若もし漫々まんんたる海洋かいやうの上うへに金銀きんぎん財寳ざいほうを滿載まんさいせる船ふねを認みとめた時ときには、先まづ砲ほう又または衝角しようかくをもつて一撃いちげきの下もとに其その船ふねを撃沈げきちんし、後のちに潜水器せんすいきを沈しづめて其その財寳ざいほうを引揚ひきあげる相さうである。勿論もちろん、今日こんにちに於おいても潜水器せんすいきの發明はつめいは未いまだ充分じゆうぶん完全くわんぜんの度どには進すゝんで居をらぬから、此この手段しゆだんとて絶對的ぜつたいてきに應用おうようする事ことの出來できぬのは言いふ迄までもない。即すなはち現今げんこんに於おいて最もつとも精巧せいこうなる潜水器せんすいきでも、海底かいてい五十米突メートル以下いかに沈しづんでは水みづの壓力あつりよくの爲ためと空氣喞筒くうきポンプの不完全ふくわんぜんなる爲ために、到底たうてい其その用ようを爲なさぬのであるから、潜水器せんすいきを用もちゆる海賊船かいぞくせんは、常つねに此點このてんに向むかつて深ふかく意こゝろを用もちゐ、狂瀾きやうらん逆卷さかまく太洋たいやうの面めんに於おいて、目指めざす貨物船くわぶつせんを撃沈げきちんする塲所ばしよは必かならず海底かいていの深ふかさ五十米突メートルに足たらぬ島嶼たうしよの附近ふきんか、大暗礁だいあんせう又または海礁かいせうの横よこたはつて居をる塲所ばしよに限かぎつて居をる相さうだ。 今いま、私わたくしは黒暗々こくあんんたる印度洋インドやうの眞中まんなかに於おいて、わが弦月丸げんげつまるの後あとを追おふかの奇怪きくわいなる船ふねを見みてふと此樣こんな事ことを想おもひ出だした。讀者どくしや諸君しよくんよ笑わらひ玉たまふな、私わたくしの配慮しんぱいは餘あまりに神經的しんけいてきかも知しれぬが、然しかし以上いじやうの物語ものがたりと、今いまから數分すうふん以前いぜんにかの船ふねが本船ほんせん右舷うげん後方こうほうの海上かいじやうに於おいて不思議ふしぎにも難破信號なんぱしんがうを揚あげた事こととで考かんがへ合あはせると斯かゝる配慮しんぱいの起おこるのも無理むりはあるまい。私わたくしは印度洋インドやうの海底かいていの有樣ありさまは精密くわしくは知しらぬが此この洋やう全面積ぜんめんせきは二千五百※方哩にせんごひやくまんほうマイル、深ふかき所ところは底知そこしれぬが、處々ところろに大暗礁だいあんせう又または海礁かいせうが横よこたはつて居をつて、水深すいしん五十米突メートルに足たらぬ所ところもある相さうな。して見みると私わたくしでなくとも、此樣こんな想像さうざうは起おこるであらう、今いま、本船ほんせんの後あとを追おふかの奇怪あやしの船ふねは或あるひは印度洋インドやうの大惡魔だいあくまと世よに隱かくれなき海賊船かいぞくせんで、先刻せんこく遙はるかかの海上かいじようで、星火榴彈せいくわりうだんを揚あげ、火箭くわぜんを飛とばして、救助きうじよを求もとむる難破船なんぱせんの眞似まねをしたのは、あの邊へんの海底かいていは何なにかの理由りいうで水深すいしん左程さまで深ふかからず、我わが弦月丸げんげつまるを撃沈げきちんして後のちに潜水器せんすいきを沈しづめるに便利べんりの宜よかつた爲ためではあるまいか、本船ほんせんの愚昧おろかなる船長せんちやうは『船幽靈ふないうれいめが、難破船なんぱせんの眞似まねなんかして、此この船ふねを暗礁あんせうへでも誘引おびき寄よせやうとかゝつて居をるのだな。』と延氣のんきな事ことを言いつて居をつたが、其實そのじつ船幽靈ふないうれいならぬ海賊船かいぞくせんが、あの邊へんの暗礁あんせうへ我わが船ふねを誘引おびき寄よせやうと企圖くわだて居をつたのかも知しれぬ。偶然ぐうぜんにも我わが弦月丸げんげつまるは斯かゝる信號しんがうには頓着とんちやくなく、ずんんと其その進航しんかうを續つゞけた爲ため、策略はかりごと破やぶれた海賊船かいぞくせんは、今いまや他たの手段しゆだんを廻めぐらしつゝ、頻しきりに我わが船ふねの後あとを追及ついきふするのではあるまいか、不幸ふこうにして私わたくしの想像さうざうが誤あやまらなければ夫それこそ大變たいへん、今いま本船ほんせんとかの奇怪きくわいなる船ふねとの間あひだは未まだ一海里かいり以上いじやうは確たしかに距へだゝつて居をるが、あの燈光ともしびのだんんと明亮あかるくなる工合ぐあひで見みても、其その船脚ふなあしの悽すざまじく速はやい事ことが分わかるから、頓やがて本船ほんせんに切迫せつぱくするのも十分ぷんか十五分ふんの後のちであらう。あゝ、海賊船かいぞくせんか、海賊船かいぞくせんか、若もしもあの船ふねが世界せかいに名高なだかき印度洋インドやうの海賊船かいぞくせんならば、其その船ふねに睨にらまれたる我わが弦月丸げんげつまるの運命うんめいは最早もはや是迄これまでである。たとへ我わが船ふねが全檣ぜんしやうに帆ほを張はり蒸滊機關じようききくわんの破裂はれつするまで石炭せきたんを焚たいて逃にげやうとも如何いかで逃にげ終をうする事ことが出來できやう。勿論もちろん、かの船ふねは私わたくしの想像さうざうするが如ごとき海賊船かいぞくせんであつたにしろ、左樣さう無謀むぼうには本船ほんせんを撃沈げきちんするやうな事ことはあるまい、印度洋インドやうの平均水深へいきんすいしんは一千せん八百ひやく三十尋ひろ、其樣そんな深ふかい所ところで輕々かろろしく本船ほんせんを撃沈げきちんした處ところで、到底たうていかの船ふねの目的もくてきを達たつする事ことは出來できまいから。けれど、彼方かなた天魔てんま鬼神きじんを欺あざむく海賊船かいぞくせんならば一度ひとたび睨にらんだ船ふねをば如何いかでか其儘そのまゝに見遁みのがすべき。事こと面倒めんだうと思おもはゞ、昔話むかしばなしに聞きく海賊船かいぞくせんの戰術せんじゆつを其儘そのまゝに、鋭するどき船首せんしゆは眞一文字まいちもんじに此方こなたに突進とつしんし來きたつて、手てにに劍戟けんげきを振翳ふりかざせる異形ゐげうの海賊かいぞく輩どもは亂雲らんうんの如ごとく我わが甲板かんぱんに飛込とびこんで來くるかも知しれぬ。若もし然さなくば隱見ゐんけん出沒しゆつぼつ、氣長きながく我わが船ふねの後あとを追おふ内うち、本船ほんせんが何時いつか海水かいすい淺あさき島嶼たうしよの附近ふきんか、底そこに大海礁だいかいせうの横よこたはる波上はじやうにでも差懸さしかかつた時とき、風かぜの如ごとく來きたり、雲くもの如ごとく現あらはれ出いでゝ、一撃げきの下もとに其處そこに我わが船ふねを撃沈げきちんする積つもりかも知しれぬ。斯かう考かんがへると實じつに底氣味そこきみの惡わるいもも、私わたくしは心こゝろの底そこから寒さむくなつて來きた。
兎角とかくする程ほどに怪あやしの船ふねはますす接近せつきんし來きたつて、白しろ、紅あか、緑みどりの燈光とうくわうは闇夜やみに閃きらめく魔神まじんの巨眼まなこのごとく、本船ほんせんの左舷さげん後方こうほう約やく四五百米突メートルの所ところに輝かゞやいて居をる。
私わたくしは胸むねを跳をどらせつゝ我わが甲板かんぱんの前後ぜんご左右さいうを眺ながめた。例れいのビール樽だる船長せんちやうは此時このとき私わたくしの頭上づじやうに當あたる船橋せんけうの上うへに立たつて、頻しきりに怪あやしの船ふねの方向ほうかうを見詰みつめて居をつたが、先刻せんこく遙はるかかの海上かいじやうに朦乎ぼんやりと三個さんこの燈光ともしびを認みとめた間あひだこそ、途方とほうも無ない事ことを言いつて居をつたものゝ、最早もはや斯かうなつては其樣そんな無※ばかな事ことは言いつて居をられぬ。
『はてさて、妙めうだぞ、あれは矢やツ張ぱり滊船きせんだわい、して見みると今月こんげつの航海表かうかいへうに錯誤まちがいがあつたのかしらん。』と言いひつゝ、仰あほいで星影ほしかげ淡あはき大空おほぞらを眺ながめたが
『いや、いや、如何どう考かんがへても今時分いまじぶんあんな船ふねに此この航路かうろで追越おひこされる筈はづはないのだ。』と見みるる内うちに不安ふあんの顏色いろが現あらはれて來きた。
此時このときはすでに澤山たくさんの船員等せんゐんらは此處彼處こゝかしこから船橋せんけうの邊ほとりを指さして集あつまつて來きた。いづれも愕おどろいた樣やうな、審いぶかるやうな顏かほで、今いまやますす接近せつきんし來きたる怪あやしの船ふねの燈光とうくわうを眺ながめて居をる。『實じつに不思議ふしぎだ――あの船脚ふなあしの速はやい事ことは――』と右手ゆんでの時辰器じしんきを船燈せんとうの光ひかりに照てらして打眺うちながめつゝ、眤じつと考かんがへて居をるのは本船ほんせんの一等運轉手チーフメートである。つゞいて
『何會社どこの滊船ふねだらう。』
『商船しようせんだらうか、郵便船ゆうびんせんだらうか。』
『いや、軍艦ぐんかんに相違さうゐない。』
『軍艦ぐんかんにしても、あんなに速はやい船脚ふなあしは新式しんしき巡洋艦じゆんやうかんか、水雷驅逐艦すいらいくちくかんの他ほかはあるまい。』と二等とう運轉手うんてんしゆ、非番ひばん舵手だしゆ、水夫すゐふ、火夫くわふ、船丁ボーイに至いたるまで、互たがひに眼めと眼めを見合みあはせつゝ口々くちちに罵のゝしり騷さはいで居をる。彼等かれらの中うちには、先刻せんこくの不思議ふしぎな信號しんがうを見みた者ものもあらう、また見みぬ者ものもあらう。
怪あやしの船ふねは遂つひに我わが弦月丸げんげつまると雁行がんかうになつた。船橋せんけうの船長せんちやうは右顧左顧うこさこ、頻しきりに心安こゝろやすからず見みえた。我わが一等運轉手チーフメートは急いそがはしく後部甲板こうぶかんぱんに走はしつたが、忽たちまち一令いちれいを掛かけると、一個いつこの信號水夫しんがうすゐふは、右手ゆんでに高たかく白色球燈はくしよくきうとうを掲かゝげて、左舷船尾さげんせんびの「デツキ」に立たつた。之これは海上法かいじやうほふに從したがつて、船ふねの將まさに他船たせんに追越おひこされんとする時ときに表示へうしする夜間信號やかんしんがうである。然しかるに彼方かなた怪あやしの船ふねは敢あへて此この信號しんがうには應答こたへんともせず、忽たちまち見みる其その甲板かんぱんからは、一導いちだうの探海電燈サーチライトの光ひかり閃々せんんと天空てんくうを照てらし、つゞいてサツとばかり、其その眩まばゆき光ひかりを我わが甲板かんぱんに放なげると共ともに、滊笛きてき一二聲せい、波なみを蹴立けたてゝますす進航しんかうの速力そくりよくを速はやめた。見みるる内うちに怪あやしの船ふねの白色檣燈はくしよくしやうとうは我わが弦月丸げんげつまるの檣燈しやうとうと並行へいかうになつた――早はや、彼方かなたの右舷うげんの緑燈りよくとうは我わが左舷さげんの紅燈こうとうを尻眼しりめにかけて、一米突メートル――二米突メートル――三米突メートル――端艇ボートならば少すくなくも半艇身はんていしん以上いじやう我わが船ふねを乘越のりこした。
此時このとき!
私わたくしは如何いかにもして、かの怪あやしの船ふねの正體しやうたいを見屆みとゞけんものをと、身みを飜ひるがへして左舷船首さげんせんしゆに走はしり、眼まなこを皿さらのやうにして其その船ふねの方かたを見詰みつめたが、月無つきなく、星影ほしかげも稀まれなる海うみの面おもては、百米突メートル――二百米突メートルとは距へだたらぬのに黒暗々こくあんんとして咫尺しせきを辨べんじない。加くはふるに前檣々頭ぜんしやうしやうとうに一點いつてんの白燈はくとうと、左舷さげんの紅燈こうとうは見みえで、右舷うげんに毒蛇どくじやの巨眼まなこの如ごとき緑色りよくしよくの舷燈げんとうを現あらはせる他ほかは、船橋せんけうにも、甲板かんぱんにも、舷窓げんさうからも、一個いつこの火影ほかげを見みせぬかの船ふねは、殆ほとんど闇黒やみに全體ぜんたいを包つゝまれて居をつたが、私わたくしの一念いちねんの屆とゞいて幾分いくぶか神經しんけいの鋭するどくなつた爲ためか、それとも瞳ひとみの漸やうやく闇黒あんこくに馴なれた爲ためか、私わたくしは辛からうじて其その燈光ひかりの主體ぬしを認みとめ得えた途端とたん、またもや射出ゐいだす彼船かのふねの探海電燈サーチライト、其邊そのへんは。パツと明あかるくなる、私わたくしは一見いつけんして卒倒そつたうするばかりに愕おどろき叫さけんだよ『海蛇丸かいだまる!!! 海蛇丸かいだまる!!!』と。
讀者どくしや諸君しよくんは未まだ御記臆ごきおくだらう。我わが弦月丸げんげつまるが將まさに子ープルス港かうを出發しゆつぱつせんとした時とき、何故なにゆゑともなく深ふかく私わたくしの眼まなこに留とゞまつた一隻いつさうの怪あやしの船ふねを。噸數とんすう一千噸とん位くらゐ、二本にほん烟筒えんとつに二本にほん檣マスト、其その下甲板げかんぱんには大砲たいほう小銃等せうじうとうを積つめるにやあらん。審いぶかしき迄まで船脚ふなあしの深ふかく沈しづんで見みえた其その船ふねが、今いまや闇黒あんこくなる波浪なみの上うへに朦朧ぼんやりと認みとめられたのである。
『紛まぎらふ方かたなき海蛇丸かいだまる!!!』と私《わたくし》は再《ふたゝ》び叫《さけ》んだ。あゝ、海蛇丸《かいだまる》は前《さき》には子ープルス港かうにていと奇怪あやしき擧動ふるまひをなし、其時そのとき、我わが弦月丸げんげつまるよりは數分すうふん前まへに港みなとを發はつして、かくも迅速じんそくなる速力そくりよくを有もてるにも拘かゝはらず、今いまや却かへつて我わが船ふねの後あとを追おふて來くるとは、之これが單たんに、偶然ぐうぜんの出來事できごととのみ言いはれやうか? ? ?
然しかるに此時このときまで、海蛇丸かいだまるは別べつに害意がいゐありとも見みえず、たゞ其その甲板かんぱんからは絶たえず探海電燈サーチライトの閃光ひかりを射出しやしゆつして、或あるひは天空てんくうを照てらし、或あるひは其その光ひかりを此方こなたに向むけ、又または海上かいじやうの地理ちり形况等けいけうとうを探さぐるにやあらん、我わが弦月丸げんげつまるが指さして行ゆく航路かうろの海波なみを照てらしつゝ、ずんんと前方かなたに駛はしり去さつた。本船ほんせんは今いまは却かへつて其その後あとを追おふのである。稍やや十分ぷんも※すぎたと思おもふ頃ころ二船にせんの間あひだは餘程よほど距へだたつた。私わたくしは思おもはず一息ひといきついた、『矢張やはり無益むえきの心配しんぱいであつたか』と少すこしく胸むね撫なでおろす、其時そのとき、私わたくしはふと心付こゝろついたよ、先刻せんこくまでは極きはめて動搖ゆるぎ平穩おだやかであつた我わが弦月丸げんげつまるは何時いつの間まにか甲板かんぱんも傾かたむくばかり激はげしき動搖ゆるぎを感かんじて居をるのであつた。眺ながめると闇黒あんこくなる右舷うげん左舷さげんの海上かいじやうは尋常たゞならず浪なみ荒あらく、白馬はくばの如ごとき立浪たつなみの跳をどるのも見みえる。印度洋インドやうとて千尋せんじんの水深ふかさばかりではない、斯かく立浪たつなみの騷さわいで居をるのは、確たしかに其邊そのへんに大暗礁だいあんせうの横よこたはつて居をるとか、今いましも我わが弦月丸げんげつまるの進航しんかうしつゝある航路かうろの底そこは一面いちめんの大海礁だいかいせうで蔽おほはれて居おるのであらう。
大暗礁だいあんせう! 大海礁だいかいせう! たとへ船ふねを坐礁のりあげる程ほどでなくとも、此邊このへんの海底かいていの淺あさい事ことは分わかつて居る!!!
はツと思おもつたが、此時このとき忽たちまち我わが弦月丸げんげつまるの前甲板ぜんかんぱんに尋常たゞならぬ叫聲さけびごゑが聽きこえた。私わたくしは跳上をどりあがつて眼まなこを放はなつと、唯たゞ見みる、本船々首ほんせんせんしゆ正面しやうめんの海上かいじやうに、此時このときまで閃々せんんたる光ひかりは絶たえず海うみの八方はつぱうを照てらしつゝ既すでに一海里いつかいりばかり駛はしり去さつた海蛇丸かいだまるは、此時このとき何故なにゆゑか探海電燈サーチライトの光ひかりパツと消きえて、突然とつぜん船首せんしゆを轉廻めぐらすよと見みる間まに、さながら疾風しつぷう電雷でんらいの如ごとく此方こなたに突進とつしんして來きた。『や、や、や、や、や。』と私わたくしの胸むねは警鐘けいしやうを亂打らんだするやうである。更さらに驚愕おどろいたのは、船橋せんけうの船長せんちやう、後甲板こうかんぱんの一等運轉手いつとううんてんしゆ、二等運轉手にとううんてんしゆ、三等運轉手さんとううんてんしゆ、水夫すゐふ、火夫くわふ、見張番みはりばん、一同いちどう顏色がんしよくを失うしなつて、船首甲板せんしゆかんぱんの方かたへ走はしつて來きた。
眞正面まつせうめんから突進とつしんして來くる海蛇丸かいだまると、我わが弦月丸げんげつまるとの距離きよりは最早もはや一千米突メートルに※すぎない。廣ひろい樣やうでも狹せまいのは滊船きせんの航路かうろで、千島艦ちしまかんとラーヴエンナ號がう事件じけんの實例じつれいを引ひく迄までもなく、少すこしく舵機かぢの取方とりかたを※あやまつても、屡々しばば驚怖きやうふすべき衝突しようとつを釀かもすのに、底事なにごとぞ、怪あやしの船ふね海蛇丸かいだまるは、今いまや我わが弦月丸げんげつまるの指さして行ゆく同おなじ鍼路しんろをば故意わざと此方こなたに向むかつて猛進まうしんして來くるのである、一分ぷん、二分ふん、三分ぷんの後のちは一大いちだい衝突しようとつを免まぬかれぬ運命うんめい!!!
船長せんちやうも一等運轉手チーフメートも度どを失うしなつて、船橋せんけうを驅かけ上あがり、驅かけ降くだり、後甲板こうかんぱんに馳はせ、前甲板ぜんかんぱんに跳おどり狂くるふて、聲こゑを限かぎりに絶叫ぜつけうした。水夫すゐふ。火夫くわふ、船丁等ボーイらの周章狼狽しうしようらうばいは言いふ迄までもない、其内そのうちに乘客じやうきやくも※半くわはん睡眠ねむりより醒さめて、何事なにごとぞと甲板かんぱんに走はしり出いでんとするを、邪魔じやまだだと昇降口しようかうぐちの邊へんより追返おひかへさんと嘈ひしめく二三船員せんゐんの聲こゑも聽きこえる。本船ほんせんは連續つゞけさまに爆裂信號ばくれつしんがうを揚あげ、非常滊笛ひじやうきてきを鳴ならし、危難きなんを告つぐる號鐘がうしやうは割わるゝばかりに響ひゞき渡わたつたけれど、海蛇丸かいだまるは音おともなく、ずんんと接近せつきんして來くるばかりである。本船ほんせんの舵手だしゆは狂氣きようきの如ごとくなつて、鍼路しんろを右みぎに左ひだりに廻轉くわいてんしたが何なんの甲斐かひも無ない。此方こなた滊角きかく短聲たんせい一發いつぱつ、鍼路しんろを右舷うげんに取とれば、彼方かなた海蛇丸かいだまるも左舷さげんの紅燈こうとう隱かくれて鍼路しんろを右みぎに取とり、此方こなた短聲たんせい二發にぱつ鍼路しんろを左舷さげんに廻めぐらせば、彼方かなたも亦また左舷さげんの紅燈こうとう現あらはれて鍼路しんろを左ひだりに取とる。最早もはや疑うたがふ事ことは出來できぬ、海蛇丸かいだまるは今いまや立浪たつなみ跳をどつて海水かいすい淺あさき、此この海上かいじやうで我わが弦月丸げんげつまるを一撃いちげきの下もとに撃沈げきちんせんと企圖くわだてゝ居をるのだ。『衝突しようとつだ! 衝突しようとつだ! 衝突しようとつだ!』と百數十ひやくすふじふの船員等せんゐんらは夢中むちうになつて甲板上かんぱんじやうを狂奔きやうほんした。
此時このとき既すでに本船ほんせんを去さる海蛇丸かいだまるの距離きよりは僅わずかに二百ひやく二三十米突メートル以内いない!!!
一等運轉手チーフメートと船長せんちやうとは血眼ちまなこになつて一度いちどに叫さけんだ
『全速力ぜんそくりよく後退こうたい! 後退こうたい! 後退こうたい!』
同時どうじに滊角きかく短聲たんせい三發さんぱつ、蒸滊機關じようききくわんの響ひゞきハッタと更あらたまつて、逆ぎやくに廻旋くわいせんする推進螺旋スクルーの邊ほとり、泡立あはだつ波なみは飛雪ふゞきの如ごとく、本船ほんせん忽たちまち二十米突メートル――三十米突メートルも後退こうたいしたと思おもつたが、此時このときすでに遲おそかつた、今いまや我わが弦月丸げんげつまるの側面前方そくめんぜんぱう、約やく百米突メートル以内いないに接迫せつぱくし來きたつた海蛇丸かいだまるは、忽然こつぜん其その船首せんしゆを左方さほうに廻轉くわいてんするよと見みる間まに、其その鋭するどき衝角しようかくは恰あたかも電光石火でんくわうせきくわの如ごとく、本船ほんせんの中腹ちうふく目撃めがけてドシン!!!
弦月丸げんげつまるは萬山ばんざんの崩くづるゝが如ごとき響ひゞきと共ともに左舷さげんに傾斜かたむいた。途端とたんに起おこる大叫喚だいけうくわん。二百にひやくの船員せんゐんが狂くるへる甲板かんぱんへ、數百すうひやくの乘客じやうきやくが一時いちじに黒雲くろくもの如ごとく飛出とびだしたのである。
風かぜの如ごとく、電光いなづまの如ごとく來きたりし海蛇丸かいだまるは、また、風かぜの如ごとく、電光いなづまの如ごとく、黒暗々こくあんんたる波間はかんに隱かくれてしまつた。天空そらには星影ほしかげ一點てん、二點てん、又また三點てん、風かぜ死しして浪なみ黒くろく、船ふねは秒一秒べういちべうと、阿鼻叫喚あびけうくわんの響ひゞきを載のせて、印度洋インドやうの海底かいていに沈しづんで行ゆくのである。

    第八回 人間にんげんの運命うんめい

弦月丸の最後――ひ、ひ、卑怯者め――日本人の子――二つの浮標ブイ――春枝夫人の行衞――あら、黒い物が!

 あゝ人間にんげんの運命うんめい程ほど不思議ふしぎな者ものはない。此この珍事ちんじのあつた翌日よくじつは私わたくしは、日出雄少年ひでをせうねんと唯たゞ二人ふたりで、長ながさ卅呎フヒートにも足たらぬ小端艇せうたんていに身みを委ゆだねて、水みづや空そらなる大海原おほうなばらを浪なみのまにに漂たゞよつて居をるのであつた。言いふ迄までも無なく、弦月丸げんげつまるは其時そのとき無限むげんの恨うらみを飮のんで、印度洋インドやうの海底かいていに沈沒ちんぼつせしめられたのである。
風かぜ軟やはらかに、草くさみどりなる陸上りくじやうの人ひとは、船ふねの沈沒ちんぼつなどゝ聞きけば、恰あだかも趣味しゆみある出來事できごとの樣やうに思おもはれて、或あるひは演劇えんげきに、或あるひは油繪あぶらゑに、樣々さままなる事ことをして其その悲壯ひさうなる光景ありさまを胸裡むねに描ゑがかんとして居をるが、私わたくしの如ごとく現在げんざい其その難なんに臨のぞんで、弦月丸げんげつまるが悲慘ひさんなる最後さいごを遂とぐるまで、其その甲板かんぱんに殘のこつて居をつた身みは、今更いまさら其その始終しじゆうを懷想くわいさうしても身みの毛けの彌立よだつ程ほどで、とても詳くわしい事ことを述立のべたてるに忍しのびぬが、是非ぜひに語かたらねばならぬ其その大略あらましだけを茲こゝに記しるして置おかう。海蛇丸かいだまるが我わが弦月丸げんげつまるの右舷うげんに衝突しやうとつして、風かぜの如ごとく其その形かたちを闇中やみに沒ぼつし去さつた後のちは、船中せんちゆうは鼎かなえの沸わくが樣やうな騷さわぎであつた。泣なく聲こゑ、喚わめく聲こえ、哀あはれに救助たすけを求もとむる聲こゑは、悽すさまじき怒濤どとうの音おとと打交うちまじつて、地獄ぢごくの光景ありさまもかくやと思おもはるゝばかり。あらゆる防水ぼうすいの方便てだては盡つくされたが、微塵みぢんに打碎うちくだかれたる屹水下きつすいかからは海潮かいてう瀧たきの如ごとく迸ほとばしり入いつて、其その近傍きんぼうには寄より附つく事ことも出來できない。十臺だいの喞筒ポンプは、全力ぜんりよくで水みづを吐出はきだして居をるが何なんの效能こうのうもない。六千四百噸とんの巨船きよせんもすでに半なかばは傾かたむき、二本にほんの煙筒えんとうから眞黒まつくろに吐出はきだす烟けぶりは、恰あたかも斷末魔だんまつまの苦悶くもんを訴うつたへて居をるかのやうである。
『もう無益だめだだ、とても沈沒ちんぼつは免まぬかれない。』と船員せんゐん一同いちどうはすでに本船ほんせんの運命うんめいを見捨みすてたのである。
私わたくしは此時このときまで殆ほとんど喪心そうしんの有樣ありさまで、甲板かんぱんの一端いつたんに屹立つゝたつた儘まゝ、此この慘憺さんたんたる光景ありさまに眼まなこを注そゝいで居をつたが、ハツと心付こゝろついたよ。
『春枝夫人はるえふじん、日出雄少年ひでをせうねんは如何どうして居をるだらう。』と
私わたくしは宙ちうを飛とんで船室せんしつの方かたに向むかつた。昇降口しようかうぐちのほとり、出逢であひがしらに、下方したから昇のぼつて來きたのは、夫人ふじんと少年せうねんとであつた。不時ふじの大騷動だいさうどうに、愕おどろき目醒めさめたる春枝夫人はるえふじんは、かゝる焦眉せうびの急きふにも其その省愼たしなみを忘わすれず、寢衣しんいを常服じやうふくに着更きかへて居をつた爲ために、今いま漸やうやく此處こゝまで來きたのである。見みるより私わたくしは『夫人おくさん、大事變だいじへんがが。』
『何なにか起おこりましたか、暗礁あんせうへでも?』と夫人ふじんの聲こゑは沈しづんで居をつた。
『暗礁あんせうどころか、ま、早はやくく。』と私わたくしは引立ひきたてるやうにして夫人ふじんを伴ともなひ、喫驚びつくりして眼めを睜みはつて居をる少年せうねんをば、ヒシと腕うでに抱かゝへて甲板かんぱんを走はしつた、餘あまりに人ひとの立騷たちさわいで居をる邊へんは、却かへつて危險きけんの多おほいので、吾等われら三人みたりは全まつたく離はなれて、ずつと船首せんしゆの海圖室かいづしつの側ほとりに身みを寄よせた。此この塲合ばあひに第だい一に私わたくしの胸むねをうつたのは、此この航海かうかいのはじめネープルス港かうを出いづる時とき、濱島はまじまに堅かたく約やくして、夫人ふじんと其その愛兒あいじとの身みの上うへは、私わたくしの生命いのちに懸かけてもと堅かたく請合うけあつた事こと、今いま、此この危急ききふの塲合ばあひに臨のぞんで、私わたくしの身命しんめいは兎ともあれ、此この二人ふたり丈だけは如何どうしても救すくはねばならぬのだ。
船ふねは秒一秒べういちべうに沈しづんで行ゆく、甲板かんぱんの叫喚けうくわんはますす激はげしくなつた。終つひに「端艇たんてい下おろせい。」の號令がうれいは響ひゞいて、第だい一の端艇たんていは波上はじやうに降下くだつた。此時このとき私わたくしは春枝夫人はるえふじんを見返みかへつたのである。
『いざ、夫人おくさん、避難ひなんの用意ようゐを。』と。すべて海上かいじやうの規則きそくとして、斯かゝる塲合ばあひに第だい一に下くだされたる端艇たんていは一等船客いつとうせんきやくのため、第だい二が二等船客にとうせんきやく、第だい三が三等船客さんとうせんきやく、總すべての船客せんきやくの免のがれ去さつた後あとに、猶殘なほのこる端艇たんていがあれば、其時そのときはじめて船員等せんゐんらの避難ひなんの用ように供けうせらるゝのである。で私わたくしは今いま第だい一端艇たんていの下くだると共ともに、吾等われら一等船客いつとうせんきやくたるの權利けんりをもつて、春枝夫人はるえふじんと日出雄少年ひでをせうねんとを誘いざなつたのである。勿論もちろん私わたくしは不束ふつゝかながらも一個いつこの日本男子につぽんだんしであれば、其その國くにの名なに對たいしても、斯かゝる塲合ばあひに第だい一に逃出にげだす事ことは出來できぬのである。然しかし、春枝夫人はるえふじんと日出雄少年ひでをせうねんとは私わたくしが堅かたく友ともに保證ほしやうして居おる人ひと、且かつは纎弱かよわき女性によせうと、無邪氣むじやきなる少年せうねんの身みであれば、先まづ此この二人ふたりをば避難ひなんせしめんと頻しきりに心こゝろを焦いらだてたのである。然しかるに私わたくしの苦心くしんは全まつたく無益むえきであつた。第一端艇だいいちたんていの波上はじやうに浮うかぶや否いなや、忽たちまち數百すうひやくの人ひとは、雪崩なだれの如ごとく其處そこへ崩くづれかゝつた。我先われさきに其その端艇たんていに乘移のりうつらんと、人波ひとなみうつて嘈閙ひしめく樣さまは、黒雲くろくもの風かぜに吹ふかれて卷返まきかへすやうである。
『夫人おくさん、とてもいけません。』と二三歩ぽ進すゝんだ私わたくしは振返ふりかへつた。とてもも、あの狂氣きちがひのやうに立騷たちさわいで居をる多人數たにんずうの間あひだを分わけて、此この柔弱かよわき夫人ふじんと少年せうねんとを安全あんぜんに端艇たんていに送込おくりこむ事ことが出來できやう? あゝ人間にんげんはいざと云いふ塲合ばあひには、恥辱はぢも名譽めいよもなく、斯かく迄まで生命いのちの惜をしい者ものかと、嘆息たんそくと共ともに眺ながめて居をると、更さらに奇怪きくわいなるは、其その端艇たんていに身みを投とうじたる一群いちぐんの人ひと、それは一等船客いつとうせんきやくでもなく、二等船客にとうせんきやくでもなく、實じつに此この船ふねの最後さいごまで踏止ふみとゞまる可べき筈はづの水夫すいふ、火夫くわふ、舵手かぢとり、機關手きくわんしゆ、其他そのほか一團いちだんの賤劣せんれつなる下等船客かとうせんきやくで、自己おのれの腕力わんりよくに任まかせて、他たを突除つきのけ蹴倒けたをして、我先われさきにと艇中ていちうに乘移のりうつつたのである。
『あゝ、何なんたる醜態しうたいぞ。」と私わたくしはあまりの事ことに撫然ぶぜんとした。春枝夫人はるえふじんは私わたくしの後方うしろに、愛兒あいじをしかと抱いだきたる儘まゝ、默然もくねんとして言ことばもない、けれど流石さすがに豪壯がうさうなる濱島武文はまじまたけぶみの妻つま、帝國軍人松島海軍大佐ていこくぐんじんまつしまかいぐんたいさの妹君いもとぎみ程ほどあつて、些ちつとも取亂とりみだしたる姿すがたのなきは、既すでに其その運命うんめいをば天てんに任まかせて居をるのであらう。かゝる殊勝けなげなる振舞ふるまひを見みては、私わたくしは猶なほ默だまつては居をられぬ。『えゝ、無責任むせきにんなる船員せんいん! 卑劣ひれつなる外人くわいじん! 海上かいじやうの規則きそくは何なんの爲ためぞ。』と悲憤ひふんの腕うでを扼やくすと、夫人ふじんの淋さびしき顏かほは私わたくしに向むかつた、沈しづんだ聲こゑで
『いえ、誰人どなたも命いのちの助たすかりたいのは同おなじ事ことでせう。』と言いつて、瞳ひとみを轉てんじ
『でも、あの樣やうに澤山たくさん乘のつては端艇たんていも沈しづみませうに。』といふ、我身わがみの危急あやうきをも忘わすれて、却かへつて仇あだし人ひとの身みの上うへを氣遣きづかふ心こゝろの優やさしさ、私わたくしは聲こゑを勵はげまして
『夫人おくさん、其樣そんな事處ことどころでありません、貴女あなたと少年せうねんとは如何どうしても助たすからねばなりません、私わたくしが濟すまないい。』と叫さけんで見渡みわたすと此時このとき第二だいにの端艇たんていも下おりた、第三だいさんの端艇たんていも下おりた、けれど其その附近ふきんは以前いぜんにも増ます混雜こんざつで、私わたくしはたゞ地團太ぢだんだを踏ふむばかり。ふと眼まなこに入いつたのは、今いま、此この船ふねの責任せきにんを双肩さうけんに擔になへる船長せんちやうが、卑劣ひれつにも此時このとき、舷燈げんとうの光ひかり朦朧もうろうたるほとりより、天てんに叫さけび、地ちに泣なける、幾百いくひやくの乘組人のりくみにんをば此處ここに見捨みすてゝ、第三だいさんの端艇たんていに乘移のりうつらんとする處ところ。
『ひ、ひ、卑怯者ひけふもの!。』と私わたくしは躍起やつきになつた、此處こゝには春枝夫人はるえふじんの如ごとき殊勝けなげなる女性によせうもあるに、彼かれ船長せんちやうの醜態しうたいは何事なにごとぞと思おもふと、もう默だまつては居をられぬ、元もとより無益むえきの業わざではあるが、せめての腹愈はらいやしには、吾わが鐵拳てつけんをもつて彼かれの頭かしらに引導いんどう渡わたして呉くれんと、驅出かけだす袂たもとを夫人ふじんは靜しづかに留とゞめた。『もう何事なにごとも爲なさりますな。妾わたくしも、日出雄ひでをも、此儘このまゝ海うみの藻屑もくづと消きえても、决けつして未練みれんに助たすからうとは思おもひませぬ。』と白※薇はくさうびのたとへば雨あめに惱なやめるが如ごとく、しみみと愛兒あいじの顏かほを眺ながめつゝ
『けれど、天てんの惠めぐみがあるならば、波なみの底そこに沈しづんでも或あるひは助たすかる事こともありませう。」と明眸めいぼうに露つゆを湛たゝえて天てんを仰あほいだ。
忽たちまち、暗澹あんたんたる海上かいじやうに、不意ふいに大叫喚だいけうくわんの起おこつたのは、本船ほんせんを遁のがれ去さつた端艇たんていの餘あまりに多人數たにんずうを載のせたため一二艘そう波なみを被かぶつて沈沒ちんぼつしたのであらう。
『オー、無殘むざんに。』と春枝夫人はるえふじんは手巾ハンカチーフに面おもてを蔽おほふた。
『あれは自業自得じがふじとくです。』と私わたくしは冷笑れいせうを禁きんじ得えなかつた。
弦月丸げんげつまるの運命うんめいは最早もはや一分ぷん、二分ふん、甲板かんぱんには殘のこる一艘いつそうの端艇たんていも無ない、斯かくなりては今更いまさら何なにをか思おもはん、せめては殊勝けなげなる最後さいごこそ吾等われらの望のぞみである。
『夫人おくさん!。』と私わたくしは靜しづかに夫人ふじんを呼よびかけた。
『何事なにごとも天命てんめいです、然しかし吾等われらは此この急難きふなんに臨のぞんでも、我わが日本につぽんの譽ほまれを傷きづゝけなかつたのがせめてもの滿足まんぞくです。』と語かたると、夫人ふじんも微かすかにうち點頭うなづき、俯伏ひれふして愛兒あいじの紅くれないなる頬ほうに最後さいごの接吻せつぷんを與あたへ、言葉ことばやさしく『日出雄ひでをや、お前まへは今いま此この災難さいなんに遭あつても、ネープルスで袂別わかれの時ときに父君おとつさんの仰おつしやつたお言葉ことばを忘わすれはしますまいねえ。』と言いへば、日出雄少年ひでをせうねんは此時このとき凛乎りんこたる面かほを擧あげ
『覺おぼえて居ゐます。父樣おとつさんが私わたくしの頭あたまを撫なでゝ、お前まへは日本人につぽんじんの子こといふ事ことをばどんな時ときにも忘わすれてはなりませんよ、と仰おつしやつた事ことでせう。』
夫人ふじんは思おもはず涙なみだをはららと流ながし
『其事そのこと、お前まへと母はゝとは、之これが永遠えいゑんの別わかれとなるかも知しれませんが、幸さひはひにお前まへの生命いのちが助たすかつたなら、之これから世よに立たつ時ときに、始終しじう其その言葉ことばを忘わすれず、誠實まことの人ひととならねばなりませんよ。』と言終いひをはつた時とき、怒濤どたうは早はや船尾せんびの方ほうから打上うちあげて來きた。
最早もはや最後さいごと、私わたくしは眼めを放はなつて四邊あたりを眺ながめたが、此時このときふと眼めに止とまつたのは、左舷さげんの方ほうに取亂とりみだされてあつた二三個この浮標ブイ、端艇たんていに急いそいだ人々ひととは、かゝる物ものには眼まなこを留とめなかつたのであらう。私わたくしは急いそぎ取上とりあげた。素早すばやく一個いつこを夫人ふじんに渡わたし、今一個いまいつこを右手めてに捕とらへて『日出雄ひでをさん。』とばかり左手ひだりに少年せうねんの首筋くびすぢを抱かゝへた時とき、船ふねは忽たちまち、天地てんちの碎くだくるが如ごとき響ひゞきと共ともに海底かいていに沒ぼつし去さつた。泡立あはだつ波なみ、逆卷さかまく潮うしほ、一時いちじは狂瀾きやうらん千尋せんじんの底そこに卷込まきこまれたが、稍やゝ暫しばらくして再ふたゝび海面かいめんに浮上うかびあがつた時ときは黒暗々こくあんんたる波上はじやうには六千四百噸とんの弦月丸げんげつまるは影かげも形かたちもなく、其處此處そここゝには救助すくひを求もとむる聲こゑたええに聽きこゆるのみ、私わたくしは幸さひはひに浮標ブイを失うしなはで、日出雄少年ひでをせうねんをば右手めてにシカと抱いだいて居をつた。けれど夫人ふじんの姿すがたは見みえない『春枝夫人はるえふじん、々々。』と聲こゑを限かぎりに呼よんで見みたが應こたへがない、只たゞ一度いちど遙はるかかの波間なみまから、微かすかに答こたへのあつた樣やうにも思おもはれたが、それも浪なみの音おとやら、心こゝろの迷まよひやら、夫人ふじんの姿すがたは遂つひに見出みいだす事ことが出來できなかつたのである、私わたくしは幼少えうせうの頃ころから、水泳すいえいには極きはめて達たつして居をつたので、容易ようゐに溺おぼれる樣やうな氣遣きづかひはない、日出雄少年ひでをせうねんを抱いだき一個いつこの浮標ブイを力ちからに、一時ひとゝきばかり海中かいちうに浸ひたつて居をつたが、其内そのうちに救助すくひを求もとむる人ひとの聲こゑも聽きこえずなり、其その身みも弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつした處ところより餘程よほど遠とうざかつた樣子やうす、不意ふゐに日出雄少年ひでをせうねんが『あら黒くろい物ものが。』と叫さけぶので、愕おどろいて頭つむりを上あげると、今いましも一個いつこの端艇たんていが前方ぜんぽう十四五ヤードの距離へだゝりに泛うかんで居をる、之これは先刻せんこく多人數たにんずうが乘のつた爲ために、轉覆てんぷくした中うちの一艘いつさうであらう。近ちかづいて見みると艇中ていちうには一個いつこの人影ひとかげもなく、海水かいすいは艇ていの半なかばを滿みたして居をるが、何なには兎ともあれ天てんの助たすけと打うちよろこび、少年せうねんをば浮標ブイに托たくし、私わたくしは舷側げんそくに附ついて泳およぎながら、一心いつしんに海水かいすいを酌出くみだし、曉あかつきの頃ころになつて漸やうやく水みづも盡つきたので、二人ふたりは其その中なかに入いり、今いまは何處いづくと目的めあてもなく、印度洋インドやうの唯中たゞなかを浪なみのまにに漂流たゞよつて居をるのである。
    第九回 大海原おほうなばらの小端艇せうたんてい

亞尼アンニーの豫言――日出雄少年の夢――印度洋の大潮流――にはか雨――昔の御馳走――巨大な魚群

 恐おそろしき一夜いちやは遂つひに明あけた。東ひがしの空そらが白しらんで來きて、融々うらゝかなる朝日あさひの光ひかりが水平線すいへいせんの彼方かなたから、我等われらの上うへを照てらして來くるのは昨日きのふに變かはらぬが、變かはり果はてたのは二人ふたりの境遇みのうへである。昨日きのふまでは、弦月丸げんげつまるの美麗びれいなる船室キヤビンに暮くらして、目醒めさむると第だい一に甲板かんぱんに走はしり出でて、曉天あかつきの凉すゞしき風かぜに吹ふかれながら、いと心地こゝちよく眺ながめた海うみの面おもも、今いまの身みにはたゞ物凄ものすごく見みゆるのみである。眼界がんかいの達たつする限かぎり煙波えんぱ渺茫べうぼうたる印度洋インドやう中ちうに、二人ふたりの運命うんめいを托たくする此この小端艇せうたんていには、帆ほも無なく、櫂かひも無なく、たゞ浪なみのまにに漂たゞよつて居をるばかりである。
今更いまさら昨夜さくやの事件ことを考かんがへると全まつたく夢ゆめの樣やうだ。
『あゝ、何故なぜ此樣こんな不運ふうんに出逢であつたのであらう。』と私わたくしは昨夜さくや海うみに浸ひたつて、全濡びつしよりになつた儘まゝ、黎明あかつきの風かぜに寒さむ相さうに慄ふるへて居をる、日出雄少年ひでをせうねんをば膝ひざに抱上いだきあげ、今いましも、太陽たいやうが暫時しばし浮雲うきぐもに隱かくれて、何なにとなく薄淋うすさびしくなつた浪なみの面おもを眺ながめながら、胸むねの鏡かゞみに手てを措をくと、今度こんどの航海かうかいは初はじめから、不運ふうんの神かみが我等われらの身みに跟尾つきまとつて居をつた樣やうだ。出港しゆつかうのみぎり白色檣燈はくしよくしやうとうの碎くだけた事こと、メシナ海峽かいきようで、一人ひとりの船客せんきやくが海うみに溺おぼれた事等ことなど、恰あだかも天てんに意こゝろあつて、今回こんくわいの危難きなんを豫知よちせしめた樣やうである。イヤ其樣そんな無※ばかな事こともあるまいが、子ープルスの埠頭はとばで、亞尼アンニーが泣ないて語かたつた事ことは、不思議ふしぎにも的中てきちうした。勿論もちろん、魔まの日ひ魔まの刻こくの因縁いんねんなどは信しんぜられぬが、老女らうじよが最後さいごの一言いちごん、『弦月丸げんげつまるには、珍めづらしく澤山たくさんの黄金わうごんと眞珠しんじゆとが搭載とうさいされて居ゐます、眞珠しんじゆと黄金わうごんとが夥おびたゞしく海上かいじやうで集合あつまると屹度きつと恐おそる可べき祟たゝりがあります。』との豫言よげんは、偶然ぐうぜんにも其通そのとうりになつて、是等これらの寳物たからものがあつたばかりに、昨夜さくやは印度洋インドやうの惡魔あくまと世よにも恐おそる可べき大海賊だいかいぞくの襲撃しうげきを蒙かうむり、船ふねは沈しづみ、夫人ふじんは行衞ゆくえを失うしなひ、吾等われらも何時いつ救すくはるゝといふ目的めあてもなく、浪なみに揉もまるゝ泡沫うたかたのあはれ果敢はかなき運命うんめいとはなつた。斯かう考かんがへると益々ますす氣きが沈しづんで、生いきた心地こゝちもしなかつた。此時このとき、太陽たいようは雲間くもまを洩もれて赫々かくくたる光ひかりを射出いゝだした。
日出雄少年ひでをせうねんは頑是ぐわんぜなき少年せうねんの常つねとてかゝる境遇きやうぐうに落おちても、昨夜さくや以來いらいの疲勞つかれには堪兼たへかねて、私わたくしの膝ひざに凭もたれた儘まゝ、スヤヤと眠ねむりかけたが、忽たちまち可憐かれんの唇くちびるを洩もれて夢ゆめの聲こゑ
『あゝ、おつかさんん、貴女あなたは私わたくしを捨すてゝ何處どこへいらつしやるの――オ、オ、子ープルスの街まちと富士山ふじさんとの間あひだに、ま、ま、奇麗きれいな橋はしが――オヤ、おとつさんが私わたくしの名なを呼よんでいらつしやるよ。』と少年せうねんは、今いまは夢ゆめの間ま、懷なつかしき父君ちゝぎみ母君はゝぎみに出逢であつて居をるのである。
あゝ、彼かれが最愛さいあいの父ちゝ濱島武文はまじまたけぶみは、遙はるかなる子ープルスで、今いまは如何いかなる夢ゆめを結むすんで居をるだらう、少年せうねんが夢ゆめにもかく戀こひ慕したふ母君はゝぎみの春枝夫人はるえふじんは、昨夜さくや海うみに落おちて、遂つひに其その行方ゆくかたを失うしなつたが、若もし天てんに非常ひじやうの惠めぐみがあるならば萬まんに一つ無事ぶじに救すくはれぬとも限かぎらぬが、其儘そのまゝ海うみの藻屑もくづと消きえて、其その魂たましひが天てんに歸かへつたものならば、此後このゝち吾等われらは運命うんめいよく無事ぶじに助たすかる事ことがあらうとも、日出雄少年ひでをせうねんは夢ゆめの他ほかは、またと懷なつかしき母君はゝぎみの顏かほを見みる事ことが出來できぬであらう、斯かう考かんがへると、私わたくしは無限むげんに哀かなしくなつて、はふり落おつる涙なみだが日出雄少年ひでをせうねんの顏かほにかゝると、少年せうねんは愕おどろいて目めを醒さました。私わたくしの涙なみだに曇くもる顏かほを見みて『あら、叔父おぢさんは如何どうかして。』
私わたくしはハツと心付こゝろづいたので、態わざと大聲おほごゑに笑わらつて
『なに、日出雄ひでをさんが眠ねむつてしまつて、餘あまり淋さびしいもんだから、大おほきな欠伸あくびをしたんだよ。』
少年せうねんは瞼まぶたをこすりつゝ、悄然しようぜんと艇ていの中なかを見廻みまわした。誰たれでも左樣さうだが非常ひじやうな變動へんどうの後あと、暫時しばし夢ゆめに落おちて、再ふたゝび醒めざめた時とき程ほど、心淋こゝろさびしいものはないのである。少年せうねん齡よわひ漸やうやく八歳さい、此この悲境ひきように落おちて、回顧くわいこしてあの優やさしかりし母君はゝぎみの姿すがたや、ネープルスで別わかれた父君ちゝぎみの事ことなどを懷おもひ浮うかべた時ときは、まあどんなに悲かなしかつたらう、今いま、一片いつぺんのパンも一塊いつくわいの肉にくもなき此このみじめな艇中ていちうを見廻みまわして、再ふたゝび私わたくしの顏かほを眺ながめた姿すがたは、不憫ふびんとも何なんとも言いはれなかつた。
懷中時計くわいちうどけいは海水かいすいに濡ひたされて、最早もはや物ものの用ようには足たらぬが、時ときは午前ごぜんの十時じと十一時じとの間あひだであらう、此時このとき不圖ふと心付こゝろづくと、今迄いままでは、たゞ浪なみのまにに漂たゞよつて居をるとのみ思おもつて居をつた端艇たんていが、不思議ふしぎにも矢やのやうな速力そくりよくで、東北とうほくの方ほうから西南せいなんの方ほうへと流ながれて居をるのであつた。(磁石は無いが方角は太陽の位置で分る)私わたくしは一時いちじは喫驚びつくりしたが、よく考かんがへると、これは何なにも不思議ふしぎでない、今迄いまゝでそれと心付こゝろつかなかつたのは、縹渺へうべうたる大洋たいやうの面めんで、島しまとか舟ふねとか比くらべて見みる物ものがなかつたからで、これはよく有ある事ことだ。して見みると、我わが端艇たんていは、何時いつの間まにか印度洋インドやうで名高なだかい大潮流だいてうりうに引込ひきこまれたのであらう。私わたくしは何なんとなく望のぞみのある樣やうに感かんじて來きたよ。思おもふに此この潮流てうりうはラツカデヴ群島ぐんたうの方面ほうめんから、印度大陸インドたいりくの西岸せいがんを※すぎて、マダカツスル諸島しよたうの附近ふきんより、亞弗利加アフリカの南岸なんがんに向むかつて流ながれて行ゆくものに相違さうゐない、すると其間そのあひだには滊船きせんに見出みいだされるとか、何國いづくかの貿易港みなとへ漂着へうちやくするとか、兎角とかくして救助きゆうじよを得えられぬ事こともあるまいと考かんがへたのである。然しかし、世よの中なかの萬事ばんじは左樣さう幸運うまく行ゆくかどうだか。此この潮流てうりうの指さして行ゆく、亞弗利加アフリカの沿岸えんがん及および南太平洋みなみたいへいやう邊へんには、隨分ずいぶん危險きけんな所ところが澤山たくさんある、却かへつて食人國しよくじんこくとか、海賊島かいぞくたうの方ほうへでも押流おしながされて行いつたら、夫それこそ大變たいへん! 然しかし、何なんと考かんがへたからとて奈何どうなるものか。たゞ天命てんめい! 天命てんめい!此時このとき今迄いまゝでは晴朗うらゝかであつた大空おほぞらは、見みるる内うちに西にしの方かたから曇くもつて來きて、熱帶地方ねつたいちほうで有名いうめいな驟雨にわかあめが、車軸しやぢくを流ながすやうに降ふつて來きた。海うみの面おもては瀧壺たきつぼのやうに泡立あわだつて、酷ひどいも酷ひどくないも、私わたくしと少年せうねんとは、頭あたまを抱かゝへて、艇ていの底そこへ踞うづくまつてしまつたが、其爲そのために、昨夜さくや海水かいすいに浸ひたされて、今いま漸やうやく乾かわきかけて居をつた衣服きものは、再ふたゝびびつしよりと濡ぬれてしまつた。あゝ天てんは何なんとて斯かく迄まで無情むじやうなると、私わたくしは暫時しばし眞黒まつくろな雲くもを睨にらんで、只更ひたすら怨うらんだが、然しかし後のちに考かんがへると、世よの中なかの萬事ばんじは何なにが禍わざわひとなり、何なにが幸福こうふくとなるか、其時そのときばかりでは分わからぬのである。
此この驟雨にわかあめがあつたばかりに、其後そのゝち深ふかく天てんの恩惠おんけいを感謝かんしやする時ときが來きた。
頓やがて雨あめが全まつたく霽はれると共ともに、今度こんどは赫々かくくたる太陽たいようは、射いる如ごとく吾等われらの上うへを照てらして來きた。印度洋インドやう中ちう雨後うごの光線くわうせんはまた格別かくべつで、私わたくしは炒いり殺ころされるかと思おもつた。其時そのとき第だい一に堪難たえがたく感かんじて來きたのは渇かはきの苦くるしみ、茲こゝだ禍わざわひ變へんじて幸さひはひとなると言いつたのは、普通ふつうならば、漂流人へうりうじんが、第だい一に困窮こんきうするのは淡水まみづを得えられぬ事ことで、其爲そのために十中ちう八九は斃たをれてしまうのだが、吾等われらは其その難なん丈だけは免まぬかれた。先刻せんこく瀧たきのやうに降注ふりそゝいだ雨水あめみづは、艇底ていていに一面いちめんに溜たまつて居をる、隨分ずいぶん生温なまぬるい、厭いやな味あぢだが、其樣事そんなことは云つて居をられぬ。兩手りようてに掬すくつて、牛うしのやうに飮のんだ。渇かはきの止とまると共ともに次つぎには飢うゑの苦くるしみ、あゝ此樣こんな事ことと知しつたら、昨夜さくや海中かいちうに飛込とびこむ時ときに、「ビスケツト」の一鑵ひとかん位ぐらいは衣袋ポツケツトにして來くるのだつたにと、今更いまさら悔くやんでも仕方しかたがない、斯かうなると昨夜さくやの暖あたゝかな「スープ」や、狐色きつねいろの「フライ」や、蒸氣じようきのホカカと立たつて居をる「チツキンロース」などが、食道しよくだうの邊へんにむかついて來くる。そればかりか、遠とほい昔むかしに、燒肉ビフステーキが少すこし焦こげ※すぎて居をるからと怒鳴どなつて、肉叉フオークもつけずに犬いぬに喰くはせてしまつた一件いつけんや、「サンドウイツチ」は職工しよくにんの辨當べんたうで御坐ござるなどゝ贅澤ぜいたくを云いつて、滊車きしやの窓まどから投出なげだした事ことなどを懷想くわいさうして、つくづくと情なさけなくなつて來きた。然しかし此この日ひは、無論むろん空腹くうふくの儘まゝに暮くれて、夜よは夢ゆめの間まも、始終しじう食物しよくもつの事ことを夢ゆめみて居をるといふ次第しだい、翌日よくじつになると苦くるしさは又また一倍いちばい、少年せうねんと二人ふたりで色いろ青あをざめて、顏かほを見合みあはして居をるばかり、果はては艇舷ふなべりの材木ざいもくでも打碎うちくだいて、粉こにして飮のまんかとまで、馬鹿ばかな考かんがへも起おこつた程ほどで、遂つひに日ひは暮くれ、船底ふなぞこを枕まくらに横よこたはつたが、其その夜よは空腹くうふくの爲ために終夜しうや眠ねむる事ことが出來できなかつた。苦くるしき夜よは明あけて、太陽たいようはまたもや現あらはれて來きたが、私わたくしは最早もはや起直おきなをつて朝日あさひの光ひかりを拜はいする勇氣ゆうきも無ない、日出雄少年ひでをせうねんは先刻せんこくより半身はんしんを擡もたげて、海上かいじやうを眺ながめて居をつたが、此時このとき忽たちまち大聲たいせいに叫さけんだ。
『巨大おほきな魚さかなが! 巨大おほきな魚さかなが!』

    第十回 沙魚ふかの水葬すゐさう

天の賜――反對潮流――私は黒奴、少年は炭團屋の忰――おやや變な味になりました――またも斷食

 少年せうねんの聲こゑに飛起とびおき海上かいじやうを眺ながめた私わたくしは叫さけんだ。
『沙魚ふかの領海りようかい! 沙魚ふかの領海りようかい!』
沙魚ふかの領海りようかいとは隨分ずゐぶん奇妙きめうな名稱めいしやうだが、實際じつさい印度洋インドやう中ちうマルダイブ群島ぐんとうから數千里すせんり南方なんほうに當あたつて、斯かゝる塲所ばしよのあるといふ事ことは、甞かつて或ある地理書ちりしよで讀よんだ事ことがあるが、今いま、吾等われらの目撃もくげきしたのは確たしかにそれだ。小せうは四五尺しやくより大だいは二三丈じよう位ぐらいの數※すうまんの沙魚ふかが、群ぐんをなして我わが端艇たんていの周圍まわりに押寄おしよせて來きたのである。此この魚族ぎよぞくは、極きわめて性質せいしつの猛惡まうあくなもので、一時いちじに斯かく押寄おしよせて來きたのは、疑うたがひもなく、吾等われらを好よき餌物えものと認みとめたのであらう。私わたくしも其その群ぐんを見みて忽たちまち野心やしんが起おこつた。今いまかく空腹くうふくを感かんじて居をる塲合ばあひに、あの魚さかなを一尾び捕とらへたらどんなに嬉うれしからうと考かんがへたが、網あみも釣道具つりどうぐも無なき身みのたゞ心こゝろを焦いらだつばかりである。此時このとき不意ふいに、波間なみまから跳をどつて、艇中ていちうに飛込とびこんだ一尾いつぴきの小魚こざかな、日出雄少年ひでをせうねんは小猫こねこの如ごとく身みを飜ひるがへして、捕とつて押おさへた。『に、逃にがしては。』と私わたくしも周章あはてゝ、其その上うへに轉まろびかゝつた。此時このときの嬉うれしさ! 見みると一尺しやく位ぐらいの鰺あぢで、巨大きよだいなる魚群ぎよぐんに追おはれた爲ために、偶然ぐうぜんにも艇中ていちうに飛込とびこんだのである。天てんの賜たまものと私わたくしは急いそぎ取上とりあげた。實じつは、少年せうねんと共ともに、只たゞ一口ひとくちに、堪難たえがたき空腹くうふくを滿みたしたきは山々やままだが、待まてよ、今いま此この小ちいさい魚うをを、周章あはてゝ平たいらげたとて何なにになる、農夫のうふは如何いかに飢うゑても、一合いちごうの麥むぎを食くはずに地ちに播まいて一年いちねんの策はかりごとをする、私わたくしも此この小ちいさい魚うをを百倍ばいにも二百倍にひやくばいにもする工夫くふうの無ないでもない、よし此この小鰺こあぢで、あの巨大おほきな沙魚ふかを釣つつてやらうと考かんがへたので、少年せうねんに語かたると少年せうねんも大賛成だいさんせい、勿論もちろん釣道具つりどうぐは無ないが、幸さひわひにも艇中ていちうには端艇たんていを本船ほんせんに引揚ひきあげる時ときに使用しようする堅固けんごなる鐵鎖てつぐさりと、それに附屬ふぞくして鉤形つりばりがたの「Hook《フツク》」が殘のこつて居をつたので、それを外はづして、鉤フツクに只今たゞゐまの小鰺こあぢを貫つらぬいてやをら立上たちあがつた。天涯てんがい渺茫べうぼうたる絶海ぜつかいの魚族ぎよぞくは、漁夫ぎよふの影かげなどは見みた事こともないから、釣つれるとか釣つれぬとかの心配しんぱいは入いらぬ、けれど餘あまりに巨大きよだいなるは、端艇たんていを覆くつがへす懼おそれがあるので今いましも右舷うげん間近まぢかに泳およいで來きた三四尺しやくの沙魚ふか、『此奴こいつを。』と投込なげこむ餌えの浪なみに沈しづむか沈しづまぬに、私わたくしは『やツ。しまつた。』と絶叫ぜつけうしたよ。海中かいちうの魚族ぎよぞくにも、優勝劣敗ゆうしやうれつぱいの數すうは免まぬかれぬと見みへ、今いま小ちいさい沙魚ふかの泳およいで居をつた波なみの底そこには、驚おどろく可べき巨大きよだいの一尾びが居をりて、稻妻いなづまの如ごとく躰たいを跳をどらして、只たゞ一口くちに私わたくしの釣つりばりを呑のんでしまつたのだ。忽たちまち、潮うしほは泡立あわだち、波なみは逆卷さかまいて、其邊そのへん海嘯つなみの寄よせた樣やうな光景くわうけい、私わたくしは一生懸命いつせうけんめいに鐵鎖てつさを握にぎり詰つめて、此處こゝ千番せんばんに一番いちばんと氣きを揉もんだ。もとより斯かゝる巨魚きよぎよの暴あれ狂くるふ事こととてとても、引上ひきあげるどころの騷さわぎでない、※あやまてば端艇たんてい諸共もろとも海底かいていに引込ひきこまれんず有樣ありさま、けれど此時このとき此この鐵鎖くさりが如何どうして放はなたれやうぞ、沙魚ふかが勝かつか、私わたくしが負まけるか、釣つれると釣つれぬは生死せいしの分わかれ目め、日出雄少年ひでをせうねんは眼めをまんまるにして、此この凄すさまじき光景くわうけいを眺ながめて居をつたが、可憐かれんの姿すがたは後うしろから私わたくしを抱いだき『オヽ、危あぶない事こと! 危あぶない事こと!。』と叫さけぶ。
『なに、なに、大丈夫だいじようぶ! 大丈夫だいじようぶ!。』と私わたくしは眞赤まつかになつて仁王にわうの如ごとく屹立つゝたつた。兎角とかくする間まに今迄いまゝでは、其邊そのへんを縱横じゆうわうに暴廻あれまわつて居をつた沙魚ふかは、其その氣味惡きみわるき頭かしらを南方みなみのかたに向むけて、恰あだかも矢やを射ゐるやうに駛かけり出だした。端艇たんていも共ともに曳ひかれて、疾風しつぷうのやうに駛はしるのである。私わたくしはいよよ必死ひつしだ。
『さあ、斯かうなつたら逃にがす事ことでないぞ。』と最早もはや腹はらの空むなしい事ことも、命いのちの危險あぶないな事ことも、悉皆すつかり忘わすれてしまつた。兎角とかくして約およそ三時間じかんばかりは、狂くるひ走はしる沙魚ふかのために曳ひかれて、いつしか潮うしほの流ながれをも脱だつし、沙魚ふかの領海りようかいからはすでに十四五海里かいりも距へだたつたと思おもふ頃ころ、流石さすがに猛惡まうあくなる魚うをも遂つひに疲勞つかれ斃たをれて、其その眞白ましろなる腹部はらを逆さかさまに海面かいめんに泛うかんだ。ほつと一息ひといき、引上ひきあげて見みると、思おもつたより巨大おほきな魚うをで、殆ほとんど端艇たんていの二分にぶんの一いちを塞ふさいでしまつた。
『まあ、醜みにくい魚さかなです事こと。』と少年せうねんは氣味惡きみわる相さうに、其その堅固けんごなる魚頭かしらを叩たゝいて見みた。
『はゝゝゝゝ。酷ひどい目めに逢あつたよ。然しかしこれで當分たうぶん餓死うゑじにする氣遣きづかひはない。』と私わたくしは直たゞちに小刀ナイフを取出とりだした。勿論もちろん沙魚ふかといふ魚さかなは左程さほど美味びみなものではないが、此この塲合ばあひにはいくら喰くつても喰足くひたらぬ心地こゝち。『日出雄ひでをさん、餘あんまりやると胃ゐを損そんじますよ。』と氣遣きづかひ顏がほの私わたくしさへ、其その生臭なまくさい肉にくを口中こうちう充滿いつぱいに頬張ほうばつて居をつたのである。
此この大漁獲だいりようがあつたので、明日あすからは餓死うゑじにの心配しんぱいはないと思おもふと、人間にんげんは正直せうじきなもので、其その夜よの夢ゆめはいと安やすく、朝あさの寢醒ねざめも何時いつになく胸むね穩おだやかであつた。
其その翌日よくじつは、漂流へうりう以來いらいはじめて少すこし心こゝろが落付おちついて、例れいの雨水あめみづを飮のみ、沙魚ふかの肉にくに舌皷したつゞみ打うちつゝ、島影しまかげは無なきか、滊船きせんの煙けむりは見みへぬかと始終しじう氣きを配くばる、けれど此この日ひは何物なにものも眼まなこを遮さへぎるものとてはなく、其その翌日よくじつも、空むなしく蒼渺さうびやうたる大海原おほうなばらの表面ひやうめんを眺ながむるばかりで、たゞ我わが端艇たんていは沙魚ふかの爲ために前まへの潮流てうりうを引出ひきいだされ、今いまは却かへつて反對流はんたいりうとて、今度こんどは西南せいなんから東方とうほうに向むかひ、マルヂヴエ群島ぐんとうの邊へんから南方なんほうに向むかつて走はしるなる、一層いつそう流勢ながれの速はやい潮流てうりうに吸込すひこまれて居をると覺さとつた時とき、思おもはず驚愕おどろきの聲こゑを發はつした事ことと、甞かつて物ものの本ほんで讀よんだ夥おびたゞしき鯨くぢらの群むれを遙はるかの海上かいじやうに眺ながめた事ことの他ほかは、何なにの變かはつた事こともない。勿論もちろん、今いまの境涯きやうがいとて决けつして平和へいわな境涯きやうがいではないが、すでに腹はらに充分じゆうぶんの力ちからがあるので、※すぐる日ひよりは餘程よほど元氣げんきもよく、赫々かくくたる熱光ねつくわうの下した、日出雄少年ひでをせうねんは私わたくしの顏かほを見詰みつめて『おやや、叔父おぢさんは何時いつの間まにか、黒奴くろんぼになつてしまつてよ。』と自分じぶんの顏かほは自分じぶんには見みえず、昨日きのふの美少年びせうねんも、今いまは日ひに燒やけ、潮風しほかぜに吹ふかれて、恰あだかも炭團屋たどんやの長男ちやうなんのやうになつた事ことには氣きの付つかぬ無邪氣むじやきさ、只更ひたすら私わたくしの顏かほを指ゆびさし笑わらつたなど、苦くるしい間あひだにも隨分ずいぶん滑※こつけいな話はなしだ。其日そのひも暮くれ、翌日よくじつは來きたつたが矢張やはり水みづや空そらなる大洋たいやうの面おもてには、一點いつてんの島影しまかげもなく、滊船きせんの煙けむりも見みえぬのである。然しかるに茲こゝに一大いちだい事件じけんが起おこつた。それは他ほかでもない、吾等われらが生命せいめいの綱つなと頼たのむ沙魚ふかの肉にくがそろろ腐敗ふはいし始はじめた事ことである。最初さいしよから多少たせう此この心配しんぱいの無ないでもなかつたが、兎とに角かく、世よに珍めづらしき巨大きよだいの魚うをの、左樣さう容易よういに腐敗ふはいする事こともあるまいと油斷ゆだんして居をつたが、其その五日目いつかめの朝あさ、私わたくしはふとそれと氣付きづいた。然しかし今いまの塲合ばあひ何なにも言いはずに辛抱しんばうして喰くつたが、印度洋インドやうの炎熱えんねつが、始終しじう其上そのうへを燒やく樣やうに照てらして居をるのだから堪たまらない、其その晝食ちうしよくの時とき、一口ひとくち口くちにした無邪氣むじやきの少年せうねんは、忽たちまち其その肉にくを海上かいじやうに吐はき出だして、
『おやや、どうしたんでせう、此この魚さかなは變へんな味あぢになつてよ。』と叫さけんだのは、實じつに心細こゝろぼそい次第しだいであつた。
夕方ゆふがたになると、最早もはや畢世ひつせいの勇氣ゆうきを振ふるつても、とても口くちへ入いれる心こゝろは出でぬ。さりとて此この大事だいじな生命いのちの綱つなを、むささ海中かいちうに投棄なげすてるには忍しのびず、なるべく艇ていの隅すみの方ほうへ押遣おしやつて、またもや四五日にち前まへのあはれな有樣ありさまを繰返くりかへして一夜いちやを明あかしたが、翌朝よくあさになると、ほとと堪たえられぬ臭氣しゆうき、氣きも、魂たましひも、遠とうくなる程ほどで、最早もはや此この腐くさつた魚さかなとは一刻いつこくも同居どうきよし難がたく、無限むげんの恨うらみを飮のんで、少年せうねんと二人ふたりで、沙魚ふかの死骸しがいをば海底かいてい深ふかく葬ほうむつてしまつた。サア、これからは又々またた斷食だんじき、此この日ひも空むなしく暮くれて夜よに入いつたが、考かんがへると此後このゝち吾等われらは如何いかになる事ことやら、絶望ぜつぼうと躍氣やつきとに終夜しゆうや眠ねむらず、翌朝よくてうになつて、曉あかつきの風かぜはそよよと吹ふいて、東ひがしの空そらは白しらんで來きたが、最早もはや起上おきあがる勇氣ゆうきもない、『えい、無益だめだだ、糧食かては盡つき、滊船ふねは見みえず、今更いまさらたよる島しまも無ない。』と思おもはず叫さけんだが、不圖ふと傍かたわらに日出雄少年ひでをせうねんが安やすらかに眠ねむつて居をるのに心付こゝろつき、や、詰つまらぬ事ことをと、急いそぎ其方そなたを見みると少年せうねんは、今いまの聲こゑに驚おどろき目醒めざめ、むつと起おきて、半身はんしんを端艇たんていの外そとへ出だしたが、忽たちまち驚おどろき悦よろこびの聲こゑで
『島しまが! 島しまが! 叔父おぢさん、島しまが! 島しまが!。』
『島しまがツ。』と私わたくしも蹴鞠けまりのやうに跳起はねおきて見みると、此時このとき天てん全まつたく明あけて、朝霧あさぎり霽はれたる海うみの面おも、吾わが端艇たんていを去さる事こと三海里さんかいりばかりの、南方なんぽうに當あたつて、椰子やし、橄欖かんらんの葉はは青〻あほほと茂しげつて、磯いそ打うつ波なみは玉たまと散ちる邊へん、一個いつこの島しまが横よこたはつて居をつた。

    第十一回 無人島むじんたうの響ひゞき

人の住む島か、魔の棲む島か――あら、あの音は――奇麗な泉――ゴリラの襲來――水兵ヒラリと身を躱した――海軍士官の顏
 此この島しまは、遠とほくから望のぞむと、恰あだかも犢牛こうしの横よこたはつて居をる樣やうな形かたちで、其その面積めんせきも餘程よほど廣ひろい樣やうだ。弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつ以來いらい十數日間すうにちかんは、青あをい空そらと、青あをい波なみの外ほかは何なに一つも眺ながめた事ことのない吾等われらが、不意ふいに此この島しまを見出みいだした時ときの嬉うれしさ、翅つばさあらば飛とんでも行ゆきたき心地こゝち、けれど悲かなしや、心付こゝろつくと吾わが端艇たんていには帆ほもなく、櫂かいも無ない。近ちかい樣やうでも海上かいじやうの三里りは容易ようゐでない、無限むげんの大海原おほうなばらに漂たゞよつて居をつた間あひだこそ、島しまさへ見出みいだせば、直たゞちに助たすかる樣やうに考かんがへて居をつたが、仲々なかか左樣さうは行ゆかぬ。まごごして居ゐれば再ふたゝび何處どこへ押流おしながされてしまうかも分わからぬ。今いまは躊躇ちうちよしては居をられぬ塲合ばあひ、私わたくしは突如いきなり眞裸まつぱだかになつて海中かいちうへ跳込をどりこんだ、隨分ずいぶん覺束おぼつかない事ことだが、泳およぎながらに、端艇たんていをだんんと島しまの方ほうへ押おして行ゆかんとの考かんがへ、艇中ていちうからは日出雄少年ひでをせうねん、楓かへでのやうな手てで頻しきりに波なみを掻分かきわけて居をる、此樣こんな事ことで、舟ふねは動うごくか動うごかぬか、其その遲緩まぬるさ。けれど吾等われらの勞力らうりよくは遂つひに無益むえきとならで、漸やうやくの事ことで島しまに着ついたのは、かれこれ小半日こはんにちも※すぎてから後あとの事こと、僅わづか三里さんりの波なみの上うへを、六時間ろくじかん以上いじやうとは甚はなはだ遲おそい速力そくりよくではあるが、それでも私わたくしは死しぬ程ほど辛苦つらかつた。※すぐる十有餘日いうよにちの間あひだ、よく吾等われらの運命うんめいを守護しゆごして呉くれた端艇たんていをば、波打際なみうちぎわにとゞめて此この島しまに上陸じやうりくして見みると、今いまは五月ぐわつの中旬なかばすぎ、翠みどり滴したゝらんばかりなる樹木じもくは島しまの全面ぜんめんを蔽おほふて、遙はるか向むかふは、野のやら、山やまやら、眼界がんかいも屆とゞかぬ有樣ありさま。吾等われらの上陸じやうりくした邊へんは自然しぜんの儘まゝなる芝原しばゝら青々あをあをとして、其處此處そここゝに、名なも知しれぬ紅白こうはくさままの花はなが咲亂さきみだれて、南みなみの風かぜがそよよと吹ふくたびに、陸りくから海うみまでえならぬ香氣にほひを吹ふき送おくるなど、たゞさへ神仙しんせん遊樂ゆうらくの境きやう、特ことに私共わたくしどもは、極端きよくたんなる苦境くきやうから、此この極端きよくたんなる樂境らくきやうに上陸じやうりくした事こととて、初はじめは自みづから夢ゆめでないかと疑うたがはるゝばかり。さあ斯かうなると今迄いまゝで張詰はりつめて居をつた氣きも幾分いくぶんか緩ゆるんで來きて、疲勞つかれも飢うえも感かんじて來くる。斯程かほどの島しまだから、何なにか食物しよくもつの無ない事こともあるまいと四方よもを見渡みわたすと、果はたして二三町ちやう距へだゝつた小高こだかい丘をかの中腹なかばに、一帶いつたいの椰子やし、バナヽの林はやしがあつて、甘美うるはしき果實くわじつは枝えだも垂折しをれんばかりに成熟せいじゆくして居をる。二人ふたりは宙ちう飛とぶ如ごとく驅付かけつけて、喰くふた喰くはぬは言いふ丈だけ無益むえき、頓やがて腹はらも充分じゆうぶんになると、次つぎに起おこつて來きた問題もんだいは、一躰いつたい此この島しまは如何いかなる島しまだらう、見渡みわたす處ところ、隨分ずいぶん巨大きよだいな島しまの樣やうだが、世界輿地圖せかいよちづの表面ひやうめんに現あらはれて居をるものであらうか、矢張やはり印度洋インドやう中ちうの孤島ことうだらうか、それともズツト東方ひがしに偏へんして、ボル子オ群島ぐんとうの一つにでも屬ぞくして居をるのではあるまいか。氣※きかうの工合ぐあひや、草木さうもくの種類しゆるいなどで觀みると、亞弗利加アフリカの沿岸えんがんにも近ちかい樣やうな氣持きもちもする。然しかし此樣こんな事ことは如何いかに考かんがへたとて分わかる筈はづのものでない、それよりは此この島しまは元來ぐわんらい無人島むじんとうか、否いなかゞ一大いちだい問題もんだいだ、無人島むじんとうならばそれれ別べつに覺悟かくごする處ところもあるし、よし人ひとの住居すまひして居をる島しまにしても、懼おそる可べき野蠻人やばんじんの巣窟さうくつでゞもあればそれこそ一大事いちだいじ、早速さつそく遁出にげだす工夫くふうを廻めぐらさねばならぬ、それを知しるには兎とも角かくも此この島しまを一周いつしうして見みなければならぬと考かんがへたので、少年せうねんと手てを携たづさへてそろろと歩あゆみ出だした。島しまの一周いつしうといつて、此この島しまはどの位くらい廣ひろいものやら、また道中だうちうに如何いかなる危險きけんがあるかも分わからぬが、此處こゝに漠然ぼんやりとして居をつて、島しまの素性すじやうも分わからず氣味惡きみわるく一夜いちやを明あかすよりは勝ましだと考かんがへたので、之これより足あしの續つゞかん限かぎり日ひの暮くるゝ迄まで進すゝんで見みる積つもりだ。先まづ進行しんかうの方向ほうかうを定さだめねばと、吾等われらは林はやしの間あひだを※すぎて丘をかの絶頂いたゞきに登のぼつた。眺望てうぼうすると、北きたの一方いつぽうは吾等われらが渡わたつて來きた大洋たいやうで、水天髣髴すいてんほうふつとして其その盡つくる所ところを知しらず、眼下がんかに瞰みおろす海岸かいがんには、今いま乘捨のりすてゝ來きた端艇たんていがゆらりりと波なみに揉もまれて、何時いつの間まに集あつまつて來きたか、海鳥かいてうの一簇ひとむれが物珍ものめづらし相さうに其その周圍めぐりを飛廻とびまわつて居をる。東ひがしと西にしと南みなみの三方さんぽうは此この島しまの全面ぜんめんで、見渡みわたす限かぎり青々あををとした森もりつゞき、處々ところろに山やまもある、谷たにも見みえる、また逈はるかかの先方むかうに銀色ぎんしよくの一帶いつたいの隱見いんけんして居をるのは、其邊そのへんに一流いちりうの河かはのある事ことが分わかる。
私わたくしは此この光景くわうけいを見みて實じつに失望しつばうした、見渡みわたした所ところ此この島しまの模樣もやうは疑うたがひもなき無人島むじんとう! かく全島ぜんたうが山やまと、森もりと、谷たにとで蔽おほはれて居をつては、今更いまさら何處どこへと方向ほうがくを定さだめる事ことも出來できぬのである、之これからあんな深山幽谷しんざんいうこくに進入しんにふするのは、却かへつて危險きけんを招まねくやうなものだから、島しまの探險たんけんは一先ひとまづ中止ちうしして、兎とも角かくも再ふたゝび海岸かいがんに皈かへらんと踵きびすを廻めぐらす途端とたん、日出雄少年ひでをせうねんは急きふに歩あゆみを停とゞめて『あら、あの音おとは?。』と眼めを睜みはつた。
『音おと?。』と私わたくしも思おもはず立止たちどまつて耳みゝを濟すますと、風かぜが傳もて來くる一種いつしゆの響ひゞき。全まつたく無人島むじんたうと思おもひきや、何處いづくともなく、トン、トン、カン、カン、と恰あだかも谷たにの底そこの底そこで、鐵てつと鐵てつとが戞合かちあつて居をるやうな響ひゞき。
『鐵槌てつついの音おと!。』と私わたくしは小首こくびを傾かたむけた。此樣こんな孤島はなれしまに鍛冶屋かぢやなどのあらう筈はづはない、一時いちじは心こゝろの迷まよひかと思おもつたが、决けつして心こゝろの迷まよひではなく、寂莫じやくばくたる空そらにひゞひて、トン、カン、トン、カンと物凄ものすごい最早もはや疑うたがはれぬ。けれど私わたくしは心付こゝろつくと、響ひゞきの源みなもとは决けつして近ちかい所ところではなく、四邊あたりがシーンとして居をるので斯かく鮮あざやかに聽きこえるものゝ、少すくなくも三四哩マイルの距離へだゝりは有あるだらう、何なには兎かもあれ斯かゝる物音ものおとの聽きこゆる以上いじやうは、其處そこに何者なにものかゞ居をるに相違さうゐない、人ひとか、魔性ましやうか、其樣そんな事ことは考かんがへて居をられぬ、兎とに角かく探險たんけんと覺悟かくごしたので、そろろと丘をかを下くだつた。丘をかを下くだつて耳みゝを澄すますと、響ひゞきは何なんでも、島しまの西南せいなんに當あたつて一個ひとつの巨大おほきな岬みさきがある、其その岬みさきを越こえての彼方かなたらしい。
いよよ探險たんけんとは决心けつしんしたものゝ、實じつは薄うす氣味惡きみわるい事ことで、一體いつたい物音ものおとの主ぬしも分わからず、また行ゆく道みちにはどんな災難さいなんが生しやうずるかも分わからぬので、私わたくしは萬一まんいちの塲合ばあひを慮おもんぱかつて、例れいの端艇たんていをば波打際なみうちぎわにシカと繋止つなぎとめ、何時いつ危險きけんに遭遇さうぐうして遁にげて來きても、一見いつけんして其その所在しよざいが分わかるやうに、其處そこには私わたくしの白しろシヤツを裂さいて目標めじるしを立たて、勢いきほひを込こめて少年せうねんと共ともに發足ほつそくした。海岸かいがんに沿そふて行ゆく事こと七八町ちやう、岩層がんそうの小高こだかい丘をかがある、其その丘をかを越こゆると、今迄いまゝで見みえた海うみの景色けしきも全まつたく見みえずなつて、波なみの音おとも次第しだい>に遠とうくく。
此時このとき少年せうねんは餘程よほど疲勞つかれて見みえるので、私わたくしは肩車かたぐるまに乘のせて進すゝんだ。誰だれでも左樣さうだが、餘あまりにシーンとした處ところでは、自分じぶんの足音あしおとさへ物凄ものすごい程ほどで、とても談話はなしなどの出來できるものでない。斯かゝる島しまの事こととて、路みちなどのあらう筈はづはなく、熊笹くまざゝの間あひだを掻分かきわけたり、幾百千年いくひやくせんねん來らい積つもり積つもつて、恰あだかも小山こやまのやうになつて居をる落葉おちばの上うへを踏ふんだり、また南半球みなみはんきゆうに特有とくいうの黄乳樹わうにうじゆとて、稍こずえにのみ一團いちだんの葉はがあつて、幹みきは丁度ちやうど天幕てんまくの柱はしらのやうに、數百間すうひやくけん四方しほう規則正きそくたゞしく並ならんで居をる奇妙きめうな林はやしの下したを窬くゞつたりして、道みちの一里半いちりはんも歩あゆんだと思おもふ頃ころ、一個いつこの泉いづみの傍そばへ來きた。清きよらかな水みづが滾々こんんと泉いづみ流ながれて、其邊そのへんの草木くさきの色いろさへ一段いちだんと麗うるはしい、此處こゝで一休憩ひとやすみと腰こしをおろしたのは、かれこれ午後ごゝの五時じ近ちかく、不思議ふしぎなる響ひゞきは漸やうやく近ちかくなつた。日出雄少年ひでをせうねんは、其その泉いづみの流ながれに美麗びれいなる小魚こざかなを見出みいだしたとて、魚うをを追おふに餘念よねんなき間あひだ、私わたくしは唯とある大樹たいじゆの蔭かげに横よこたはつたが、いつか睡魔すいまに襲おそはれて、夢ゆめとなく現うつゝとなく、いろろの想おもひに包つゝまれて居をる時とき、不意ふいに少年せうねんは私わたくしの膝ひざに飛皈とびかへつた。『大變たいへんよよ、叔父おぢさん、猛獸まうじうがが。』と私わたくしの肩かたに手てを掛かけて搖ゆり醒さます。
『猛獸まうじうがツ。』と私わたくしは夢ゆめから飛起とびをきた。
少年せうねんの指ゆびさす方かたを眺ながめると如何いかにも大變たいへん! 先刻せんこく吾等われらの通※つうくわして來きた黄乳樹わうにうじゆの林はやしの中あひだより、一頭いつとうの猛獸まうじうが勢いきほい鋭するどく現あらはれて來きたのである。
『猛狒ゴリラ!。』と私わたくしの身みの毛けは一時いちじに彌立よだつたよ。
世よに獅子しゝが猛烈まうれつだの、狼おほかみが兇惡きようあくだのといつて、此この猛狒ゴリラほど恐おそろしい動物どうぶつはまたとあるまい、動物園どうぶつゑんの鐵てつの檻おりの中なかに居をる姿すがたでも、一見いつけんして戰慄せんりつする程ほどの兇相あくさう、それが此この深林しんりんの中なかで襲來しふらいしたのだから堪たまらない。私わたくしはハツト思おもつて一時いちじは遁出にげださうとしたが、今更いまさら遁にげたとて何なんの甲斐かひがあらう、もう絶體絶命ぜつたいぜつめいと覺悟かくごした時とき、猛狒ゴリラはすでに目前もくぜんに切迫せつぱくした。身長みのたけ七尺しやくに近ちかく、灰色はいいろの毛けは針はりの如ごとく逆立さかだち、鋭するどき爪つめを現あらはして、スツと屹立つゝたつた有樣ありさまは、幾百十年いくひやくじふねんの星霜せいさうを此この深林しんりんに棲暮すみくらしたものやら分わからぬ。猛惡まうあくなる猴さるの本性ほんしやうとして、容易ようゐに手てを出ださない、恰あだかも嘲あざける如ごとく、怒いかるが如ごとく、其その黄色きいろい齒はを現あらはして、一聲いつせい高たかく唸うなつた時ときは、覺悟かくごの前まへとはいひ乍ながら、私わたくしは頭あたまから冷水ひやみづを浴あびた樣やうに戰慄せんりつした、けれど今更いまさらどうなるものか。私わたくしは日出雄少年ひでをせうねんを背部うしろに庇護かばつて、キツと猛狒ゴリラの瞳孔ひとみを睨にらんだ。すべて如何いかなる惡獸あくじゆうでも、人間にんげんの眼光がんくわうが鋭するどく其その面めんに注そゝがれて居をる間あひだは、决けつして危害きがいを加くわへるものでない、其その眼めの光ひかりが次第々々しだいいに衰おとろへて、頓やがて茫乎ぼんやりとした虚すきを窺うかゞつて、只たゞ一息ひといきに飛掛とびかゝるのが常つねだから、私わたくしは今いま喰殺くひころされるのは覺悟かくごの前まへだが、どうせ死しぬなら徒たゞは死しなぬぞ、斯かく睨合にらみあつて居をる間あひだに、先方せんぱうに卯うの毛けの虚すきでもあつたなら、機先きせんに此方こなたから飛掛とびかゝつて、多少たせうの痛いたさは見みせて呉くれんと考かんがへたので、眼まなこを放はなたず睥睨へいげいして居をる、猛狒ゴリラも益々ますす猛たけく此方こなたを窺うかゞつて居をる、此この九死一生きうしいつしやうの分わかれ目め、不意ふいに、實じつに不意ふいに、何處どこともなく一發いつぱつの銃聲じうせい。つゞいて又また一發いつぱつ、猛狒ゴリラは思おもひがけなき二發にはつの彈丸だんぐわんに射ゐられて、蹴鞠けまりのやうに跳上をどりあがつた。吾等われらも喫驚びつくりして其方そなたを振向ふりむくと、此時このとき、吾等われらの立たてる處ところより、大約およそ二百ヤード許ばかり離はなれた森もりの中なかから、突然とつぜん現あらはれて來きた二個ふたりの人ひとがある。
『や、や、日本人につぽんじん! 日本人につぽんじん!。」と少年せうねんも私わたくしも驚愕おどろきと喜悦よろこびに絶叫ぜつけうしたよ。
實じつに夢ゆめではあるまいか。現あらはれ來きたつた二個ふたりの人ひとは紛まぎらふ方かたなき日本人につぽんじんで、一人ひとりは色いろの黒々くろろとした筋骨きんこつの逞たくましい水兵すいへいの姿すがた、腰こしに大刀だいたうを横よこたへたるが、キツと此方こなたを眺ながめた、他たの一人いちにんは、威風ゐふう凛々りんんたる帝國海軍士官ていこくかいぐんしくわんの服裝ふくさう、二連銃にれんじうの銃身じうしんを握にぎつて水兵すいへいを顧見かへりみると、水兵すいへいは勢いきほひ鋭するどく五六歩ぽ此方こなたへ走はしり近ちかづく、此時このとき二發にはつの彈丸だんぐわんを喰くらつた猛狒ゴリラは吾等われらを打捨うちすてゝ、奔馬ほんばの如ごとく馳はせ向むかひ、一聲いつせい叫さけぶよと見みる間まに、電光でんくわうの如ごとく水兵すいへいの頭上づじやう目掛めがけて飛掛とびかゝつた。水兵すいへいヒラリと身みを躱かはすよと見みる間まに、腰こしの大刀だいたうは※手ぬくても見みせず、猛狒ゴリラの肩先かたさきに斬込きりこんだ。猛狒ゴリラ怒いかつて刀身たうしんを双手もろてに握にぎると、水兵すいへいは焦いらだつて其その胸先むなさきを蹴上けあげる、此この大奮鬪だいふんとうの最中さいちう沈着ちんちやくなる海軍士官かいぐんしくわんは靜しづかに進すゝみ寄よつて、二連銃にれんじうの筒先つゝさきは猛狒ゴリラの心臟しんぞうを狙ねらふよと見みえしが、忽たちまち聽きこゆる一發いつぱつの銃聲じうせい。七尺しやく有餘いうよの猛狒ゴリラは苦鳴くめいをあげ、鮮血せんけつを吐はいて地上ちじやうに斃たをれた。私わたくしと少年せうねんとは夢ゆめに夢見ゆめみる心地こゝち。韋駄天いだてんの如ごとく其その傍かたはらに走はしり寄よつた時とき、水兵すいへいは猛獸まうじうに跨またがつて止とゞめの一刀いつたう、海軍士官かいぐんしくわんは悠然いうぜんとして此方こなたに向むかつた。私わたくしは餘あまりの嬉うれしさに言げんもなく、其人そのひとの顏かほを瞻ながめたが、忽たちまち電氣でんきに打うたれたかの如ごとく愕おどろき叫さけんだよ。『やあ、貴方あなたは櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ⁉。』
大佐たいさも愕然がくぜんとして私わたくしの顏かほを見詰みつめたが
『や、貴下あなたは――。』と言いつた儘まゝ、暫時しばし言葉ことばもなかつたのである。
櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ! 々々々。此人このひとの名なは讀者どくしや諸君しよくんの御記臆ごきおくに存そんして居をるか否いなか。私わたくしが子ープルス港かうを出港しゆつかうのみぎり、圖はからずも注意ちうゐを引ひいた反古はご新聞しんぶんの不思議ふしぎなる記事きじ中ちゆうの主人公しゆじんこうで、既すでに一年半いちねんはん以前いぜんに或ある秘密ひみつを抱いだいて、部下ぶか卅七名めいの水兵等すいへいらと一夜いちや奇怪きくわいなる帆走船ほまへせんに乘じやうじて、本國ほんごく日本につぽんを立去たちさつた人ひと、其人そのひとに今いまや斯かかる孤島はなれじまの上うへにて會合くわいごうするとは、意外いぐわいも、意外いぐわいも、私わたくしは暫時しばし五里霧中ごりむちうに彷徨はうくわうしたのである。

    第十二回 海軍かいぐんの家いへ

南方の無人島――快活な武村兵曹――おぼろな想像――前は絶海の波、後は椰子の林――何處ともなく立去つた

 櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは暫時しばらくして口くちを開ひらいた。
『實じつに意外ゐぐわいです、君きみが此樣こんな絶島ぜつとうへ――。』といひつゝ、染々しみみと吾等われら兩人りようにんの姿すがたを打瞻うちながめ
『此處こゝは印度洋インドやうもズツト南方なんぽうに偏へんした無人島むじんとうで、一番いちばんに近ちかいマダカツスル群島ぐんたうへも一千哩いつせんマイル以上いじやう、亞細亞大陸アジアたいりくや、歐羅巴洲エウロツパしうまでは、幾千幾百哩いくせんいくひやくマイルあるか分わからぬ程ほどで、到底とても尋常じんじやうでは人ひとの來くるべき島しまではありませんが。』といと審いぶかし氣げなる顏かほ。『イヤ、全まつたく意外ゐぐわいです。』と私わたくしは進寄すゝみよつた。斯かゝる塲合ばあひだから、勿論もちろん委くわしい事ことは語かたらぬが、船ふねの沈沒ちんぼつから此この島しまへ漂着へうちやくまでの大略あらましを告つげると、大佐たいさも始はじめて合點がつてんの色いろ、
『其樣そんな事ことだらうとは想おもひました、實じつに酷ひどい目めにお逢あひになりましたな。』と、今いましも射殺ゐたをしたる猛狒ゴリラの死骸しがいに眼まなこを注そゝいで
『實じつは先刻せんこく急きふに思おもひ立たつて、此この兵曹へいそうと共ともに遊獵いうれうに出でたのが、天幸てんこうにも君等きみらをお助たすけ申まうす事ことになつたのです。』と言いひながら、大空おほぞらを仰あほぎ見みて。
『いろろ委くわしい事ことを承うけたまはりたいが、最早もはや暮くるゝにも近ちかく、此邊このへんは猛獸まうじうの巣窟さうくつともいふ可べき處ところですから、一先ひとまづ我わが住家すみかへ。』と銃じうの筒つゝを擡もたげた。私わたくしは話はなしの序つひでに、日出雄少年ひでをせうねんの事ことをば一寸ちよつと語かたつたので、大佐たいさは凛りんたる眼まなこを少年せうねんの面おもてに轉てんじ
『おゝ、可愛かあいらしい兒こですな。』と親切しんせつに其その頭かしらを撫なでつゝ、吾等われらの傍かたわらに勇いさましき面おもてして立たてる水兵すいへいを顧かへりみ
『これ、武村兵曹たけむらへいそう、此この少年せうねんを撫恤いたわつてあげい。』
言下げんかに武村たけむらと呼よばれたる兵曹へいそうは、つと進寄すゝみより威勢ゐせいよく少年せうねんを抱上いだきあげて『ほー、可愛かあいらしい少年せうねんだ、サア私わたくしの頭あたまへ乘のつたた。』と肩車かたぐるまに乘のせて、ズンンと前さきへ走はしり出だした。
櫻木海軍大佐等さくらぎかいぐんたいさらの住すまへる家いへまでは、此處こゝから一哩いちマイル程ほどある相さうだ。此時このときふと心こゝろに思おもつたのは、先刻せんこくから鐵てつの響ひゞきの發はつする處ところは其處そこではあるまいか、行ゆく道中みちち、大佐たいさはさままの事ことを私わたくしに問とひかけた。けれど、私わたくしは大佐たいさの今いまの境遇きやうぐうに就ついては、一言いちげんも問とひを發はつしなかつた。差當さしあたつて尋たづねる必要ひつようも無なく、また容易ようゐならざる大佐たいさの秘密ひみつをば、輕率けいそつに問とひかけるのは、却かへつて禮れいを失しつすると思おもつたからで。然しかし先夜せんやの反古はご新聞しんぶんの記事きじから推及すいきふして、大佐たいさが今いま現げんに浮世うきよの外そとなる此この孤島はなれじまに在ある事こと、また今いまも聽きこゆる鐵てつの響ひゞきなどから考かんがへ合あはせると朧おぼろながらもそれと思おもひ當あたる節ふしの無ないでもない。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは今いまや此この島たう中ちゆうに身みを潜ひそめて兼かねて企くわだつるといふ、軍事上ぐんじじやうの大發明だいはつめいに着手ちやくしゆして居をるのではあるまいか。讀者どくしや諸君しよくんも恐おそらく此邊このへんの想像さうぞうは付つくだらう。
猛狒ゴリラと大奮鬪だいふんとうの塲所ばしよから凡およそ七八町ちやうも歩あゆんだと思おもふ頃ころ、再ふたゝび海うみの見みえる所ところへ出でた。それから、丘陵をか二つ越こえ、一筋ひとすぢの清流ながれを渡わたり、薄暗うすくらい大深林だいしんりんの間あひだを※すぎ、終つひに眼界がんかいの開ひらくる所ところ、大佐たいさの家いへを眺ながめた。大佐たいさの家いへは、海面かいめんより數百尺すひやくしやく高たかき斷崖だんがいの上うへに建たてられ、前まへは果はてしなき印度洋インドやうに面めんし、後うしろは美麗びれいなる椰子やしの林はやしに蔽おほはれて居をる。勿論もちろん、此樣こんな絶島ぜつたうの事ことだから、决けつして立派りつぱな建築たてものではない、けれど可かなり巨大おほきな板家いたやで、門もんには海軍かいぐんの家いへと筆太ふでぶとに記しるされ、長ながき、不恰好ぶかくかうな室へやが何個いくつも並ならんで見みへるのは、部下ぶか卅七名めいの水兵等すいへいらと同居どうきよの爲ためだらう。二階にかいに稍やや體裁ていさいよき三個みつつの室へや、其その一室ひとまの窓まどに、白しろい窓掛まどかけが風かぜに搖ゆるいで居をる所ところは、確たしかに大佐たいさの居間ゐまと思おもはるゝ。
吾等われらが其その家いへに近ちかづいた時とき、日出雄少年ひでをせうねんを肩かたにした武村兵曹たけむらへいそうは一散いつさんに走はしつて行いつて、快活くわいくわつな聲こえで叫さけんだ。
『サア、皆みなの水兵ものども出でたた、大佐閣下たいさかくかのお皈かへりだよ、それに、珍めづらしい賓人おきやくさんと、可愛かあいらしい少年せうねんとが御坐ござつた、早はやく出でて御挨拶ごあいさつ申まうせせ。』
聲こえに應おうじて、家いへに殘のこつて居をつた一團いちだんの水兵すいへいは一同みな部室へやから飛とんで出でた。いづれも鬼神きじんを挫ひしがんばかりなる逞たくましき男をとこが、家いへの前面ぜんめんに一列いちれつに並ならんで、恭うやうやしく敬禮けいれいを施ほどこした。武村兵曹たけむらへいそうは彼等かれらの仲間なかまでも羽振はぶりよき男をとこ、何なにか一言ひとこと二言ふたこといふと、勇いさましき水兵すいへいの一團いちだんは、等ひとしく帽ぼうを高たかく飛とばして、萬歳ばんざいを叫さけんだ、彼等かれらは其その敬愛けいあいする櫻木大佐さくらぎたいさの知己ちきたる吾等われらが、無事ぶじに此この島しまに上陸じやうりくしたる事ことを祝しゆくして呉くれるのであらう。大佐たいさは此樣このさまを見みて微笑びせうを泛うかべた。『實じつに感謝かんしやに堪たえません。』と私わたくしは不測そゞろに憘涙うれしなみだの流ながるゝを禁きんじ得えなかつた。無邪氣むじやきなる日出雄少年ひでをせうねんは眼めをまんまるにして、武村兵曹たけむらへいそうの肩上かたで躍をどると。快活くわいくわつなる水兵すいへいの一群いちぐんは其その周圍まわりを取卷とりまいて、『やあ、可愛かあひらしい少年せうねんだ、乃公おれにも借かせせ。』と立騷たちさわぐ、櫻木大佐さくらぎたいさは右手めてを擧あげて
『これ、水兵すいへい、少年せうねんは痛ひどく疲勞つかれて居をる、あまり騷さわいではいかぬ』と打笑うちえみつゝ
『それより急いそぎ新客しんきやくの部室へやの仕度したくをせよ、部室へやは二階にかいの第二號室だいにがうしつ――余よの讀書室どくしよしつを片付かたづけて――。』と。
斯かく命めいじ終をはつた大佐たいさは、武村兵曹たけむらへいそうの肩かたから日出雄少年ひでをせうねんを抱いだき寄よせ、私わたくしに向むかつて
『一先ひとまづ私わたくしの部室へやへ。』と前さきに立たつた。
導みちびかるゝまゝに入込いりこんだのは、階上にかいの南端なんたんの一室ひとまで、十疊じやう位ぐらいの部室へや、中央ちうわうの床ゆかには圓形えんけいのテーブルが据すへられ、卓上たくじやうには、地球儀ちきゆうぎや磁石じしやくの類るゐが配置はいちされ、四邊あたりの壁間かべには隙間すきまも無なく列國れつこく地圖ちづの懸かけられてあるなど、流石さすがに海軍士官かいぐんしくわんの居室ゐまと見受みうけられた。
大佐たいさの好遇かうぐうにて、此處こゝで、吾等われらは水兵等すいへいらが運はこんで來きた珈琲カフヒーに咽のどを霑うるほうし、漂流へうりう以來いらい大おほいに渇望かつぼうして居をつた葉卷煙葉はまきたばこも充分じゆうぶんに喫すひ、また料理方れうりかたの水兵すいへいの手製てせいの由よしで、極きはめて形かたちは不細工ぶさいくではあるが、非常ひじやうに甘味うまい菓子くわしに舌皷したつゞみ打うちつゝ、稍やや十五分ふんも※すぎたと思おもふ頃ころ、時計とけいは午後ごごの六時ろくじを報ほうじて、日永ひながの五月ぐわつの空そらも、夕陽ゆふひ西山せいざんに舂うすつくやうになつた。此時このとき大佐たいさは徐しづかに立上たちあがり、私わたくしに向むかひ
『吾等われらは之これより一定いつていの職務しよくむがあるので、暫時しばらく失敬しつけい、君等きみらは後のちに靜しづかに休息きうそくし玉たまへ、私わたくしは八時じ※すぎ再ふたゝび皈かへつて來きて、晩餐ばんさんをば共ともに致いたしませう。』と言いひ殘のこして何處いづくともなく立去たちさつた。
後あとへ例れいの快活くわいくわつなる武村兵曹たけむらへいそうがやつて來きて、武骨ぶこつなる姿すがたに似にず親切しんせつに、吾等われらの海水かいすいに染しみ、天日てんぴに焦こがされて、ぼろろになつた衣服ゐふくの取更とりかへやら、洗湯せんたうの世話せわやら、日出雄少年ひでをせうねんの爲ためには、特ことに小形こがたの「フランネル」の水兵服すいへいふくを、裁縫係さいほうがゝりの水兵すいへいに命めいずるやら、いろろ取計とりはからつて呉くれる、其間そのまに、大佐たいさより命令めいれいのあつた吾等われらの居室ゐまの準備じゆんびも出來できたので、其處そこに導みちびかれ、久々ひささにて寢臺ねだいの上うへへ横よこたはつた。はじめの間あひだは日出雄少年ひでをせうねんも私わたくしも互たがひに顏かほを見合みあはせては此この不思議ふしぎなる幸運かううんをよろこび、大佐等たいさらの懇切こんせつなる待遇もてなしを感謝かんしやしつゝ、いろろと物語ものがたつて居をつたが、何時いつか十數日すうにち以來いらいの烈はげしき疲勞つかれの爲ために、知しらずず深ふかき夢ゆめに落おちた。

    第十三回 星影ほしかげがちらら

歡迎ウエルカム――春枝夫人は屹度死にません――此新八が先鋒ぢや――浪の江丸の沈沒――此島もなかか面白いよ――三年の後

 それから幾時間いくじかん眠ねむつたか知しらぬが、不意ふゐに私わたくしの枕邊まくらもとで『サア、賓客おきやくさん、もう暗くらくなりましたぜ、大佐閣下たいさかくかもひどくお待兼まちかねで、それに、夕食ゆふしよくの御馳走ごちさうも悉皆すつかり出來できて、料理方れうりかたの浪三なみざうめが、鳥とりの丸燒まるやきが黒焦くろこげになるつて、眼玉めだまを白黒しろくろにして居ゐますぜ。』と大聲おほごゑに搖醒ゆりさますものがあるので、愕おどろいて目めを醒さますと、此時このとき日ひは全まつたく暮くれて、部室へやの玻璃窓がらすまどを透たうして、眺ながむる海うみの面おもには、麗うるはしき星影ほしかげがチラ々々と映うつつて居をつた。
私わたくしを呼醒よびさましたのは快活くわいくわつなる武村兵曹たけむらへいそうであつた。其その右手めてに縋すがつて、可憐かれんなる日出雄少年ひでをせうねんはニココしながら
『叔父おぢさん、私わたくしはもう顏かほを洗あらつて來きましてよ。』と、睡醒ねざめに澁しぶる私わたくしの顏かほを仰あほいだ。オヤヤ、少年せうねんにまで寢太郎ねたらうと見みられたかと、私わたくしは急いそぎ清水しみづに顏かほを淨きよめ、兵曹へいそうの案内あんないに從したがつて用意ようゐの一室ひとまへ來きて見みると、食卓しよくたくの一端いつたんには、櫻木大佐さくらぎたいさは二三の重立おもだつた水兵すいへいを相手あひてに、談話はなしに耽ふけつて居をつたが、吾等われらの姿すがたを見みるより、笑えみを此方こなたに向むけ
『武村たけむらが、とうう御安眠ごあんみんを妨害ぼうがいしましたね。』と、水兵すいへいに命めいじて二個にこの倚子ゐすを近寄ちかよせた。
食卓テーブルの對端むかふには、武村兵曹たけむらへいそう他ほか三名さんめいの水兵すいへいが行儀ぎようぎよく列ならび、此方こなたには、日出雄少年ひでをせうねんを中なかに挿はさんで、大佐たいさと私わたくしとが右みぎと左ひだりに肩かたを並ならべて、頓やがて晩餐ばんさんは始はじまつた。洋燈らんぷの光ひかりは煌々くわううと輝かゞやいて、何時いつの間まにか、武骨ぶこつなる水兵等すいへいらが、優やさしい心こゝろで飾立かざりたてた挿花さしばなや、壁間かべに『歡迎ウエルカム』と巧妙たくみに作つくられた橄欖かんらんの緑みどりの葉はなどを、美うつくしく照てらして居をる。かゝる孤島はなれじまの事ことだから、御馳走ごちさうは無ないがと大佐たいさの言譯いひわけだが、それでも、料理方れうりかたの水兵すいへいが大奮發だいふんぱつの由よしで、海鼈すつぽんの卵子たまごの蒸燒むしやきや、牡蠣かきの鹽煑しほにや、俗名ぞくめう「イワガモ」とかいふ此この島しまに澤山たくさん居をる鴨かもに似にて、一層いつそう味あぢの輕かろい鳥とりの丸燒まるやきなどはなかかの御馳走ごちさうで、今いまの私わたくしの身みには、世界せかい第一だいいちのホテルで、世界せかい第一だいいちの珍味ちんみを供きようせられたよりも百倍ひやくばいも憘うれしく感かんじた。晩餐後ばんさんご、喫茶きつちやがはじまると、櫻木大佐さくらぎたいさをはじめ同席どうせきの水兵等すいへいらは、ひとしく口くちを揃そろへて『御身おんみが此この島しまへ漂着へうちやくの次第しだいを悉くわしく物語ものがたり玉たまへ。』といふので、私わたくしは珈琲カフヒーを一口ひとくち飮のんで、徐おもむろに語かたり出だした。先まづ、私わたくしが世界せかい漫遊まんゆうの目的もくてきで、横濱よこはまの港みなとを出港ふなでした事ことから、はじめ米國ベイこくに渡わたり、それより歐羅巴エウロツパ諸國しよこくを遍歴へんれきした次第しだい。伊太利イタリーの國くに子ープルス港かうで、圖はからずも昔むかしの學友がくいう、今いまは海外かいぐわい貿易商會ぼうえきしやうくわいの主人しゆじんとして、巨萬きよまんの富とみを重かさねて居をる濱島武文はまじまたけぶみに邂逅めぐりあひ、其處そこで、彼かれが妻つまなる春枝夫人はるえふじんと其その愛兒あいじ日出雄少年ひでをせうねんとに對面たいめんなし、不思議ふしぎなる縁えにしにつながれて、三人みたりは日本につぽんへ皈かへらんと、弦月丸げんげつまるに同船どうせんした事こと、出帆しゆつぱん前まへ、亞尼アンニーといへる御幣擔ごへいかつぎの伊太利イタリーの老女らうぢよが、船ふねの出帆しゆつぱんが魔まの日ひ魔まの刻こくに當あたるとて、切せつに其その夜よの出發しゆつぱつを止とめた事こと。怪あやしの船ふねの双眼鏡さうがんきやう一件いつけん、印度洋上インドやうじやうの大遭難だいさうなんの始末しまつ、其時そのとき春枝夫人はるえふじんの殊勝けなげなる振舞ふるまひ、さては吾等われら三人みたりが同時どうじに、弦月丸げんげつまるの甲板かんぱんから海中かいちうに飛込とびこんだのに拘かゝはらず、春枝夫人はるえふじんのみは行方ゆくかた知しれずなつた事こと、それより漂流中へうりうちういろろの艱難かんなんを經へて、漸やうやく此この島しまへ漂着へうちやくした迄までの有樣ありさまを脱漏おちもなく語かたると、聽きく人ひと、或あるひは驚おどろき、或あるひは嘆たんじ、武村兵曹たけむらへいそうは木像もくぞうのやうになつて、眼めを巨大おほきくして、息いきをも吐つかず聽きいて居をる、其他そのたの水兵すいへいも同おなじ有樣ありさま。語かたり終をはつた時とき、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは靜しづかに顏かほを上あげた。
『實じつに、君きみの經歴けいれきは小説せうせつのやうです。』と言いつた儘まゝ、暫時しばし私わたくしの顏かほを瞻ながめて居をつたが、物語ものがたりの中うちでも、春枝夫人はるえふじんの殊勝けなげなる振舞ふるまひには、少すくなからず心こゝろを動うごかした樣子やうす。特ことに櫻木大佐さくらぎたいさは、春枝夫人はるえふじんの令兄れいけいなる松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさとは、兄弟きやうだいも及およばぬ親密しんみつなる間柄あひだがらで、大佐たいさがまだ日本につぽんに居をつた頃ころは始終しじう徃來わうらいして、其頃そのころ、乙女おとめであつた春枝孃はるえじやうとは、幾度いくたびも顏かほを合あはした事こともある相さうで、今いま其その美うるはしく殊勝けなげなる夫人ふじんが、印度洋インドやうの波間なみまに見みえずなつたと聞きいては、他事ひとごとと思おもはれぬと、そゞろに哀あわれを催もようしたる大佐たいさは、暫時しばらくして口くちを開ひらいた。
『けれど、私わたくしは常つねに確信かくしんして居ゐます、天てんには一種いつしゆの不思議ふしぎなる力ちからがあつて、身みも心こゝろも美うつくしき人ひとは、屡々しばば九死きゆうしの塲合ばあひに瀕ひんしても、意外いぐわいの救助すくひを得うる事ことのあるものです。』と言いひながら今いましも懷なつかしき母君はゝぎみの噂うわさの出いでたるに、逝ゐにし夜よの事ことども懷おもひ起おこして、愁然しゆうぜんたる日出雄少年ひでをせうねんの頭髮かしらを撫なでつゝ
『私わたくしはどうも春枝夫人はるえふじんは、其後そのゝち無事ぶじに救すくはれた樣やうに想おもはれる。此樣こんな事ことを云いふと妙めうだが、人ひとは一種いつしゆの感應かんおうがあつて、私わたくしの如ごときは昔むかしからどんな遠方えんぽうに離はなれて居をる人ひとでも、『あの人ひとは未まだ無事ぶじだな』と思おもつて居をる人ひとに、死しんだ例ためしはないのです。それで、私わたくしは今いま、春枝夫人はるえふじんが波間なみまに沈しづんだと聞きいても、どうも不幸ふこうなる最後さいごを遂とげられたとは思おもはれない、或あるひは意外いぐわいの救助すくひを得えて、子ープルスなる良君をつとの許もとへ皈かへつて、今頃いまごろは却かへつて、君等きみらの身みの上うへを憂慮うれひて居をるかも知しれませんよ。』と言葉ことばを切きつて、淋さびし相さうに首くび項垂うなだれて居をる日出雄少年ひでをせうねんの項うなじに手てを掛かけ『それに就つけても、惡にくむ可べきは海賊船かいぞくせんの振舞ふるまひ、かゝる惡逆無道あくぎやくむだうの船ふねは、早晩はやかれおそかれ木葉微塵こつぱみぢんにして呉くれん。』と、明眸めいぼうに凛乎りんこたる光ひかりを放はなつと、聽きく日出雄少年ひでをせうねんは、プイと躍立とびたつて。
『眞個ほんとうにに、海軍かいぐんの叔父おぢさんが海賊船かいぞくせんを退治たいぢするなら、私わたくしは敵てきの大將たいしやうと勝負しようぶを决けつしようと思おもふんです。』
『其處そこだツ、日本男兒につぽんだんじの魂たましひは――。』と木像もくぞうのやうに默だまつて居をつた武村兵曹たけむらへいそうは不意ふいに叫さけんだ。
『其時そのときは、此この武村新八郎たけむらしんぱちらうが先鋒せんぽうぢやや。』と威勢いせいよくテーブルの上うへを叩たゝき廻まわすと、皿さらは跳をどつて、小刀ナイフは床ゆかに落おちた。それから、例れいの魔まの日ひ魔まの刻こくの一件いつけんに就ついては、水兵すいへい一同いちどうは私わたくしと同おなじ樣やうに、無※ばかな話はなしだと笑わらつてしまつたが、獨ひとり櫻木大佐さくらぎたいさのみは笑わらはなかつた。無論むろん、縁起的えんぎてきには、其樣そんな事ことは信しんぜられぬが、かの亞尼アンニーとかいへる老女らうぢよは、何なにかの理由わけで、海賊船かいぞくせんが弦月丸げんげつまるを狙ねらつて居をる事ことをば、豫あらかじめ知しつて居をつたのかも知しれぬ。それが或ある事情じじやうの爲ために明言めいげんする事ことも出來できず、さりとて主家しゆかの大難だいなんを知しらぬ顏かほに打※うちすぎるにも忍しのびで、かくは縁起話えんぎばなしに托言かこつけて、其その夜よの出發しゆつぱつを止とゞめたのかも知しれぬ。と語かたつた。成程なるほど斯かう聽きいて見みれば、私わたくしも思おもひ當あたる節ふしの無ないでもない。また、海賊船かいぞくせん海蛇丸かいだまるの一條いちじやうについては、席上せきじやういろろな話はなしがあつた。大佐たいさの語かたる處ところによると、海賊島かいぞくたう云々うんぬんの風聞ふうぶんも實際じつさいの事ことで、其その海賊かいぞく仲間なかまと或ある強國きようこくとの間あひだに、一種いつしゆの密約みつやくの存そんして居をる事ことも、海事かいじに審くわしき船員せんゐん社會しやくわいには、殆ほとんど公然こうぜんの秘密ひみつとなつて居をる由よし。かゝる惡魔あくまはどうしても塵殺みなごろししなければならぬと、水兵等すいへいら一同いちどうの意氣組いきぐみ。さてまた、弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつの間際まぎわに、船長せんちやうをはじめ船員せんゐん一同いちどうの醜態しゆうたいは、聽きく人ひと愕おどろき怒いからざるなく、短氣たんきの武村兵曹たけむらへいそうは眼めを光ひからして
『やああ、呆あきれた人間にんげん共どもだ、其樣そんな臆病をくびやうな船長せんちやうなんかは、逃にげたとてどうせ六ろくな事ことはあるまい、波なみでも喰くらつて斃死へたばつてしまつたらうが、※一まんいち生いきてゞも居ゐやうものなら、此この武村新八たけむらしんぱちが承知しやうちしねえ、世間せけんの見懲みせしめに、一ひとツ横よこツ腹ぱらでも蹴破けやぶつて呉くれようかな。』と怒鳴どなる。大佐たいさは笑わらひ、水兵等すいへいらは腕うでを叩たゝき、日出雄少年ひでをせうねんと私わたくしとは爽快さわやかに顏かほを見合みあはした。
斯かゝる物語ものがたりに不知不測しらずしらず夜よを更ふかし、頓やがて私わたくしの遭難さうなん實談じつだんも終をはると、櫻木大佐さくらぎたいさは、此時このとき稍やや面おもてを改あらためて私わたくしに向むかつた。
『今迄いまゝでのお話はなしで、君きみが此この島しまへ漂着へうちやくの次第しだいは分わかつたが、さて此後このゝちは如何いかになさる御决心ごけつしんです。』
决心けつしん如何いかんといふのは、吾等われら兩人りようにんかゝる絶島ぜつたうに漂着へうちやくした今いま、無理むりにも本國ほんごくへ皈かへりたいか、又または或ある便宜べんぎを得うるまで、大佐等たいさらと此この島しまに滯在たいざいする覺悟かくごがあるかとの問とひだと私わたくしは考かんがへたので、無論むろん、一日いちにちも速すみやかに日本につぽんへ皈かへりたいのは山々やままだが、前後ぜんごの事情じじやうを察さつすると、今いま此人このひとに向むかつて、其樣そんな我儘わがまゝは言いはれぬのである。で私わたくしは簡單かんたんに『たゞ天命てんめいと、大佐閣下たいさかくかとに、吾等われらの運命うんめいを委ゆだぬるのみです。』と答こたへると、大佐たいさは暫時しばし小首こくびを傾かたむけたが
『然しからば、君等きみらは或ある時期ときまで、此この島しまに滯在たいざいせねばなりません。』と斷乎だんこと言放いひはなつた。
私わたくしは默だまつて點頭うなづいた。
大佐たいさは言げんをつゞけ
『實じつに致いたし方かたが無ないのです。勿論もちろん君きみが御决心ごけつしんで、運命うんめいを全まつたく天てんに任まかせて、再ふたゝび小端艇せうたんていで、印度洋インドやうの波なみを越こえて、本國ほんごくへお皈かへりにならうと仰おつしやれば、仕方しかたがありませんが、私わたくしは决けつして、其樣そんな無法むほふな事ことを望のぞみません、其他そのたの手段しゆだんでは、到底とうてい今日けふや明日あすに、此この島しまを出發しゆつぱつする方法てだてもありませんから、止やむを得えず、或ある時期ときまでは、吾等われらの一行いつかうと共ともに、此この絶島ぜつたうに御滯在ごたいざいの外ほかはありません。』
『それは覺悟かくごの前まへです。』と私わたくしは答こたへて
『たゞ無用むようなる吾等われらが、徒いたづらに貴下等きからを煩わずらはすのを憂うれふるのみです。』と語かたると、大佐たいさは急いそぎ其その言げんを遮さへぎり
『いやや、私わたくしは却かへつて、天外てんぐわい※里ばんりの此樣こんな島しまから、何時いつまでも、君等きみらに故郷こきようの空そらを望のぞませる事ことを情なさけなく感かんずるのです。』と嘆息たんそくしつゝ
『あゝ、此樣こんな時ときに、せめて浪なみの江丸えまるが無難ぶなんであつたらば。』と武村兵曹たけむらへいそうの顏かほを見みた。浪なみの江丸えまるとは、例れいの反古はご新聞しんぶんに記しるされて居をつた名なで、はじめ、大佐たいさの一行いつかうを此この島しまへ搭のせて來きた一大いちだい帆前船ほまへせん、あゝ、あの船ふねも、今いまは何なにかの理由りいうで、此この海岸かいがんにあらずなつたかと、私わたくしは窓まどの硝子越がらすごしに海面かいめんを眺ながめると、星影ほしかげ淡あわき波上はじやうには、一二艘そう淋さびし氣げに泛うかんで居をる小端艇せうたんていの他ほかには、此この大海原おほうなばらを渡わたるとも見みゆべき一艘いつそうの船ふねもなかつた。
武村兵曹たけむらへいそうは腕うでを組くんで
『さあ、斯かうなると惜をしい事ことをした。浪なみの江丸えまるさへ無事ぶじであつたら、私わたくしが巧うまく舵かぢをとつて、直すぐに日本につぽんまで送おくつてあげるのだが、此前このまへの大嵐おほあらしの晩ばんに、とうとう磯いそに打上うちあげられて、めちややになつて仕舞しまつたから、今更いまさら何なんといふても仕方しかたが無ない。』と言いひつゝ少年せうねんに向むかひ
『だが、此この島しまも仲々なかか面白おもしろいよ、魚さかなも澤山たんと釣つれるし、獅子狩ししがりも出來できるし、今いまに皈かへりたく無なくなるよ。』
大佐たいさは苦笑くせうしながら
『誰たれが、此樣こんな離はなれ島じまに永住えいぢゆうを望のぞむものか。』とばかり、私わたくしに向むかひ
『然しかし、何事なにごとも天命てんめいです。けれど君きみよ、决けつして絶望ぜつぼうし玉たまふな。吾等われらは何時いつか、非常ひじやうの幸福かうふくを得えて、再ふたゝび芙蓉ふようの峯みねを望のぞむ事ことが出來できませう――イヤ確信くわくしんします、今いまより三年さんねんの後のちは屹度きつと其時そのときです。』と言放いひはなつて、英風えいふう颯々さつつ、逆浪げきらう岩いわに碎くだくる海邊かいへんの、唯とある方角ほうがくを眺ながめた。
    第十四回 海底かいていの造船所ざうせんじよ

大佐の後姿がチラリと見えた――獅子狩は眞平御免だ――猛犬稻妻秘密の話――屏風岩――物凄い跫音――鐵門の文字

 其その翌朝よくてう日出雄少年ひでをせうねんと私わたくしとが目醒めざめたのは八時じ※すぎで櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、武村兵曹たけむらへいそうをはじめ一隊いつたいの水兵すいへいを引卒ひきつれて、何處いづこへか出去いでさつた後あとであつた。朝餉あさげを運はこんで來きた料理方れうりかたの水兵すいへいは、大佐たいさが外出ぐわいしゆつの時ときの言傳ことづてだとて、左さの如ごとく語かたつた。
『大佐たいさは、今朝けさも定さだまれる職務しよくむに參まゐるが、昨夜さくやは取紛とりまぎれて語かたらず、今朝こんてうは猶なほ御睡眠中ごすいみんちうなれば、此この水兵すいへいを以もつて申上もうしあげるが、此この住家すみかの十町ちやう以内いないなれば、何處いづくへ行ゆかるゝも御自由ごじいうなれど、其その以外いぐわいは、猛獸まうじう毒蛇等どくじやとうの危害きがい極きわめて多おほければ、决けつして足踏あしぶみし玉たまふな、大佐たいさは夕刻ゆふこくに皈かへつて、再ふたゝび御目おめにかゝる可べし。』との注意ちうゐ。私わたくしも少年せうねんも、今猶いまなほ十數日すうにち以來いらいの疲勞つかれを感かんじて居をるので、其樣そんなに高歩たかあるきする氣遣きづかひはないが、まして此この注意ちうゐがあつたので、一層いつそう心こゝろを配くばり、食後しよくごは、日記につきを書かいたり、少年せうねんと二人ふたりで、海岸かいがんの岩いわの上うへから果はてしなき大海原おほうなばらを眺ながめたり、家いへの後うしろの椰子林やしばやしで、無暗むやみに美うるはしき果實くわじつを叩たゝき落おとしたり、または家いへに殘のこつて居をつた水兵すいへいに案内あんないされて、荒磯あらいそのほとりで、海鼈うみがめを釣つつたりして、一日いちにちを暮くらしてしまつた。夕日ゆふひの沈しづむ頃ころ、櫻木大佐さくらぎたいさも武村兵曹たけむらへいそうも、痛いたく疲つかれて皈かへつて來きたが、終日しうじつ延氣のんきに遊あそんだ吾等われら兩人りやうにんの顏かほの、昨日きのふよりは餘程よほど勝すぐれて見みへるとて、大笑おほわらひであつた。此この夜よも夜更よふけまで色々いろろの快談くわいだん。
翌朝よくあさ、私わたくしはまだ大佐たいさの外出ぐわいしゆつ前まへだらうと思おもつて、寢床ねどこを離はなれたのは六時ろくじ頃ごろであつたが、矢張やはり大佐等たいさらは、今少いますこし前まへに家いへを出でたといふ後のち、また※ぬかつたりと、少年せうねんと二人ふたりで、二階にかいの窓まどに倚よつて眺ながめると、此時このとき、朝霧あさぎり霽はるゝ海岸かいがんの景色けしき。此この家いへを去さる事こと十數町すうちやうの彼方かなたに、一帶いつたいの灣わんがある、逆浪げきらう白しろく岩いわに激げきして居をるが、其その灣中わんちう、岩いわと岩いわとが丁度ちやうど屏風びやうぶのやうに立廻たてまわして、自然しぜんに坩※るつぼの形かたちをなして居をる處ところ、其處そこに大佐たいさの後姿うしろすがたがチラリと見みえた。
『あら、海軍かいぐんの叔父おぢさんは、あの岩いわの後うしろへ隱かくれておしまいになつてよ。』と、日出雄少年ひでをせうねんは審いぶかし氣げに私わたくしを瞻ながめた。私わたくしは默然もくねんとして、猶なほも其處そこを見詰みつめて居をると、暫時しばらくして其その不思議ふしぎなる岩陰いわかげから、昨日きのふも一昨日おとゝひも聽きいた、鐵てつの響ひゞきが起おこつて來きた。午前ごぜん十時じ※すぎになると、武村兵曹たけむらへいそう丈だけ一人ひとりヒヨツコリと皈かへつて來きて
『サア、之これから獅子狩しゝがりだだ。』と勇いさみ勸すゝめるのを、私わたくしは漸やうやくの事ことで押止おしとめたが、然しからば此この島しまの御案内ごあんないをといふので、それから、山やまだの、河かはだの、谷たにの底そこだの、深林しんりんの中なかだの、岩石がんせきが劍つるぎのやうに削立つゝたつて居をる荒磯あらいその邊へんだのを、兵曹へいそうの元氣げんきに任まかせて引廻ひきまはされたので、酷ひどく疲つかれてしまつた。此この遊歩いうほの間あひだ、武村兵曹たけむらへいそうの命めいずる儘まゝに、始終しじゆう吾等われらの前まへになり、後うしろになつて、豫あらかじめ猛獸まうじう毒蛇どくじやの危害きがいを防ふせいで呉くれた、一頭いつとうの猛犬まうけんがあつた。名なは稻妻いなづまといつて、櫻木大佐さくらぎたいさの秘藏ひぞうの犬いぬの由よし、形かたちは犢牛こうし程ほど巨大おほきく、毛けの眞黒まつくろな、尾をのキリヽと卷上まきあがつた、非常ひじやうに逞たくましき犬いぬで、それが痛ひどく日出雄少年ひでをせうねんの氣きに入いつて、始終しじゆう『稻妻いなづまやや。』と、一處いつしよになつて走廻はしりまわつて居をる内うちに、いつか仲なかがよくなつて、夕刻ゆふこく、家いへに歸かへつた時ときも、稻妻いなづまは此この可憐かれんなる少年せうねんと戯たわむれつゝ、思おもはず二階にかいまで驅上かけあがつて、武村兵曹たけむらへいそうに箒ほうきで追出おひだされた程ほどで、日出雄少年ひでをせうねんは此この犬いぬの爲ために、晩餐ばんさんの美味おいしい「ビフステーキ」を、其儘そのまゝ窓まどから投なげてやつてしまつた。さて、其その翌日よくじつになると、日出雄少年ひでをせうねんは、稻妻いなづまといふ好よき朋友ともだちが出來できたので、最早もはや私わたくしの傍そばにのみは居をらず、朝早あさはやくから戸外こぐわいに出いでゝ、波なみ青あをく、沙すな白しろき海岸かいがんの邊へんに、犬いぬの脊中せなかに跨またがつたり、首くびに抱着いだきついたりして、餘念よねんもなく戯たわむれて居をるので、私わたくしは一人ひとり室内しつないに閉籠とぢこもつて、今朝けさ大佐たいさから依頼いらいされた、或ある航海學かうかいがくの本ほんの飜譯ほんやくにかゝつて一日いちにちを暮くらしてしまつた。此この飜譯ほんやくは、仕事しごとの餘暇よか、水兵等すいへいらに教授けふじゆの爲ためにと、大佐たいさが餘程よほど以前いぜんから着手ちやくしゆして居をつたので、殘のこり五分ごぶんの一いち程ほどになつて居をつたのを、徒然つれれなるまゝ、私わたくしが無理むりに引受ひきうけたので、其その飜譯ほんやくの全まつたく終をはつた頃ころ、大佐たいさは例れいの樣やうに、夕暮ゆふぐれの海岸かいがんを一隊いつたいの水兵すいへいと共ともに歸かへつて來きた。
昨夜さくやも、一昨夜いつさくやも、夕食ゆふしよく果はてゝ後のちは部室へやの窓まどを開放あけはなして、海うみから送おくる凉すゞしき風かぜに吹ふかれながら、さままの雜談ざつだんに耽ふけるのが例れいであつた。今宵こよひもおなじ樣やうに、白しろい窓掛まどかけの搖ゆるぐほとりに倚子ゐすを並ならべた時とき、櫻木大佐さくらぎたいさは稍やや眞面目まじめに私わたくしに向むかつて。『今夜こんやは更あらたまつて、少すこしお話はなし申もうす事ことがある。』と私わたくしの顏かほを凝視みつめた。
更あらたまつての話はなしとは何事なにごとだらうと、私わたくしも俄にわかに形かたちを改あらためると、大佐たいさは吸殘すひのこりの葉卷はまきをば、窓まどの彼方かなたに投なげやりて、靜しづかに口くちを開ひらいた。
『柳川君やながはくん、私わたくしは※すぐる日ひ黄乳樹わうにうじゆの林はやしの邊へんで、圖はからずも君等きみらの急難きふなんをお助たすけ申もうした時ときから、左樣さう思おもつて居をつたのです。稀まれにも人ひとの來くべき筈はづのない此樣こんな離はなれ島じまへ、偶然ぐうぜんとはいへ、昔馴染むかしなじみの君きみの見みへたのは、全まつたく天てんの導みちびきのやうなもので、之これから數年間すうねんかん、同おなじ家いへに、同おなじ月つきを眺ながめて暮くらすやうな運命うんめいになつたのも、何なにかの因縁いんねんでせう。私わたくしに一個ひとつの秘密ひみつがある、此この秘密ひみつは私わたくしと、私わたくしの腹心ふくしんの三十七名めいの水兵すいへいと、帝國海軍ていこくかいぐん部内ぶないの某々ぼうう有司いうしの他ほかには、誰たれも知しつて居をる者ものは無ないのです、また、决けつして、他たに洩もらすまじき秘密ひみつですが、今いま斯かくなつて同おなじ境遇きやうぐうに、長ながき月日つきひを暮くらす間あひだには、何時いつか君等きみらの前まへに、其事そのことの表顯あらはれずには終をはるまい。』斯かく言いひかけて、大佐たいさは靜しづかに眼まなこをあげ『君きみも私わたくしが何なんの爲ために此この島しまへ來きたか、今いまや何なにを爲なしつゝあるやに就ついて、多少たせうの御考察おかんがへはあるでせう。』
さてこそ、と、私わたくしは片唾かたづを飮のんだ。
『朧おぼろながら、或ある想像さうぞうを描えがいて居をります。』と答こたへると、大佐たいさは打點頭うちうなづき
『此この秘密ひみつは、實じつに私わたくしの生命せいめいです。今いまは數年すうねんの昔むかし、君きみは御記臆ごきをくですか、滊船きせんの甲板かんぱんで、私わたくしが奇妙きめうなる詩しを吟ぎんじ、また、歐洲をうしう列國れつこくの海軍力かいぐんりよくの増加ぞうかと、我國わがくにの現况げんけうとを比較ひかくして、富とみの度どより、機械學きかいがくの進歩上しんぽじやうより、我國わがくには今日こんにちの如ごとく、啻たゞに數艘すうそうの軍艦ぐんかんの多おほくなつた位くらいや、區々くゝたる軍器ぐんきの製造せいぞうにも、多おほく彼等かれらの後あとを摸傚まねして居をる樣やうでは、到底とても東洋とうやうの平和へいわを維持ゐぢし、進すゝんで外交上ぐわいこうじやうの一大いちだい權力けんりよくを握にぎる事ことは覺束おぼつかない、一躍いちやくして、歐をうの上うへに、米べいの上うへに、位くらいする樣やうになるには、茲こゝに一大いちだい决心けつしんを要えうする。即すなはち震天動地しんてんどうちの軍事上ぐんじじやうの大發明だいはつめいをなして、其その發明はつめいは軍機上ぐんきじやうの大秘密だいひみつとして、我國わがくににのみ特ひとりにあり、他邦たほうには到底とうてい見みるべからず、歐米をうべい諸國しよこくも之これある限かぎりは、最早もはや日本につぽんに向むかつて不禮ぶれいを加くわふる可べからずとまで、戰慄せんりつ恐懼きやうくする程ほどの大軍器だいぐんきの發明はつめいを要えうすると申もうした事ことを、かの時ときは、君きみも單たんに快哉くわいさいと叫さけんだのみ、私わたくしも一いつの希望きぼうとして、深ふかく胸むねの奧そこに潜ひそめて居をつたが、其後そのご幾年月いくねんげつの間あひだ、苦心くしんに苦心くしんを重かさねた結果けつくわ、一昨年いつさくねんの十一月ぐわつ三十日にち、私わたくしが一艘いつそうの大帆走船だいほまへせんに、夥おびたゞしき材料ざいれうと、卅七名めいの腹心ふくしんの部下ぶかとを搭載のせて、はるる日本につぽんを去さり、今いまや此この無人島むじんとうに身みを潜ひそめて居をるのは、全まつたく、兼かねて企くわだつる、軍事上ぐんじじやうの一大いちだい發明はつめいに着手ちやくしゆして居をるのです――。左樣さよう、不肖ふつゝかながら、此この櫻木さくらぎが畢世ひつせいの力ちからを盡つくして、我わが帝國海軍ていこくかいぐんの爲ために、前代未聞ぜんだいみもんの或ある有力いうりよくなる軍器ぐんきの製造せいぞうに着手ちやくしゆして居をるのです。』果然くわぜん! 果然くわぜん! と私わたくしは胸むねを跳をどらせた。大佐たいさは言ことばをつゞけ
『此邊このへんの事ことは、本國ほんごくでも人ひとの風評うわさに上のぼり、君きみにも幾分いくぶんの御想像ごさうぞうは付ついたらうが、果はたして如何いかなる發明はつめいであるかは、其物そのものの全まつたく竣成しゆんせいする迄までは、誰たれも知しつて居をる者ものはない、私わたくしは外國ぐわいこくの軍事探偵ぐんじたんていや、其他そのた利己心りこしん多おほき人々ひととの覬覦きゆから、完全くわんぜんに其その秘密ひみつを保たもたんが爲ために、自みづから此樣こんな孤島はなれじまに身みを忍しのばせて、其その製造せいぞうをも極きわめて内密ないみつにして居をる次第しだいだが――。』と言いひかけて、言葉ことばに一段いちだんの力ちからを込こめ
『けれど柳川君やながはくんよ、君きみは不思議ふしぎにも、天てんの導みちびきのやうに、我等われらの仲間なかまに入いつて來きました。今いま前後ぜんごの事情じじやうより考かんがへ、また君きみの人物じんぶつを信しんずるので、若もし、君きみに確固くわくこたる約束やくそくがあるならば、今日こんにちに於おいて、此この大秘密だいひみつを、君きみに明言めいげんして置おく事ことの、寧むしろ得策とくさくなるを信しんずるのです。』
『え、私わたくしに、其その大秘密だいひみつを――。』と、私わたくしは倚子ゐすから立上たちあがつた。大佐たいさは沈重ちんちやうなる聲こゑで
『左樣さやう、私わたくしは君きみを確信くわくしんします、若もし君きみは我等われらの同志どうしの士しとして、永久えいきゆうに此この秘密ひみつを守まもる事ことを約束やくそくし玉たまはゞ、請こふ誠心せいしんより三度みたび天てんに誓ちかはれよ。』私わたくしは猶豫ゆうよもなく、堅かたき誓ちかひを立たてると、大佐たいさはツト身みを起おこして私わたくしの手てを握にぎり
『誓ちかひは形式けいしきです。けれど愛國あいこくの情じやう深ふかき君きみは、※あやまつても此この秘密ひみつをば、無用むようの人ひとに洩もらし玉たまふな。』
『斷だんじてて、たとへ此この唇くちびるが裂さかるゝとも。』と私わたくしは斷乎だんことして答こたへた。大佐たいさは微笑びせうを帶をびて私わたくしの顏かほを眺ながめた。さて其その秘密ひみつは如何いかなる物ものにや、此この夜よはたゞ誓ちかひに終をはつて、詳密つまびらかなる事ことは、明日めうにち、其その秘密ひみつの潜ひそめられたる塲所ばしよに於おいて、實物じつぶつに就ついて、明白めいはくに示しめさるゝとの事こと、此この夜よは其儘そのまゝ寢床ねどこに横よこたはつたが、いろろの想像さうぞうに驅かられて、深更しんこうまで夢ゆめに入いる事ことが出來できなかつた。
人間にんげんは勝手かつてなもので、私わたくしは前夜ぜんやは夜半やはんまで眠ねむられなかつたに係かゝはらず、翌朝よくあさは暗くらい内うちから目めが醒さめた。五時じ三十分ぷん頃ごろ、櫻木大佐さくらぎたいさは武村兵曹たけむらへいそうを伴ともなつて、私わたくしの部室へやの戸とを叩たゝいた。之これより其その秘密ひみつなる塲所ばしよへ出掛でかけるのである。
三人みたりは家いへを出いで、朝霧あさぎり深ふかき海岸かいがんを北きたへと進すゝんだ。武村兵曹たけむらへいそうは猛犬まうけんの稻妻いなづまを從したがへて、常つねに十歩じつぽばかり前さきへ進すゝむので、私わたくしと大佐たいさとは相あひ並ならんで歩あゆんだが、一言いちごんも無ない。あゝ、其その秘密ひみつなる發明はつめいとは何なんであらう。有力いうりよくなる軍器ぐんきと云いへば、非常ひじやうなる爆發力ばくはつりよくを有いうする彈丸だんぐわんの種類しゆるいかしら、それとも、一種いつしゆの魔力まりよくを有いうする大砲たいほうの發明はつめいであらうか。イヤヤ、大佐たいさの口吻くちぶりでは、もつと有力いうりよくなる發明はつめいであらうと、樣々さままの想像さうぞうを描えがいて居をる内うちに、遂つひに到着たうちやくしたのは、昨曉さくぎよう、大佐たいさの後影うしろかげをチラリと認みとめた灣中わんちうの屏風岩べうぶいわの邊へん、此處こゝで、第一だいいちに不思議ふしぎに感かんじたのは、此この屏風形べうぶがたの岩いわは、遠方えんぽうから見みると、只たゞ一枚いちまい丈だけ孤立こりつして居をるやうだが、今いま、其その上うへへ登のぼつて見みると、三方さんぽう四方しほうに同おなじ形かたちの岩いわがいくつも重かさなり合あつて、丁度ちやうど羅馬ローマ古代こだいの大殿堂テンプルの屋根やねのやうな形かたちをなし、其その下したは疑うたがひもなき大洞窟おほほらあなで、逆浪ぎやくらう怒濤どたうが隙間すきまもなく四邊しへんに打寄うちよするに拘かゝはらず、洞窟ほらあなの中なかは極きわめて靜謐せいひつな樣子やうすで、吾等われらの歩あゆむ毎たびに、其その跫音あしおとはボーン、ボーン、と物凄ものすごく響ひゞき渡わたつた。屏風岩べうぶいわの上うへを二十ヤードばかり進すゝむと、正面しやうめんに壁かべのやうに屹立つゝたつたる大巖石だいがんせきの中央ちゆうわうに、一個いつこの鐵門てつもんがあつて、其その鐵門てつもんの前まへには、武裝ぶさうせる當番たうばんの水兵すいへいが嚴肅げんしゆくに立たつて居をつたが、大佐等たいさらの姿すがたを見みるより、恭うやうやしく敬禮けいれいを獻さゝげた。近ちかづいて見みると、鐵門てつもんの上部じやうぶには、岩いわに刻きざまれて「秘密ひみつ造船所ざうせんじよ」の五字じが意味ゐみあり氣げに現あらはれて居をつた。

    第十五回 電光艇でんくわうてい

鼕々たる浪の音――投鎗に似た形――三尖衝角――新式魚形水雷――明鏡に映る海上海底の光景――空氣製造器――鐵舟先生の詩

 武村兵曹たけむらへいそうは腰こしなる大鍵おほかぎを索さぐつて、鐵門てつもんの扉とびらと開ひらいた。
『此處こゝが秘密ひみつの塲所ばしよの入口いりくちです。』と櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは私わたくしを顧見かへりみた。此時このときはまだ工事こうじも始はじまらぬと見みへ、例れいの鐵てつの響ひゞきも聽きこえず、中なかはシーンとして、凄すごい程ほど物靜ものしづかだ。私わたくしは二人ふたりの案内あんないに從したがつて、鐵門てつもんを窬くゞつたが、はじめ十歩ぽばかりの間あひだは身みを屈かゞめて歩あゆむ程ほどで、稍やや廣ひろくなつたと思おもふと、直すぐ前まへには、岩いわに刻きざんで設まうけられた險けわしい階段かいだんがある、其その階段かいだんを降おり盡つくすと、眞暗まつくらになつて、恰あだかも墜道とんねるのやうに物淋ものさびしい道みちを、武村兵曹たけむらへいそうが即座そくざに點てんじた球燈きゆうとうの光ひかりに照てらして、右みぎに折をれ、左ひだりに轉てんじて、凡およそ百四五十ヤードも進すゝむと、岩石がんぜきが前まへと後うしろに裂さけ離はなれて、峽けうをなし、其その間あひだを潮うしほが矢やの如ごとく洞外どうぐわいから流ながれ入いり、流ながれ去さつて居をる。峽上けいじやうには一筋ひとすぢの橋はしがあつて、それを渡わたると又また鐵てつの扉とびらだ。武村兵曹たけむらへいそうは前まへと同おなじ樣やうに其その扉とびらを押開おしひらくと、同時どうじにサツと射込さしこむ日ひの光ひかり、疑うたがひもない、扉とびらの彼方かなたは明あかるい所ところだ、兵曹へいそうはプツと球燈きゆうとうを吹消ふきけす、途端とたんに、櫻木大佐さくらぎたいさは私わたくしに向むかひ『此處こゝです。』と一言いちごんを殘のこして、先まづ鐵門てつもんを窬くゞつた、私わたくしもつゞいて其その中なかに入いると、忽たちまち見みる、此處こゝは、四方しほう數百すうひやく間けんの大洞窟おほほらあなで、前後左右ぜんごさゆうは削けづつた樣やうな巖石がんぜきに圍かこまれ、上部じやうぶには天窓てんまどのやうな、巨大おほきな岩いわの裂目さけめがあつて、其處そこから太陽たいやうの光ひかりは不足ふそくなく洞中どうちうを照てらしてをるのである。耳みゝを傾かたむけると、何處いづくともなく鼕々とううと浪なみの音おとの聽きこゆるのは、此この削壁かべの外そとは、怒濤どとう逆卷さかまく荒海あらうみで、此處こゝは確たしかに海底かいてい數十すうじふ尺しやくの底そこであらう。此塲このばの光景くわうけいのあまりに天然てんねんに奇體きたいなので、私わたくしは暫時しばし、此處こゝは人間にんげんの境きやうか、それとも、世界せかい外ぐわいの或ある塲所ばしよではあるまいかと疑うたがつた程ほどで、更さらに心こゝろを落付おちつけて見みると、總すべての構造こうざうは全まつたく小造船所せうざうせんじよのやうで、宏大くわうだいなる洞窟どうくつの中なかは數部すうぶに分わかたれ、船渠せんきよ、起重機きじゆうき、製圖塲等せいづじやうとうの整備せいびはいふ迄までもなく、錬鐵塲れんてつじやうには鎔解爐ようかいろあり、大鐵槌だいてつゝゐあり、鑄物塲ちゆうぶつじやうには造型機ざうけいき、碎砂機さいしやきを具そなへ、旋盤塲せんばんじやうには縱削機じゆうせうき、横削機わうせうき、平鉋盤へいほうばん、鑽孔機さんこうきの配置はいちよろしく、製罐塲せいくわんじやうには水壓打鋲機すいあつだべうきあり、工作塲こうさくじやうには屈撓器くつぎようき、剪斷機せんだんきあり。圓鋸機ゑんきよき、帶形鋸機たいけいきよきのほとりには、角材かくざい、鐵材てつざい山やまの如ごとく、其他そのほか、空氣壓搾喞筒くうきあつさくぽんぷ、電氣力發機等でんきりよくはつきとうの緻密ちみつなる機械きかいより、銀鑞ぎんらう、白鑞はくらう、タール綱づな、マニラ綱づな、帆ほ縫糸ぬひいと、撚糸よりいと、金剛砂布こんがうしやふ、黒鉛こくゑん、氣發油きはつゆう、白絞油はくかうゆう、ラジーン塗具ぬりぐ、錆色さびいろ塗具ぬりぐ、銅板どうばん、鐵板てつぱん、鋼板こうばん、亞鉛塊あゑんくわい、ガツタバーカー板ばん、エボナイト板ばん、硝子板せうしばん、硝子管せうしくわん、舷窓用げんそうよう厚硝子あつがらす、螺旋鋲らせんべう、鋼鉸鋲こうこうべう、眞鍮鑄鋲しんちゆうじゆべう、石絨衞帶せきじゆうえいたい、彈心衞帶等だんしんえいたいとうに至いたるまで、よくも斯かゝる絶島ぜつたうにかく迄まで整然せいぜんたる凖備じゆんびの出來できた事ことよと怪あやしまるゝばかりで、これ等らの諸しよ機械きかい諸しよ材料ざいりようは、すべて二年ねん以前いぜんに、櫻木大佐さくらぎたいさが大帆船だいはんせん浪なみの江丸えまるに搭載たうさいして、此この島しまに運搬うんぱんし來きたつたもので、今いまはそれれ適當てきたうの位置いちに配置はいちされて、すでに幾度いくたびの作用さようをなした形跡けいせきは歴然れきぜんと見みえる。此時このとき忽たちまち私わたくしの眼めに留とまつたのは此この不思議ふしぎなる洞中造船所どうちゆうざうせんじよの中央ちうわうに位くらゐして、凹凸おうとつの岩いわの形かたちが自然しぜんに船臺せんだいをなしたる處ところ、其處そこに今いまや工事中こうじちゆうの、一種いつしゆ異樣ゐやうの船體せんたいが認みとめられたのである。
『これが、私わたくしの秘密ひみつに製造せいざうしつゝある、海底戰鬪艇かいていせんとうていです。』と、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは徐おもむろに右手ゆんでを擧あげて、其その船體せんたいを指ゆびざした。さてこそ、と私わたくしは胸むねを跳をどらしつゝ其その船躰せんたいを熟視じゆくししたが、あゝ、世よに斯かくも不思議ふしぎなる、斯かくも強堅きようけんなる、船艦せんかんがまたとあらうか、私わたくしは其その外形ぐわいけいを一見いつけんしたばかりで、實じつに其その船形せんけいの巧妙こうめう不思議ふしぎなるに愕おどろいたが、更さらに大佐たいさに導みちびかれて、今いまは既すでに二年ねん有餘いうよの歳月さいげつを費つひやして、船體せんたい半なかば出來上できあがつた海底戰鬪艇かいていせんとうていの内部ないぶに入いり、具つぶさに上甲板じやうかんぱん、下甲板げかんぱん、「ウオター、ウエー」、「ウ井ング、パツセージ」、二重底にじゆうそこ、肋骨材等ろくこつざいとう諸般しよはんの構造こうざうを眺ながめ、また千變萬化せんぺんばんくわなる百種ひやくしゆの機關きくわんの説明せつめいを聽きいた時ときは、殆ほとんど之これが人間にんげんの業わざかと疑うたがはるゝばかりで、吾知われしらず驚嘆きやうたんの叫聲さけびを發はつする事ことを禁きんじ得えなかつた。あゝ、かくも神變しんぺん不可思議ふかしぎなる海底戰鬪艇かいていせんとうていは、今いまや此この秘密ひみつなる洞中どうちゆうの造船所ざうせんじよに於おいて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの指揮しきの下したに、夜よを日ひに繼ついで製造せいざうされつゝあるのであるが、此この猛烈まうれつなる戰艇せんていが、他日たじつ首尾しゆびよく竣工しゆんこうして、我わが大日本帝國だいにつぽんていこくの海軍かいぐんの列れつに加くわはつた時ときには、果はたして如何いかなる大影響だいえいきようを世界せかいの海軍かいぐんに及およぼすであらうか。私わたくしは斷言だんげんする、鷲わしの如ごとく猛たけく、獅子しゝの如ごとく勇いさましき列國れつこくの艦隊かんたいが百千舳艫ひやくせんじくろを並ならべて來きたるとも、日章旗につしようきの向むかふ處ところ、恐おそらくば風靡ふうびせざる處ところはあるまいと。敬愛けいあいする讀者どくしや諸君しよくんよ、私わたくしは今いま、此この驚おどろく可べく懼おそる可べき海底戰鬪艇かいていせんとうていの構造こうざうについて、詳くわしき説明せつめいを試こゝろみたいのだが、それは櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの大秘密だいひみつに屬ぞくするから出來できぬ。たゞ、其その秘密ひみつを侵おかさゞる範圍内はんゐないに於おいて略言りやくげんすると、此この海底戰鬪艇かいていせんとうていは全艇ぜんていの長ながさ百三十呎ヒート六吋インチ、幅員ふくいんは中部横斷面ちゆうぶわうだんめんに於おいて二十二呎ヒート七吋インチ、艇ていの形かたちは、恰あだかも南印度みなみインドの蠻人ばんじんが、一撃いちげきの下もとに巨象きよざうを斃たほし、猛虎まうこを屠ほふるといふ投鎗なげやりの形かたちに髣髴ほうふつとして、其その兩端りようたんは一種いつしゆ奇妙きめうの鋭角えいかくをなして居をる、此この鋭角えいかくの度どが、艇ていの速力そくりよくに關くわんして、極きわめて緊要きんえうなる特色とくしよくの相さうである。艇ていの上部艇首じやうぶていしゆの方かたに位くらゐして、一個いつこの橢圓形だゑんけいの觀外塔くわんぐわいたふが設もうけられて、塔上たふじやうには、一本いつぽんの信號檣しんがうマストの他ほかには何物なにものも無なく、其その一端いつたんには自動開閉じどうかいへいの鐵扉てつぴが設もうけられて、艇ていの將まさに海底かいていに沈しづまんとするや、其その扉とびらは自然しぜんに閉とぢ、艇ていの再ふたゝび海面かいめんに浮うかばんとするや、其その扉とびらは忽然こつぜんとして自おのづから開ひらくやうになつて居をる。艇ていの全體ぜんたいは盡こととく金屬きんぞくを以もつて構成こうせいせられ、觀外塔くわんぐわいたふ、上甲板じやうかんぱん、兩舷側りようげんそくはいふ迄までもなく、舵機室だきしつ、發射室はつしやしつ、艇員居室等ていゐんきよしつとう、すべて一種いつしゆ堅強けんきようなる裝甲さうかうをもつて保護ほごされて居をる、此この裝甲さうかうは現今げんこん專もつぱら行おこなはれて居をるハーベー式しきの堅硬法けんかうほふを施ほどこしたる鋼板こうはん若もしくは白銅鋼板等はくどうこうばんとうよりは、數層倍すうそうばいの彈力性だんりよくせいと抵抗力ていこうりよくを有いうする或ある新式裝甲板しんしきさうかうばんにて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさが幾星霜いくせいさうの間あひだ、苦心くしんに苦心くしんを重かさねた結果けつくわ、六種ろくしゆの或ある金屬きんぞくの合成がうせいは、現世紀げんせいきに於おける如何いかなる種類しゆるいの彈丸だんぐわん又または水雷等すいらいとうをもつて突撃とつげきし來きたるとも、充分じゆうぶん之これに抵抗ていこうし得えて餘あまりありと信しんじて、其その新式合成裝甲板しんしきがうせいさうかうばんを、此この海底戰鬪艇かいていせんとうていの各要部かくえうぶに應用おうようしたのである。此この艇ていの外形ぐわいけいは以上いじやうの如ごとくであるが、さて海底戰鬪艇かいていせんとうていが敵艦てきかんを轟沈がうちんするには、如何いかなる方法てだてに依よるかといふに、それは二種にしゆの異ことなつたる軍器ぐんきの作用さように依よるのである。今いまは工事中こうじちゆうであるから、明瞭あきらかに知しる事ことは出來できぬが、其その一種いつしゆは艇ていの前端ぜんたんに裝置さうちされたる極きはめて強硬きようこうなる、また極きはめて不思議ふしぎなる「衝角しやうかく」一名いちめい「敵艦衝破器てきかんしやうはき」と呼よばれたる軍器ぐんきで、此この衝角しやうかくは世よの常つねの甲鐵艦かうてつかん又または巡洋艦等じゆんやうかんとうに裝置さうちされたものとは痛いたく異ことなりて、其その形かたちは三尖形さんせんけいの極きはめて鋭利えいりなる角度かくどを有いうし、艇ていの前方ぜんぽう十七呎ヒート以上いじやうに突出とつしゆつして、其その鋭利えいりなる三尖衝角さんせんしやうかくは艇内發動機ていないはつどうきの作用さようにて、一秒時間いちびやうじかんに三百廻轉くわいてんの速力そくりよくをもつて、絞車こうしやの如ごとく廻旋くわいせんするのであるから、此この衝角しやうかくの觸ふるゝ所ところ、十四吋インチ半はん以上いじやうの裝甲アーモアを有いうする鐵艦てつかんの他ほかは、殆ほとんど粉韲ふんさいせられざるものは有あるまいと思おもはるゝ、然しかし此この三尖衝角さんせんしやうかくは、此この海底戰鬪艇かいていせんとうていに左程さほど著いちじるしい武器ぶきではない、更さらに驚おどろく可べきは、艇ていの兩舷りようげんに裝置さうちされたる「新式併列旋廻水雷發射機しんしきへいれつせんくわいすいらいはつしやき」で、此この水雷發射機すいらいはつしやきの構造かうざうの、如何いかに巧妙こうめう不可思議ふかしぎなるやは、細密さいみつなる機械製圖等きかいせいづとうをもつて説明せつめいしなければとても解わからぬが、先まづ此この發射管はつしやくわんの裝置さうちされたる秘密室ひみつしつには、一面いちめんの明鏡めいきやうがあつて、電流でんりうの作用さようと、二百三十個この反射鏡はんしやきやうの作用さようとによつて、居ゐながら海上海底かいじやうかいていの光景くわうけいを觀測くわんそくする事ことを得うべく、自動照凖器じどうせうじゆんきをもつて潮流てうりうの速力そくりよくを知しり、波動はどうの方向ほうかうを定さだめ、海戰かいせん既すでに始はじまらは、艇ていは逆浪げきらう怒濤どたうの底そこを電光でんくわうの如ごとく駛はしる、其その間あひだに立たつて、明鏡めいきやうに映うつる海上海底かいじやうかいていの光景くわうけいを眺ながめつゝ、白晝はくちうならば單たんに水雷方位盤ダイレクターを動うごかすのみ、夜戰やせんならば發火電鑰はつくわでんやくを一牽いつけんして、白色はくしよく、緑色りよくしよくの強熱電光きようねつでんくわうを射出しやしつし、照星照尺せうせいせうしやくを定さだめて、旋廻輪せんくわいりんを一轉いつてんすると、忽たちまち電鈴でんれい鳴なり、發射框はつしやかう動うごいて、一分間ぷんかんに七十八個この魚形水雷ぎよけいすいらいは、雨あめの如ごとく、霰あられの如ごとく發射はつしやせらるゝのである。此この魚形水雷ぎよけいすいらいは、其その全長ぜんちやう僅わずかに二呎ヒート三吋インチ、最大さいだい直徑ちよくけい三吋インチに※すぎず、之これを今日こんにちの海戰かいせんに專もつぱら行おこなはるゝ保氏魚形水雷ホルランドしぎよけいすいらいに比ひすると、其その大おほいさは七分ぶんの一にも足たらぬが、氣室きしつ、浮室ふしつ、尾片等びへんとうの設備せつび整然せいぜんとして、殊ことに其その頭部とうぶに裝填さうてんせられたる爆發藥ばくはつやくは、普通ふつう魚形水雷ぎよけいすいらいの頭部とうぶ綿火藥めんくわやく百七十五斤きんに相當さうたうして、千四百碼ヤードの有效距離いうかうきよりを四十一節ノツトの速力そくりよくをもつて駛行しかうする事ことが出來できるのであるから、砲聲ほうせい轟々がうう、硝煙せうえん朦朧もうらうたる海洋かいやうの戰たゝかひに、海底戰鬪艇かいていせんとうてい龍りやうの如ごとく、鯱しやちの如ごとく、怒濤どたうを蹴けつて駛走しさうしつゝ、明鏡めいきやうに映うつる海上かいじやうの光景くわうけいを展眸てんばうして、發射旋廻輪はつしやせんくわいりんの一轉いつてん又また一轉いつてん、敵艦右舷てきかんうげんに來きたれば右舷うげんの水雷すいらい之これを轟沈がうちんし、敵艦左舷てきかんさげんに見みゆれば左舷さげんの水雷すいらい之これを粉韲ふんさいするの有樣ありさまは、殆ほとんど眼めにも留とまらぬ活景くわつけいであらう。新式水雷發射管しんしきすいらいはつしやくわんの構造かうざうと、其その猛烈まうれつなる作用さようとは略右ほゞみぎの如ごとくであるが、更さらに海底戰鬪艇かいていせんとうていの全部ぜんぶを見渡みわたすと、艇ていは中央ちゆうわうの軍機室ぐんきしつより前後ぜんご十敷個すうこに區劃くくわくされて、海圖室かいづしつもある、操舵室さうだしつもある、探海電燈室たんかいでんとうしつもある。殊ことに浮沈室ふちんしつと機關室きくわんしつとは此この艇ていの最もつとも主要しゆえうなる部分ぶゞんではあるが、此事このことに就ついては殘念ざんねんながら私わたくしの誓ちかひに對たいして一言いちごんも明言めいげんする事ことは出來できぬ。たゞ一寸ちよつと洩もらして置おくが、此この艇てい百種ひやくしゆの機關きくわんの作用さようを宰つかさどる動力どうりよくは世よの常つねの蒸氣力じようきりよくでもなく電氣力でんきりよくでもなく、現世紀げんせいきには未いまだ知しられざる一種いつしゆの化學的作用くわがくてきさようで、櫻木大佐さくらぎたいさが幾年月いくねんげつの間あひだ苦心くしんに苦心くしんを重かさねたる結果けつくわ、或ある秘密ひみつなる十二種しゆの化學藥液くわがくやくえきの機密きみつなる分量ぶんりようの化合くわごうは、普通ふつうの電氣力でんきりよくに比ひして、殆ほとんど三十倍ばい以上いじやうの猛烈まうれつなる作用さようを起おこす事ことを發見はつけんし、其それを此この艇ていの總すべての機關きくわんに適用てきようしたので、艇ていの進行しんかうも、三尖衝角さんせんしやうかくの廻旋くわいせんも、新式水雷發射機しんしきすいらいはつしやきの運轉うんてんも、すべて此この秘密ひみつなる活動力くわつどうりよくによつて支配しはいされて居をるのである。
以上いじやうで、吾わが敬愛けいあいする讀者どくしや諸君しよくんは髣髴ほうふつとして、此この艇ていの構造かうざうと其その驚おどろくべき戰鬪力せんとうりよくについて、或ある想像さうざうを腦裡こゝろに描えがかれたであらう。最早もはや煩縟くたたしくいふに及およばぬ、此この不思議ふしぎなる海底戰鬪艇かいていせんとうていは、今日こんにち世界せかい萬國ばんこくの海軍社會かいぐんしやくわいに於おいて、互たがひに其その改良かいりようと進歩しんぽとを競きそひつゝある海底潜行艇かいていせんかうていの一種いつしゆである。然しかり、海底潜行艇かいていせんかうていの一種いつしゆには相違さうゐないが、然しかし私わたくしは單たんに此この軍艇ぐんていをば潜行艇せんかうていと呼よぶのみを以もつては滿足まんぞくしない、何なにとなれば現今げんこん歐米諸國をうべいしよこくの發明家等はつめいからは、毎年まいねんのやうに新奇しんきなる潜行艇せんかうていを發明はつめいしたと誇大こだいに吹聽ふいちやうするものゝ、其その多數おほくは、「水みづバラスト」とか、横舵わうだ、縱舵じゆうだの改良かいりようとか、其他そのほか排氣啣筒はいきぽんぷや、浮沈機等ふちんきとうに尠少いさゝかばかりの改良かいりようを加くわへたのみで、其その動力どうりよくは常つねに石油發動力せきゆうはつどうりよくにあらずば、電氣力でんきりよくと定さだまり、艇形ていけいは葉卷烟草形はまきたばこがたに似にて、推進螺旋スクリユーの翅つばさの不思議ふしぎに拗よぢれたる有樣ありさまなど、例いつもシー、エヂスン氏等しらの舊套きゆうとうを摸傚もほうするばかりで、成程なるほど海中かいちうを潜行せんかうするが故ゆゑに潜水艇せんすいていの名なは虚僞うそではないにしても、從來じゆうらいの實例じつれいでは、是等これらの潜行艇せんかうていは海水かいすいの壓力あつりよくの爲ためと空氣くうきの缺乏けつぼうの爲ために海底かいてい六呎フヒート以下いかに沈降ちんかうするものは稀まれで、一時間じかん以上いじやうの潜行せんかうを持續ぢぞくするものは皆無かいむといふ有樣ありさま。されば今世紀こんせいきに於おいて最もつとも進歩しんぽ發達はつたつして居をると稱せうせらるゝ佛國フツこくシエルブル造船所ざうせんじよの一等潜行艇いつとうせんかうていでも、此この二個にこの缺點けつてんのある爲ために充分じゆうぶんの働作はたらきも出來できず、首尾しゆびよく敵艦てきかんに接近せつきんしながら、屡々しばば速射砲等そくしやほうとうをもつて反對はんたいに撃沈げきちんされる程ほどで、とても、我わが櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの破天荒はてんくわうなる、此この海底戰鬪艇かいていせんとうていとは比較ひかくする事ことも出來できぬのである。今いま、此この新奇しんきなる海底戰鬪艇かいていせんとうていは、艇底ていていに設まうけられたる自動浮沈機じどうふちんきの作用さようで、海底かいてい三十呎フヒート乃至ないし五十呎フヒート迄までの深ふかさに沈しづむ事ことを得うべく、空氣くうきは、普通ふつうの氣蓄器きちくき又または空氣壓搾喞筒等くうきあつさくぽんぷとうに依よる事ことなく、艇ていの後端こうたんに裝置さうちされたる或ある緻密ちみつなる機械きかいの作用さようにて、大中小だいちうせう幾百條いくひやくでうとも知しれず、兩舷りようげんより海中かいちゆうに突出つきだされたる、亞鉛管あゑんくわん及および銅管どうくわんを通つうじて、海水中かいすいちゆうより水素すいそ酸素さんそを分析ぶんせきして大氣たいき筒中たうちゆうに導みちびき、吸鍔棹ピストンに似にたる器械きかいの上下じやうかするに隨したがつて、新鮮しんせんなる空氣くうきは蒸氣じようきの如ごとく一方いつぽうの巨管きよくわんから艇内ていないに吹出ふきだされ、艇内ていないの惡分子あくぶんしは、排氣喞筒はいきぽんぷによつて始終しじゆう艇外ていぐわいに排出はいしゆつせられるから、艇ていは些いさゝかも空氣くうきの缺乏けつぼうを感かんずる事ことなく、十時間じかんでも二十時間じかんでも、必要ひつように應おうじて海底かいていの潜行せんかうを繼續けいぞくする事ことが出來できるのである。速力そくりよくは一時間いちじかんに平速力へいそくりよく五十六海里ノツト、最速力さいそくりよく百〇七海里ノツト。かくも驚おどろくべき速力そくりよくを有いうするのは全まつたく艇ていの形體けいたいと、蒸氣力じようきりよくよりも電氣力でんきりよくよりも數十倍すうじふばい強烈きようれつなる動力どうりよくによる事ことは疑うたがひを容ゐれぬが、殊ことに艇尾ていび兩瑞りようたんに裝置さうちされたる六枚ろくまいの翅つばさを有いうする推進螺旋スクリユーの不思議ふしぎなる廻轉作用くわいてんさようの與あづかつて力ちからある事ことを記臆きおくして貰もらはねばならぬ。讀者どくしや諸君しよくん、私わたくしは此この秘密ひみつなる海底戰鬪艇かいていせんとうていの構造かうざうについては、最早もはや説明せつめいの筆ふでを止とめるが、今いまの世よは愚おろか、後のちの世よにも稀まれにも見出みいだし難がたき此この軍艇ぐんていが他日たじつ其その船渠ドツクを離はなれて世界せかいの海上かいじやうに浮うかんだ時ときには、果はたして如何いかなる驚愕きようがくと恐怖けうふとを※國ばんこくの海軍社會かいぐんしやくわいに與あたへるであらうか。世よに若もし怪物くわいぶつといふ者ものがあるならば、此この軍艇ぐんていこそ確たしかに地球ちきゆうの表面ひやうめんに於おいて、最もつとも恐おそるべき大怪物だいくわいぶつとして、永ながく歐米諸國をうべいしよこくの海軍社會かいぐんしやくわいの記臆きおくに留とゞまるであらう。私わたくしは斷言だんげんする、此この海底戰鬪艇かいていせんとうていが一度ひとたび逆浪げきらう怒濤どたうを蹴けつて縱横無盡じゆうわうむじん、隱見出沒いんけんしゆつぼつの魔力まりよくと逞たくましうする時ときには、たとへ百ひやくの艦隊かんたい、千せんの大戰鬪艦だいせんとうかんが彈丸だんぐわんの雨あめを降ふらして對むかつたとて、とても此この艇ていの活動くわつどうを妨さまたげる事ことは出來できぬのである。少すこし海軍かいぐんの事ことに通つうじた人ひとは誰たれでも知しつて居をる、すでに海水中かいすいちう十四呎フヒート以下いかに沈しづんだる或ある物ものに向むかつては、世界最強力せかいさいきようりよくのガツトリング機砲きほうでも、カ子ー砲ほうでも、些少させうの打撃だげきをも加くわふる事ことが出來できぬのである。况いわんや此この海底戰鬪艇かいていせんとうていは、波威はていに沈降ちんかうする事こと三十呎フヒート乃至ないし五十呎フヒート、其その潜行せんかうを持續ぢぞくし得うる時間じかんは無制限むせいげんであるから、一度ひとたび此この軍艇ぐんていに睥睨にらまれたる軍艦ぐんかんは、恰あだかも昔物語むかしがたりの亞剌比亞アラビヤの沙漠さばくの大魔神だいましんに魅みゐられたる綿羊めんようのごとく、遁のがれんとして遁のがるゝ能あたはず、鬪たゝかはんか、速射砲そくしやほうもガツトリング砲ほうも到底とうてい力ちから及およばぬ海底かいていの此この大怪物だいくわいぶつを奈何いかせん。此方こなた海底戰鬪艇かいていせんとうていは、我われに敵抗てきこうする艦隊かんたいありと知しらば、戰鬪凖備せんとうじゆんびを整とゝのふる間まも疾としや遲おそしや、敵艦てきかん若もし非裝甲軍艦ひさうかうぐんかんならば、併列水雷發射機へいれつすいらいはつしやきを使用しようする迄までもなく、かの驚おどろくべき三尖衝角さんせんしやうかくを絞車こうしやの如ごとく廻旋くわいせんして、一撃いちげき突進とつしん、敵艦てきかんを粉韲ふんさいする事ことを得可うべく、敵艦てきかん若もし十四吋インチ以上いじやうの裝甲軍艦さうかうぐんかんならば、艇ていは逆浪げきらう怒濤どたうの底そこを電光でんくわうの如ごとく駛航しかうしつゝ、鏡かゞみに映うつる敵情てきじやうを察さつして、發射廻旋輪はつしやくわいせんりんの一轉いつてん又また一轉いつてん右舷うげん左舷さげんより發射はつしやする新式魚形水雷しんしきぎよけいすいらいは一分時間ぷんじかんに七十八發ぱつ。今いま三十隻せきの一等戰鬪艦いつとうせんとうかんをもつて組織そしきされたる一大いちだい艦隊かんたいと雖いへども、日ひ出いでゝ鳥とり鳴なかぬ内うちに、滅盡めつじんする事ことが出來できるであらう。あゝ、海底戰鬪艇かいていせんとうてい! 海底戰鬪艇かいていせんとうてい! 此この驚おどろくべく、恐おそるべき一いち軍艇ぐんていは今いまや我わが大日本帝國だいにつぽんていこくの海軍かいぐんの列れつに加くわはらんが爲ために、此この絶島ぜつたうの不思議ふしぎなる海底かいていの造船所ざうせんじよ内ないに於おいて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの指揮しきの下したに、秘ひそかに製造せいざうされつゝあるのである。讀者どくしや諸君しよくん! 私わたくしは此この海底戰鬪艇かいていせんとうていが他日たじつ首尾しゆびよく竣工しゆんこうして、翩飜へんぽんたる帝國軍艦旗ていこくぐんかんきを艇尾ていびに飜ひるがへしつゝ、蒼波さうは漫々まんんたる世界せかいの海上かいじやうに浮うかんだ時とき、果はたして如何いかなる戰爭せんさうに向むかつて第一だいいちに使用しようされ、また如何いなに目醒めざましき奮鬪ふんとうをなすやは多おほく言いふ必要ひつえうもあるまいと考かんがへる。
さても、私わたくしが櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさと武村兵曹たけむらへいそうの案内あんないに從したがつて、海底戰鬪艇かいていせんとうていの縱覽じゆうらんを終をはつて後のち、再ふたゝび艇外ていぐわいに出いでたのは、かれこれ二時間にじかん程ほど後あとであつた。それより洞中どうちゆうの造船所ぞうせんじよ内ないを殘のこる隈くまなく見物けんぶつしたが、ふと見みると、洞窟どうくつの一隅いちぐうに、岩いわが自然しぜんに刳えぐられて、大だいなる穴倉あなぐらとなしたる處ところ、其處そこに、嚴重げんぢうなる鐵てつの扉とびらが設まうけられて、扉とびらの表面ひやうめんには黄色きいろのペンキで「海底戰鬪艇かいていせんとうていの生命せいめい」なる數字すうじが記しるされてあつた。
『之これは何なんですか。』と私わたくしが問とふと大佐たいさは言葉ことば靜しづかに『此この倉庫さうこには前ぜん申まうした、海底戰鬪艇かいていせんとうていの動力どうりよくの原因げんいんとなるべき重要ぢうえうの化學藥液くわがくやくえきが、十二の樽たるに滿みたされて藏をさめられてあるのです。實じつに此この藥液やくえきの樽たるこそ、海底戰鬪艇かいていせんとうていの生命せいめいともいふべき物ものです。』と答こたへた。此この他ほか猶なほ、見みもし聞きゝもしたき事ことは澤山たくさんあつたが、時刻じこくは既すでに八時じに近ちかく、艇ていの邊へんには既すでに夥多あまたの水兵すいへいが集あつまつて來きて、最早もはや工作こうさくの始はじまる模樣もやう、且かつは、海岸かいがんの家いへには、日出雄少年ひでをせうねんは只たゞ一人ひとりで定さだめて淋さびしく、待兼まちかねて居をる事ことだらうと、思おもつたので、私わたくしは大佐たいさに別わかれを告つげて、此處こゝを立去たちさる事ことに决けつした。たゞ此この秘密造船所ひみつぞうせんじよを出いづる前まへに、一言ひとこと聽ききたきは、海底戰鬪艇かいていせんとうていの竣成しゆんせいの期日きじつと、此この艇ていの如何いかに命名めいめいされるかとの點てんである。大佐たいさは私わたくしの問とひに對たいして、悠々ゆううと鼻髯びせんを捻ひねりつゝ
『若もし不時ふじの天變てんぺんが無ければ、今いまより二年にねん九くヶ月目げつめ、即すなはち之これから三度目さんどめの記元節きげんせつを迎むかふる頃ころには、試運轉式しうんてんしきを擧行きよかうし、引續ひきつゞいて本島ほんとうを出發しゆつぱつして、懷なつかしき芙蓉ふえうの峯みねを望のぞむ事ことが出來できませう。』と答こたへ、艇ていの名なに就ついては斯かう言いつた。『實じつは、電光艇でんくわうていと命名めいめいする積つもりです。』
電光艇でんくわうてい! 電光艇でんくわうてい! 如何いかに其實そのじつに相應ふさはしき名なよと、私わたくしは感嘆かんたんすると、大佐たいさは言ことばをつゞけ
『此この艇名ていめいは、我わが敬慕けいぼする山岡鐵舟先生やまをかてつしうせんせいの詩しより採とつたのです。』
『鐵舟先生てつしうせんせいの詩し?。』と私わたくしは小首こくびを傾かたむけたが、忽たちまち心付こゝろづいた。
『電光影裏斬春風でんくわうえいりしゆんぷうをきる、此この詩しですか。』
『それです』と大佐たいさは莞爾につこと打笑うちえみつゝ
『他日たじつ我わが海底戰鬪艇かいていせんとうていが、帝國軍艦旗ていこくぐんかんきを飜ひるがへして、千艇※艦せんていばんかんの間あひだに立たつの時とき、願ねがはくば其その名なの如ごとく、神速しんそくに、且かつ猛烈まうれつならん事ことを望のぞむのです。』
此この談話だんわが叔をはると、私わたくしは大佐たいさに別わかれを告つげ、武村兵曹たけむらへいそうに送おくられて、前まへの不思議ふしぎなる道みちを※すぎて、秘密造船所ひみつぞうせんじよの外そとへ出でた。

    第十六回 朝日島あさひじま

日出雄少年は椰子の木蔭に立つて居つた――國際法――占領の證據――三尖形の記念塔――成程妙案案――其處だよ

 秘密造船所ひみつざうせんじよを出いでた私わたくしは、鐵門てつもんのほとりで武村兵曹たけむらへいそうに別わかれ、猛犬まうけんの稻妻いなづまを從したがへて一散走いつさんばしり、頓やがて海岸かいがんの家いへへ皈かへつて見みると、日出雄少年ひでをせうねんは只たゞ一人ひとりで、淋さびし相さうに門口かどぐちの椰子やしの樹きの木蔭こかげに立たつて居をつたが、私わたくしの姿すがたを見みるより走はしり寄より『あゝ、叔父おぢさん、私わたくしはどうせうかと思おもつたのです、起床おきて見みると、叔父おぢさんは居ゐないし、稻妻いなづまも何處どこかへ行いつてしまつたんですもの。』と不平顏ふへいがほ。
『おゝ、可愛相かあいさうにに。』と私わたくしは胸むねに抱寄いだきよせた。成程なるほど私わたくしが今朝けさ未明みめいに櫻木大佐等さくらぎたいさらと共ともに家いへを去さつたのは、未まだ少年せうねんが安やすらかなる夢ゆめを結むすんで居をつた間あひだで、其後そのゝちに目醒めざめた彼かれは、例いつもとちがひ私わたくしの姿すがたも見みえず、また最愛さいあいの稻妻いなづまも居をらぬので、定さだめて驚おどろき且かつ淋さびしく感かんじた事ことであらうと私わたくしは不測そゞろに不憫ふびんになり
『あのね、日出雄ひでをさん、叔父おぢさんは故意わざと日出雄ひでをさんに淋さびしい目めを見みせたのでは無ないのだよ。今朝けさ行いつた處ところは暗くらい道みちだの危あぶない橋はしだのが澤山たくさんあつて、大佐たいさの叔父おぢさんや此この叔父おぢさんのやうに、成長おほきな人ひとでなければ行ゆけない處ところ、日出雄ひでをさんの樣やうに小ちいさい人ひとが行ゆくと、屹度きつと泣なきたくなる程ほど恐こわい處ところなんだから、默だまつて行いつたのだよ。』と言いふと、日出雄少年ひでをせうねんは眼めを擦こすつて
『私わたくしは、どんな恐こわい處ところでも泣なかなくつてよ。』
『泣なかない⁉ それは強つよい! けれど今いまは危あぶないからいけません、追付おつつけ成長おほきくなつたら、大佐たいさの叔父おぢさんも喜よろこんで連つれて行いつて下くださるでせう。サ、サ、それよりは稻妻いなづまも歸かへつて來きたから、例いつもの樣やうに海濱うみべへでも行いつて、面白おもしろく遊あそんでお出いで。』といふと日出雄少年ひでをせうねんは忽たちまち機嫌きげん麗うるはしく、今いま私わたくしの話はなした眞暗まつくらな道みちや、危あぶない橋はしの事ことについて聞ききた相さうに顏かほを上あげたが、此時このとき、丁度ちやうど猛犬稻妻まうけんいなづまが耳みゝを垂たれ尾をを掉ふつて、其その傍そばへ來きたので、忽たちまち犬いぬの方ほうに氣きを取とられて『稻妻いなづま! お前まへ何處どこへ行いつたの、さあ、之これから競走かけつくらだよ。』と、私わたくしの膝ひざから跳をどつて、犬いぬの首輪くびわに手てをかけて、一散いつさんに磯いそ打うつ浪なみの方かたへ走はしり出だした。
私わたくしは家いへに歸かへり、それより終日しゆうじつ室内しつないに閉籠とぢこもつて、兼かねてより企くわだてゝ居をつた此この旅行奇譚りよかうきだんの、今迄いまゝでの部分ぶゞんの編輯へんしうに着手ちやくしゆして本書ほんしよ第三回だいさんくわいの「怪あやしの船ふね」の邊へんまで認したゝめかけると、日ひは暮くれ、日出雄少年ひでをせうねんも稻妻いなづまと、一日いちにち四方八方しほうはつぽうを走はしり歩あるいた爲ために酷ひどく疲つかれて歸かへつて來きて、私わたくしの膝ひざに恁もたれた儘まゝ、二人ふたり暮くれ行ゆく空そらの景色けしきを眺ながめて居をる頃ころ、櫻木大佐さくらぎたいさ、武村兵曹たけむらへいそう、他ほか一隊いつたいの水兵すいへいは今日けふの業しごとを終をはつて、秘密造船所ひみつぞうせんじよから皈かへつて來きた。
例いつもの事ことだが、此この日ひの晩餐ばんさんは特ことに私わたくしの爲ためには愉快ゆくわいであつたよ。何故なぜとなれば昨日きのふまでは、如何いかに重要ぢうえうな事ことにしろ、櫻木大佐さくらぎたいさが或ある秘密ひみつをば其その胸むねに疊たゝんで私わたくしに語かたらぬと思おもふと、多少たせう不快ふくわいの感かんの無ないでもなかつたが、今いまは秘密造船所ひみつぞうせんじよの事ことも、海底戰鬪艇かいていせんとうていの事ことも盡こととく分わかり、且かつは我わが敬愛けいあいする大佐たいさは、斯かゝる大秘密だいひみつをも明あきらかに洩もらす程ほど、私わたくしを信任しんにんして居をるかと思おもふと、嬉うれしさは胸むねに滿みち溢あふれて、其その知遇ちぐうを感かんずる事こと益々ますす深ふかきと共ともに、私わたくしの心こゝろを苦くるしめるのは、たゞ如何いかにして此この厚意かうゐに酬むくいんかとの一念いちねん。たとへ偶然ぐうぜんとはいへ、此この離はなれ島じまに漂着へうちやくして、斯かく大佐たいさの家いへに住すみ、大佐たいさをはじめ武村兵曹たけむらへいそう其他そのほかの水兵等すいへいらに一方ひとかたならず世話せわになつて居をる身みは、彼等かれらが毎日まいにち>其その職務しよくむのために心身しんしんを碎くだいて居をるのを、徒いたずらに手てを拱こまぬいて見みて居をるに忍しのびぬ。如何いかなる仕事しごとでも、私わたくしの力ちからに叶かなふ相當さうたうの義務ぎむを盡つくしたいと考かんがへたので、私わたくしは膝ひざを進すゝめた。『大佐たいさよ、私わたくしも既すでに此この島しまの仲間なかまとなつた今いまは、貴下等あなたがたの毎日まいにち>の勞苦らうくをば、徒いたずらに傍觀ぼうくわんして居をるに忍しのびません、何なんでもよい。鐵材てつざいの運搬役うんぱんやくでも、蒸滊機關じようききくわんの石炭せきたん焚たきでも何なんでもよいから、海底戰鬪艇かいていせんとうていの竣成しゆんせいするまで、私わたくしを然しかるべき役やくに遠慮えんりよなく使つかつて下ください。』と熱心ねつしんに語かたつたが、大佐たいさは輕かろく點頭うなづくのみで
『ナニ、ナニ、决けつして其樣そんな心配しんぱいは御無用ごむようです、君きみと日出雄少年ひでをせうねんとは此この島しまの賓客ひんきやくであれば、たゞ食くつて寢ねて、自由じゆうな事ことをして、電光艇でんくわうていの竣成しゆんせいする日ひまで、氣永きながく待まつて居をれば夫それでよいのです。』と微笑びせうを帶おびて
『海底戰鬪艇かいていせんとうていの製造せいぞうには、極きわめて細密さいみつなる設計せつけいが出來できて、一人ひとりの不足ふそくをも許ゆるさぬ代かはりに、一人ひとりも増加ぞうかする必要ひつえうがないのです、ちやんと三十三名めいの水兵すいへいが或ある年月ねんげつの間あひだ働はたらいて、豫定通よていどうりに竣功しゆんこうする手續てつゞきになつて居をりますから、君きみも少年せうねんもたゞ遊あそんで居をればよいのです。』といふ。大佐たいさの心こゝろでは、吾等われら兩人ふたりが意外いぐわいの椿事ちんじの爲ために、此樣こんな孤島はなれじまへ漂着へうちやくして、之これから或ある年月ねんげつの間あひだ、飛とぶに羽はねなき籠かごの鳥とり、空むなしく故國ここくの空そらをば眺ながめて暮くらすやうな運命うんめいになつたのをば、寧むしろ不憫ふびんと思おもつて居をるのであらう。けれど私わたくしは默だまつては居をられぬ。『イヤ、左樣さうでは無ないです、若もし秘密造船所ひみつざうせんじよの仕事しごとに私わたくしの必要ひつえうが無ないなら、料理方れうりかたでもやりますす。』と决然けつぜん言放いひはなつと、此時このときまで食卓しよくたくの一方いつぽうに、默だまつて私わたくしの顏かほを眺ながめて居をつた武村兵曹たけむらへいそうは、突然とつぜん顏かほを突出つきだして。
『うむ、恰好事よいことがあるる。』と例れいの頓狂聲とんきようごゑ
『貴方あなたに料理方れうりかただなんて、其樣そんな馬鹿ばからしい事ことが出來できますか。』と言いひかけて櫻木大佐さくらぎたいさに眼まなこを轉てんじ
『大佐閣下たいさかくか、好かう機會きくわいです、例れいの一件いつけん、此この島しまに紀念塔きねんたうを建たてる事ことを依頼いらいしては如何どうでせう。』
大佐たいさはポンと掌たなごゝろを叩たゝいた。
『其事そのこと! 余よも丁度ちやうど考かんがへて居をつた處ところだ。』と私わたくしに向むかひ
『若もし、君きみが強しいて或ある仕事しごとを望のぞみ玉たまふならば。』と徐おもむろに語かたり出だす大佐たいさの言げんによると。元來ぐわんらい此この孤島はなれじまは前まへにも云いふ樣やうに、未まだ、世界輿地圖せかいよちづの表面ひやうめんには現あらはれて居をらない程ほどで、櫻木大佐さくらぎたいさの一行いつかうが、初はじめて發見はつけんした迄までは全まつたくの無人島むじんとうで、何國いづこの領地りようちとも定さだまつて居をらぬ處ところだから、國際法上こくさいほふじやうから言いつても「地球上ちきゆうじやうに、新あらたに發見はつけんされたる島しまは、其その發見者はつけんしやが屬ぞくする國家こつかの支配しはいを受うく」との原則げんそくで、當然たうぜん大日本帝國だいにつぽんていこくの新しん領地りようちとなるべき處ところである。そこで、大佐たいさは今いまより二年にねん以前いぜん、其その一行いつかうと共ともに此この海岸かいがんに上陸じやうりくした時ときに、先まづ第一だいいちに此この島しまの名なを「朝日島あさひじま」と命めいじ、永久えいきゆうに大日本帝國だいにつぽんていこくの領土りようどたる可べき事ことを宣言せんげんし、それより以來いらい、朝日あさひ輝かゞやく日ひの御旗みはたは、絶たえず海岸かいがんの一方いつぽうの岬頭みさきに飜ひるがへつて居をるが、さて熟々つららと考かんがへるに、大佐等たいさらが此この島しまに上陸じやうりくしたそももの目的もくてきは、秘密ひみつなる海底戰鬪艇かいていせんとうていを製造せいぞうするが爲ためで、艇ていの竣成しゆんせいと共ともに、早晩さうばん此處こゝを立去たちさらねばならぬのである。無論むろん、立去たちさつた後あとでも、永久えいきゆうに日本帝國につぽんていこくの領土りようどであるべき事ことは疑うたがひを容いれぬが、茲こゝに頗すこぶる憂慮ゆうりよに堪たえぬのは、今いまや、眼まなこを放はなつて天下てんかの形勢けいせいを眺ながむるに、歐米諸國をうべいしよこくは寸尺すんしやくの土地とちと雖いへども自己じこの領分りようぶんとなさんと競きそひ爭あらそひ、若もし茲こゝに、一個いつこの無人島むじんとうでもあつて、些いさゝかにても國家こつかの支配權しはいけんが完全くわんぜんに及およんで居をらぬと見みるときは最早もはや國際法こくさいほふの原則げんそくも何なにもあつたもので無ない、知しつても知しらぬ顏かほに、先占せんせんの人ひとが立たてたる旗はたをば押倒おしたをして、自國じこくの國旗こくきを飜ひるがへし、詰つまる所ところは大紛爭だいもんちやくを引起ひきをこして、其間そのあひだに多少たせうの利益りえきを占しめんと企くわだてゝ居をる、實じつに其その狡猾かうくわつなる事こと言語げんごに絶ぜつする程ほどだから、今いま櫻木大佐さくらぎたいさは公明正大こうめいせいだいに此この島しまを發見はつけんし、名なづけて朝日島あさひとうと呼よび、之これよりは我わが大日本帝國だいにつぽんていこくの領地りようちである事ことを表示ひやうしする爲ために、幾本いくほんの日章旗につしようきを海岸かいがんに飜ひるがへして置おいても、一朝いつてう此處こゝを立去たちさつた後あとの事ことは、少すくなからず氣遣きづかはれるのである。無論むろん、絶海ぜつかいの孤島ことうであれば、三年さんねんや五年ごねんの間あひだに他國たこくの侵犯しんはんを、蒙かうむるやうな事ことはあるまいが、安心あんしんのならぬは現げんに弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつの結果けつくわ、偶然ぐうぜんにも此この島しまに漂着へうちやくした吾等われら兩人ふたりの實例じつれいに照てらしても、櫻木大佐さくらぎたいさの一行いつかうが、功成こうなり此處こゝを立去たちさつた後あとに、何時いつ他國人たこくじんが入替いれかわつて、此この島しまに上陸じようりくせまいものでもない、貪慾どんよく飽あく事ことを知しらぬ歐米人をうべいじんが、※一まんいちにも其後そのゝち此處こゝに上陸じやうりくしたなら夫それこそ大變たいへん、何百本なんびやくぽんの日章旗につしようきが立たつて居をつたにしろ、其樣そんな事ことには抅かまはぬ、忽たちまち日章旗につしようきは片々きれれに引裂ひきさかれて、代かはつて獅子しゝや鷲章わしゞるしの旗はたが、我物顏わがものがほに此この島しまを占領せんりようする事ことであらう。元もとより紛議ふんぎも葛藤かつとうも恐おそるゝ所ところでない、正理せいりは我われにあるのだが、然しかし※里ばんりの波濤はたうを距へだてたる絶島ぜつとうに於おいて、既すでに唯一ゆいいつの確證くわくしようたる可べき日章旗につしようきを徹去てつきよされたる後のちは、我われに十二分ぶんの道理どうりがあつても、一個いつこの證據しようこなく、天下てんかの承認しようにんを得うる事ことは餘程よほど困難こんなんであらうと思おもふ。今いまは左迄さまでに有要いうえうとも見みえぬ此この孤島はなれじまも、今いまより三十年ねん若もしくば五十年ねんの後のち、我わが日本につぽんが世界せかいに大權力だいけんりよくを振ふるはんとする時とき、西方にしのかた歐羅巴エウロツパに對たいする軍略上ぐんりやくじやう、如何いかに得易えやすからざる要鎭えうちんとなるかは、追おつて分わかる時ときもあらう。兎とも角かくも、决けつして他國たこくには渡わたすまじき此この朝日島あさひじまの占領せんりようをば、今いまより完全くわんぜんに繼續けいぞくして、櫻木大佐等さくらぎたいさらの立去たちさつた後あとと雖いへども、動うごかし難がたき確證くわくしようを留とゞめ、※一まんいち他國たこくの容嘴ようしする塲合ばあひには、一言いちげんの下したに、大日本帝國だいにつぽんていこくの領地りようちである事ことを明示めいしし得うる計畫けいくわくを立たてゝ置おかねばならぬ。
斯かく語かたりかけた櫻木大佐さくらぎたいさは一息ひといきつき
『そこで一個ひとつの妙案めうあんを考かんがへ出だしたのです。』と言いひながら、頭かうべを廻めぐらし
『實じつは、此この妙案めうあんの發明者はつめいしやは、武村兵曹たけむらへいそうと云いつてもよい。』と打笑うちわらひつゝ
『武村兵曹たけむらへいそう、悉くわしく汝おまへから語かたつてあげい。』
聲こゑに應おうじて、快活くわいくわつなる兵曹へいそうは進すゝみ出でた。
『私わたくしは喋しやべる事ことが下手へただから、分わからなかつたら、何度なんどでも聽返きゝかへして下ください。』と例れいの口調くちようで
『其その妙案めうあんといふのは斯かうなんです。貴下あなたも御存ごぞんじの通とうり、此この朝日島あさひじまは、此この家いへの附近ふきんを除のぞいては、到いたる處ところ皆みな危險きけんな塲所ばしよで、深山しんざんへ十里り以上いじやうも進すゝんで行ゆくと、天狗てんぐが居をるか魔性ませうが居をるか分わからない、イヤ、正歟まさか、其樣そんな者ものは居ゐまいが、毒蛇どくじやや、猛狒ゴリラや、獅子しゝや、虎とらの類るいが數知かずしれず棲すんで居をつて、私わたくしの樣やうな無鐵砲むてつぽうな人間にんげんでも、とても恐おそろしくつて行いけぬ程ほどだから、誰人たれだつて足踏あしふみは出來できませない。そこでね、私わたくしの考かんがへるには、今いま一個ひとつの堅固けんごな紀念塔きねんたふを作こしらへて、其その深山しんざんへ持もつて行いつて建たてゝ來くるのだ、紀念塔きねんたうの表面ひやうめんには、ちやんと朝日島あさひじまと刻きざんで、此處こゝは日本帝國につぽんていこくの領地りようちで御坐ござる、何年なんねん、何月なんげつ、何日なんにち、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ之これを發見はつけんすと記しるして置おくのだ。すると、吾等われらが此この島しまを立去たちさつた後あとで、外國人ぐわいこくじん共どもがやつて來きても大丈夫だいじやうぶです。何なに、海岸かいがん邊へんの日ひの丸まるの旗はたを押倒おしたをして、獅子しゝだの、鷲印わしじるしの旗はたなんか立たてた處ところで無益だめだ>。此この紀念塔きねんたふの建たてられた深山しんざんまでは、危險きけんだから誰たれも行いけない、行いかなければ其樣そんな證據物しようこぶつのある事ことは知しらないで居をる。※一まんいち行いけば忽たちまち猛獸まうじう毒蛇どくじやに喰殺くひころされてしもうから、死しんだ人間にんげんは無ないも同然どうぜん。そこで、外國人ぐわいこくじんが吾等われらの立去たちさつた後あとで、此この島しまへ上陸じやうりくして、此處こゝは自分じぶんが、第一だいいちに發見はつけんした島しまだなんかと、管くだを卷まひたつて無益だめと申もうすのだ。此方こつちにはちやんと證據物件しようこぶつけんが厶ござる、そんなに八釜やかましく言いふなら、サア來きて見みなせいと云いつて、山奧やまおくへ連つれて行いつて、其その紀念塔きねんたふを見みせてやるのだ、どうだい此この字じが讀よめぬか「明治めいじ何年なんねん、何月なんげつ、何日なんにち、大日本帝國だいにつぽんていこく海軍大佐櫻木重雄かいぐんたいささくらぎしげを本島ほんとうを發見はつけんす、今いまは大日本帝國だいにつぽんていこくの占領地せんりようちなり、後おくれて此この島しまに上陸じやうりくする者ものは、速すみやかに旗はたを卷まいて立去たちされ」なんかと記しるしてあるでせう、奴輩やつこさんは喫驚びつくりして卒倒ひつくりかへるだらう。其處そこを横面よこずつぽうでも張飛はりとばして追拂おつぱらつてやるのだ。』『あはゝゝゝゝ。』と私わたくしは聲こゑ高たかく笑わらつた。成程なるほど妙案めうあん>。武骨ぶこつな武村兵曹たけむらへいそうの考かんがへ出だし相さうな事ことだ。けれど、第一だいいちに、其樣そんな危險きけんな深山しんざんへ如何どうして紀念塔きねんたうを建たてるか、外國人ぐわいこくじんの行ゆかれぬ程ほど危險きけんな處ところへは、吾等われらだつて行ゆかれぬ筈はづでは無ないかと、隙すかさず一本いつぽん切込きりこむと、武村兵曹たけむらへいそうちつとも驚おどろかない。
『其處そこが奇々妙々きゝめううの發明はつめいだよ。』

    第十七回 冐險鐵車ぼうけんてつしや

自動の器械――斬頭刄ギラチン形の鉞――ポンと小胸を叩いた――威張れません――君が代の國歌――いざ、帝國の萬歳を唱へませう

『其處そこが、奇々妙々きゝめううの發明はつめいだよ。』と武村兵曹たけむらへいそうは澄すました顏かほで
『私わたくしだつて、其樣そんなに無鐵砲むてつぽうな事ことは言いはない、此この工夫くふうは、大佐閣下たいさかくかも仲々なかか巧妙うまいと感心かんしんなすつたんです。』と意氣いき昂然こうぜんとして
『冐險鐵車ぼうけんてつしや――左樣さやう自動仕掛じどうじがけの鐵檻てつおりの車くるまを製造せいぞうして、其それに乘のつて、山奧やまおくへ出掛でかけやうといふんです。』
『む、鐵檻てつおりの車くるま?。』と私わたくしは額ひたいを叩たゝいた。
武村兵曹たけむらへいそうは此時このとき大佐たいさの許可ゆるしを得えて、次つぎの室へやから一面いちめんの製圖せいづを携たづさへて來きて、卓上たくじやうに押廣おしひろげ
『これです、自動冐險鐵車じどうぼうけんてつしやの設計せつけいといふのは――先まづ此この鐵檻てつおりの車くるまの恰形かくこうは木牛もくぎうに似にて、長ながさ二十二尺しやく、幅員はゞ十三尺じやく、高たかさは木牛形もくぎうけいの頭部とうぶに於おいて十二尺しやく、後端こうたんに於おいて十尺しやく半はん、四面しめんは其その名なの如ごとく、堅牢けんらうなる鐵てつの檻おりをもつて圍繞かこまれ、下床ゆかは彈力性だんりよくせいを有いうするクロー鋼板かうばんで、上部じやうぶは半面はんめん鐵板てつぱんに蔽おほはれ、半面はんめん鐵檻てつおりをもつて作つくられ、鐵車てつしやは都合つごう十二の車輪くるまを備そなへ、其内そのうち六個こは齒輪車しりんしやで、此この車輪しやりんを運轉うんてんする動力どうりよくは、物理學上ぶつりがくじやうの種々しゆゆなる原則げんそくを應用おうようせる、極きはめて巧緻こうちなる自轉じてんの仕組しくみにて、車内しやない前部ぜんぶの機械室きかいしつには「ノルデン、インヂン」に髣髴ほうふつたる、非常ひじやうに堅牢けんらう緻密ちみつなる機械きかいの設まうけありて、大だい、中ちう、小せう、三十七種しゆの齒輪車しりんしやは互たがひに噛合かみあひ、吸鍔桿ピストン、曲肱クンク、方位盤ダイレクターに似にたる諸種しよしゆの器械きかいは複雜ふくざつを極きはめ、恰あだかも聯成式れんせいしきの蒸氣機關じようききくわんを見みるやうである。今いま一個いつこの人ひとあり、車臺しやだいに坐ざして、右手ゆんでに柄子とりでを握にぎつて旋廻輪せんくわいりんを廻まわしつゝ、徐々じよよに足下そくかの踏臺ふみだいを踏ふむと忽たちまち傍かたはらに備そなへられたる號鈴器がうれいきはリンンと鳴なり出だして、下方かほうの軸盤じゆくばんの靜しづかに回轉くわいてんを始はじむると共ともに、其その動力どうりよくは第一だいいちの大齒輪だいしりんに及および、第二だいにの齒輪車しりんしやに移うつり、同時どうじに吸鍔桿ピストンは上下じやうかし、曲肱クンクの活動くわつどうは眼めにも留とまらず、かくて其その動力どうりよくが第だい三十七番目ばんめの齒輪車しりんしやに及およぶ頃ころには、其その廻轉くわいてんの速度そくどと、實力じつりよくとは、非常ひじやうに強烈きようれつになつて、殆ほとんど四百四十馬力ばりきの蒸滊機關じようききくわんに匹敵ひつてきし得うる由よし、此この猛烈まうれつなる動力どうりよくが、接合桿せつがふかんをもつて車外しやぐわい十二個この車輪しやりんを動うごかし、遂つひに此この堅固けんごなる鐵檻てつおりの車くるまは進行しんかうを始はじめるのである。勿論もちろんかゝる構造かうざうで、極きわめて重量じゆうりようのある鐵車てつしやの事ことだから、速力そくりよくの點てんに於おいては餘あまり迅速じんそくには行ゆかぬ、平野へいやならば、一時間いちじかん平均へいきん五哩マイル以上いじやう進行しんかうする事ことが出來できるであらうが、極ごく勾配かうばいの激はげしい坂道さかみちでは、辛からうじて一時間じかん一哩マイル位くらゐの速力そくりよくに終をはる事こともあらう。然しかし、此この冐險鐵車ぼうけんてつしやの特色とくしよくは水中すいちうの他ほかは如何いかなる險阻けんその道みちでも進行しんかうし得えぬといふ事ことはなく、險山けんざんを登のぼるには通常つうじやうの車輪しやりんの他ほかに六個ろくこの強堅きようけんなる齒輪車しりんしやと、車室しやしつの前方ぜんぽうに裝置さうちされたる螺旋形らせんけいの揚上機やうじやうき、及および後方こうほうに設まうけられたる遞進機ていしんきとを使用しようして、登のぼる山道やまみちの大木たいぼく巨巖等きよがんとうを力ちからに、螺旋形らせんけいの尖端せんたんは先まづ螺釘らていの如ごとく前方ぜんぽうの大木たいぼくに捩ねぢれ込こみ、車内しやないの揚上機やうじやうきの運轉うんてんと共ともに、其その螺旋らせんは自然しぜんに收縮しゆうしゆくして、次第しだい>に鐵車てつしやを曳上ひきあげ、遞進機ていしんきは螺旋形揚上機らせんけいやうじやうきとは反對はんたいに、後方こうほうの巖石がんせきを支臺さゝへとして、彈力性だんりよくせいの槓桿こうかんの伸張しんちやうによつて、無二無三むにむさんに鐵車てつしやを押上おしあげるのである。鐵車てつしや深林しんりんを行ゆくには、一層いつそう巧妙こうめうなる器械きかいがある、それは鐵車てつしやの前方ぜんぽう木牛頭もくぎうとうの上下じやうかより突出とつしゆつして、二十一の輪柄りんぺいを有いうする四個しこの巨大きよだいなる旋廻圓鋸機せんくわいゑんきよきと、むかし佛蘭西フランスの革命時代かくめいじだいに、日ひに一萬三千人いちまんさんぜんにんの首くびを刎はねたりと呼よばるゝ、世よにも恐おそるべき斬頭刄ギラチンの形かたちに髣髴ほうふつたる、八個はつこの鋭利えいりなる自轉伐木鉞じてんばつもくふとの仕掛しかけにて、行道ゆくてに塞ふさがる巨木きよぼくは幹みきより鋸ひき倒たほし、小木せうぼくは枝えだ諸共もろともに伐きり倒たほして猛進まうしんするのであるから、如何いかなる險山けんざん深林しんりんに會くわいしても、全まつたく進行しんかうを停止ていしせらるゝやうな患うれひはないのである。鐵檻てつおりの車くるまの出入口でいりぐちは、不思議ふしぎにも車室しやしつの頂上てうじやうに設まうけられて、鐵梯てつていを傳つたつて屋根やねから出入でいりする樣やうになつて居をる。それは四面しめんの鐵檻てつおりの堅牢けんらうなる上うへにも堅牢けんらうならん事ことを望のぞんで、如何いかに力強ちからつよき敵てきが襲おそひ來きたつても、决けつして車中しやちうの安全あんぜんを害がいせられぬ爲ための特別とくべつの注意ちうゐである相さうな。乘組のりくみの人員じんゐんは、五人ごにんが定員てんゐんで、車内しやないには機械室きかいしつの外ほかに、二個にこの區劃くくわくが設まうけられ、一方いつぽうは雨露うろを凌しのぐが爲ために厚あつさ玻璃板はりばんを以もつて奇麗きれいに蔽おほはれ、床上しやうじやうには絨壇じゆうたんを敷しくもよし、毛布ケツトー位ぐらいで濟すますもよし、其處そこは乘組人のりくみにんの御勝手ごかつて次第しだい、他たの區劃くくわくは彈藥だんやくや飮料いんれうや鑵詰くわんづめや乾肉ほしにくや其他そのほか旅行中りよかうちうの必要品ひつえうひんを貯たくわへて置おく處ところで、固定旅櫃こていトランクの形かたちをなして居をる。
『斯かう出來上できあがつたら立派りつぱなもんでせう。』と武村兵曹たけむらへいそうは鼻はなを蠢うごめかしつゝ私わたくしを眺ながめた。
『見事みごと! 見事みごと! イヤ實じつに驚おどろく可べき大發明だいはつめいだよ。』と私わたくしは膝ひざの進すゝむを覺おぼえなかつた。兵曹へいそうは猶なほも威勢ゐせいよく
『ね、此この自動鐵檻車じどうてつおりのくるまが出來できて見みなさい、如何どんな危險きけんな塲所ばしよだつて平氣へいきなもんです、猛狒ゴリラや獅子しゝが行列ぎようれつを立たてゝ襲おそつて來きた所ところで、此方こつちは鐵檻車てつおりぐるまの中なかから猛獸まうじう共どもの惡相あくさうを目掛めがけて、鐵砲玉てつぽうだまの御馳走ごちさうでもしてやるばかりだ。其處そこで此この鐵車てつしやに乘のつて、朝日島あさひじまの名なを刻きざんだ紀念塔きねんたうを携たづさへて、此處こゝから三十里り位ぐらいの深山しんざんに踏入ふみいつて、猛獸まうじう毒蛇どくじやの眞中まんなかへ、其その紀念塔きねんたうを建たてゝ來くるのだ、何なんと巧妙うまい工夫くふうではありませぬか。』とポンと小胸こむねを叩たゝいて『此樣こんな工夫くふうをやるのだもの、此この武村新八たけむらしんぱちだつてあんまり馬鹿ばかにはなりますまい。』と眼めを眞丸まんまるにして一同いちどうを見廻みまわしたが、忽たちまち聲こゑを低ひくくして
『だが、あんまり威張ゐばれないて、此樣こんな車くるまを製造こしらへては如何どうでせうと、此處こゝまで工夫くふうしたのは此この私わたくしだが、肝心かんじんの機械きかいの發明はつめいは悉皆みんな大佐閣下たいさかつかだよ。』と苦笑くせうしたので、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさをはじめ、一座いちざの面々めんん、餘あまりの可笑をかしさに、一時いちじにドツと笑崩わらひくづるゝ間あひだに、武村兵曹たけむらへいそうは平氣へいきな顏かほで私わたくしに向むかひ
『其處そこで、貴方あなたに勸すゝめるのです貴方あなたは石炭焚せきたんたきだの、料理方れうりかただのつて、其樣そんな馬鹿ばかな眞似まねが出來できるもので無ないから、それよりは、此この鐵檻車てつおりぐるまの製造せいぞうにお着手かゝりなすつては如何いかゞです、大佐閣下たいさかつかも餘程よほど前まへから此この企くはだてはあつたので、すでに製圖せいづまで出來できて居をるのだが、海底戰鬪艇かいていせんとうていの方ほうが急いそがしいので、力ちからを分わける事ことが出來できず、何いづれ艇ていの竣成しゆんせい後ご、製造せいぞうに着手かゝらうと仰おつしやつて居いるのだが、海底戰鬪艇かいていせんとうていが出來上できあがつた上うへは、一日いちにちも速はやく日本につぽんへ歸かへつた方ほうがいゝ、それで、なんと、貴方あなたはやつて見みる御决心ごけつしんはありませんか、若もし貴方あなたが主任者しゆにんしやとなつて、一生懸命いつしやうけんめいにやる積つもりなら、私共わたくしどもも二三人宛にんづゝは休息時間きうそくじかんを廢はいしても、交かわるる行いつて働はたらきますぞ、すると海底戰鬪艇かいていせんたうていの竣工しゆんこうする頃ころには、鐵檻てつおりの車くるまも出來上できあがつて、私共わたくしどもは直すぐ其それに乘込のりこんで、深山しんざんの奧おくへ行いつて、立派りつぱに紀念塔きねんたうを建たてゝ來くるのだ。』『愉快ゆくわい々々。』と私わたくしは兩手りようてを擧あげた。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは微笑びせうを帶おびて私わたくしに向むかひ
『君きみは進すゝんで、此この任務にんむを擔當たんたうしますか。』
『やります。』と私わたくしは斷言だんげんした。
自動冐險鐵車じどうぼうけんてつしや! あゝ此この前代未聞ぜんだいみもんなる鐵車てつしやの製造せいざうは、隨分ぜいぶん容易ようゐな事ことではあるまい。然しかし、私わたくしも一個いつこの男子だんしである。之これから二年ねん九ヶ月げつの間あひだ、大佐等たいさらはかの驚おどろく可べき海底戰鬪艇かいていせんとうていの工作こうさくに着手ちやくしゆして居をる間あひだ、私わたくしの心身しんしんを込こめて從事じうじしたら、何なんの出來できぬ事ことがあらう。やるやる見事みごとにやつて見みせる。
櫻木大佐さくらぎたいさは痛いたく打悦うちよろこび、
『君きみに其その决心けつしんがあるなら屹度きつと出來できます、鐵車てつしやの製造所せいぞうしよは、我わが秘密造船所ひみつざうせんじよ内ないの何處どこかに設まうけ、充分じゆうぶんの材料ざいれうは私わたくしの方ほうから供給けうきうし、また君きみの助手たすけてとしては、毎日まいにち午前ごぜん午後ごゞに交代かうたいに、四名宛めいづゝの水兵すいへいを遣つかはす事ことに致いたしませう。私わたくしも及およばずながら※事ばんじに就ついて助言じよげんを致いたしますよ。』といふ。
『斯かうなつたら、生命掛いのちがけでやります。』と私わたくしは腕うでを叩たゝいた。
『面白おもしろいい。』と武村兵曹たけむらへいそうは頬鬚ほうひげを撫なでた。
日出雄少年ひでをせうねんは先刻せんこくから、櫻木大佐さくらぎたいさの傍かたはらに、行儀ぎようぎよく吾等われらの談話はなしを聽きいて居をつたが、幼いとけなき心こゝろにも話はなしの筋道すぢみちはよく分わかつたと見みへ、此時このとき可愛かあいらしき眼めを此方こなたに向むけ『あの、叔父おぢさんが、鐵てつの車くるまをお製つくりになるんなら、私わたくしも同一いつしよに働はたらかうと思おもふんです。』
『こいつは愈々いよよ面白おもしろくなつて來きた。』と武村兵曹たけむらへいそうは突如いきなり少年せうねんを抱上いだきあげた。
櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは打笑うちえみながらも、聲こゑ爽さわやかに
『日出雄少年ひでをせうねんは鐵工てつこうとなるより、立派りつぱな海軍士官かいぐんしくわんとなる仕度したくをせねばならんよ。』と武村兵曹たけむらへいそうの膝ひざなる少年せうねんの房々ふささした頭髮かみを撫なでやりつゝ、私わたくしに向むかひ
『兼かねて承うけたまはる、彼かれの父ちゝなる濱島武文氏はまじまたけぶみしと、春枝夫人はるえふじんとの志こゝろざしに代かはつて、不肖ふせうながら日出雄少年ひでをせうねんの教育きよういくの任にんをば、之これから此この櫻木重雄さくらぎしげをが引受ひきうけませう。』といふ。
私わたくしは此この一言いちごんで、忽たちまち子ープルスの親友しんゆうや、春枝夫人はるえふじんの事ことを回想くわいさうした。日出雄少年ひでをせうねんをば眞個しんこの海軍々人かいぐんぐんじんの手てに委ゆだねんとせし彼かれの父ちゝの志こゝろざしが、今いまや意外いぐわいの塲所ばしよで、意外いぐわいの人ひとに依よつて達たつせらるゝ此この嬉うれしき運命うんめいに、思おもはず感謝かんしやの涙なみだは兩眼りようがんに溢あふれた。暫時ざんじ室内しつないはシンとなると、此時このとき何處いづくとも知しれず「君きみが代よ」の唱歌せうかが靜しづかなる海濱かいひんの風かぜにつれて微かすかに聽きこえる。オヤと思おもつて、窓外まどのそとを眺ながめると、今宵こよひは陰暦いんれきの十三夜や、月明つきあきらかなる青水せいすい白沙はくしやの海岸かいがんには、大佐たいさの部下ぶかの水兵等すいへいらは、晝間ひるまの疲勞つかれを此この月つきに慰なぐさめんとてや、此處こゝに一羣ひとむれ。彼處かしこに一群ひとむれ、詩吟しぎんするのもある。劍舞けんぶするのもある。中なかに一團いちだん七八人にんの水兵等すいへいらは、浪なみに突出つきだされたる磯いその上うへに睦むつましく輪わをなして、遙はるかに故國こゝくの天てんを望のぞみつゝ、節ふしおもしろく君きみが代よの千代八千代ちよやちよの榮さかえを謳歌おうかして居をるのであつた。『あゝ、壯快さうくわい、壯快さうくわい!。』と私わたくしは絶叫ぜつけうしたよ。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは徐しづかに立上たちあがり
『いざ、吾等われらも彼處かしこに行ゆいて、共ともに大日本帝國だいにつぽんていこくの※歳ばんざいを唱となへませうか。』
        *    *    *    *
      *    *    *    *
其その翌日よくじつから、私わたくしは朝あさは東雲しのゝめの薄暗うすくらい時分じぶんから、夕ゆふべは星影ほしかげの海うみに落おつる頃ころまで、眞黒まつくろになつて自動鐵檻車じどうてつおりのくるまの製造せいぞうに從事じゆうじした。洞中どうちうの秘密造船所ひみつざうせんじよの中なかでは、海底戰鬪艇かいていせんとうていの方ほうでも、私わたくしの方ほうでも、鎔鐵爐ようてつろ、冶金爐等やきんろとうから㷔々えんんと吹ふき出だす熱火ねつくわの光ひかりは魔神まじんの紅舌したのごとく、互たがひに打うちおろす大鐵槌だいてつついの響ひゞきは、寂寞じやくばくたる洞窟どうくつを鳴動めいどうして、朝日島あさひじまの海うみの神樣かみさまも、定さだめて膽きもを潰つぶした事ことであらう。

    第十八回 野球競技ベースボールマツチ

九種の魔球カーブ――無邪氣な紛着――胴上げ――西と東に別れた――獅子の友呼び――手頃の鎗を捻つて――私は殘念です――駄目だんべい

 それから、一年ねん、二年ねん、三年ねんと、月日つきひの車くるまは我等われらの仕事しごとの進行すゝみと同おなじ速力そくりよくに※去すぎさつて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさが兼かねて豫定よていした通とうりに、世よにも驚おどろく可べき海底戰鬪艇かいていせんとうていも、今いまは九分九厘くぶくりんまで竣成しゆんせいし、いよよ今この二月にぐわつの十一日にち、即すなはち大佐等たいさらの爲ためには此この朝日島あさひじまに上陸じようりくしてから五度目ごたびめの――私わたくしと日出雄少年ひでをせうねんとのためには三度目さんどめの、紀元節きげんせつの祝日いはひのひを迎むかふると共ともに、目出度めでたき試運轉式しうんてんしきを擧行きよかうし得うる迄までの、歡よろこばしき運はこびに到いたつた頃ころ、私わたくしの擔任たんにんの自動鐵車じどうてつしやも全まつたく出來上できあがつた。今いまになつて回想かんがへると、三年ねんの月日つきひもさてて速はやいものだ。本國ほんごくから數千里すうせんり距へだたつた此この印度洋インドやう中ちうの孤島こたうにあつて、隨分ずゐぶん故郷こきようの空そらの懷なつかしくなつた事ことも度々たびびあつた――昔むかしの友人ともだちの事ことや――品川灣しながはわんの朝景色あさげしきや――上野淺草うへのあさくさ邊へんの繁華にぎやかな町まちの事ことや――新橋しんばしの停車塲ステーシヨンの事ことや――回向院ゑこうゐんの相撲すまふの事ことや――神樂坂かぐらざかの縁日えんにちの事ことや――萬よろづ朝報てうほうの佛蘭西フランス小説せうせつの事ことや――錦輝舘きんきくわんの政談せいだん演説えんぜつの事ことや――芝居しばゐの事ことや浪花節なにはぶしの事ことや、それから又また自分じぶんが學校時代がくかうじだいによく進撃しんげきした藪やぶそばや梅月ばいげつの事ことや、其他そのほか樣々さままな事ことを懷想くわいさうして、翼つばさあらば飛とんでも行ゆきたいまで日本につぽんの戀こひしくなつた事ことも度々たびびあつたが、然しかし比較的ひかくてきに※去くわこの三年ねんは私わたくしの爲ためには凌しのぎ易やすかつたよ、イヤ、其間そのあひだには隨分ずゐぶん、諸君しよくんには想像さうざうも出來できない程ほど、面白おもしろい事ことも澤山たくさんあつた。獅子狩しゝがりは何なんでも十幾遍いくへんか催もようされたが例いつも武村兵曹たけむらへいそうの大功名だいこうめうであつた。また或ある時ときは海岸かいがんの家いへの直すぐ後うしろの森もりへ、大鷲おほわしが巣すを營いとなんで居をるのを見付みつけて、其その卵子たまごを捕とりに行いつて酷ひどい目めに遭遇でつくわした事こともある。毎日まいにち>晨あしたに星ほしを戴いたゞいて大佐等たいさらと共ともに家いへを出いで、終日しうじつ海底かいていの造船所ざうせんじよの中なかで汗水あせみづを流ながして、夕暮ゆふぐれ靜しづかな海岸かいがんを歸かへつて來くると、日出雄少年ひでをせうねんと猛犬まうけんの稻妻いなづまとは屹度きつと途中とちうまで迎むかへに來きて居をる、それから暑あつい時ときには家いへの後うしろを流ながれて居をる清流せいりうで身體からだを清きよめ、凉すゞしい時ときには留守居るすゐの水兵すいへいや日出雄少年ひでをせうねんが凖備ようゐして呉くれる此この孤島しまには不相應ふさうおうに奇麗きれいな浴湯よくたうへ入はいつて、頓やがて樂たのしい夕食ゆふしよくも終をはると、此邊このへんは熱帶國ねつたいこくの常つねとて、年中ねんちう日ひが長ながいので、食後しよくご一時間じかんばかりは大佐たいさをはじめ一同いちどう海邊かいへんに出いでゝ戸外運動こぐわいうんどうに耽ふけるのである。庭球ローンテニスもある、「クリツケツト」もある、射的塲しやてきばもある、相撲すまふの土俵どひやうもある、いづれも櫻木大佐さくらぎたいさが日本につぽんを出いづる前まへから、かゝる孤島こたうの生活中せいくわつちう、一同いちどうの無聊むれうを慰なぐさめんが爲ために凖備じゆんびして來きた事こととて「テニス、コード」も射的塲しやてきばも仲々なかか整頓せいとんしたものである、然しかし、此この島しまで一番いちばん流行はやるのは端艇競漕ボートレースと野球競技ベースボールとであつた。端艇競漕ボートレースは本職ほんしよくの事ことだから流行はやるのも無理むりは無ないが、大事かんじんの端艇ボートは甞かつて起おこつた大颶風だいぐふうの爲ために大半たいはん紛失ふんしつしてしまつたので、今いま殘のこつて居をるのは「ギク」一隻さう、「カツター」二隻さうで、櫂オールも餘程よほど不揃ふぞろひなので、とても面白おもしろい競漕きやうそうなどは出來できない、時々とききやつて見みたが、「ハンデー」やら其他そのほか樣々さままの遣繰やりくりやらで、いつも無邪氣むじやきな紛着もんちやくが起おこつて、墨田川すみだがはの競漕きやうそうの樣やうに立派りつぱには行ゆかぬのである。野球ボールは其樣そんな災難さいなんが無ないから、毎日まいにち>盛さかんなものだ、丁度ちやうど海岸かいがんの家いへから一町ちやう程ほど離はなれて、不思議ふしぎな程ほど平坦たいらかな芝原しばはらの「ゲラウンド」があるので、其處そこで「アウト」「ストライキ」の聲こゑは夕暮ゆふぐれの空そらに響ひゞいて、審判者アンパイヤーの上衣うはぎの一人ひとり黒くろいのも目立めだつて見みえる。櫻木大佐さくらぎたいさは今年ことし三十三歳さい、身みは海軍大佐かいぐんたいさであるが、日本人につぽんじんには珍めづらしい迄までかゝる遊戯スポルトを嗜好すきこのんで、また仲々なかか達者たつしやである、昔むかしは投手ピツチの大撰手チヤンピオンとして、雄名ゆうめい其その仲間なかまには隱かくれもなかつた相さうな、今いまも其その面影おもかげが殘のこつて、此この朝日島あさひたう中ちう、武村兵曹たけむらへいそうと私わたくしとを除のぞいたら其その次つぎの撰手チヤンピオンと云いつてもよからう、私わたくしは世界せかい漫遊まんゆう以來いらい久ひさしく「ボール」を手てにせぬから餘程よほど技倆ぎりようも落おちたらうが、それでも遊撃手シヨルトストツプの位置ゐちに立たたせたら本國ほんごく横濱よこはまのアマチユーア倶樂部くらぶの先生せんせい方がたには負まけぬ積つもりで御坐ござる。武村兵曹たけむらへいそうの技倆ぎりようはまた格別かくべつで、何處どこで練習れんしうしたものか、鐵てつの樣やうな腕うでから九種こゝのつの魔球カーブを捻ひねり出だす工合ぐあひは悽すさまじいもので、兵曹へいそうを投手ピツチにすると敵手あひてになる組くみはなく、また打棒バツトが折をれてて堪たまらぬので、此頃このごろでは大概たいがい左翼レフトの方ほうへ廻まはして居をるが、先生せんせい其處そこからウンと力ちからを込こめて熱球ダイレクトを投なげると、其その球たまがブーンと捻うなり聲ごゑを放はなつて飛とんで來くる有樣ありさま、イヤ其その球たまが頭あたまへでも當あたつたら、此世このよの見收みをさめだと思おもふと、氣味きみが惡わるくて仲々なかか手ても出だせない程ほどである。大佐等たいさら一行いつかうが此この島しまへ來きたのは私わたくしより餘程よほど前まへで、其その留守中るすちう、米國軍艦べいこくぐんかん「オリンピヤ」號がうが横濱よこはまへやつて來きて、音おとに名高なだかき、チヤーチの熱球ねつきゆう、魔球まきゆうが、我國わがくに野球界やきゆうかいの覇王はわうともいふ可べき第だい一高等學校かうとうがくかうの撰手せんしゆを打破うちやぶつた事ことは、私わたくしが此この島しまへ漂着へうちやくする半年はんとし程ほど前まへ、英國えいこく倫敦ろんどんでちらと耳みゝにした、之これはもう今いまから三四年ねんも前まへの事ことだが、實じつに殘念ざんねんな次第しだいである。其後そのゝち一高軍いつかうぐんは物ものの見事みごとに復讎ふくしゆうを遂とげたであらうが、若もし未いまだならば私わたくしは竊ひそかに希望きぼうして居をるのである、他日たじつ我等われらが此この孤島こたうを去さつて日本につぽんへ歸かへつた後のち、武村兵曹たけむらへいそう若もし軍艦ぐんかんに乘じやうじ、又または大佐たいさの電光艇でんくわうていと共ともに世界せかいの各港かくかうを廻めぐり、一度ひとたび北亞米利加きたアメリカの沿岸えんがんに到いたつたならば、晩香坡ヴワンクーバーの南街公園サウサルンストレートパークに於おいて、若もしくば黄金門ゴルデンゲートの光ひかり輝かゞやく桑港サンフランシスコの廣野ひろばに於おいて――何處いづくにてもよし、其處そこに米艦べいかん「オリンピヤ」號がうの投錨とうべうせるを見みば、此方こなた武村兵曹たけむらへいそうを投手ピツチとして、彼方かなた音おとに名高なだかきチヤーチの一軍いちぐんと華々はななしき勝敗しようはいを决けつせんことを。敵てきは米國軍艦べいこくぐんかん、我われは帝國軍艦ていこくぐんかん、水雷すいらい砲火ほうくわならぬ陸上りくじやうの運動うんどうをもつて互たがひに挑いどみ鬪たゝかふも亦また一興いつきようであらうと思おもふ。日出雄少年ひでをせうねんは如何いかに! 少年せうねんも亦また我等われらの遊あそび仲間なかまである。何時いつでも第だい一に其その運動塲うんどうじやうに驅かけて行ゆくのは彼かれだ、其その身體しんたいの敏捷びんしやうに動うごく事こととどんな痛いたい目めにも痛いたい顏かほをせぬ事ことと、それから極ごく記臆力きおくりよくが強つよく、規則ルールなどは直すぐ覺おぼえてしまうので、武村兵曹たけむらへいそうは此この兒こ將來しやうらいは非常ひじやうに有望いうぼうな撰手せんしゆであると語かたつたが啻たゞに野球やきゆうばかりではなく彼かれは※去くわこ三年ねんの間あひだ、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの嚴肅げんしゆくなる、且かつ慈悲じひ深ふかき手てに親したしく薫陶くんとうされた事こととて、今年ことし十二歳さいの少年せうねんには珍めづらしき迄までに大人似おとなびて、氣象きしようの凛々りゝしい、擧動きよどうの沈着ちんちやくな、まるで、小櫻木大佐せうさくらぎたいさを茲こゝに見みるやうな、雄壯をゝしき少年せうねんとはなつた。少年せうねんは端艇たんてい、野球等やきゆうとうの他ほか、暇ひまがあると石いしを投なげる、樹きに登のぼる、猛犬稻妻まうけんいなづまを曳ひきつれて野山のやまを驅かけめぐる、其爲そのために體格たいかくは非常ひじやうに見事みごとに發達はつたつして、以前いぜんには人形にんぎようのやうに奇麗きれいであつた顏かほの、今いまは少すこしく色いろ淺黒あさぐろくなつて、それに口元くちもとキリ、と締しまり、眼めのパツチリとした樣子やうすは、何なにとも云いへず勇いさましい姿すがた、此後このゝち機會きくわいが來きて、彼かれが父君ちゝぎみなる濱島武文はまじまたけぶみに再會さいくわいした時とき、父ちゝは如何いかに驚おどろくだらう。またかの天女てんによの如ごとき春枝夫人はるえふじんが、萬一まんいちにも無事ぶじであつて、此この勇いさましい姿すがたを見みたならば、どんなに驚おどろき悦よろこぶ事ことであらう。今いまや本島ほんとうの主人公しゆじんこうなる櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの健康けんこうは言いふ迄までもなく、此頃このごろでは殆ほとんど終日しうじつ終夜しうやを、秘密造船所ひみつぞうせんじよの中なかで送おくつて居をる。武村兵曹たけむらへいそうは相變あひかはらず淡白たんぱくで、慓輕へうきんで、其他そのほか三十有餘名いうよめいの水兵等すいへいらも一同いちどう元氣げんきよく、大だいなる希望きぼうの日ひを待望まちのぞみつゝ、勤勉きんべんに働はたらいて居をる。
かゝる喜よろこばしき境遇きやうぐうの間あひだに、首尾しゆびよく竣成しゆんせいした自動鐵檻車じどうてつおりぐるまは、終つひに洞中どうちうの工作塲こうさくばを出でた。例れいの屏風岩べうぶいはの上うへから直たゞちに運轉うんてんを試こゝろみて見みると最良さいりようの結果けつくわで、號鈴がうれいリンンと鳴なりひゞき、不思議ふしぎなる機關きくわんの活溌くわつぱつなる運轉うんてんに從したがつて十二個この外車輪ぐわいしやりんが、岩いはを噛かみ、泥どろを蹴けつて疾走しつさうする有樣ありさまは、吾われながら見事みごとに思おもはるゝばかり、暫時しばし喝采かつさいの聲こゑは止やまなかつた。忽たちまち何人だれの發聲おんどにや、一團いちだんの水兵等すいへいらはバララと私わたくしの周圍めぐりに走寄はしりよつて『鐵車てつしや萬歳ばんざい々々々々。』と私わたくしの胴上どうあげを始はじめた。萬歳ばんざいは難有ありがたいが、鬼おにとも組くまんず荒男あらくれをとこが、前後左右ぜんごさゆうからヤンヤヤンヤと揉上もみあげるので、其その苦くるしさ、私わたくしは呼吸いきが止とまるかと思おもつた。
斯かうなると、一刻いつこくも眤じつとして居をられぬのは武村兵曹たけむらへいそうである。腕拱うでこまぬいて、一心いつしんに鐵檻車てつおりぐるまの運轉うんてんを瞻ながめて居をつたが、忽たちまち大聲たいせいに『やあ、うまいい、でもよく動うごくわい、もう遲々ぐずずしては居をられない。』と急きふに走はしつて行いつて、此時このとき既すでに出來上できあがつて居をつた紀念塔きねんたふを引擔ひつかついで來きた。塔たうは高たかさ三尺じやく五寸すん、三尖方形さんせんほうけいの大理石だいりせきで、其その滑なめらかなる表面ひやうめんには「大日本帝國新領地朝日島だいにつぽんていこくしんりようちあさひとう」なる十一字じが深ふかく刻きざまれて、塔たふの裏面うらには、發見はつけんの時日じじつと、發見者はつけんしや櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの名なとが、明あきらかに記銘しるされて居をるのだ。塔たうを擔かついで來きた武村兵曹たけむらへいそうは息いきを切きらしながら大佐たいさに向むかひ
『大佐閣下たいさかつか、鐵車てつしやも見事みごとに出來できましたれば、善ぜんは急いそげで今いまから直すぐと紀念塔きねんたふを建たてに出發しゆつぱつしては如何どうでせう、すると氣きも晴々はれれしますから。』
大佐たいさは滿面まんめんに笑えみを堪たゝへつゝ
『無論むろん躊躇ちうちよする必要ひつえうはない、我わが海底戰鬪艇かいていせんとうていも、今日けふから十日目かめの紀元節きげんせつの當日たうじつには、試運轉式しうんてんしきを行おこなひ、其後そのゝち一週間いつしゆうかん以内いないには、總すべての凖備じゆんびを終をはつて、本島ほんとうを出發しゆつぱつする豫定よていだから、紀念塔きねんたうの建立けんりつも其その以前いぜんに終をはらねば――。』と言いひかけて私わたくしに向むかひ
『其處そこで、明日あす午前ごぜん六時ろくじを以もつて、鐵檻車てつおりぐるまの出發しゆつぱつの時刻じこくと定さだめませう、之これから三十里りの深山しんざんに達たつするに、鐵車てつしやの平均速力へいきんそくりよくが一時間じかんに二里り半はんとして、往途ゆきに二日ふつか、建塔けんたうの爲ために一日にち、歸途きと二日ふつか、都合つごふ五日目いつかめには、鐵車てつしや再ふたゝび此處こゝへ皈かへつて、共ともに萬歳ばんざいを唱となへる事ことが出來できませう。』『あゝ。明朝あすのあさまで待まつのですか。』と武村兵曹たけむらへいそうは口くちをむくつかせたが、忽たちまちポンと掌たなごゝろを叩たゝいて
『おゝ、それも左樣さうだ、私わたくしの考通かんがへどうりにも行いかないな、之これから糧食かてを積入つみいれたり、飮料水のみゝづの用意ようゐをしたりして居をると、矢張やはり出發しゆつぱつは明朝あすのあさになるわい。』と獨言ひとりごつ、此この男をとこ例いつもながら慓輕へうきんな事ことよ。
鐵車てつしやが、いよよ永久紀念塔えいきゆうきねんたふを深山しんざんの頂いたゞきに建たてんが爲ために、此處こゝを出發しゆつぱつするのは明朝めうてう午前ごぜん六時ろくじと定さだまつたが、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、海底戰鬪艇かいていせんとうていの運轉式うんてんしきも間近まぢかに迫せまつて居をるので、一日いちにちも此塲このばを立去たちさる事こと叶かなはねば、そこで私わたくしと、日出雄少年ひでをせうねんと、武村兵曹たけむらへいそうと、他たに二名にめいの水兵すいへいとが、鐵車てつしやに乘組のりくむ事ことになつた。猛犬稻妻まうけんいなづまも日出雄少年ひでをせうねんの懇望こんもうで、此この冐險旅行ぼうけんりよかうに隨したがふ事ことになつた。
それより、鐵車てつしやに紀念塔きねんたふを積入つみいれ、小銃せうじう、彈藥だんやく、飮料水いんりようすい、糧食等りようしよくなどの用意ようゐに日ひを暮くらして、さて其その翌日よくじつとなると、吾等われら撰任せんにんされたる五名ごめいは未明みめいに起床おきいでゝ鐵車てつしやへ乘組のりくんだ。頓やがて鐵車てつしやは勢いきほひよく進行しんかうを始はじめると、櫻木大佐さくらぎたいさをはじめ三十餘名よめいの水兵すいへい共どもは歡呼くわんこを擧あげて、十數町すうちやうの間あひだ吾等われらの首途かどでを見送みおくつて呉くれたが、遂つひに、唯とある丘陵をかの麓ふもとで別わかれを告つげ、吾等われらは東ひがしへ、彼等かれらは西にしへ、其その丘をかの中腹ちうふくにて、櫻木大佐等さくらぎたいさらが手巾ハンカチーフを振ふり、帽子ぼうしを動うごかして居をる姿すがたも、頓やがて椰子やしや橄欖かんらんの葉はがくれに見みえずなると、それから鐵車てつしやは全速力ぜんそくりよくに、野のと云いはず山やまと云いはず突進つきすゝむ、神變しんぺん不思議ふしぎなる自動鐵車じどうてつしやの構造こうぞうは、今更いまさら管々くだだしく述立のべたてる必要ひつえうもあるまい、森林しんりんを行ゆく時ときは、旋廻圓鋸機せんくわいえんきよきと、自動鉞じどうまさかりとの作用さようで、路みちを切開きりひらき、山やまを登のぼるには、六個ろくこの齒輪車しりんしやと揚上機やうじやうき、遞進機ていしんきの働はたらきで、地ちを噛かみ、石いしを碎くだいて進行しんかうするのだ。大約おほよそ道みちの四五里しごりも進すゝんだと思おもふ處ところから山やまは益々ますす深ふかくなり、路みちはだんんと險阻けんそになつたが、元氣げんきなる武村兵曹たけむらへいそうは、何なんでも日沒ひぐれまでには二十里り以上いじやうを進すゝまねばならぬと勇いさみ立たつ。山やまに入いると、直たゞちに猛獸まうじう毒蛇どくじやの襲撃しふげきに出逢であふだらうとは兼かねての覺悟かくごであつたが、此時このときまで其樣そんな模樣もやうは少すこしも見みえなかつた。四隣しりんは氣味きみの惡わるい程ほど物靜ものしづかで、たゞ車輪しやりんの輾きしる音おとと、折をりふし寂寞じやくばくとした森林しんりんの中なかから、啄木鳥たくぽくてうがコトトと、樹きの幹みきを叩たゝく音おととが際立きわだつて聽きこゆるのみであつたが、鐵車てつしやは進すゝみ進すゝんで、今いまや唯とある深林しんりんの邊へんに差掛さしかゝつた時とき、日出雄少年ひでをせうねんは急きふに私わたくしの袖そでを引ひいた。
『獅子しゝがが。』
『獅子しゝが? 何處どこに?。』と一同いちどうは屹きつとなつて、其その指ゆびさす方かたを眺ながめると、果はたして百ひやくヤード許ばかり離はなれたる日當ひあたりのよき草くさの上うへに、一頭いつとうの巨大きよだいなる雄獅子をじゝが横よこたはつて居をつたが、鐵車てつしやの響ひゞきに忽たちまちムツクと起上おきあがり、一聲いつせい高たかく吼ほえた。
『獅子しゝの友呼ともよび!。』と一名いちめいの水兵すいへいは咡さゝやいた。成程なるほど遠雷えんらいの如ごとき叫聲さけびごゑが野山のやまに響渡ひゞきわたると、忽たちまに其處そこの森もりからも、彼處かしこの岩陰いはかげからも三頭さんとう五頭ごとうと猛獸まうじうは群ぐんをなして現あらはれて來きた。獅子しゝ、虎とら、猛狒等ゴリラなどいづれも此この不思議ふしぎなる鐵檻てつおりの車くるまに一時いちじは喫驚びつくりしたのであらう、容易ようゐに手てを出いださない。日出雄少年ひでをせうねんは壯快さうくわいなる聲こゑを擧あげて
『叔父をぢさんん、獅子しゝなんかの方ほうでは、屹度きつと私共わたくしどもを怪物ばけものだと思おもつて居ゐるんでせうよ。』と叫さけんだが全まつたく左樣さうかも知しれぬ 暫時しばしは其處此處そここゝの木この間まかくれに、脊せを高たかくし、牙きばを鳴ならして此方こなたを睨にらんで居をつたが、それも僅わづかの間あひだで、獅子しゝは百獸ひやくじうの王わうと呼よばるゝ程ほどあつて、極きわめて猛勇まうゆうなる動物どうぶつで、此時このとき一聲いつせい高たかく叫さけんで、三頭さんとう四頭しとう鬣たてがみを鳴ならして鐵車てつしやに飛掛とびかゝつて來きた。鐵車てつしやは其樣そんな事ことではビクともしない、反對はんたいに獸じうを彈飛はじきとばすと、百獸ひやくじうの王樣わうさまも團子だんごのやうに草くさの上うへを七顛八倒しちてんばつたう。吾等われら一同いちどうはドツと笑わらつた。虎とらは比較的ひかくてき愚おろかな動物どうぶつで、憤然ふんぜん身みを躍をどらして、鐵車てつしやの前方ぜんぽうから飛付とびついたから堪たまらない、恐おそる可べき旋廻圓鋸機せんくわいえんきよきのために、四肢しゝや、腹部ふくぶを引裂ひきさかれて、苦鳴くめいをあげて打斃うちたをれた。最もつとも狡猾こうくわつなるは猛狒ゴリラである。古木こぼくの樣やうな醜みにくき腕うでを延のばして、鐵車てつしやの檻おりを引握ひきつかみ、力任ちからまかせに車くるまを引倒ひきたほさんとするのである。猛犬稻妻まうけんいなづまは猛然まうぜんとして其その手てに噛かみ付ついた。
『此奴こやつ、生意氣なまいき!。』と水兵すいへいは叫さけんだ。『それ發射はつしや!。』と私わたくしが叫さけぶ瞬間しゆんかん、日出雄少年ひでをせうねんは隙すかさず三發さんぱつまで小銃せうじうを發射はつしやしたが、猛狒ゴリラは平氣へいきだ。武村兵曹たけむらへいそう大おほいに怒いかつて
『此この畜類ちくるゐ、まだ往生わうじやうしないか。』と、手頃てごろの鎗やりを捻ひねつて其その心臟しんぞうを貫つらぬくと、流石さすがの猛獸まうじうも堪たまらない、雷いかづちの如ごとく唸うなつて、背部うしろへドツと倒たをれた。
『愉快ゆくわい々々、世界一せかいいちの王樣わうさまだつて、此樣こんな面白おもしろい目めは見みられるものでない。』と水兵すいへい共どもは雀躍じやくやくした。日出雄少年ひでをせうねんは猛狒ゴリラの死骸しがいを流盻ながしめに見みやりて
『それでも、私わたくしは殘念ざんねんです、猛狒ゴリラは私わたくしの鐵砲てつぽうでは死しにませんもの。』と不平顏ふへいがほ。
『何なに、左樣さうでない、此この獸じうは泥土どろと、松脂まつやにとで、毛皮けがわを鐵てつのやうに固かためて居をるのだから、小銃せうじうの彈丸たま位ぐらいでは容易ようゐに貫つらぬく事ことが出來できないのさ。』と私わたくしは慰なぐさめた。
此この大騷動だいさうどうの後のちは、猛獸まうじうも我等われらの手並てなみを恐おそれてか、容易ようゐに近ちかづかない、それでも此處こゝを立去たちさるではなく、四五間しごけんを距へだてゝ遠卷とほまきに鐵檻てつおりの車くるまを取圍とりまきつゝ、猛然まうぜんと吼ほえて居をる。慓輕へうきんなる武村兵曹たけむらへいそうは大口おほぐち開あいてカララと笑わらひ
『ヤイ、ヤイ、畜類ちくるい、其樣そんなに吾等おいらの肉にくが美味うま相さうに見みえるのか。』とつかか鐵檻てつおりの近ちかくに進すゝみ寄より『それ此この拳骨げんこつでも喰くらへ。』と大膽だいたんにも鐵拳てつけんを車外しやぐわいに突出つきだし、猛獸まうじう怒いかつて飛付とびついて來くる途端とたんヒヨイと其その手てを引込ひきこまして
『だ、だ、駄目だめだんべい。』

    第十九回 猛獸隊まうじうたい

自然の殿堂――爆裂彈――エンヤヤの掛聲――片足の靴――好事魔多し――砂滑りの谷、一名死の谷――深夜の猛獸――かゞり火

 暫時しばらくして、吾等われらはまた奇妙きめうなものを見みた。それは此この深山しんざんに棲すんで居をる白頭猿はくとうえんと呼よばるゝ、極きわめて狡猾こうくわつな猴さるの一種いつしゆで、一群いちぐん凡およそ三十疋ぴきばかりが、數頭すうとうの巨大きよだいな象ぞうの背せに跨またがつて、丁度ちやうどアラビヤの大沙漠だいさばくを旅行りよかうする隊商たいしやうのやうに、彼方かなたの山背やまかげからぞろろと現あらはれて來きたが、我わが鐵車てつしやを見みるや否いなや非常ひじやうに驚愕おどろいて、奇聲きせいを放はなつて、向むかふの深林しんりんの中なかへと逃にげ失うせた。かくて當日このひは、二十里り近ちかく進すゝんで日ひが暮くれたので、夜よるは鐵車てつしやをば一いち大樹だいじゆの下蔭したかげに停とゞめて、終夜しうや篝火かゞりびを焚たき、二人ふたり宛づゝ交代こうたいに眠ねむる積つもりであつたが、怒いかり叫さけぶ猛獸まうじうの聲こゑに妨さまたげられて、安やすらかな夢ゆめを結むすんだ者ものは一人ひとりも無なかつた。翌朝よくあさは薄暗うすくらい内うちから此處こゝを出發しゆつぱつした。初はじめの間あひだは矢張やはり昨日きのふと同おなじく、數百頭すうひやくとうの猛獸まうじうは隊たいをなして、鐵車てつしやの前後ぜんごに隨したがつて追撃ついげきして來きたが、其中そのうちには疲勞つかれのために逃去にげさつたのもあらう、また吾等われらが絶たえず發射はつしやする彈丸だんぐわんのために、傷きづゝき斃たをれたのも少すくなくない樣子やうすで、此この日ひも既すでに十二三里り許ばかり進すゝみて、海岸かいがんなる櫻木大佐さくらぎたいさの住家すみかからは、確たしかに三十里り以上いじやう距へだゝつたと思おもはるゝ一ある高山かうざんの絶頂ぜつてうに達たつした時ときには、其その數かずも餘程よほど減げんじて、まだ執念深しゆうねんぶかく鐵車てつしやの四邊あたりを徘徊はいくわいして居をるのは、二十頭とう許ばかりの雄獅子をじゝと、三頭さんとうの巨大きよだいなる猛狒ゴリラとのみであつた。此この高山かうざんは、風景ふうけい極きわめて美うるはしく、吾等われらの達たつしたる頂いたゞきは、三方さんぽう巖石がんせきが削立せうりつして、自然しぜんに殿堂でんどうの形かたちをなし、かゝる紀念塔きねんたふを建たつるには恰好かつこうの地形ちけいだから、遂つひに此處こゝに鐵車てつしやを停とゞめた。時ときは午後ごゞ二時じ四十五分ふん、今いまから紀念塔きねんたふを建立けんりつするのである。
『用意ようゐ!。』と武村兵曹たけむらへいそうが叫さけぶと、二名にめいの水兵すいへいは車中しやちうの大旅櫃だいトランクの中なかから、一個いつこの黒色こくしよくの函はこを引出ひきだして來きた。此この函はこの中なかには、數すう十個この爆裂彈ばくれつだんが入はいつて居をるのである。
爆裂彈ばくれつだん! 何なんの爲ために? と讀者どくしや諸君しよくんは審いぶかるであらうが、之これには大おほいに考慮かんがへのある事ことである、今いま、其その目的地もくてきちに達たつし、いざ建塔けんたふといふ塲合ばあひに、斯かく獅子しゝや猛狒ゴリラが、一頭いつとうでも、二頭にとうでも、其邊そのへんに徘徊はいくわいして居をつては、到底とても車外しやぐわいに出いでゝ其その仕事しごとにかゝる事ことが出來できない、そこで、此この爆裂彈ばくれつだんを飛とばして、該獸等かれらを斃たをし且かつ追拂おひはらひ、其間そのあひだに首尾しゆびよくやつて退のけやうといふ企くわだてだ。そこで用意ようゐが整とゝなふと、吾等われらは手てにに一個いつこ宛づゝの爆裂彈ばくれつだんを携たづさへて立上たちあがつた。兼かねて用意ようゐの鳥とりの肉にくを、十斤きんばかり鐵檻てつおりの間あひだから投出なげだすと、食しよくに飢うゑたる猛獸まうじうは、眞黒まつくろになつて其その上うへに集あつまる。それといふ合圖あひづの下したに、一、二、三、同時どうじに五個ごゝの爆裂彈ばくれつだんは風かぜを切きつて落下らつかした。忽たちまち山岳さんがく鳴動めいどうし、黒烟こくゑん朦朧もうろうと立昇たちのぼる、其その黒烟こくゑんの絶間たえまに眺ながめると、猛狒ゴリラは三頭さんとう共とも微塵みじんになつて碎くだけ死しんだ、獅子しゝも大半たいはんは打斃うちたをれた、途端とたんに水兵すいへいが
『あれれ、あの醜態ざまよう。』と指ゆびざす彼方かなたを見渡みわたすと、生殘いきのこつたる獅子しゝの一團いちだんは、雲くもを霞かすみと深林しんりんの中なかへ逃失にげうせた。
『それ、此この間まに。』と武村兵曹たけむらへいそうは紀念塔きねんたふを擔かついで走はしり出でたので、一同いちどうも續つゞいて車外しやぐわいに跳をどり出いで、日出雄少年ひでをせうねんは見張みはりの役やく、私わたくしは地つちを掘ほる、水兵すいへいは石いしを轉まろばす、武村兵曹たけむらへいそうは無暗むやみに叫さけぶ、エンヤヤの懸聲かけごゑと共ともに、束つかの間まに塔たふの建立けんりつは成就じようじゆした。實じつに此この間あひだ、時ときを費つひやす事こと十分ぷんか、十五分ふん、人間にんげんも一生懸命いつせうけんめいになると、隨分ずいぶん力量ちからの出でるものだよ。
紀念塔きねんたふの建立けんりつは終をはつて、吾等われらは五六歩ぽ退しりぞいて眺ながめると、麗うるはしき大理石だいりせきの塔たふの表面ひやうめんには、鮮明あざやかに『大日本帝國新領地朝日島だいにつぽんていこくしんりようちあさひたう』。あゝ之これで安心あんしん々々、一同いちどうは帽ぼうを脱だつして大日本帝國だいにつぽんていこくの萬歳ばんざいを三呼さんこした。此時このとき、車中しやちうに殘のこして置おいた猛犬稻妻まうけんいなづまが急きふに吼立ほえたてるので、頭かしらを廻めぐらすと、今いましも爐裂彈ばくれつだんで逃出にげだしたる獅子しゝの一群いちぐんが、今度こんどは非常ひじやうな勢いきほひで、彼方かなたの森もりから驀直まつしぐらに襲撃しふげきして來きたのである。『それツ。』と一聲いつせい吾等われらは周章狼狽あわてふためいて鐵檻てつおりの車くるまの中なかへ逃込にげこんだが、危機一髮きゝいつぱつ、最後さいごに逃込にげこんだ武村兵曹たけむらへいそうはまだ其その半身はんしんが車外しやぐわいにあるのに、殆ほとんど同時どうじに飛付とびついて來きた雄獅子をじゝのために、ズボンは滅茶苦茶めちやくちやに引裂ひきさかれ、片足かたあしの靴くつは無殘むざんに噛取かみとられて、命いのちからら車中しやちうに轉まろび込こんだ。つゞいて飛込とびこまんとする獅子しゝを目掛めがけて、私わたくしは一發いつぱつドガン、水兵すいへいは手鎗てやりて突飛つきとばす、日出雄少年ひでをせうねんは素早すばやく身みを跳をどらして、入口いりくちの扉とびらをピシヤン。
『おつ魂消たまぎえたた、危あぶなく生命いのちを棒ぼうに振ふる處ところだつた。』と流石さすがの武村兵曹たけむらへいそうも膽きもをつぶして、靴くつ無なき片足かたあしを撫なでゝ見みたが、足あしは幸福さひはひにも御無事ごぶじであつた。
既すでに塔たふの建立けんりつも終をはつたので、最早もはや歸途きとに向むかふ一方いつぽうである。往復わうふく五日いつかの豫定よていが、其その二日目ふつかめには首尾しゆびよく歸終きろに就つくやうになつたのは、非常ひじやうな幸運こううんである。此この幸運こううんに乘じやうじて、吾等われらは温順すなほに昨日きのふの道みちを皈かへつたならば、明日めうにちの今頃いまごろには再ふたゝび海岸かいがんの櫻木大佐さくらぎたいさの家いへに達たつし、此この旅行りよかうも恙つゝがなく終をはるのであるが、人間にんげんは兎角とかくいろろな冐險ぼうけんがやつて見みたい者ものだ。好事魔こうじま多おほしとはよく人ひとの言いふ處ところで、私わたくしも其その理屈りくつを知しらぬではないが、人間にんげんの一生いつせうに此樣こんな旅行りよかうは、二度にども三度さんどもある事ことでない、其上そのうへ大佐たいさと約束やくそくの五日目いつかめまでは、未また三日みつかの間ひまがある、そこで、此この深山しんざんを少すこしばかり迂回うくわいして皈かへつたとて、左程さほど遲おそくもなるまい、また極きわめて趣味しゆみある事ことだらうと考かんがへたので、私わたくしは發議はつぎした。
『どうだ、最早もはや皈途きとに向むかふのだが、之これから少すこし道みちを變へんじて進すゝんでは、舊ふるき道みちを皈かへるより、新あたらしい方面ほうめんから皈かへつたら、またいろろ珍奇めづらしい事ことも多おほからう。』と話はなしかけると、好奇ものずきの武村兵曹たけむらへいそうは一も二もなく賛成さんせいだ。
『私わたくしも今いま、左樣さう考かんがへて居をつた處ところだ、大佐閣下たいさかくかだつて私共わたくしどもが、其樣そんなに早はやく歸かへらうとは思おもつて居ゐなさるまいし、それにね、約束やくそくの五日目いつかめの晩ばんには、海岸かいがんの家いへでは、水兵すいへい共どもが澤山たくさんの御馳走ごちさうを作こしらへて待まつて居ゐる筈はづだから、其その以前いぜんにヒヨツコリと皈かへつては興けうが無ない、行ゆく可べしし。』と勇いさみ立たつ。二名にめいの水兵すいへいも日出雄少年ひでをせうねんも大賛成だいさんせいなので、直たゞちに相談さうだんは纏まとまつたが、さて何處いづれの方面ほうめんへと見渡みわたすと、此處こゝを去さる事こと數里すうりの西方せいほうに一個いつこの高山かうざんがある、火山脉くわざんみやくの一ひとつと見みえ、山やまの半腹はんぷく以上いじやうは赤色せきしよくの燒石やけいしの物凄ものすごい樣やうに削立せうりつして居をるが、麓ふもとは限かぎりもなき大深林だいしんりんで、深林しんりんの中央ちうわうを横斷わうだんして、大河たいか滔々とううと流ながれて居をる樣子やうす、其邊そのへんを進行しんかうしたら隨分ずいぶん奇くしき出來事できごともあらうと思おもつたので、直たゞちに水兵すいへいに命めいじて、鐵車てつしやを其その方向ほうかうに進すゝめた、猛獸まうじうは矢張やはり其處此處そここゝに隱見いんけんして居をるのである。時ときは午後ごゞの六時ろくじ間近まぢかで、夕陽ゆふひは西山せいざんに臼うすついて居をる。隨分ずいぶん無謀むぼうな事ことだ、今頃いまごろから斯かゝる深林しんりんに向むかつて探險たんけんするのは、けれど興けうに乘じやうじたる吾等われらの眼中がんちうには、向むかふ處ところ敵てきなしといふ勢いきほひで、二三里り進すゝんで、其その深林しんりんの漸やうやく間近まぢかになつた時分じぶん日ひは全まつたく暮くれた。すると、鎌かまのやうな新月しんげつが物凄ものすごく下界げかいを照てらして來きたが、勿論もちろん道みちの案内しるべとなる程ほど明あかるくはない、加くわふるに此邊このへんは道みちいよよ險けわしく、尖とがつた岩角いはかど、蟠わだかまる樹きの根ねは無限むげんに行方ゆくてに横よこたはつて居をるので、鐵車てつしやの進歩すゝみも兎角とかく思おもはしくない、運轉係うんてんがゝりの水兵すいへいも、此時このとき餘程よほど疲勞つかれて見みえたので、私わたくしは考かんがへた、人間にんげんの精力ちからには限かぎりがある、今いまからかゝる深林しんりんに突進とつしんするのは、少すこし無謀むぼうには※すぎはせぬかと氣付きづいたので、寧むしろ此邊このへんに一泊いつぱくせんと、此事このことを武村兵曹たけむらへいそうに語かたると、武村兵曹たけむらへいそうは仲々なかか聽きかない
『今いまから其樣そんなに弱よわつては駄目だめだ、何なんでも今夜こんやはあの深林しんりんの眞中まんなかで夜よを明あかす覺悟かくごだ。』と元氣げんきよく言放いひはなつて立上たちあがり、疲つかれたる水兵すいへいに代かわつて鐵車てつしやの運轉うんてんを始はじめた。鐵車てつしやは再ふたゝび猛烈まうれつなる勢いきほひをもつて木きの根ねを噛かみ、岩石がんせきを碎くだいて突進とつしんする。あゝ好漢かうかん、此この男をとこは實じつに壯快さうくわいな男兒だんじだが、惜をしむらくば少すこしく無鐵砲むてつぽうに※すぎるので、萬一まんいちの※失あやまちが無なければよいがと思おもふ途端とたん、忽たちまち『しまつたツ。』と一聲いつせい、私わたくしも、日出雄少年ひでをせうねんも、水兵すいへいも稻妻いなづまも、一度いちどにドツと前まへの方ほうへ打倒うちたをれて、運轉臺うんてんだいから眞逆まつさかさまに跳はね落おとされた武村兵曹たけむらへいそうが『南無三なむさん、大變たいへん!。』と叫さけんで飛起とびおきた時ときは、無殘むざんや、鐵車てつしやは、擂盆すりばちのやうな形かたちをした巨大おほきな穴あなの中なかへ陷落かんらくして居をつた。
漸やうやくの事ことで起上おきあがつた水兵すいへいは、新月しんげつの微かすかなる光ひかりに其その穴あなを眺ながめたが忽たちまち絶叫ぜつけうした。
『砂すなすべりの谷たに! 砂すなすべりの谷たに!。』
讀者どくしや諸君しよくんは或あるひは御存ごぞんじだらう、亞弗利加アフリカの内地ないちや、又または印度洋インドやう中ちうの或ある島しまには、かゝる塲所ばしよのある事ことはよく冐險旅行記等ぼうけんりよかうきなどに書かいてあるが、此この「砂すなすべりの谷たに」程ほど世よに恐おそる可べき所ところは多おほくあるまい、砂すなすべりの谷たに、一名いちめいを死しの谷たにと呼よばるゝ程ほどで、一度いちど此この穴あなの中なかへ陷落かんらくしたるものは、到底とうてい免のがれ出でる事ことは出來できないのである。此この穴あなは外見ぐわいけんは左迄さまで巨大きよだいなものではない。廣ひろさは直徑さしわたし三十ヤード位ぐらい、深ふかさは僅わずか一丈じやうにも足たらぬ程ほどだから、鐵檻車てつおりのくるまの屋根やねへ上のぼつたら、或あるひは穴あなの外そとへ飛出とびだす事ことも出來できるやうだが、前まへにも云いつた樣やうに擂盆すりばちの形かたちをなした穴あなの四邊しへんは實じつに細微さいびなる砂すなで、此この砂すなは啻たゞに細微さいびなるばかりではなく、一種いつしゆ不可思議ふかしぎの粘着力ねんちやくりよくを有いうして居をるので、此處こゝに陷落かんらくした者ものは掻かき上あがらうとしては滑すべり落おち、滑すべり落おちては砂すなに纒まとはれ、其内そのうちに手足てあしの自由じゆうを失うしなつて、遂つひに非業ひごふの最後さいごを遂とげるのである。だから吾等われらが海岸かいがんの家いへを出發しゆつぱつする時ときも、櫻木大佐さくらぎたいさは繰返くりかへして『砂すなすべりの谷たにを注意ちうゐせよ。』と言いはれたが、吾等われらは遂つひに※あやまつて、此この恐おそる可べき死しの谷たにへ陷込おちこんだのである。『あゝ、大變たいへんな事ことをやつてしまつた。』と武村兵曹たけむらへいそうは自分じぶんの失策しくじりに切齒はがみした。
我わが鐵車てつしやは、險山けんざん深林しんりん何處いづくでも活動くわつどう自在じざいだが、此この砂すなすべりの谷たにだけでは如何どうする事ことも出來できぬのである、萬一まんいちを期きして、非常ひじやうな力ちからで、幾度いくたびか車輪しやりんを廻轉くわいてんして見みたが全まつたく無效むだだ。砂すなに喰止くひとまる事ことの出來できぬ齒輪車はぐるまは、一尺いつしやく進すゝんではズルル、二三尺じやく掻上かきあがつてはズルル。其内そのうちに車輪しやりんも次第しだい々々に砂すなに埋うもれて、最早もはや一寸いつすんも動うごかなくなつた。
『絶體絶命ぜつたいぜつめい!。』と一同いちどうは嘆息たんそくした。之これが普通ふつうの塲所ばしよなら、かゝる死地しちに落おちても、鐵車てつしやをば此處こゝに打棄うちすてゝ、其その身みだけ免まぬがれ出でる工夫くふうの無ないでもないが、千山せんざん萬峰ばんぽうの奧深おくふかく、數十里すうじふり四方しほうは全まつたく猛獸まうじう毒蛇どくじやの巣窟さうくつで、既すでに此時このとき數十すうじふの獅子しゝ、猛狒ゴリラの類るいは此この穴あなの周圍しうゐに牙きばを鳴ならし、爪つめを磨みがいて居をるのだから、一寸ちよつとでも鐵檻車てつおりくるまの外そとへ出でたら最後さいご、直たゞちに無殘むざんの死しを遂とげてしまうのだ。イヤ出でなくても、人ひとの弱點じやくてんに乘じやうずる事ことの早はやい猛狒ゴリラは、忽たちまち彼方かなたの崖がけから此方こなたの鐵車てつしやの屋根やねに飛移とびうつつて、鐵檻てつおりの間あひだから猿臂えんびを延のばして、吾等われらを握つかみ出ださんず氣色けしき、吾等われらは一生懸命いつせうけんめいに小銃せうじうを發射はつしやしたり、手鎗てやりを廻まわしたりして、辛からうじて其その危害きがいを防ふせいで居をるが、それも何時いつまで續つゞく事ことか、夜よが更ふけるに從したがつて、猛獸まうじうの勢いきほひは益々ますす激烈げきれつになつて來きた、かゝる時ときには盛さかんに火ひを焚たくに限かぎると、それから用意ようゐの篝火かゞりびをどんん燃もやして、絶たえず小銃せうじうを發射はつしやし、また時々ときき爆裂彈ばくれつだんの殘のこれるを投飛なげとばしなどして、漸やうやく一夜いちやを明あかしたが、夜よが明あけたとて仕方しかたがない、朝日あさひはうららと昇のぼつて、東ひがしの方ほうの赤裸あかはだかの山やまの頂いたゞきから吾等われらの顏かほを照てらしたが、一同いちどう生いきた顏色がんしよくは無なかつた。日出雄少年ひでをせうねんも二名にめいの水兵すいへいも默もくして一言いちげんなく、稻妻いなづまは終夜よもすがら吠ほえ通とうしに吠ほえたので餘程よほど疲つかれたと見みえ、私わたくしの傍かたわらに横よこたはつて居をる。ひとり默だまつて居をられぬのは武村兵曹たけむらへいそうである、彼かれは自分じぶんの失策しくじりから此樣こんな事ことになつたので堪たまらない『あゝ、馬鹿ばかな事ことをしたた。私わたくしの失策しくじりで、貴方あなたや日出雄少年ひでをせうねんを殺ころしたとなつては大佐閣下たいさかくかに言譯いひわけがない、此このお詫わびには成なるか、成ならぬか、一ひとつ命懸いのちがけで猛獸まうじう共どもを追拂おつぱらつて見みるのだ。』と决死けつしの色いろで、車外しやぐわいへ飛出とびださうとする。
『無謀ばかな事ことをするな。』と私わたくしは嚴然げんぜんとして
『武村兵曹たけむらへいそう、お前まへに鬼神きじんの勇ゆうがあればとて、あの澤山たくさんの猛獸まうじうと鬪たゝかつて何なにになる。』と矢庭やにわに彼かれの肩先かたさきを握つかんで後うしろへ引戻ひきもどした。此時このとき猛犬稻妻まうけんいなづまは、一聲いつせい銃するどく唸うなつて立上たちあがつた。
『此處こゝに唯ただ一策いつさくがあるよ。』と私わたくしは一同いちどうに向むかつたのである。
『一策いちさくとは。』と一同いちどうは顏かほを上あげた。
『他ほかでもない、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさに此この急難きふなんを報知ほうちして救助たすけを求もとめるのだ。』
『大佐たいさに救助たすけを⁈。』と一同いちどうは不審顏ふしんがほ。
成程なるほど、此處こゝから大佐等たいさらの住すまへる海岸かいがんの家いへまでは三十里り以上いじやう、飛とぶ鳥とりでもなければ通かよはれぬ此この難山なんざんを、如何いかにして目下もつかの急難きふなんを報知ほうちするかと審いぶかるのであらう。
私わたくしは决然けつぜんとして言いつた。
『猛犬稻妻まうけんいなづまを使者ししやとして。』

    第二十回 猛犬まうけんの使者ししや

山又山を越えて三十里――一封の書面――あの世でか、此世でか、――此犬尋常でない――眞黒になつて其後を追ふた――水樽は空になつた

 西暦せいれき一千八百六十六年ねんの墺普戰爭オーフツせんさうに、敵てきの重圍じゆうゐに陷おちいつたる墺太利軍オースタリーぐんの一いち偵察隊ていさつたいは、敵てきの眼まなこを晦くらまさんがため、密書みつしよをば軍用犬ぐんようけんの首輪くびわに附ふして、其その本陣ほんじんに送皈おくりかへしたといふ逸話いつわがある。近世きんせいでは、犬いぬの使命しめいといふ事ことは左迄さまで珍奇ちんきな事ことではないが、それと之これとは餘程よほど塲合ばあひも異ちがつて居をるので、二名にめいの水兵すいへいは危あやぶみ、武村兵曹たけむらへいそうは腕うでを拱こまぬいた儘まゝ、眤じつと稻妻いなづまの面おもてを眺ながめた。日出雄少年ひでをせうねんは憂色うれひを含ふくんで『それでは、稻妻いなづまは私共わたくしどもと別わかれて、單獨ひとりで、此この淋さびしい、恐おそろしい山やまを越こえて、大佐たいさの叔父おぢさんの家いへへお使者つかひに行ゆくのですか。私わたくしは何なんだか心配しんぱいなんです、稻妻いなづまがいくら強つよくつたつて、あの澤山たくさんな猛獸まうじうの中なかを、無事ぶじに海岸かいがんの家いへへ歸かへる事ことが出來できませうか。』と進すゝまぬ顏かほに首くびを頂垂うなだれた。如何いかにも其その憂慮うれひは道理もつともである。私わたくしも實じつは、此この使命しめいの十中ちう八九までは遂とげらるゝ事ことの難かたきを知しつて居をる、また、三年さんねん以來いらい馴なれ親したしんで、殆ほとんど畜類ちくるいとは思おもはれぬ迄まで愛あいらしく思おもふ此この稻妻いなづまに、些いさゝかでも辛苦しんくは見みせたくないのだが、今いまは實じつに非常ひじやうの塲合ばあひである、非常ひじやうの塲合ばあひには非常ひじやうの决心けつしんを要えうするので、若もし躊躇ちうちよして居をれば、吾等われら一同いちどうはみすす知しる人ひとも無なき此この山中さんちうの、草葉くさばの露つゆと消きえてしまはねばならぬのであるから成敗せいばいは元もとより豫期よきし難がたいが、出來得できうる丈だけの手段しゆだんは盡つくさねばならぬと考かんがへたので、遂つひに意ゐを决けつして、吾等われらは此この急難きふなんをば、三十里り彼方かなたなる櫻木大佐さくらぎたいさの許もとに報ほうぜんがため、涙なみだを揮ふるつて猛犬稻妻まうけんいなづまをば、此この恐おそろしき山中さんちうに使者ししやせしむる事こととなつた。私わたくしは直たゞちに鉛筆えんぴつをとつて一書いつしよを認したゝめた。書面しよめんの文句もんくは斯かうである。
櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさよ、世よに禍わざはひといふものなくば、此この書面しよめんの達たつせん頃ころには、吾等われらは再ふたゝび貴下きかの面前めんぜんに立たつ可べき筈はづなりしを、今いまかゝる文使者ふづかひを送おくる事ことの、歡よろこばしき運命うんめいにあらぬをば察さつし玉たまふ可べし。貴下きかの委任いにんを受うけたる紀念塔きねんたふの建立けんりつは、首尾しゆびよく成就じやうじゆしたれども、其その歸途きと、吾等われらは自みづから招まねきたる禍わざはひによりて、貴下きかが住すまへる海岸かいがんより、東方とうほう大約おほよそ三十里りの山中さんちうにて、恐おそる可べき砂すなすべりの谷たにに陷落かんらくせり、砂すなすべりの谷たには實じつに死しの谷たにと呼よばるゝ如ごとく、吾等われらは最早もはや一寸いつすんも動うごく事こと能あたはず、加くわふるに、猛獸まうじうの襲撃しふげきは益々ますす甚はなはだしく、此この鐵檻車てつおりのくるまをも危あやうくせんとす。今いまは死しを待まつばかりなり。即すなはち難なんを貴下きかの許もとに報ほうず、稻妻いなづま幸さひはひに死しせずして、貴下きかに此この書しよを呈ていするを得えば、大佐たいさよ、乞こふ策はかりごとを廻めぐらして吾等われらの急難きふなんを救すくひ玉たまへ。

と、斯かく認したゝめて筆ふでを止とめると、日出雄少年ひでをせうねんは沈しづめる聲こゑに
『あゝ、大佐たいさの叔父おぢさんは、私共わたくしどもが今日歸けふかへるか、明日あす歸かへるかと待まつていらつしやる處ところへ、此樣こんな手紙てがみが行いつたら、どんなにか喫驚びつくりなさる事ことでせう。』と、いふと武村兵曹たけむらへいそうは小首こくびを捻ひねつて『そこで、私わたくしの心配しんぱいするのは、義侠をとこぎな大佐閣下たいさかつかは、吾等われらの大難だいなんを助たすけやうとして、御自身ごじしんに危險きけんをお招まねきになる樣やうな事ことはあるまいか。』
『其樣そんな事ことがあつては濟すまぬね。』と私わたくしは直たゞちに文ふみを續つゞけた。

然されど、大佐たいさよ、吾等われらは今いまの塲合ばあひに於おいて、九死きゆうしに一生いつしやうをも得難えがたき事ことをば疾とくに覺悟かくごせり。今いま、海底戰鬪艇かいていせんとうていの成敗せいばいを一身いつしんに擔になへる貴下きかの身命しんめいは、吾等われらの身命しんめいに比ひして、幾十倍いくじふばい日本帝國につぽんていこくの爲ために愛惜あいせきすべきものなり。故ゆゑに貴下きかが、吾等われらを救すくはんとて、強しいて危險きけんを冐おかすが如ごときは、吾等われらの深ふかく憂うれふる處ところなり。盖けだし、日本につぽんの臣民しんみんは如何いかなる塲合ばあひに於おいても、其その身みを思おもふよりも、國くにを思おもふ事こと大だいなれば、若もし救すくふに良策りようさくなくば、乞こふ、大義たいぎの爲ために吾等われらを見捨みすて玉たまへ、吾等われらも亦また運命うんめいに安やすんじて、骨ほねを此この山中さんちうに埋うづめん。

と、猶なほ數行すうぎやうを書かき加くわへて

若もし、吾等われらが不幸ふかうにして、此この深山しんざんの露つゆと消きえもせば、他日たじつ貴下きかが、海底戰鬪艇かいていせんとうていの壯麗さうれいなる甲板かんぱんより、仰あほいで芙蓉ふえうの峯みねを望のぞみ見みん時とき、乞こふ吾等われら五名ごめいの者ものに代かわりて、只たゞ一聲いつせい、大日本帝國だいにつぽんていこくの萬歳ばんざいを唱となへよ、吾等われらも亦また幽冥いうめいより其その聲こゑに和わせん。
斯かく認したゝめ終をはりし書面しよめんをば幾重いくえにも疊たゝみ込こみ、稻妻いなづまの首輪くびわに堅かたく結むすび着つけた。犬いぬは仰あほいで私わたくしの顏かほを眺ながめたので、私わたくしは其その眞黒まつくろなる毛けをば撫なでながら、人間にんげんに物語ものがたるが如ごとく
『これ、稻妻いなづま、汝おまへは世よに勝すぐれたる犬いぬだから、總すべての事情じじやうがよく分わかつて居をるだらう、よく忍耐しんぼうして、大佐たいさの家いへに達たつして呉くれ。』と、いふと、稻妻いなづまは恰あだかも私わたくしの言げんを解げし得えた如ごとく、凛然りんぜんとして尾をを掉ふつた。日出雄少年ひでをせうねんは暗涙あんるゐを浮うかべて
『私わたくしは本當ほんたうにお前まへと別わかれるのが、悲かなしいよ、けれど運命うんめいだから仕方しかたが無ないのだよ、それでねえ、お前まへが幸さひはひに、大佐たいさの叔父おぢさんの家いへに安着あんちやくして、萬一まんいちにも私共わたくしどもの生命いのちが助たすかつた事ことなら、再ふたゝび、あの景色けしきのよい海岸かいがんの砂すなの上うへで、面白おもしろく遊あそぶ事ことが出來できませう。若もし運惡うんわるく、お前まへが途中とちうで死しんでしまつたなら、私わたくしも追付おつゝけ彼世あのよで、お前まへの顏かほを見みるやうになりませうよ。』と、云いふのは、既すでにそれと覺悟かくごを定さだめて居をるのであらう、流石さすがに猛たけき武村兵曹たけむらへいそうも聲こゑを曇くもらせ
『あゝ、皆みな私わたくしが惡わるいのだ、私わたくしの失策しくじつたばかりに、一同みんなに此樣こんな憂目うきめを見みせる事ことか。』と深ふかく嘆息たんそくしたが、忽たちまち心こゝろを取直とりなほした樣子やうすで『いやや、女をんな見みたやうな事ことは言いふまい。』と態わざと元氣げんきよく、犬いぬの首輪くびわをポンと叩たゝいて
『これ、稻妻いなづま、しつかりやれよ。』と屹きつと其その面おもてを見詰みつめた。
此時このとき、二名にめいの水兵すいへいは、私わたくしの命めいに從したがつて、犬いぬを抱いだいて、鐵階てつかいを登のぼつた、鐵檻てつおりの車くるまの上うへからは前まへにもいふ樣やうに、砂すなすべりの谷たにの外そとへ飛出とびでる事ことの出來できるのである。車外しやぐわいの猛獸まうじうは、見みるる内うちに氣色けしきが變かわつて來きた。隙すきを覗うかゞつたる水兵すいへいは、サツと出口でぐちの扉とびらを排ひらくと、途端とたん、稻妻いなづまは、猛然まうぜん身みを跳をどらして、彼方かなたの岸きしへ跳上をどりあがる。待設まちまうけたる獅子しゝ數頭すうとうは、電光石火でんくわうせきくわの如ごとく其その上うへへ飛掛とびかゝつた。五秒べう、十秒べうは大叫喚だいけうくわん、あはや、稻妻いなづまは喰伏くひふせられたと思おもつたが、此この犬いぬ尋常じんじやうでない、忽たちまちむつくと跳はね起おきて、折をりから跳をどり掛かゝる一頭いつとうの雄獅をじゝの咽元のどもとに噛付くひついて、一振ひとふり振ふるよと見みへたが、如何いかなる隙すきをや見出みいだしけん、彼方かなたに向むかつて韋駄天走ゐだてんばしり、獅子しゝの一群いちぐんも眞黒まつくろになつて其その後あとを追掛おひかけた。見みるる内うちに其その形かたちは一團いちだんとなつて、深林しんりんの中なかに見みえずなつた。稻妻いなづまは果はたしてよく此この大使命だいしめいを果はたす事ことが出來できるであらうか。考かんがへて見みると隨分ずゐぶん覺束おぼつかない事ことだが、夫それでも一縷いちるの望のぞみの繋つながる樣やうにも感かんじて、吾等われらは如何いかにもして生命いのちのあらん限かぎり、櫻木大佐さくらぎたいさの援助たすけを待まつ積つもりだ。非常ひじやうな困難こんなんの間あひだに、三日みつかは※去すぎさつたが、大佐たいさからは何なんの音沙汰おとさたも無なかつた、また、左樣さう容易たやすくあるべき筈はづもなく、四日よつかと※すぎ、五日いつかと※すぎ、六日むいかと※すぎ、其その七日目なぬかめまで此この恐おそろしき山中さんちゆうに、日ひを暮くらしたが、救助たすけの人ひとは見みえなかつた。鐵車てつしやの嚴重げんぢゆうなる事ことと、彈藥だんやくを夥おびたゞしく用意ようゐして來きた事こととで、今日こんにちまで猛獸まうじうの害がいを免まぬかれて居をるが、其内そのうちに困難こんなんを感かんじて來きたのは、糧食りようしよくと飮料水いんれうすいとの缺乏けつぼうとである、すでに昨日きのふから、糧食箱りようしよくばこの中なかには一片いつぺんの蒸餅ビスケツトも無なくなつた。水樽みづだるは空からになつて鐵車内てつしやないの一隅いちぐうに横よこたはつた。一同いちどうは最早もはや絶望ぜつばうの極きよくに達たつしたのである。此この日ひは食くはず、飮のまずに日ひを暮くらして、苦くるしき一夜いちやは、一睡いつすいの夢ゆめをも結むすばず翌朝よくあさを迎むかへたが、まだ何なんの音沙汰おとさたも無ない、眺ながめると空そらには雲くも低ひくく飛とび、山やま又また山やまの彼方此處あちこちには、猛獸まうじうの※聲さけびごゑいよよ悽すさまじく、吾等われらの運命うんめいも最早もはや是迄これまでと覺悟かくごをしたのである。

    第二十一回 空中くうちうの救すくひ

何者にか愕いた樣子――誰かの半身が現はれて――八日前の晩――三百反の白絹――お祝の拳骨――稻妻と少年と武村兵曹

 指ゆびを屈くつして見みると、當日たうじつは吾等われらが海岸かいがんの家いへを去さつてから、丁度ちやうど九日目こゝぬかめで、兼かねて海底戰鬪艇かいていせんとうていの試運轉式しうんてんしきの日ひと定さだめられたる紀元節きげんせつの前日ぜんじつである。若もし此樣こんな禍わざはひが起おこらなかつたなら、今頃いまごろは既すでに大佐たいさの家いへに歸かへつて居をつて、あの景色けしきの美うるはしい海岸かいがんの邊へんで、如何いかに愉快ゆくわいな日ひを迎むかへて居をるだらうと考かんがへると、何故なぜ紀念塔きねんたふの建立けんりつを終をはつた時ときに素直すなほに元もと來きた道みちを皈かへらなかつたらうと、今更いまさら後悔こうくわいに堪たえぬのである。『あゝ、今迄いまゝで何なんの音沙汰おとさたも無ないのは、稻妻いなづまも途中とちうで死しんでしまつたのでせう。』と、日出雄少年ひでをせうねんは悄然せうぜんとして、武村兵曹たけむらへいそうの顏かほを眺ながめた。
『イヤ、イヤ、稻妻いなづまは尋常一樣じんじやういちやうの犬いぬでないから、屹度きつと無事ぶじに海岸かいがんへは達たつしたらうが、然しかし、吾等われらの災難さいなんは非常ひじやうな事ことだから、大佐閣下たいさかくかでも容易ようゐには救すくひ出だす策さくがなくつて、考慮かんがへて居ゐなさるのだらう。まああ、失望しつぼうしないで、生命限いのちかぎり待まつ事ことだ。』と、武村兵曹たけむらへいそうは態わざと元氣げんきよく言放いひはなつて、日出雄少年ひでをせうねんの首筋くびすぢを抱いだいた。二名にめいの水兵すいへいは淋さびし氣げに顏かほを見合みあはせた。
實じつに、世よの中なかには人間にんげんの力ちからに及およぶ事ことと、及およばぬ事こととがある。人間にんげんの力ちからに及およぶ事ことなら、あの智惠ちゑ逞たくましき櫻木大佐さくらぎたいさに不能できぬといふ事ことはあるまいが、今日けふまで、何なんの音沙汰おとさたの無なく打※うちすぎて居をるのを見みると、たとへ、猛犬稻妻まうけんいなづまは無事ぶじに使命しめいと果はたしたにしろ、吾等われれを此この危難きなんから救すくひ出いだす事ことは、大佐たいさの智惠ちゑでも迚とても及およばぬのであらうと、私わたくしは深ふかく心こゝろに决けつしたが、今いまの塲合ばあひだから何なにも言いはない。
此時このとき不意ふゐに、車外しやぐわいの猛獸まうじうの群むれは何者なにものにか愕おどろいた樣子やうすで、一時いちじに空そらに向むかつて唸うなり出だした。途端とたん、何處いづくともなく、微かすかに一發いつぱつの銃聲じうせい!一同いちどうは飛立とびたつて、四方しほうを見廻みまわしたが、何なにも見みえない。偖さては心こゝろの迷まよひであつたらうかと、互たがひに顏かほを見合みあはす時とき、またも一發いつぱつドガン! ふと、大空おほぞらを仰あほいだ武村兵曹たけむらへいそうは、破鐘われがねのやうに叫さけんだ。
『輕氣球けいききゆう! 輕氣球けいききゆう!。』
見みると、太陽たいやうがキララと輝かゞやいて居をる東ひがしの方ほうの、赤裸あかはだかの山やまの頂いたゞきを斜なゝめに掠かすめて、一個いつこの大輕氣球だいけいききゆうが風かぜのまにに此方こなたに向むかつて飛とんで來きた。
『やア、大佐たいさの叔父おぢさんが、風船ふうせんで救たすけに來きたんだよよ。』と日出雄少年ひでをせうねんは雀躍じやくやくした。
『早はやく、早はやく、先方むかうでは吾等われらを搜索さうさくして居をるのだ、早はやく、此方こなたの所在ありかを知しらせろツ。』と、私わたくしが叫さけぶ聲こゑの下したに、武村兵曹たけむらへいそうと二名にめいの水兵すいへいとは、此時このとき數個すうこ殘のこつて居をつた爆裂彈ばくれつだんを一時いちじに投なげ出だした。山やまも、谷たにも、一時いちじに顛倒てんたうする樣やうな響ひゞきと共ともに、黒煙こくえんパツと立昇たちのぼる。猛獸羣まうじうぐんは不意ふゐに驚おどろいて、周章狼狽あわてふためいて逃にげ失うせる。輕氣球けいききゆうの上うへでは、忽たちまち吾等われらの所在ありかを見出みいだしたと見みへ、搖藍ゆれかごの中なかから誰人たれかの半身はんしんが現あらはれて、白しろい手巾ハンカチーフが、右みぎと、左ひだりにフーララと動うごいた。
頓やがて氣球ききゆうはだんんと接近せつきんして、丁度ちやうど鐵車てつしやの直すぐ上うへ五十呎フヒートばかりになると、空中くうちうから大聲たいせいで『一同いちどう無事ぶじか。』と叫さけんだのは、懷なつかしや、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの聲こゑ、同時どうじに、今いま一人ひとり乘組のりくんで居をつた馴染なじみの顏かほの水兵すいへいが、機敏きびんに碇綱いかりづなを投なげると、それが巧うまく鐵檻車てつおりくるまの一端いつたんに止とまつたので、『それツ。』といふ聲こゑ諸共もろとも、吾等われらは鐵車てつしやの扉とびらを跳はね除のけ、猿ましらの如ごとく綱つなを傳つたつて昇のぼり出だした。丁度ちやうど此時このとき、一度いちど逃去にげさつたる猛獸まうじうは、再ふたゝび其處此處そここゝの森林もりから現あらはれて來きたが、つるると空中くうちうに、昇のぼつて行ゆく吾等われらの姿すがたを見みて、一種いつしゆ異樣ゐやうに咆哮ほうかうした。遂つひに、吾等われら五人ごにんは安全あんぜんに、輕氣球けいきゝゆうへ達たつした。大佐たいさの顏かほを見みるより日出雄少年ひでをせうねんは
『叔父おぢさん、稻妻いなづまは、稻妻いなづまは――。』
大佐たいさは笑わらつて
『無事ぶじだよ、無事ぶじだよ。』
私わたくしと二名にめいの水兵すいへいとは、餘あまりの憘うれしさに一言いちごんも無なかつた。武村兵曹たけむらへいそうは何なにより前さきに自分じぶんの大失策おほしくじりを白状はくじやうして、頻しきりに頭あたまを掻かいた。此時このとき如何いかに憘うれしく、また、如何いかなる談話だんわのあつたかは只たゞ諸君しよくんの想像さうぞうに任まかせるが、茲こゝに一言ひとこと記しるして置おかねばならぬのは、此この大輕氣球だいけいききゆうの事ことである。
櫻木大佐さくらぎたいさの話はなす處ところによると、此この日ひから丁度ちやうど八日やうか前まへの晩ばん(即すなはち吾等われらが犬いぬの使者ししやを送おくつた其日そのひの夜よるである。)猛犬稻妻まうけんいなづまが數すうヶ所しよの傷きづを負おひ、血ちに染しみて歸かへつて來きたので、初はじめて吾等われらの大難だいなんが分わかり、それより海岸かいがんの家いへは沸わくが如ごとき騷さわぎで、種々しゆゆ評議ひやうぎの結果けつくわ、此この危急ききふを救すくふには、輕氣球けいきゝゆうを飛とばすより他ほかに策さくは無ないといふ事ことに定さだまつたが、氣球ききゆうを作つくる事ことは容易ようゐな業わざではない、幸さひはひにも、材料ざいれうは甞かつて、浪なみの江丸えまるで本島ほんたうに運はこんで來きた諸しよ品ひんの内うちにあつたので直たゞちに着手ちやくしゆしたが、其爲そのために少すくなからぬ勞力ほねをりと、諸種しよしゆの重要ぢゆうえうなる藥品等やくひんとうを費つひやしたは勿論もちろん、海底戰鬪艇かいていせんとうていの内部ないぶ各室かくしつの裝飾用さうしよくようにと、遙はるる本國ほんごくから携たづさへて來きた三百餘反よたんの白絹しろぎぬをば、悉皆すつかり使用しようしてしまつた相さうだ。此事このことを語かたつて櫻木大佐さくらぎたいさは笑わらひながら『諸君しよくんは好奇心こうきしんから禍わざはひを招まねいた罰ばつとして、海底戰鬪艇かいていせんとうていの竣成しゆんせいした曉あかつきにも、裝飾かざりの無ない船室せんしつに辛房しんぼうせねばなりませんよ。』
一同いちどうはたゞ頭あたまを掻かくのみ
『はい、はい、どんな事ことでもも。』と、答こたへたが、夫それに就つけても氣遣きづかはしきは海底戰鬪艇かいていせんとうていの工事こうじの、吾等われらが斯かゝる騷動さわぎを引起ひきおこした爲ために、痛いたく妨さまたげられたのではあるまいかと、私わたくしは口籠くちごもりながら問とひかけると、大佐たいさは悠々いううとして
『いや、豫定通よていどうり、明日めうにちが試運轉式しうんてんしきで、それより一週間いつしゆうかん以内いないには、本島ほんたうを出發しゆつぱつする事ことが出來できませう。』と言いひつゝ、日出雄少年ひでをせうねんに向むかつて
『少年せうねんよ、待まちに待まつたる富士山ふじさんを見みるのも遠とほい事ことではないよ。』
一同いちどうは意外ゐぐわいの喜悦よろこびに顏かほを見合みあはした。武村兵曹たけむらへいそうは我われを忘わすれて大聲おほごゑに
『ほー、えれい勢いきほひだ、一方いつぽうでは輕氣球けいきゝゆうを作こしらへながら、海底戰鬪艇かいていせんとうていも豫定通よていどうりに竣成しゆんせいしたとなると、吾等われらが馬鹿ばかを見みて居をつた間あひだに、大佐閣下たいさかくかも、其その餘よの水兵すいへい共どもも、寢ねないで働はたらいた譯わけだな。』
大佐たいさは微笑びせうと共ともに
『武村兵曹たけむらへいそう、お前まへの失策しくさくの爲ために、八日間やうかかん一睡いつすいもしないで働はたらいた水兵すいへいもあつたよ。』
兵曹へいそうは頭あたまを垂たれた、私わたくしも耳みゝが痛いたかつた。話はなしの間あひだに、輕氣球けいきゝゆうは、かの恐おそろしき山やまと森もりと谷たにと、又また惜をしむ可べき――然されど今いまは要えうなき鐵檻車てつおりぐるまとを後あとにして、風かぜのまにに空中くうちうを飛行ひかうして、其日そのひ午後ごゞ三時じ四十分ぷん項ごろ、吾等われらは再ふたゝび、懷なつかしき海岸かいがんの景色けしきを夢ゆめのやうに見みおろした時とき、海岸かいがんに殘のこれる水兵等すいへいらも吾等われらと認みとめたと覺おぼしく、屏風岩べうぶいわの上うへから、大佐たいさの家いへから、手てにに帽ぼうを振ふり、手巾ハンカチーフを振廻ふりまわしつゝ、氣球きゝゆうの降くだると見みえし海濱うみべを指さして、蟻ありのやうに集あつまつて來くる。其その眞先まつさきに砂塵すなけむりを蹴立けたてゝ、驅かけつて來くるのはまさしく猛犬稻妻まうけんいなづま!遂つひに、吾等われらは、大佐たいさの家いへから四五町ちやう距へだゝつた海岸かいがんに降下かうかした。勢いきほひよき水兵等すいへいらの歡呼くわんこに迎むかへられて、輕氣球けいききゆうを出でると、日出雄少年ひでをせうねんは、第一だいいちに稻妻いなづまの首輪くびわに抱着だきついた。二名にめいの水兵すいへいは仲間なかまの一群ひとむれに追廻おひまはされて、憘々きゝと叫さけびながら逃廻にげまわつた。それは「命拾いのちひろひのお祝いわひ」に、拳骨げんこつが一ひとつ宛づゝ振舞ふるまはれるので『之これは堪たまらぬ』と逃にげ出だす次第しだいだ。勿論もちろん戯謔じやうだんだが隨分ずいぶん迷惑めいわくな事ことだ。大佐たいさは笑わらひながら徐しづかに歩あゆみ出だすと、一同いちどうは吾等われらの前後左右ぜんごさゆうを取卷とりまいて、家路いへぢに迎むかふ。途中とちう、武村兵曹たけむらへいそうは大得意だいとくいで、ヤンヤヤの喝釆かつさいの眞中まんなかに立たつて、手てを振ふり口沫こうまつを飛とばして、今回こんくわいの冐險譚ぼうけんだんをはじめた。此この男をとこは正直せうじきだから、猛狒ゴリラ退治たいぢの手柄話てがらばなしは勿論もちろん、自分じぶんの大失策おほしくじりをも、人一倍ひといちばいの大聲おほごゑでやツて退のけた。
かくて、吾等われらは大暴風雨だいぼうふううの後のちに、晴朗うらゝかな天氣てんきを見みるやうに、非常ひじやうの喜よろこびを以もつて大佐たいさの家いへに着ついた。それから、吾等われらが命拾いのちひろひのお祝いわひやら、明日あすの凖備じゆんびやらで大騷おほさわぎ。

    第二十二回 海うみの禍わざはひ

孤島の紀元節――海軍大佐の盛裝――海岸の夜會――少年の劍舞――人間の幸福を嫉む惡魔の手――海底の地滑り――電光艇の夜間信號

 二月ぐわつ十一日にち、待まちに待まつつたる紀元節きげんせつの當日たうじつとはなつた。前夜ぜんやは、夜半やはんまで大騷おほさわぎをやつたが、なかか今日けふは朝寢あさねどころではない。拂曉ふつげうに目醒めさめて、海岸かいがんへ飛出とびだして見みると、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ、日出雄少年ひでをせうねん武村兵曹等たけむらへいそうらは既すでに浪打際なみうちぎわを逍遙せうえふしながら、いづれも喜色滿面きしよくまんめんだ。大海原おほうなばらの東ひがしの極きわみから、うららと昇のぼつて來くる旭あさひの光ひかりも、今日けふは格別かくべつに麗うるはしい樣やうだ。あの日ひの出いづる邊へん、我わが故國ここくでは今頃いまごろは定さだめて、都大路みやこおほぢの繁華はんくわなる處ところより、深山みやまの奧をくの杣そまの伏屋ふせやに到いたるまで、家々いへへ戸々こゝに日ひの丸まるの國旗こくきを飜ひるがへして、御國みくにの榮さかえを祝いわつて居をる事ことであらう。吾等われら遠とうく印度洋インドやうの此この孤島はなれじまに距へだゝつて居をつても、么麽どうして此この日ひを祝いわはずに居をられやう、去年きよねんも、一昨年おとゞしも、當日たうじつは終日しうじつ業げふを休やすんで、心こゝろばかりの祝意しゆくゐを表ひやうしたが、今年ことしの今日けふといふ今日けふは、啻たゞに本國ほんごくの大祭日たいさいじつばかりではない、吾等われらの爲ためには、終世しうせいの紀念きねんともなる可べき、海底戰鬪艇かいていせんとうていの首尾しゆびよく竣成しゆんせいして、初はじめて海うみに浮うかび出でる當日たうじつであれば、其その目出度めでたさも亦また格別かくべつである。昨夜さくや以來いらい我わが朝日島あさひじまの海岸かいがんは、手ての及およぶ限かぎり裝飾さうしよくされた。大佐たいさの家いへは隙間すきまもなく日ひの丸まるの國旗こくきに取卷とりまかれて、其その正面せうめんには、見事みごとな緑門アーチも出來できた。荒浪あらなみの鞺々どううと打寄うちよする岬みさきの一端いつたんには、高たかき旗竿はたざほが立たてられて、一夜作いちやづくりの世界せかい※國ばんこくの旗はたは、其その竿頭かんとうから三方さんぽうに引ひかれた綱つなに結むすばれて、翩々へんぺんと風かぜに靡なびく、其その頂上てつぺんには我わが譽ほまれある日章旗につしようきは、恰あだかも列國れつこくを眼下がんかに瞰みおろすが如ごとく、勢いきほひよく飜ひるがへつて居をる。海濱かいひんの其處此處そここゝには、毛布ケツトや、帆布ほぬのや、其他そのほか樣々さままの武器等ぶきとうを應用おうようして出來できた、富士山ふじさんの摸形もけいだの、二見ふたみヶ浦うらの夕景色ゆふげしきだの、加藤清正かとうきよまさの虎退治とらたいぢの人形にんぎようだのが、奇麗きれいな砂すなの上うへにズラリと並ならんだ。また彼方かなたでは、一團いちだんの水兵すいへいがワイイと騷さわいで居をるので、何事なにごとぞと眺ながめると、其處そこは小高こだかい丘をかの麓ふもとで、椰子やしや橄欖かんらんの葉はが青々あほほと茂しげり、四邊あたりの風景けしきも一際ひときわ美うるはしいので、今夜こんやは此處こゝに陣屋ぢんやを構かまへて、大祝賀會だいしゆくがくわいを催もようすとの事こと、其その仕度したくに帆木綿ほもめんや、檣ほばしらの古ふるいのや、倚子いすや、テーブルを擔かつぎ出だして、大騷おほさわぎの最中さいちう。頓やがて海底戰鬪艇かいていせんとうていが、いよよ秘密造船所ひみつざうせんじよを出いづる可べき筈はづの午前ごぜん九時くじになると、一發いつぱつの砲聲ほうせいが轟とゞろいた。それと同時どうじに、一旦いつたん家いへに歸かへつた櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、金きんモールの光ひかり燦爛さんらんたる海軍大佐かいぐんたいさの盛裝せいさうで、一隊いつたいの水兵すいへいを指揮しきして、屏風岩べうぶいわの下したなる秘密造船所ひみつざうせんじよの中なかへと進入すゝみいつた。私わたくしと、日出雄少年ひでをせうねんと、他ほかに一群いちぐんの水兵すいへいとは、陸りくに留とゞまつて、其その試運轉しうんてんの光景くわうけいを眺ながめつゝ、花火はなびを揚あげ、旗はたを振ふり、大喝采だいかつさいをやる積つもりだ。
九時じ三十分ぷん、第二だいにの砲聲ほうせいと共ともに、我わが驚おどろく可べき海底戰鬪艇かいていせんとうていは遂つひに海中かいちうに進水しんすいした。艇長ていちやう百三十呎フヒート、全面ぜんめん雪白せつはくの電光艇でんくわうていが、靜しづかに波上はじやうに泛うかんだ時ときの勇いさましさ、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは軍刀ぐんたうをかざして觀外塔上くわんぐわいたふじやうに立たち、一聲いつせい叫さけぶ號令がうれいの下したに、艇ていは流星りうせいの如ごとく疾走しつさうした、第二だいにの號令がうれいと共ともに、甲板かんぱんは自然しぜんに閉とぢ、水煙すいゑん空そらに飛とぶよと見みえし、艇ていは忽然こつぜん波底はていに沈しづみ、沈しづんでは浮うかび、浮うかんでは沈しづみ、右みぎに、左ひだりに、前まへに、後うしろに、神出鬼沒しんしゆつきぼつの活動くわつどうは、げにや天魔てんまの業わざかと疑うたがはるゝ、折をりから遙はるかの沖おきに當あたつて、小山こやまの如ごとき數頭すうとうの鯨群くじらのむれは、潮うしほを吹ふいて游およいで來きた。物ものの數かずにも足たらぬ海獸かいじうなれど、あれを敵國てきこくの艦隊かんたいに譬たとふれば如何いかにと、電光艇でんくわうていは矢庭やにわに三尖衝角さんせんしようかくを運轉うんてんして、疾風しつぷう電雷でんらいの如ごとく突進とつしんすれば、あはれ、海うみの王わうなる巨鯨きよげいの五頭ごとう七頭しちとうは微塵みぢんとなつて、浪なみを血汐ちしほに染そめた。更さらに新式魚形水雷しんしきぎよけいすいらいの實力じつりよく如何いかにと、艇ていは海底かいていを龍りようの如ごとく疾走しつさうしつゝ洋上やうじやうの巨巖きよがん目掛めがけて射出ゐいだす一發いつぱつ二發にはつ、巨巖きよがん碎くだけ飛とんで、破片はへん波なみに跳をどつた。忽たちまち電光艇でんくわうていの甲板かんぱんには歡呼くわんこの聲こゑが起おこつた。それと同時どうじに、吾等われら陸上りくじやうの一同いちどうは萬歳ばんざいを叫さけぶ、花火はなびを揚あげる、旗はたを振ふる、日出雄少年ひでをせうねんは夢中むちうになつて、猛犬稻妻まうけんいなづまと共ともに、飛鳥ひちやうの如ごとく海岸かいがんの砂すなを蹴立けたてゝ奔走ほんさうした。實じつに此この島しま在あつて以來いらいの大盛况だいせいけう!!!兎角とかくする程ほどに、海底戰鬪艇かいていせんとうていは試運轉しうんてんを終をはり、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは再ふたゝび一隊いつたいを指揮しきして上陸じやうりくした。電光艇でんくわうていは恰あだかも勇士ゆうしの憩いこうが如ごとく、海岸かいがん間近まぢかく停泊ていはくして居をる。
さて夫それよりは、紀元節きげんせつの祝賀しゆくがと、此この大おほいなる成功せいこうの祝いわひとで沸わくが如ごとき騷さわぎ、夜よるになると、兼かねて設まうけられたる海岸かいがんの陣屋ぢんやで大祝賀會だいしゆくがくわいが始はじまつた。其塲そのばの盛况せいけうは筆ふでにも言葉ことばにも盡つくされない。茶番ちやばんをやる水兵すいへいもある、軍樂ぐんがくを奏そうする仲間なかまもある、武村兵曹たけむらへいそうは得意とくいに、薩摩琵琶さつまびわ『河中島かはなかじま』の一段いちだんを語かたつた。此この男をとこに、此樣こんな隱かくし藝げいがあらうとは今日けふまで氣付きづかなかつた。特ことに櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの朗々らううたる詩吟しぎんにつれて、何時いつ覺おぼえたか、日出雄少年ひでをせうねんの勇いさましき劍舞けんぶは當夜たうやの華はなで、私わたくしが無藝むげいのために、只更ひたすら頭あたまを掻かいたのと共ともに、大拍手だいはくしゆ大喝釆だいかつさいであつた。
かくて、此この會くわいの全まつたく終をはつたのは夜よるの十一時じ※すぎであつた。櫻木大佐さくらぎたいさは、すでに海底戰鬪艇かいていせんとうていも海上かいじやうに浮うかんだので、其その甲板かんぱんを守まもらんが爲ために、武村兵曹たけむらへいそうをはじめ一隊いつたいの水兵すいへいを引卒いんそつして艇中ていちうに赴おもむいた。殘のこり一群いちぐんの水兵すいへいと、私わたくしと、日出雄少年ひでをせうねんとは、未まだ艇ていに乘組のりくむ必要ひつえうも無ないので、再ふたゝび海岸かいがんの家いへへ歸かへつたのである。誰だれでも左樣さうだが、非常ひじやうに憘うれしい時ときにはとても睡眠すいみんなどの出來できるものでない。で、家いへに歸かへつたる吾等われらの仲間なかまは、それからまた一室ひとまに集あつまつて、種々しゆゆの雜談ざうだんに耽ふけつた。窻まどの硝子越がらすごしに海上かいじやうを眺ながめると、電光艇でんくわうていは星ほしの光ひかりを浴あびて悠然いうぜんと波上はじやうに浮うかんで居をる、あゝ此この艇ていもかく竣成しゆんせいした以上いじやうは、今いまから一週間いつしゆうかんか、十日か以内いないには、萬端ばんたんの凖備じゆんびを終をはつて、此この島しまを出發しゆつぱつする事ことが出來できるであらう。此この島しまを出發しゆつぱつしたらもう締しめたものだ、一時間いちじかん百海里ひやくかいり前後ぜんごの大速力だいそくりよくは、印度洋インドやうを横切よこぎり、支那海シナかいを※すぎ、懷なつかしき日本海につぽんかいの波上はじやうより、仰あほいで芙蓉ふえうの峰みねを拜はいする事ことも遠とほい事ことではあるまい。無邪氣むじやきなる水兵等すいへいらの想像さうぞうするが如ごとく、其時そのときの光景くわうけいはまあどんなであらう。電光艇でんくわうていの評判ひやうばん、櫻木大佐さくらぎたいさの榮譽ほまれ、各自めいいの胸むねにある種々しゆゆの樂たのしみ、それ等らは管々くだだしく言いふに及およばぬ。一度いちど死しんだと思おもはれた日出雄少年ひでをせうねんと、私わたくしとが、無事ぶじに此この譽ほまれある電光艇でんくわうていと共ともに世よに現あらはれて來きたと聞きいたなら、ネープルスに在ある濱島武文はまじまたけぶみ――若もしまた春枝夫人はるえふじんが此世このよにあるものならば、如何いかに驚おどろき且かつ喜よろこぶ事ことであらう。斯かう考かんがへると、實じつに愉快ゆくわいでで堪たまらぬ、今いまや吾等われらの眼まなこには、たゞ希望きぼうの光ひかりの輝かゞやくのみで、誰たれか人間にんげんの幸福さひはひを嫉ねたむ惡魔あくまの手てが、斯かゝる時とき――かゝる間際まぎはに兎角とかく大厄難だいやくなんを誘起ひきおこすものであるなどゝ心付こゝろづく者ものがあらう。然しかるに、人間にんげんの萬事ばんじは、實じつに意外いぐわいの又また意外いぐわい、此この喜悦よろこびの最中さいちうに非常ひじやうな事變じへんが起おこつた。
刻こくは、草木くさきも眠ねむる、一時いちじと二時にじとの間あひだ、談話だんわ暫時しばし途絶とだえた時とき、ふと、耳みゝを澄すますと、何處いづこともなく轟々ごううと、恰あだかも遠雷えんらいの轟とゞろくが如ごとき響ひゞき、同時どうじに戸外こぐわいでは、猛犬稻妻まうけんいなづまがけたゝましく吠立ほえたてるので、吾等われらは驚おどろいて立上たちあがる、途端とたんもあらせず! 響ひゞきは忽たちまち海上かいじやうに當あたつて、天軸てんじく一時いちじに碎くだけ飛とぶが如ごとく、一陣いちぢんの潮風ていふうは波なみの飛沫とばしりと共ともに、サツと室内しつないに吹付ふきつけた。
『大海嘯おほつなみ! 大海嘯おほつなみ!。』と一同いちどうは絶叫ぜつけうしたよ。
周章狼狽あわてふためき戸外こぐわいに飛出とびだして見みると、今迄いまゝでは北斗七星ほくとしちせいの爛々らんんと輝かゞやいて居をつた空そらは、一面いちめんに墨すみを流ながせる如ごとく、限かぎりなき海洋かいやうの表面ひやうめんは怒濤どたう澎湃ぼうはい、水煙すいえん天てんに漲みなぎつて居をる。
此この海嘯つなみは後のちに分わかつたが、印度洋インドやう中ちうマルダイヷ島たう附近ふきんの海底かいていの地滑ちすべりに原因げんいんして、亞弗利加アフリカの沿岸えんがんから、亞剌比亞アラビヤ地方ちほうへかけて、非常ひじやうな損害そんがいを與あたへた相さうだが、其その餘波よはが此この孤島はなれじままで押寄おしよせて來きたのである。兎とに角かく非常ひじやうな騷動さうどう!
幸福さひはひにも吾等われらの家いへは、斷崖だんがいの絶頂ぜつてうに建たてられて居をつたので、此この恐おそる可べき惡魔あくまの犧牲ぎせいとなる事こと丈だけは免まぬかれた。けれど、それと同時どうじに、第一だいいちに吾等われらの胸むねを打うつたのは、櫻木大佐等さくらぎたいさらの乘込のりこめる海底戰鬪艇かいていせんとうていの安否あんぴである。天てんは暗くらい、地ちも暗くらい、海うみの面おもては激浪げきらう逆卷さかまき、水煙すいゑん跳をどつて、咫尺しせきも辨べんぜぬ有樣ありさま、私わたくしは氣きも氣きでなく、直たゞちに球燈きゆうとうを點てんじて驅かけ出だすと、日出雄少年ひでをせうねんも水兵等すいへいらも齊ひとしく手てにに松明たいまつをかざして、斷崖だんがいの尖端せんたんに立たち、聲こゑを限かぎりに叫さけびつゝ火光くわくわうを縱横じゆうわうに振廻ふりまわした。吾等われらの叫聲さけびごゑは忽たちまち怒濤どたうの響ひゞきに打消うちけされてしまつたが、只たゞ見みる、黒暗々こくあんんたる遙はるかかの沖おきに當あたつて、一點いつてんの燈光とうくわうピカリリ。
まさしく、海底戰鬪艇かいていせんとうていよりの夜間信號やかんしんがう!
其その信號しんがうに曰いはく
 電光艇でんくわうていは無事ぶじなり! 電光艇でんくわうていは無事ぶじなり!

    第二十三回 十二の樽たる

海底戰鬪艇の生命――人煙の稀な橄欖島――鐵の扉は微塵――天上から地獄の底――其樣な無謀な事は出來ません――無念の涙

 大海嘯おほつなみ後ごの光景くわうけいは、實じつに慘憺さんたんたるものであつた。
翌朝よくてうになつて見みると、海潮かいてうは殆ほとんど平常へいじやうに復ふくしたが、見渡みわたす限かぎり、海岸かいがんは、濁浪だくらう怒濤どたうの爲ために荒あらされて、昨日きのふ美うるはしく飾立かざりたてゝあつた砂上しやじやうの清正きよまさの人形にんぎようも、二見ふたみヶ浦うらの模形もけいも、椰子林やしばやしの陣屋ぢんやも、何處いづくへ押流おしながされたか影かげも形かたちもなく、秘密造船所ひみつざうせんじよも一時いちじは全まつたく海水かいすいに浸ひたされたと見みえて、水面すいめんから餘程よほど高たかい屏風岩べうぶいわの尖頭せんとうにも、醜みにくき海草かいさうの殘のこされて、其その海草かいさうから滴したゝり落おつる水玉みづたまに、朝日あさひの光ひかりの異樣ゐやうに反射はんしやして居をるなど、實じつに荒凉くわうりようたる有樣ありさまであつた。此時このとき、電光艇でんくわうていは遙はるかの沖おきから海岸かいがんに近ちかづき來きたり、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、無事ぶじに一隊いつたいの水兵すいへいと共ともに上陸じやうりくして來きたので、陸上りくじやうの一同いちどうは直たゞちに其處そこに驅付かけつけた。吾等われらの爲ためには、海底戰鬪艇かいていせんとうていが無事ぶじであつた事ことが何なより憘うれしい。
私わたくしは滿面まんめんに笑えみを湛たゝえて大佐たいさの手てを握にぎり、かゝる災難さいなんの間あひだにも互たがひの身みの無事ぶじなりし事ことをよろこび、さて
『昨夜さくや、海上かいじやうの光景くわうけいはどんなでしたか。』と言いひながら、しげげと大佐たいさの顏かほを眺ながめたが、實じつに驚おどろいた。日頃ひごろ沈着ちんちやくで、何事なにごとにも動顛どうてんした事ことのない大佐たいさの面おもてには、此時このとき何故なにゆゑか、心痛しんつう極きはまりなき色いろが見みえたのである。大佐たいさばかりでない、快活くわいくわつなる武村兵曹たけむらへいそうも、其他そのたの水兵等すいへいらも、電光艇でんくわうていより上陸じやうりくした一同いちどうは、悉こととく色蒼いろあほざめ、頭かうべを垂たれて、何事なにごとをか深ふかく考かんがへて居をる樣子やうす。
私わたくしは胸むねうたれて、急いそぎ問とひかけた。
『何なにか變かはつた事ことでも起おこりましたか、若もしや、昨夜さくやの海嘯つなみのために、海底戰鬪艇かいていせんとうていに破損はそんでも生せうじたのではありませんか。』
『否いや。』と大佐たいさは靜しづかに顏かほを上あげた。
『電光艇でんくわうていの船體せんたいには、何なにも異状ゐじやうはありませんが――。』といひながら、眤じつと私わたくしの顏かほを眺ながめて『然しかし、昨夜さくやの海嘯つなみは、吾等われら一同いちどうを希望きぼうの天上てんじやうより、絶望ぜつぼうの谷底たにそこへ蹴落けおとしたと思おもはれます。』
『な、な、何故なぜですか。』と、陸りくの仲間なかまは一時いちじに顏色がんしよくを變かへたのである。大佐たいさは、直たゞちに此この問とひには答こたへんとはせで、頭かうべを廻めぐらして、彼方かなたなる屏風岩べうぶいわの方ほうを眺ながめたが、沈欝ちんうつなる調子ちようしで
『君きみは今朝こんてうになつて、秘密造船所ひみつざうせんじよの内部ないぶを檢査けんさしましたか。』
『いや、未まだです。』と私わたくしは答こたへた。若もし、大海嘯おほつなみが今いまから二三日にち以前いぜんの事ことで、海底戰鬪艇かいていせんとうていが未まだ船渠ドツクを出でぬ内うちなら、第一だいいちに警戒けいかいすべき塲所ばしよは其處そこだが、今いまは、左迄さまで急いそいで、檢査けんさする必要ひつえうも無ないと考かんがへたのである。然しかるに、大佐たいさの言葉ことばと、其その顏色かほいろとで察さつすると、其その心痛しんつうの源みなもとは何なんでも其處そこに起おこつたらしい、私わたくしは急いそぎ言げんをつゞけた。
『未まだ實見じつけんはしませんが、御覽ごらんの通とうり、海面かいめんから餘程よほど高たかいあの屏風岩べうぶいわの尖頭せんとうにも、海草かいさうが打上うちあげられた程ほどですから、秘密造船所ひみつざうせんじよの内部ないぶは無論むろん海潮かいてうの浸入しんにうのために、大損害だいそんがいを蒙かうむつた事ことでせう、それが何なにか憂うれふ可べき事ことの原因げんゐんとなるのですか。』
『無論むろんです。』と大佐たいさは胸むねに手てを措おいて『君きみは忘わすれましたか、秘密造船所ひみつざうせんじよの中なかには、未まだ海底戰鬪艇かいていせんとうていの生命せいめいの殘のこされて居をつた事ことを。』
『海底戰鬪艇かいていせんとうていの生命せいめいとは。』と、私わたくしは審いぶかつた。
『十二の樽たるです。君きみも御存ごぞんじの如ごとく、海底戰鬪艇かいていせんとうていの總すべての機關きくわんは、秘密ひみつなる十二種しゆの化學藥液くわがくやくえきの作用さようで活動くわつどうするのでせう、其その活動くわつどうの根源もととなる可べき藥液やくえきは、盡ことごとく十二の樽たるに密封みつぷうされて、造船所ざうせんじよ内ないの一部いちぶに貯藏ちよぞうされてあつたのだが、あゝ、昨夜さくやの大海嘯おほつなみでは其その一個いつこも無事ぶじでは居をるまい、イヤ、决けつして無事ぶじで居をる筈はづはありません。』
『え、え、え。』と、初はじめて此事このことに氣付きづいた吾等われら一同どうは、殆ほとんど卒倒そつたうするばかりに愕おどろいた。大佐たいさは深ふかき嘆息ためいきを洩もらして
『恐おそらく私わたくしの想像さうぞうは誤あやまるまい、實じつに天てんの禍わざはひは人間にんげんの力ちからの及およぶ處ところではないが、今更いまさら斯かゝる災難さいなんに遭あふとは、實じつに無情なさけない次第しだいです。今いま、十二の樽たるが盡ことごとく流失りうしつしたものならば、海底戰鬪艇かいていせんとうていの神變しんぺん不思議ふしぎの力ちからも、最早もはや活用くわつようするに道みちが無ないのです。丁度ちやうど普通ふつうの蒸滊船じようきせんに石炭せきたんの缺乏けつぼうしたと同おなじ事ことで、波上はじやうに停止ていししたまゝ、朽果くちはつるの他ほかはありません。勿論もちろん、電光艇でんくわうていには試運轉式しうんてんしきの時ときに積入つみいれた發動藥液はつどうやくえきが、今いまも多少たせうは殘のこつて居をるが、艇ていに殘のこつて居をる丈だけでは、一千海里かいり以上いじやうを進航しんこうするに足たらぬ程ほどで、本島ほんとうから一千海里かいりといへば此處こゝから一番いちばんに近ちかいあの人煙じんゑんの稀まれなるマルダイヷ群島ぐんたうの一ひとつ橄欖島かんらんたうの附近ふきんまでは到達たうたつする事ことは出來できませうが、橄欖島かんらんたうへ達たつした所ところで何なんにもならない、却かへつて其處そこで、全然ぜんぜん進退しんたいの自由じゆうを失うしなつたら夫それこそ大變たいへん、自みづから進すゝんで奇禍きくわを招まねくやうなものです。橄欖島かんらんたうは荒凉くわうりやうたる島しま、とても其その種しゆの發動藥液はつどうやくえきを得うる事ことは出來できず、其他そのたの諸島しよたう、又または大陸たいりくに通信つうしんして、供給きようきふを仰あほぐといふ事ことも、决けつして出來できる事ことでは無ないのです。加くわふるに橄欖島かんらんたうの附近ふきんには、始終しじう有名いうめいなる海賊船かいぞくせんが横行わうかうし、また屡々しばば、歐洲をうしう諸國しよこくの軍艦ぐんかんも巡航じゆんかうして來きますから、其邊そのへんに我わが海底戰鬪艇かいていせんとうていが機關きくわんの活動くわつどうを失うしなつて、空むなしく波上はじやうに漾たゞよつて居をるのは無謀むぼう此上このうへもない事ことです。彼等かれらは日本帝國につぽんていこくの爲ために、今いまや斯かゝる戰艇せんていが竣成しゆんせいしたと知しつたら、决けつして默もくしては居をりません、必定ひつぜう、全力ぜんりよくを盡つくして、掠奪りやくだつに着手ちやくしゆしませうが、其時そのとき、動うごいては天下てんか無敵むてきの此この電光艇でんくわうていも、其その活動力くわつどうりよくを失うしなつて居をる間あひだは、如何いかんともする事ことが出來できません、吾等われらは潔いさぎよく其處そこに身命しんめいを抛なげうつ事ことは露惜つゆをしまぬが、其爲そのために、海底戰鬪艇かいていせんとうていが遂つひに彼等かれらの手てに掠奪りやくだつされて御覽ごらんなさい、吾等われらが幾年月いくねんげつの苦心慘憺くしんさんたんも水みづの泡あわ、否いや、我わが親愛しんあいなる日本帝國につぽんていこくの爲ために、計畫けいくわくした事ことが、却かへつて敵てきに利刀りたうを與あたへる事ことになります。其樣そのやうな事ことが如何どうして出來できませう。然されば百計ひやくけい盡つきた塲合ばあひには、たとへ海底戰鬪艇かいていせんとうていと共ともに永久えいきゆうに此この孤島はなれじまに朽果くちはつるとも、無謀むぼうに本島ほんたうを出發しゆつぱつする事ことは出來できません。君きみよ左樣さうでせう。で、今いま私わたくしの想像さうぞうするが如ごとく秘密造船所ひみつざうせんじよが全まつたく海水かいすいの爲ために破壞はくわいされて、十二の樽たるが其その一個いつこでも流失りうしつしたものならば、吾等われらは最早もはや本島ほんたうから一尺いつしやくも外そとへ出でる事ことは出來できないのです、左樣さやう、吾等われらが無上むじやうの樂たのしみとせる懷なつかしの日本につぽんへ歸かへる可べき希望きぼうも、全まつたく奪去うばひさられたといふものです。』『嗟呼あゝ。』と叫さけんだ儘まゝ、私わたくしも日出雄少年ひでをせうねんも其他そのたの水兵等すいへいらも茫然自失ぼうぜんじしつした。
昨夜さくやの大海嘯おほつなみの悽すさまじき光景くわうけいでは、其その十二の樽たるの最早もはや一個いつこも殘のこつて居をらぬ事ことは分わかつて居をるが、それでも、萬まんに一いちもと思おもつて、吾等われらは心こゝろも空そらに洞中どうちうの秘密造船所ひみつざうせんじよの内部ないぶに驅付かけつけて見みたが、不幸ふこうにして大佐たいさの言ことばは誤あやまらなかつた。塲内じやうないの光景くわうけいは實じつに慘憺さんたんたるもので、濁浪だくらう怒濤どたうは一方いつぽうの岩壁いわかべを突破つきやぶつて、奔流ほんりうの如ごとく其處そこから浸入しんにふしたものと見みへ、其その直すぐ側そばの、兼かねて發動藥液はつどうやくえきの貯藏ちよぞうせられて居をつた小倉庫せうさうこの鐵てつの扉とびらは微塵みぢんに碎くだかれて、十二の樽たるは何處いづくへ押流おしながされたものか、影かげも形かたちも無なかつた。
大佐たいさは撫然ぶぜんとして天てんを仰あほぐのみ、一同いちどうの顏色がんしよくは益々ますす青あをくなつた。
あゝ、天上てんじやうから地獄ぢごくの底そこへ蹴落けおとされたとて、人間にんげんは斯かく迄まで失望しつぼうするものではあるまい。
一同いちどうは詮方せんかたなく海岸かいがんの家いへに皈かへつたが、全まつたく火ひの消きえた後あとのやうに、淋さびしく心細こゝろぼそい光景くわうけい。櫻木大佐さくらぎたいさは默然もくねんとして深ふかく考かんがへに沈しづんだ。武村兵曹たけむらへいそうは眼中がんちうに無念むねんの涙なみだを浮うかべて、今いまも猶なほ多少たせう仇浪あだなみの立騷たちさわいで居をる海面かいめんを睨にらんで居をる。日出雄少年ひでをせうねんはいとと悲かなし相さうに『あゝ、また日本につぽんへ皈かへる事ことが出來できなくなつたんですか。』と空むなしく東ひがしの空そらを望のぞむ、其その心こゝろの中なかはまあどんなであらう。三十有餘名いうよめいの、日頃ひごろは鬼おにとも組くまん水兵等すいへいらも、今いまは全まつたく無言むごんに、此處こゝに一團いちだん、彼處かしこに一團いちだん、互たがひに顏かほを見合みあはすばかりで、其中そのうちに二三名めいは、萬一まんいちにも十二の樽たるの中うち一つでも、二つでも、海濱かいひんに流ながれ寄よる事こともやと、甲斐かひ>しく巡視じゆんしに出でかけたが、無論むろん宛あてになる事ことでは無ない。

    第二十四回 輕氣球けいききゆうの飛行ひかう

絶島の鬼とならねばならぬ――非常手段――私が參ります――無言のわかれ――心で泣いたよ――住馴れた朝日島は遠くく

 私わたくしはつくくと考かんがへたが、今度こんどといふ今度こんどこそは、とても免のがれぬ天てんの禍わざはひであらう。櫻木大佐さくらぎたいさの言げんの如ごとく、無謀むぼうに本島ほんたうを離はなるゝ事ことが出來できぬものとすれば、他ほかに何なんの策さくも無ない。電光艇でんくわうていの活動くわつどうの原因げんゐんとなるべき十二種しゆの藥液やくえきは、何時いつまでかゝつても、此樣こんな孤島はなれじまでは製造せいざうの出來できるものでなく、また、他たから供給きようきふを仰あほぐ事ことも恊かなはねば、吾等われらは爾後このゝち十年ねん生存ながらへるか、二十年ねん生存ながらへるか知しれぬが、朝夕あさゆふ、世界無比せかいむひの海底戰鬪艇かいていせんとうていを目前もくぜんに眺ながめつゝも、終つひには、此この絶島ぜつたうの鬼おにとならねばならぬのである。
斯かう考かんがへると、無限むげんに悲哀かなしくなつて、たゞ茫然ぼうぜんと故國こゝくの空そらを望のぞんで、そゞろに暗涙あんるいを浮うかべて居をる時とき、今迄いまゝで默然もくねんと深ふかき考慮かんがへに沈しづんで居をつた櫻木大佐さくらぎたいさは、突然とつぜん顏かほを上あげた。彼かれは遂つひに非常手段ひじやうしゆだんを案あんじ出いだしたのである。大佐たいさは、决然けつぜんたる顏色がんしよくを以もつて口くちを開ひらいた。
『今いま、此この厄難やくなんに際さいして、吾等われらの採とる可べき道みちは只たゞ二つある、其その一つは、何事なにごとも天運てんうんと諦あきらめて、電光艇でんくわうていと共ともに此この孤島はなれじまに朽果くちはてる事こと――然しかしそれは何人なんぴとも望のぞむ處ところではありますまい――他たの一策いつさくは他ほかでも無ない、實じつに非常ひじやうの手段しゆだんではあるが、※日くわじつ、自動鐵車じどうてつしやが砂すなすべりの谷たにに陷落かんらくした時とき、君等きみらを救すくはんが爲ために製作せいさくした大輕氣球だいけいきゝゆうが、今いまも猶なほ殘のこつて居をる。其その輕氣球けいきゝゆうを飛揚ひやうして、誰だれか一二名めい、印度インドのコロンボ市しか其他そのたの大陸地方たいりくちほうの都邑とゆうに達たつし、其處そこで、電光艇でんくわうていが要えうする十二種しゆの藥液やくえきを買整かひとゝのへ、其處そこから一千海里かいり離はなれて大陸たいりくと本島ほんたうとの丁度ちやうど中間ちうかんに横よこたはれる橄欖島かんらんたうまで竊ひそかに船ふねに艤裝ぎさうして、十二の藥液やくえきを運送うんさうして來きたならば、此方こなたでも海底戰鬪艇かいていせんとうていには、未まだ多少たせうの發動藥液はつどうやくえきが殘のこつて居をるから、其その運送船うんさうせんが丁度ちやうど橄欖島かんらんたうに到着たうちやくする頃ころ、我わが電光艇でんくわうていも亦また本島ほんたうを出發しゆつぱつして、二船にせん其その島しまに會合くわいがふし、凖備じゆんびの藥液やくえきをば電光艇でんくわうていに轉載てんさいして、それより日本につぽんに歸かへらんとの計畫けいくわくです。勿論もちろん、事ことの成敗せいばいは豫期よきし難がたいが、萬一まんいち氣球ききゆうが空中くうちうに破裂はれつするとか、其他そのたの異變ゐへんの爲ために、使命しめいを果はたす事ことが出來できなければ夫迄それまでの事こと、此方こなた電光艇でんくわうていは、約束やくそくの日ひに本島ほんたうを發はつし、橄欖島かんらんたうに赴おもむいて、數日すうじつ待まつても、來くる可べき船ふねの來こぬ塲合ばあひには、それを以もつて輕氣球けいきゝゆうの運命うんめいを卜ぼくし、自みづからも亦また天運てんうんの盡つきと諦あきらめて、其時そのときは最後さいごの手段しゆだん、乃すなはち海賊船かいぞくせんとか其他そのた強暴きようぼうなる外國ぐわいこくの軍艦等ぐんかんとうに、海底戰鬪艇かいていせんとうていの秘密ひみつを覺さとられぬが爲ために、自みづから爆發藥ばくはつやくを以もつて艇體ていたいを破壞はくわいして、潔いさぎよく千尋ちひろの海底かいていに沈しづまんとの覺悟かくご。實じつに非常ひじやうの手段しゆだんではあるが、今いまの塲合ばあひに於おいて、目的もくてきもなく、希望きぼうもなく漸やうやく竣成しゆんせいせし海底戰鬪艇かいていせんたうていを目前もくぜんに瞻ながめつゝ、空むなしく此この孤島はなれじまに朽果くちはてんよりは、寧むしろ吾等われらの採とる可べき道みちは是これであらう。』と、語かたり終をはつて、大佐たいさは、决心けつしんの色いろ動うごかし難がたく吾等われら一同いちどうを見みた。無論むろん大佐たいさの言げんに異議ゐぎを挾はさむものゝあらう筈はづは無なく、遂つひに此事このことは確定くわくていしたが、さて、輕氣球けいきゝゆうに乘のつて、此この大使命だいしめいを果はたさんものは誰たれぞといふ段だんになつて、勇壯ゆうさうなる水兵等すいへいらは、吾先われさきにと其その任にんに當あたらんと競きそひ立たつたが、大佐たいさは思おもふ所ところある如ごとく容易ようゐに許ゆるさない。實じつに、此この大使命だいしめいは重大ぢゆうだいな事ことである。氣球きゝゆうがいよよ大陸たいりくの都邑とゆうに降下かうかして後のち、秘密藥品ひみつやくひんの買收ばいしうから、竊ひそかに船ふねに艤裝ぎさうして、橄欖島かんらんたうへ赴おもむく迄までの間あひだの駈引かけひきは尋常じんじやうな事ことで無ない、私わたくしは早はやくも櫻木大佐さくらぎたいさの心こゝろを讀よみ得えたので、自みづから進すゝみ出でた。『此この大使命だいしめいには不肖ふせうながら私わたくしが當あたりませう。』といふと大佐たいさは大おほいに喜よろこび
『實じつは其そのお言葉ことばを待まつて居をつたのです。此この任務にんむは、單たんに勇氣ゆうきと、膽力たんりよくとのみでは出來できません。氣球きゝゆうの降下かうかする處ところは無論むろん異邦ゐほうの地ち、外國語ぐわいこくご、其他そのたの便宜上べんぎじやう、君きみに依頼ゐらいするより他ほかは無なかつたのです。』と左右さゆうを顧見かへりみて
『そこで、今いま一人ひとり助手じよしゆとして誰だれか。』
『私わたくしが參まいります。』と例れいの武村兵曹たけむらへいそうは勇躍ゆうやくして進すゝみ出でた。大佐たいさ眼まなこを定さだめて眤じつと兵曹へいそうの顏かほを眺ながめ
『汝なんぢ、此度このたびの使命しめいの成敗せいばいは、我わが海底戰鬪艇かいていせんとうていが、日本帝國につぽんていこくの守護まもりとして、世よに現出げんしゆつする事ことが出來できるか、否いなかの分わかれ目めであるぞ。極きはめて機敏きびんに、極きはめて愼重しんちようなれ。』
兵曹へいそう言ことばはなく、涙なみだを垂たれて大佐たいさの顏かほを見返みかへした。
斯かく大使命だいしめいの役やくも私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうとに定さだまると、本島ほんたうに殘のこる櫻木大佐等さくらぎたいさらと吾等われら兩人りようにんとの間あひだには、極きはめて細密さいみつなる打合うちあはせを要えうするのである。其その打合うちあはせは斯かうであつた。今日けふは二月ぐわつの十二日にち、風かぜの方向ほうかうは極きわめて順當じゆんたうであるから、本日ほんじつ輕氣球けいきゝゆうが此この島しまを出發しゆつぱつすれば、印度洋インドやうの大空おほそらを横斷わうだんして、來きたる十六日にちか十七日にちには、大陸たいりくで一番いちばんに近ちかい印度國インドこくコロンボ市しの附近ふきんに降下かうかする事ことが出來できるであらう。其處そこで秘密藥品ひみつやくひんの買入かひいれや、船舶せんぱくの雇入やとひいれに五日間いつかかんを費ついやすとして吾等われらが橄欖島かんらんたうに赴おもむく事ことの出來できるのは、本月ほんげつの廿四日かから廿七八日にち迄までの間あひだと豫定よていせらるゝから、櫻木大佐等さくらぎたいさらは二十四日かの夜半やはんに電光艇でんくわうていに乘じやうじて、本島ほんたうを離はなれ、其その翌日よくじつの拂曉ふつぎようには、橄欖島かんらんたうの島蔭しまかげに到着たうちやくする約束やくそく。そこで、何方どちらでも、早はやく橄欖島かんらんたうに到着たうちやくした方ほうは、向むかふ一週間いつしゆうかんの間あひだ、其その島しまの附近ふきんで待合まちあはせ、一週間いつしゆうかん※すぎて後のちも他たの一方いつぽうが見みえぬ時ときには、最早もはや運命うんめいの盡つきと覺悟かくごを定さだめる筈はづであつた。此この打合うちあはせが終をはると、大佐たいさの命令めいれいで、輕氣球けいきゝゆうは海岸かいがんの砂上しやじやうに引出ひきいだされ、水素瓦斯すいそがすは充分じふぶんに滿みたされ、數日分すうじつぶんの食料しよくれうと、飮料水いんれうすいと、藥品やくひんの買入かひいれや、船舶せんぱくの雇入やとひいれの爲ために費つひやす可べき、巨額きよがくの金銀貨きんぎんくわの積込つみこみも終をはると、私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうとは身輕みがるに旅裝たびじたくを整とゝのへて搖籃ゆれかごの中なかへと乘込のりこんだ。あゝ、之これが一生いつしやうの別わかれとなるかも分わからぬ。櫻木大佐さくらぎたいさも、日出雄少年ひでをせうねんも、默だまつて吾等われら兩人りやうにんの顏かほを眺ながめ、力ちからを込こめて吾等われらの手てを握にぎつた。一隊いつたい三十有餘名いうよめいの三年さんねん以來いらいの馴染なじみの水兵等すいへいらは、別わかれを惜をしまんとて、輕氣球けいきゝゆうの周圍ぐるりを取卷とりまいたが、誰たれも一言いちごんも發はつする者ものが無ない、中なかには感慨かんがい極きはまつて、涙なみだを流ながした者ものもあつた。私わたくしも武村兵曹たけむらへいそうも實じつに心こゝろで泣ないたよ。此時このとき、吾等われら一同いちどうの沈默ちんもくは、千萬言せんまんげんよりも深ふかい意味ゐみを有いうして居をるのであつた。
兎角とかくする程ほどに結むすびの綱つなは解とかれて、吾等われら兩人りやうにんを乘のせたる輕氣球けいきゝゆうは、遂つひに勢いきほひよく昇騰しようたうをはじめた。櫻木大佐等さくらぎたいさらは一齊いつせいにハンカチーフを振ふつた。武村兵曹たけむらへいそうと私わたくしとは、帽ぼうを脱だつして下方したを瞻ながめたが、風かぜは南みなみから北きたへと、吾わが輕氣球けいきゝゆうは、三千數すう百尺しやくの大空たいくうを、次第しだい>に大陸たいりくの方ほうへと、やがて、住すみ馴なれし朝日島あさひじまも、蒼渺さうべうたる水平線上すいへいせんじやうに豆まめのやうになつて消きえ去さつた。
    第二十五回 白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかん

大陸の影――矢の如く空中を飛走した――ポツンと白い物――海鳥の群――「ガーフ」の軍艦旗――や、や、あの旗は! あの艦は!

 朝日島あさひじまを去さつてから、三日みつかは何事なにごともなく※去すぎさつた。吾等われら兩人りやうにんを乘のせたる輕氣球けいきゝゆうは、印度洋インドやうの天空てんくうを横切よこぎつて、北きたへへと二千哩にせんマイル以上いじやうも、櫻木大佐等さくらぎたいさらの家いへから離はなれたと思おもはるゝ頃ころ、遙はるかかの天てんの一角いつかくに、雲くもか、煙けぶりのやうに、大陸たいりくの影かげが認みとめられた。私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうとは眼めを見合みあはせて、はじめてホツと一息ひといきついた。あの大陸たいりくは、疑うたがひも無なき印度インドの大陸たいりくであらう。すると、今いまから三四時間じかんの後のちには、目的もくてきのコロンボ市しの附近ふきんに降下かうかして、櫻木大佐さくらぎたいさより委任いにんされたる、此度このたびの大役たいやくをも首尾しゆびよく果はたす事ことが出來できるであらうと、互たがひに喜悦きえつの眉まゆを展ひらく時ときしも、又々またた一大いちだい異變ゐへんが起おこつた。それは他ほかでも無ない、今迄いまゝでは恰あだかも天てんの恩惠おんけいの如ごとく、極きはめて順當じゆんたうに、南みなみから北きたへと、吾わが輕氣球けいきゝゆうをだんん陸地りくちの方ほうへ吹ふき送おくつて居をつた風かぜが、此時このとき、俄然がぜんとして、東ひがしから西にしへと變かはつた事ことである。はじめ朝日島あさひじまを出いづる時とき、櫻木大佐さくらぎたいさは天文てんもんを觀測くわんそくして、多分たぶん此この三四日かの間あひだは、風位ふうゐに激變げきへんは無なからうと言いはれたが、天てんの仕業しわざ程ほど豫知よちし難がたいものはない。此この東風ひがしかぜが吹ふいて來きた爲ために、吾わが輕氣球けいきゝゆうは、忽たちまち進行しんかうの方向ほうかうを變へんじて、今度こんどは、陸りくの方面ほうめんから斜なゝめに、海洋かいやうの方ほうへと吹ふきやられた。私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうとは今迄いまゝでの喜悦よろこびも何處どこへやら、驚愕おどろきと憂慮うれひとのために、全まつたく顏色がんしよくを失うしなつた。今一息いまひといきといふ間際まぎわになつて、此この異變ゐへんは何事なにごとであらう。あゝ、天てんは飽迄あくまで我等われらに祟たゝるのかと、心こゝろを焦立いらだて、身みを藻掻もがいたが、如何いかんとも詮方せんかたが無ない。見みるる内うちに、大陸たいりくの影かげも名殘なごりなく、眼界がんかいの外そとに消きえ失うせてしまうと、其内そのうちに風かぜはだんん烈はげしくなつて來きて、はては印度洋インドやうで、著名なだいの颶風タイフンと變かはつてしまつた。下界げかいを見みると眼まなこも眩くらむばかりで、限かぎりなき大洋たいやうの面めんには、波瀾はらん激浪げきらう立騷たちさわぎ、數萬すまんの白龍はくりようの一時いちじに跳をどるがやうで、ヒユー、ヒユーと帛きぬを裂さくが如ごとき風かぜの聲こゑと共ともに、千切ちぎつた樣やうな白雲はくうんは眼前がんぜんを掠かすめて飛とぶ、實じつに悽愴せいさう極きはまりなき光景くわうけい。勿論もちろん、旋風つむじかぜの常つねとて一定いつていの方向ほうかうはなく、西にしに、東ひがしに、南みなみに、北きたに、輕氣球けいきゝゆうは恰あだかも鵞毛がもうのごとく、天空てんくうに舞まひ揚あがり、舞まひ降さがり、マルダイヴ群島ぐんたうの上うへを斜なゝめに飛とび、ラツカダイヴ諸島しよたうの空そらを流星りうせいの如ごとく驅かけつて、それから何處いづくへ、如何いかに行ゆくものやら、四晝夜しちうやの間あひだは全まつたく夢中むちうに空中くうちうを飛走ひさうしたが、其その五日目いつかめの午前ごぜんになつて、風かぜも漸やうやくをさまり、氣球きゝゆうの動搖どうえうも靜しづまつたので、吾等われらははじめて再生さいせいの思おもひをなし。恐おそるる搖籃ゆれかごから半身はんしんを現あらはして下界げかいを見みると、今いまは何處いづこの空そらに吹流ふきながされたものやら、西にしも東ひがしも方角ほうがくさへ分わからぬ程ほどだが、身みは矢張やはり渺々べううたる大海原おほうなばらの天空てんくうに飛揚ひやうして居をるのであつた。此處こゝは地球上ちきゆうじやうの何いづれの邊へんに當あたつて居をるだらうと、二人ふたりは首くびを捻ひねつて見みたが少すこしも分わからない。武村兵曹たけむらへいそうの考かんがへでは。最早もはや亞弗利加大陸アフリカたいりくを横斷わうだんして、ずつと西にしの方ほうに吹ふき飛とばされて、今いま、下邊かへんに見みゆる大海おほうみは、大西洋たいせいやうに相違さうゐはあるまい。と言いつたが、私わたくしはどうも左樣さうとは信しんじられなかつた。數日すうじつ以來いらいの風かぜは、隨分ずいぶん悽すさまじいものであつたが、颶風タイフンの常つねとして、吾わが輕氣球けいきゝゆうは幾度いくたびも同おなじ空そらに吹ふき廻まわされて居をつた樣やうだから、左迄さまで遠方ゑんぽうへ飛とぶ氣遣きづかひはない、私わたくしの考かんがへでは、下方したに見みゆるのは矢張やはり印度洋インドやうの波なみで、事ことによつたらマダカツスル島じまの西方せいほうか、アデン灣わんの沖おきか、兎とに角かく歐羅巴エウロツパ邊へんの沿岸えんがんには、左程さほど遠とほい所ところではあるまいと思おもはれた。然しかし、今いまは其樣そんな事ことを悠長いうちやうに考かんがへて居をるべき塲合ばあひでない。此時このときの心痛しんつうは實じつに非常ひじやうであつた。櫻木大佐さくらぎたいさとの約束やくそくの日ひは既すでに切迫せつぱくして居をる。指ゆびを屈くつして見みると、吾等われらが豫定通よていどうりに印度國インドこくコロンボ市しの附近ふきんに降下かうかして、秘密藥品ひみつやくひんを買整かひとゝのへ、船ふねに艤裝ぎさうして橄欖島かんらんたうへ到着たうちやくす可べき筈はづの二十五日にち迄までには、最早もはや六日むいかを餘あますのみで。約束やくそくの日ひには、櫻木大佐さくらぎたいさは日出雄少年等ひでをせうねんらと共ともに、海底戰鬪艇かいていせんとうていに乘じやうじて朝日島あさひじまを離はなれ、竊ひそかに橄欖島かんらんたうに到いたりて、吾等われら兩人りようにんの應援おうゑんを、今日けふか、明日あすかと、待まち暮くらす事ことであらうが。今いまの吾等われらの境遇きやうぐうでは、果はたして其その大任たいにんを果はたす事ことが出來できるであらうか。見渡みわたす限かぎり雲煙うんゑん渺茫べうぼうたる大空おほぞらに漂蕩へうたうして、西にしも、東ひがしも定さだめなき今いま、何時いつ大陸たいりくに達たつして、何時いつ橄欖島かんらんたうに赴おもむき得うべしといふ目的あてもなければ、其内そのうちに豫定よていの廿五日にちも※すぎ、其後そのごの一週間いつしゆうかんも空むなしく※去すぎさつたならば、櫻木大佐さくらぎたいさも終つひには覺悟かくごを定さだめて、稀世きせいの海底戰鬪艇かいていせんとうていと共ともに、海うみの藻屑もくづと消きえてしまう事ことであらう。嗚呼あゝ、大事切迫だいじせつぱく>と、私わたくしは武村兵曹たけむらへいそうと顏かほを見合みあはしたる儘まゝ、身體しんたいの置塲おきばも知しらぬ程ほど心こゝろを惱なやまして居をる、時ときしも忽たちまち見みる、遙はるかかの水平線上すいへいせんじやうに薄雲うすぐもの如ごとき煙けむり先まづ現あらはれ、つゞゐて鳥とりか船ふねか見みえ分わかぬ程ほど、一點いつてんポツンと白しろい影かげ、それが段々だんんと近ちかづいて來くるとそは一艘いつそうの白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんであつた。後檣縱帆架ガーフに飜ひるがへる旗はたは、まだ朦乎ぼんやりとして、何國いづこの軍艦ぐんかんとも分わからぬが、今いまや、團々だんんたる黒煙こくゑんを吐はきつゝ、波なみを蹴立けたてゝ吾わが輕氣球けいきゝゆうの飛揚ひやうせる方角ほうがくへ進航しんかうして來くるのであつた。此時このとき私わたくしは急きふに一策いつさくを案あんじた。今いま吾等われらは、重大ぢゆうだいの使命しめいを帶おびながら、何時いつ大陸たいりくへ着つくといふ目的あても無なく、此儘このまゝに空中くうちうに漂蕩へうたうして居をつて、其間そのあひだに空むなしく豫定よていの期日きじつを經※けいくわしてしまつた事ことならば、後悔こうくわい臍ほぞを噛かむとも及およぶまい。幸さひはひ、彼處あれに見みゆる白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかん、あれは何國いづこの軍艦ぐんかんで、何處どこから何處どこへ指さしての航海中かうかいちうかは分わからぬが、一應いちおうかの船ふねの助たすけを求もとめては如何どうだらう。勿論もちろん、吾等われらが空中旅行くうちうりよかうの目的もくてきと、櫻木大佐さくらぎたいさの海底戰鬪艇かいていせんとうていの秘密ひみつとは、輕々かろろしく外國船ぐわいこくせんなどに覺さとられてはならぬが、それは臨機應變りんきおうへんに何なにとか言脱いひのがれの工夫くふうの無ないでも無ない。兎とも角かくも、目下もつかの急きふ丈だけを、かの軍艦ぐんかんに助たすけられて、何處いづこでもよい、最近さいきんの大陸地方たいりくちほうに送おくり屆とゞけて貰もらつたならば、其後そのゝちは必死ひつしに奔走ほんさうして、如何どうにかして、豫定よていの期日きじつまでに約束やくそくの凖備じゆんびを整とゝのへて、櫻木大佐等さくらぎたいさらが待まてる橄欖島かんらんたうに到着たうちやくする事ことの出來できぬでもあるまい。斯かう考かんがへたので、急いそぎ武村兵曹たけむらへいそうに談合だんがふすると、兵曹へいそうも無論むろん不同意ふどうゐはなく、直たゞちに白しろい手巾ハンカチーフを振廻ふりまわして、救難きゆうなんの信號しんがうをすると、彼方かなたの白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんでも、吾等われらの輕氣球けいきゝゆうを認みとめたと見みえ、其その前甲板ぜんかんぱんに白しろと赤あかとの旗はたが、上下うへしたにヒララと動うごくやうに見みえた。此この途端とたん! 武村兵曹たけむらへいそうは、忽たちまち何者なにものをか見出みいだしたと見みへ、割われるやうな聲こゑで叫さけんだ。
『大變たいへん! 大變たいへん! 大變たいへんだア』
私わたくしも愕然がくぜんとして振向ふりむくと、今迄いまゝでは白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんの一方いつぽうに氣きを取とられて、少すこしも心付こゝろづかなかつたが、只たゞ見みる、西方せいほうの空そら一面いちめんに「ダンブロー鳥てう」とて、印度洋インドやうに特産とくさんの海鳥かいてう――其その形かたちは鷲わしに似にて嘴くちばし鋭するどく、爪長つめながく、大おほきさは七尺しやく乃至ないし一丈じやう二三尺じやく位ぐらいの巨鳥きよてうが、天日てんじつも暗くらくなる迄まで夥おびたゞしく群ぐんをなして、吾わが輕氣球けいきゝゆうを目懸めがけて、襲おそつて來きたのである。吾等われら兩人りやうにんは非常ひじやうに喫驚きつきようした。此この種しゆの海鳥かいてうは、元來ぐわんらい左迄さまでに性質せいしつの猛惡まうあくなもので無ないから、此方こなたさへ落付おちついて居をれば、或あるひは無難ぶなんに免まぬがれる事ことが出來できたかも知しれぬが、不意ふいの事こととて、心しんから顛倒てんだうして居をつたので、其樣そんな事ことを考かんがへ出だす暇いとまもない、急いそぎ追おひ拂はらふ積つもりで、一發いつぱつ小銃せうじうを發射はつしやしたのが※失あやまりであつた。彈丸だんぐわんは物ものの見事みごとに其その一羽いちはを斃たをしたが、同時どうじに他たの鳥群てうぐんは、吾等われらに敵對てきたいの色いろがあると看みて取とつたから堪たまらない。三羽さんば四羽しは憤怒ふんぬの皷翼はゞたきと共ともに矢やの如ごとく氣球きゝゆうに飛掛とびかかる、あつといふ間まに、氣球きゝゆうは忽たちまち其その鋭するどき嘴くちばしに突破つきやぶられた。其時そのとき、先刻せんこくの白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんは既すでに吾わが輕氣球けいきゝゆうを去さる事こと一海里かいり許ばかりの海上かいじやうに進すゝんで來きたので船ふねの全體ぜんたいも手てに取とる如ごとく見みえる、今いましも、ふと其その「ガーフ」の軍艦旗ぐんかんきを認みとめた武村兵曹たけむらへいそうは『や、や、あの旗はたは、あの艦ふねは。』とばかり、焦眉せうびの急きふも忘わすれて跳をどり立たつ、私わたくしも急いそぎ其その方ほうに眼まなこを轉てんぜんとしたが、時とき既すでに遲おそかつた。
「ガンブロー鳥てう」に突破つきやぶられたる輕氣球けいきゝゆうは、水素瓦斯すいそぐわすの洩もるゝ音おとと共ともに、キリヽヽと天空てんくうを舞まひ降くだつて、『あはや』といふ間まに、大洋たいやうの眞唯中まつたゞなかへ落込おちこんだのである。

    第二十六回 顏かほと顏かほと顏かほ

帝國軍艦旗――虎髯大尉、本名轟大尉――端艇諸共引揚げられた――全速力――賣れた顏――誰かに似た顏――懷かしき顏

 輕氣球けいきゝゆうと共ともに、海洋かいやうの唯中たゞなかに落込おちこんだ吾等われら兩人りやうにんは、一時いちじは數すう十尺しやく深ふかく海底かいていに沈しづんだが、幸さひはひにも、落下らくかの速力そくりよくの割合わりあひに緩慢くわんまんであつた爲ためと、また浪なみに氣球きゝゆうが抵杭ていかうした爲ために、絶息ぜつそくする程ほどでもなく、再ふたゝび海面かいめんに浮うかび出いでゝ、命いのちを限かぎりに泳およいで居をると、暫しばらくして、彼方かなたの波上はじやうから、人ひとの呼聲よびごゑと、櫂オールの音ねとが近ちかづいて來きて、吾等われら兩人りやうにんは遂つひに情なさけある一艘いつそうの端艇たんていに救すくひ上あげられたのである。今いま、端艇たんていを出いだして、吾等われらの九死一生きゆうしいつしやうの難なんを救すくつて呉くれたのは、疑うたがひもない、先刻せんこくの白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんである。
端艇たんていに引上ひきあげられた武村兵曹たけむらへいそうは、此時このとき忽たちまち叫さけんだ。
『おー。矢張やつぱり左樣さうだつた! あの巡洋艦じゆんやうかんのガーフの旗はたは、我わが帝國ていこくの軍艦旗ぐんかんきであつた!!!。』と、彼かれは、今いましも、輕氣球けいきゝゆうから墮落ついらくの瞬間しゆんかんに、ちらりと認みとめた同おなじ模樣もやうの海軍旗かいぐんきを、此この端艇たんていの艇頭トツプに見出みいだしたのである。私わたくしも艇中ていちうの一同いちどうを見みて、實じつに驚おどろき飛立とびたつたよ。
『や! 帝國軍人ていこくぐんじん! 日本海軍々人につぽんかいぐんぐんじん!。』と叫さけびつゝ、頭かうべを廻めぐらすと、此この端艇たんていを去さること程遠ほどとほからぬ洋上やうじやうには、先刻せんこくの白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんは小山こやまの如ごとき浪なみに漂蕩へうたうしつゝ、其その後檣縱帆架ガーフと船尾せんびとには、旭あさひ輝かゞやく大日本帝國だいにつぽんていこくの軍艦旗ぐんかんきは翩飜へんぽんと南風なんぷうに飜ひるがへつて居をつた。
端艇たんていの右舷うげん左舷さげんに櫂オールを握にぎり詰つめたる水兵等すいへいらも、吾等われら兩人りようにんの顏かほを見みて、一齊いつせいに驚おどろきと不審いぶかりの眼まなこを見張みはつた。艇尾ていびには色いろ淺黒あさぐろく、虎髯こぜんを海風かいふうに吹ふかせたる雄風ゆうふう堂々どううたる海軍大尉かいぐんたいゐあり、舵柄だへいを握にぎれる身みを延のばして、『やゝ、貴下等きからも日本人につぽんじんではないか。』とばかり、私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうの面おもてを見詰みつめたが、西にしも東ひがしも果はてしなき大洋たいやうの面めんでは、荒浪あらなみ騷さわぎ、艇てい跳をどつて、とても仔細こまかい話はなしなどは出來できない、かく言いふ間まも巨濤おほなみは、舷げんに碎くだけて艇てい覆くつがへらんとす、大尉たいゐ舵ラタをば右方うほうに廻まはし、『進すゝめ!。』の一聲いつせい。端艇たんていは忽たちまち艇頭ていとうを右みぎに轉てんじて、十二の「オール」の波なみを切きる音おとと共ともに、本艦ほんかん指さして矢やのやうに進すゝんだ。私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうとは夢ゆめに夢見ゆめみる心地こゝち。自分じぶんが濡鼠ぬれねずみの樣やうになつて居をる事ことも、少すくなからず潮水しほみづを飮のんで腹はらが苦くるしくなつて居をる事ことも忘わすれて、胸むねは驚おどろきと悦よろこびに、跳をどりつゝ、眤じつと眺ながむる前方かなたの海上かいじやう、「ガーフ」に懷なつかしき我わが帝國ていこくの軍艦旗ぐんかんきを飜ひるがへせるかの白色はくしよくの巡洋艦じゆんやうかんは、此邊このへん海底かいてい深ふかくして、錨いかりを投たうずることも叶かなはねば、恰あだかも小山こやまの動搖ゆるぐが如ごとく、右みぎに左ひだりに漂蕩へうたうして居をる。此この軍艦ふね、排水はいすい噸數とんすう二千七百ばかり、二本にほん烟筒ゑんとうの極きはめて壯麗さうれいなる裝甲巡洋艦さうかうじゆんやうかんである。今いましも波浪なみに揉もまれて、此方こなたに廻まはりし其その艦尾かんびには、赫々かくくたる日輪にちりんに照てらされて「日の出」の三字じが鮮あざやかに讀よまれた。軍艦ぐんかん日ひの出で! 軍艦ぐんかん日ひの出で! と私わたくしは何故なぜともなく二度ど三度ど口くちの中うちで繰返くりかへす内うちに、端艇たんていはだんんと本艦ほんかんに近ちかくなる。軍艦ぐんかん「日ひの出で」の甲板かんぱんでは、後部艦橋こうぶかんけうのほとりより軍艦旗ぐんかんき飜ひるがへる船尾せんびに到いたるまで、多おほくの乘組のりくみは、列れつを正たゞして、我わが端艇たんていの歸艦きかんを迎むかへて居をる。
頓やがて本艦ほんかんの間際まぎはになつたが、海うみは盤水ばんすいを動うごかすがごとく、二千七百餘よ噸とんの巨艦きよかんゆらりりと高たかく、低ひくく、我わが端艇たんていは秋あきの木この葉はのごとく波浪なみに跳をどつて、迚とても左舷々梯さげんげんていに寄着よりつく事ことが出來できない。水煙すいゑんは飛とぶ、逆浪さかなみは打込うちこむ、見上みあぐる舷門げんもんの邊ほとり、「ブルワーク」のほとり、士官しくわん、水兵すいへい頻しきりに叫さけんで、我わが艇尾ていびの大尉たいゐは舵ラタの柄えを碎くだけんばかりに握にぎり詰つめて、奈落ならくに落おち、天空てんくうに舞まひ、艇ていは幾度いくたびか艦かんの水線甲帶すいせんかうたいに碎くだけんとしたが、漸やうやくの事ことで起重機きぢゆうきをもつて、我等われら十餘人よにんの乘のれるまゝ端艇たんていが「日ひの出で」の甲板かんぱんに引揚ひきあげられた時ときには、はじめてホツと一息ひといきついたよ。本艦ほんかんは一令いちれいの下したに推進螺旋スクルー波なみを蹴けつて進航しんかうを始はじめた。規律きりつ正たゞしき軍艦ぐんかんの甲板かんぱん、かゝる活劇さわぎの間あひだでも决けつして其その態度たいどを亂みだす樣やうな事ことはない。『輕氣球けいきゝゆうが天空てんくうより落おちた。本艦ほんかんより端艇たんていを下おろした。救すくひ上あげたる二個ふたりの人ひとは日本人につぽんじんである。一人ひとりは冐險家ぼうけんからしい年少ねんせうの紳士ゼントルマン、他たの一人ひとりは我わが海軍かいぐんの兵曹へいそうである。いぶかしや、何故なにゆゑぞ。』と、此この噂うはさは早はやくも軍艦ぐんかん「日ひの出で」の全體ぜんたいに傳つたはつたが、誰たれも其その本分ほんぶんを忘わすれて「どれ、どんな男をとこだ」などゝ、我等われらの側そばに飛とんで來くる樣やうな不規律ふきりつな事ことは少すこしも無なく。機關兵きくわんへいは機關室きくわんしつを護まもり、信號兵しんがうへいは戰鬪樓せんとうらうに立たち、一等とう、二等とう、三等とう水兵等すいへいらは士官しくわんの指揮しきの下したに、今いま引揚ひきあげた端艇たんていを收をさめつゝ。たゞ公務こうむの餘暇よかある一團いちだんの士官しくわん水兵等すいへいらが吾等われらを唯とある船室せんしつに導みちびき、濡ぬれたる衣服きものを脱ぬがせ、新あたらしき衣服ゐふくを與あたへ、中なかにも機轉きてんよき一士官しくわんは興奮こうふんの爲ためにと、急いそぎ「ブランデー」の一杯ぱいをさへ惠めぐんで呉くれた。實じつに其その軍律ぐんりつの嚴然げんぜんたるは今更いまさらながら感嘆かんたんの他ほかは無ないのである。
此時このとき、前さきに端艇たんていを指揮しきして、吾等われら兩人りやうにんを救すくひ上あげて呉くれた、勇いさましき虎髯大尉こぜんたいゐは、武村兵曹たけむらへいそうも私わたくしも漸やうやく平常へいじやうに復ふくした顏色かほいろを見みて、ツト身みを進すゝめた、微笑びせうを浮うかべながら『兩君りようくん! 君等きみらの幸運かううんを祝しゆくします。』と言いつたまゝ、頭かうべを廻めぐらして左右さいうを顧見かへりみた時とき、忽たちまち、艦かんの後部艦橋こうぶかんけうを降くだつて、歩調ほちようゆたかに吾等われらの方かたに歩あゆんで來きた一個いつこの海軍大佐かいぐんたいさがあつた。風采ふうさい端然たんぜん、威風ゐふう凛々りんん、言いふ迄までもない、本艦ほんかんの艦長かんちやうである。
艦長かんちやうは既すでに虎髯大尉こぜんたいゐよりの報告ほうこくによつて、輕氣球けいきゝゆうと共ともに落下らくかした吾等われらの二人ふたりの日本人につぽんじんである事ことも、一人ひとりは冐險家ぼうけんからしい紳士しんし風ふうで、他たの一人ひとりは同おなじ海軍かいぐんの兵曹へいそうである事ことも知しつて居をつたと見みえ、今いま、吾等われらの前まへに立たつて、武村兵曹たけむらへいそうと私わたくしとの顏かほを眺ながめたが、左迄さまで驚おどろく色いろがない、目禮もくれいをもつて傍かたはらの倚子ゐすに腰こし打うち掛かけ、鼻髯びぜんを捻ひねつて靜しづかに此方こなたに向直むきなをつた。
兵曹へいそうと私わたくしとは、恭うややしく敬禮けいれいを施ほどこしつゝ、ふと、其人そのひとの顏かほを眺ながめたが、あゝ、此この艦長かんちやうの眼元めもと――其その口元くちもと――私わたくしが甞かつて記臆きおくせし、誰人たれかの懷なつかしい顏かほに、よくもも似にて居をる事ことと思おもつたが、咄嗟とつさの急きふには思おもひ浮うかばなかつた。何なには兎ともあれ、今いま、かく心こゝろが落付おちついて見みると、今度こんど吾等われらが此この大危難だいきなんをば、同おなじ日本人につぽんじんの――しかも忠勇ちうゆう義烈ぎれつなる帝國海軍々人ていこくかいぐんぐんじんの手てによつて救すくはれたのは、實じつに吾等われら兩人りようにんの幸福こうふくのみではない、天てんは今いまやかの朝日島あさひたうに苦くるしめる櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの誠忠せいちうをば遂つひに見捨みすてなかつたかと、兩人ふたりは不測そゞろに感涙かんるいの流ながるゝ樣やうに覺おぼえて、私わたくしは垂頭うつむき、武村兵曹たけむらへいそうは顏かほを横向よこむけると、此時このとき吾等われらの傍かたはらに、何なにか艦長かんちやうの命めいを聽きかんとて、姿勢しせいを正たゞして立たてる三四名めいの水兵すいへいは、先刻せんこくより熱心ねつしんに武村兵曹たけむらへいそうの顏かほを見詰みつめて居をつたが、其その中うちの一名いちめい、一歩いつぽ進すゝみ出いでゝ、恭うややしく虎髯大尉こぜんたいゐと艦長かんちやうとに向むかひ、意味いみあり氣げに『閣下かくか、私わたくしは此この兵曹へいそうに一言いちごん話はなしたう厶ござります。』と言いふ。
『よろしい。』と艦長かんちやうの許可ゆるしを得えて、水兵すいへいはやをら武村兵曹たけむらへいそうに眼まなこを轉てんじ
『久濶ひさしや、兵曹へいそう、足下おまへは本國ほんごくで名高なだかい櫻木海軍大佐閣下さくらぎかいぐんたいさかくかの部下ぶかの武村兵曹たけむらへいそうではないか。』と問とひかけた。武村兵曹たけむらへいそうと云いへば快活くわいくわつな事ことと、それから砲術ほうじゆつに巧たくみな事ことと、また腕力わんりよくの馬鹿ばかに強つよい事こととで、日本海軍につぽんかいぐんの水兵仲間すいへいなかまには少すくなからず顏かほの賣うれて居をつた男をとこなので、今いまや圖はからずも、天涯てんがい萬里ばんりの此この帝國軍艦ていこくぐんかんの艦上かんじやうにて、昔馴染むかしなじみの水兵等すいへいらに對面たいめんしたものと見みえる。
兵曹へいそう驚おどろいて眼めを見張みはり
『おゝ、乃公おれは如何いかにも櫻木大佐閣下さくらぎたいさかくかの部下ぶかなる武村新八郎たけむらしんぱちらうだ。』と言いひながら、額ひたひを叩たゝいて
『濟すまない、すつかり忘わすれた、足下おまへは誰だれだつたかな。』
『前もとの高雄艦長たかをかんちやう、今いまは軍艦ぐんかん「日ひの出で」の艦長かんちやう、松島海軍大佐閣下かいぐんたいさかくかの部下ぶかの信號兵しんがうへいだよ。』と、水兵すいへいは膝ひざを進すゝませ
『今いま、松島海軍大佐閣下まつしまかいぐんたいさかくかは、英國エイこくテームス河口かこうの造船所ざうせんじよから、新造軍艦しんざうぐんかん「日ひの出で」の廻航中くわいかうちうで、本艦ほんかんは昨曉さくげうアデン海口かいこうを出いで、今いましも此印度洋を進航しんかうして來くると、丁度ちやうど輕氣球けいきゝゆうが天上てんじやうから落おちて來きたので、急いそぎ助たすけて見みたら足下等そくからだ、實じつに不思議ふしぎな縁ゑんではないか。』と語かたり終をはつて一歩いつぽ退しりぞいた。此この一言いちごん! 心こゝろなき人ひとが聽きいたら何なんでもなからうが、私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうとは思おもはず顏かほを見合みあはして莞爾につことしたよ。
先まづ第一だいいちの喜悦よろこびは、先刻せんこく輕氣球けいきゝゆうの上うへで疑うたがつた樣やうに、今いまの今いままで、我等われらが泛うかべる此この太洋たいやうは、大西洋たいせいやうか、はたアラビアン海かいかも分わからなかつたのが、只今たゞいまの水兵すいへいの言ことばで、矢張やはり私わたくしの想おもつた通どうり、此この洋うみは、我等われら兩人りようにんが目指めざすコロンボ市しにも、また櫻木海軍大佐等さくらぎかいぐんたいさらと再會さいくわいすべき筈はづの橄欖島かんらんたうにも左迄さまでは遠とほくない印度洋インドやう中ちうであつた事ことと。今一いまひとつ、私わたくしは松島海軍大佐かいぐんたいさなる姓名せいめいを耳みゝにして、忽たちまち小膝こひざをポンと叩たゝいたよ。讀者どくしや諸君しよくん! 松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさとは誰たれであらう?
私わたくしは未まだ此この大佐たいさとは甞かつて面會めんくわいした事ことは無ないが、兼かねて聞きく櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさとは無二むにの親友しんいうで、また、私わたくしの爲ためには終世しゆうせい忘わするゝ事ことの出來できない、かの春枝夫人はるえふじんの令兄れいけい――日出雄少年ひでをせうねんの爲ためには叔父君おぢぎみに當あたつて居をる人ひと。今いまから足掛あしかけ四年ねん以前いぜんに、私わたくしの親友しんゆう濱島武文はまじまたけぶみの妻つまなる春枝夫人はるえふじんが、本國ほんごくの令兄れいけい松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさの病床やまひを訪とはんが爲ために、其その良君をつとと別わかれ、愛兒あいじ日出雄少年ひでをせうねんを伴ともなふて、伊太利イタリーの國くに子ープルス港かうを發はつし、私わたくしと同おなじ滊船ふねで、はるる日本につぽんへ歸國きこくの途中とちう、暗黒あんこくなる印度洋インドやうの眞中たゞなかで恐おそる可べき海賊船かいぞくせんの襲撃しふげきに遭あひ、不運ふうんなる弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつと共ともに、夫人ふじんの生死せいしは未まだ私わたくしには分わからぬ次第しだいだが、一時いちじは病やまひの爲ために待命中たいめいちうと聞きいた其その大佐たいさが、今いまは却かへつて健康すこやかに、此この新あたらしき軍艦ぐんかん「日ひの出で」の廻航中くわいかうちうとか――さては、と私わたくしは忽たちまち思おもひ當あたつたのでわる。先刻せんこく一目ひとめ見みて直すぐ誰人たれかに似にて居をると想おもつたのは其その筈はづよ、誰たれあらう、此この日ひの出で艦長かんちやうこそ、春枝夫人はるえふじんの令兄れいけい、日出雄少年ひでをせうねんの叔父君おぢぎみなる松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさであつたのかと。そゞろに床ゆかしく、懷なつかしく、眼まなこを揚あげて、目前もくぜんに端然たんぜんたる松島大佐まつしまたいさの面おもてを瞻ながめると、松島大佐まつしまたいさも意味ゐみあり氣げに、私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうの顏かほとを見みくらべたが、例れいの虎髯大尉こぜんたいゐと一寸ちよいと顏かほを見合みあはせて、言葉ことば靜しづかに問とひかけた。先まづ私わたくしに向むかひ『貴君きくん、今いま本艦ほんかん水兵すいへいと貴君きくんの同伴者どうはんしやなる武村兵曹たけむらへいそうとの談話だんわによると、貴君等きくんらは、我わが最もつとも親密しんみつなる海軍大佐櫻木重雄君かいぐんたいささくらぎしげをくんと縁故えんこの人ひとの樣やうに思おもはれるが、果はたして左樣さうですか。』といひかけ、頷うなづく私わたくしの顏かほを打守うちまもりて、屹きつと面おもてを改あらため
『實じつは先刻せんこく貴君等きくんらが不思議ふしぎにも大輕氣球だいけいきゝゆうと共ともに此この印度洋インドやうの波上はじやうに落下らくかしたと聞きいた時ときから、私わたくしは心こゝろに或ある想像さうざうを描えがいて居をるのです。想像さうざうとは他ほかでもない、貴君等きくんらが果はたして我わが親愛しんあいなる櫻木君さくらぎくんと縁故えんこの人ひとならば、今度こんど此この不思議ふしぎなる出來事できごとも、或あるひは櫻木大佐さくらぎたいさの運命うんめいに或ある關係くわんけいを有いうして居をるのではあるまいかと。私わたくしは櫻木君さくらぎくんの大望たいまうをばよく知しつて居をります。また、彼かれが、人ひとの知しらない此この印度洋インドやう中ちうの一いつ孤島こたうに、三十有餘名いうよめいの水兵すいへいと共ともに、身みを潜ひそめて居をる次第しだいをもよく存ぞんじて居をります。五年ごねん前まへ、彼かれが横須賀よこすかの軍港ぐんかうに於おいて永ながき袂別わかれを私わたくしに告つぐる時とき、彼かれは决然けつぜんたる顏色がんしよくを以もつて言いつたです「今いまより五年ねんの後のちには、必かならず一大いちだい功績こうせきを立たてゝ、君きみに再會さいくわいする事ことが出來できるだらう」と。それから五年ねんの星霜せいさうは※去すぎさつたが、未まだ彼かれの消息せうそくは少すこしも聞きこえません、其間そのあひだ、私わたくしは一日いちにちでも彼かれの健康けんこうと、彼かれの大事業だいじげふの成功せいこうとを祈いのらぬ時ときはないのです。あゝ、櫻木君さくらぎくんは遂つひに其その大目的だいもくてきを達たつしましたらうか。彼かれが潜心苦慮せんしんくりよせる大軍器だいぐんきは遂つひに首尾しゆびよく竣成しゆんせいしましたらうか。』と言いひながら、聲こゑを沈しづまし『けれど、私わたくしは今いま、時ときならぬ輕氣球けいきゝゆうを此この印度洋上インドやうじやうに認みとめ、特ことに其その乘組人のりくみにんの一人ひとりは櫻木大佐さくらぎたいさの片腕かたうでと言いはれた武村兵曹たけむらへいそうであつたので想かんがへると、今いまや孤島こたうの櫻木君さくらぎくんの身邊しんぺんには、何なにか非常ひじやうの異變ゐへんが起おこつて、其爲そのために貴君等きくんら兩人りやうにんは大佐たいさと袂別わかれを告つげ、一大だい使命しめいを帶おびて此この空中くうちうを飛行ひかうして來きたのではありませんか。』と眤じつと吾等われら兩人りようにんを見詰みつめた。
『其事そのこと! 實じつに御明察ごめいさつの通とうりです。』と私わたくしはツト身みを進すゝめた。武村兵曹たけむらへいそうは胸むねをうつて
『艦長閣下かんちやうかくか、實じつに容易ようゐならぬ事變じへんは我わが大佐閣下たいさかくかの上うへに起おこりました。』と、それより、兵曹へいそうと私わたくしとは迭代かたみがはりに、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの海底戰鬪艇かいていせんとうていの事こと、其その大成功だいせいこうの實情ありさま、及および二月ぐわつ十一日にちの夜半やはん、大佐たいさ功こう成なり將まさに朝日島あさひじまを出發しゆつぱつせんとする瞬時わづか前まへ、震天動地しんてんどうちの大海嘯おほつなみの爲ために、秘密造船所ひみつざうせんじよの倉庫さうこ碎くだけて、十二の樽たるの流失りうしつした事ことから、遂つひに今回こんくわいの大使命だいしめいに立到たちいたつた迄までの大略あらましを述のべ
『大佐閣下たいさかくかよ、されば吾等われら兩名りようめいは今いまより急いそぎ印度國インドこくコロンボの港みなとに到いたり、十二種しゆの秘密藥液ひみつやくえきを凖備とゝのへて、本月ほんげつ二十五日にち拂曉ふつげうまでには、電光艇でんくわうていが待合まちあはすべき筈はづの橄欖島かんらんたうまで赴おもむかねばなりません。』と語かたり終をはると、聽きく水兵等すいへいらは驚嘆きやうたんの顏かほを見合みあはせ、勇烈ゆうれつなる虎髯大尉こぜんたいゐは、歡よろこび且かつ愕おどろきの叫聲さけびをもつて倚子ゐすより起たちて、松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさの面おもてを見みると、松島大佐まつしまたいさは握にぎれる軍刀ぐんたうの※つかの碎くだくるをも覺おぼえぬまで、滿足まんぞくと熱心ねつしんとの色いろをもつて、屹きつと面おもてを揚あげ『快くわいなる哉かな、櫻木君さくらぎくんの海底戰鬪艇かいていせんとうていは遂つひに竣工しゆんこうしましたか。』と、暫時しばしは言げんもなく、東天とうてんの一方いつぽうを眺ながめたが、忽たちまち腕拱うでこまぬき
『して、櫻木君さくらぎくんの一行いつかうは意外ゐぐわいの天變てんぺんのために、來きたる二十五日にち拂曉ふつげう、橄欖島かんらんたうの附近ふきんにて貴下等きからの應援おうえんを待まつのですか、よろしい、斯かく承うけたまはる以上いじやうは最早もはや憂慮いうりよするには及およびません。日本帝國につぽんていこくのため、帝國海軍ていこくかいぐんのため、また櫻木大佐さくらぎたいさの光譽くわうよのために、我等われらは全力ぜんりよくを盡つくして電光艇でんくわうていの應援おうえんに赴おもむきませう。』と立たつて傍かたはらなる卓上たくじやうに一面いちめんの海圖かいづを押擴おしひろげ、具つぶさに緯度ゐどを計はかりつゝ
『此處こゝから最もつとも便宜べんぎなる、また最もつとも近ちかき貿易港ぼうえきかうは矢張やはり印度國インドこくコロンボの港みなとで、海上かいじやう大約おほよそ千二百哩マイル、それより橄欖島かんらんたうまでは千五百哩マイル弱じやく、されば、本艦ほんかんは明後晩めうごばんコロンボに錨いかりを投とうじ、電光艇でんくわうていに必要ひつえうなる十二の秘密藥液ひみつやくえきを凖備じゆんびして、直たゞちに暗號電報あんがうでんぽうをもつて本國ほんごく政府せいふの許可きよかを受うけ、全速力ぜんそくりよくをもつて橄欖島かんらんたうへ向むかふ事ことが出來できます、さらば!。』とばかり側かたばらの虎髯大尉こぜんたいゐに向むかひ、
『轟大尉とゞろきたいゐ! 本艦ほんかん全速力ぜんそくりよく、方向ほうかうは矢張やはりコロンボ港かう、右みぎ號令がうれいを傳つたへて下ください!!!。』
虎髯大尉こぜんたいゐ、本名ほんめいは轟大尉とゞろきたいゐであつた。『諾だく。』と應こたえたまゝ、身みを飜ひるがへして前甲板ぜんかんぱんの方かたへ走はしり去さつた。松島大佐まつしまたいさは再ふたゝび海圖かいづの面めんに向むかつた。
此時このとき中部甲板ちうぶかんぱんには、午前ごぜん十一時じを報ほうずる六點鐘ろくてんしやう、カヽン! カヽン! カヽン! カヽン! カヽン! カヽン!
武村兵曹たけむらへいそうと私わたくしとは、實じつに双肩さうけんの重荷おもにを降おろした樣やうな心地こゝちがしたのである。實じつに、憘うれしい、憘うれしい、憘うれしい。
此この憘うれしい時とき――すでに我わが大使命だいしめいをば語かたり終をはつたる今いま、一個人わたくしの事ことではあるが、私わたくしは松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさに向むかつて、問とひもし、語かたりもしたき事ことは澤山たくさんある。大佐たいさの令妹れいまい春枝夫人はるえふじんの安否あんぴ――其その良君をつと濱島武文はまじまたけぶみの消息せうそく――それより前さきに私わたくしから語かたらねばならぬのは(大佐たいさは屹度きつと死しんだと思おもつて居をるだらう)※去くわこ三年ねんの間あひだ、私わたくしと共ともに朝日島あさひじまの月つきを眺ながめて、今いまも猶なほ健康すこやかで居をる彼かれの娚をいなる日出雄少年ひでをせうねんの消息せうそくである。
私わたくしは幾度いくたびか口くちを開ひらきかけたが、此時このとき大佐たいさの顏色がんしよくは、私わたくしが突然にはかに此事このことを言いひ出だし兼かねた程ほど、海圖かいづに向むかつて熱心ねつしんに、頓やがて櫻木大佐さくらぎたいさと、其その海底戰鬪艇かいていせんとうていのに會あひ合あふべき筈はづの、橄欖島かんらんたう附近ふきんの地勢ちせい、海深等かいしんとうを調しらぶるに餘念よねんもなかつた。
暫時ざんじ、船室せんしつ内ないは寂しんとなる。室外しつぐわいには舷げんに碎くだくる浪なみの音おと、檣頭しやうとうに走はしる風かぜの聲こゑ、艦橋ブリツヂに響ひゞく士官しくわんの號令がうれい。
私わたくしは何氣なにげなく倚子ゐすより離はなれて、檣樓しやうらうに、露砲塔ろほうたふに、戰鬪樓せんとうらうに、士官しくわん水兵すいへいの活動はたらき目醒めざましき甲板かんぱんを眺ながめたが、忽たちまち電氣でんきに打うたれし如ごとく躍上をどりあがつたよ。今いましも、後部甲板こうぶかんぱん昇降口しやうかうぐちより現あらはれて、一群いちぐんの肩章けんしやうに波なみを打うたせたる年少ねんせう士官等しくわんらと語かたりながら、徐しづかに此方こなたに來きかゝる二個ふたりの人ひと――軍艦々上ぐんかんんじやうには珍めづらしき平服へいふくの姿すがた、一個ひとりは威風堂々ゐふうどううたる肥滿ひまんの紳士しんし、他たの一個ひとりは天女てんによの如ごとき絶世ぜつせの佳人かじん! 誰たれか知しらん、此この二人ふたりは、四年ねん以前いぜんにネープルスで別わかれた濱島武文はまじまたけぶみと、今いまは此世このよに亡なき人ひととのみ思おもつて居をつた彼かれの妻つま――松島大佐まつしまたいさの令妹れいまい――日出雄少年ひでをせうねんの母君はゝぎみなる春枝夫人はるえふじんであつた。
急いそぎ眼めを押拭おしぬぐつて見みたが、矢張やはり其人そのひと!!!
私わたくしは狂喜きやうきのあまり、唐突いきなり武村兵曹たけむらへいそうの首くびを捻ねぢ向むけて
『兵曹へいそう! あれを見みよよ、濱島君はまじまくんに、春枝夫人はるえふじん!。』と叫さけぶと、不意ふゐに愕おどろいたる武村兵曹たけむらへいそうは
『ど、ど、ど、何處どこに! どの人ひとが?。』と伸上のびあがる。側面そくめんの卓上たくじやうにあつて、此この有樣ありさまを認みとめたる松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさは不審ふしんの眉まゆを揚あげ
『いぶかしや、貴君きくんは何人なにびとなれば、濱島武文はまじまたけぶみと春枝はるえとを御在ごぞんじですか。』
私わたくしはツト身みを乘のり出だした
『私わたくしこそ、四年よねん前まへに、春枝夫人はるえふじんと弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつに別わかれた柳川やながはです。』
松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさの端然たんぜんたる顏色がんしよくは微かすかに動うごいて
『では、貴君きくんは、若もしや我わが娚おい日出雄少年ひでをせうねんの安否あんぴを――。』と言いひかけて、急いそぎ艦尾かんびなる濱島武文はまじまたけぶみと春枝夫人はるえふじんとに眸ひとみを移うつすと、彼方かなたの二人ふたりも忽たちまち私わたくしの姿すがたを見付みつけた。春枝夫人はるえふじんの美うるはしき顏かほは『あら。』とばつかり、其その良君おつとを顧見かへりみる。私わたくしは彼方かなたへ! 彼方かなたは此方こなたへ! 轉まろぶがごとく!!!

    第二十七回 艦長室かんちやうしつ

鼻髯を捻つた――夢ではありますまいか――私は何より憘しい――大分色は黒くなりましたよ、はい――今度は貴女の順番――四年前の話

 日ひは高たかく、風かぜは清すゞしき軍艦ぐんかん「日ひの出で」の艦上かんじやう、縱帆架ガーフには帝國軍艦旗ていこくぐんかんき舞まひ、「ブルワーク」の邊ほとりには克砲クルツプほう、俄砲ガツトリングほう、四十七粍ミリ速射砲そくしやほう、砲門ほうもんをならべ、遠とほく一碧いつぺきの水天すいてんを望のぞみ、近ちかく破浪はらうの音おとを聽ききつゝ、絶たえて久ひさしき顏かほと顏かほとは艦長室かんちやうしつの美うるはしき長倚子ながゐすに倚よつて向むかひ合あつた。
濱島武文はまじまたけぶみは言葉ことばもなく私わたくしの手てを握にぎつた。春枝夫人はるえふじんは
『あゝ、柳川やながはさん、妾わたくしは、貴方あなたと此世このよで御目おめに掛かからうとは――。』と言いつたまゝ、其その美うるはしき顏かほは私わたくしの身邊しんぺんを見廻みまはした。
武村兵曹たけむらへいそうは私わたくしの横側よこてで五里霧中ごりむちうの顏かほ。
艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさは春枝夫人はるえふじんの言げんをば奪うばふがごとく私わたくしに向むかひ
『して、日出雄少年ひでをせうねんは――安全あんぜんですか――それとも――。』
私わたくしは欣然きんぜんとして叫さけんだ。
『おゝ、松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさよ、濱島武文君はまじまたけぶみくんよ、春枝夫人はるえふじんよ、貴方等あなたがたの喜悦よろこびにまで、少年せうねんは無事ぶじです、無事ぶじです!!!。』
松島大佐まつしまたいさと濱島武文はまじまたけぶみとは言いひ合あはした樣やうに喜色えみを浮うかべて鼻髯びぜんを捻ひねつた。春枝夫人はるえふじんは流石さすがに女性によしようの常つね
『あゝ、夢ゆめではありますまいか、之これが夢ゆめでなかつたら、どんなに嬉うれしいんでせう。』と、止とゞめ兼かねたる喜悦よろこびの涙なみだをソツと紅絹くれないの手巾ハンカチーフに押拭おしぬぐふ。
『夢ゆめぢやありませんともも。』と武骨ぶこつなる武村兵曹たけむらへいそうは、此時このときヒヨツコリと顏かほを突出つきだした。
『貴夫人きふじん! 何なんで夢ゆめだなんぞと仰おつしやる。あの可憐かれんなる日出雄少年ひでをせうねんは、今いまは我わが敬愛けいあいする櫻木海軍大佐閣下さくらぎかいぐんたいさかくかと共ともに朝日島あさひじまに元氣げんきよく、今頃いまごろは屹度きつと、例れいの可愛かあいらしい樣子やうすで、水兵すいへい共どもや、愛犬あいけんの稻妻いなづまなんかと、海岸かいがんの岩いわの上うへから、遙はるかに日本につぽんの空そらを眺ながめて、早はやく孤島こたうを出發しゆつぱつして、一日いちにちも速すみやかに貴方等あなたがたに再會さいくわいしたいと待望まちのぞんで居をる事ことでせう。』と叫さけぶ。『貴方あなたは――。』と二人ふたりの眼まなこは懷なつかし相さうに武村兵曹たけむらへいそうの上うへに轉てんじた。
『此人このひとは武村兵曹たけむらへいそうとて、吾等われらが三年さんねんの間あひだ孤島こたうの生活中せいくわつちう、日出雄少年ひでをせうねんとは極きはめて仲なかのよかつた一人ひとりです。』と私わたくしは彼かれを二人ふたりに紹介ひきあはせて、それより武村兵曹たけむらへいそうと私わたくしとは交かはるる、朝日島あさひじまへ漂流へうりうの次第しだい、稀世きせいの海底戰鬪艇かいていせんとうていの事こと、孤島こたう生活中せいくわつちうの有樣ありさま、それから四年よねん以前いぜんには、穉氣あどけなく母君はゝぎみと別わかれたりし日出雄少年ひでをせうねんの今いまは大おほきくなりて、三年さんねんの間あひだ、智勇ちゆう絶倫ぜつりんの櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさの愛育あいいくの下したに、何なにから何なにまで、父君ちゝぎみが甞かつて望のぞめる如ごとき海軍々人かいぐんぐんじん風ふうの男兒をのことなりて、毎日まいにち>賢かしこく、勇いさましく、日ひを送おくつて居をる有樣ありさまをば目めに見みる如ごとくに語かたり、大佐たいさよ、濱島君はまじまくんよ、春枝夫人はるえふじんよ、されば吾等われらは今いまや天運てんうん開ひらけて、遠とほからず非常ひじやうの喜よろこびに會くわいする時ときを待まつばかりです。と語かたり終をはると、聽きく三人みたりは或あるひは驚おどろき或あるひはよろこび。大佐たいさは相變あひかはらず鼻髯びぜんを捻ひねりつゝ。豪壯がうさうなる濱島武文はまじまたけぶみは胸むねを叩たゝいて
『私わたくしは何なによりも嬉うれしい。弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつは、日出雄ひでをの爲ためには、寧むしろ幸福かうふくであつたかも知しれません。今いま彼かれが當世たうせいに隱かくれも無なき、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさから、斯かくも懇篤こんとくなる薫陶くんとうを受うけて生長せいちやうした事ことは、世界せかい第一だいいちの學校がくかうを卒業そつげふしたよりも、私わたくしの爲ためには憘うれしいです。』春枝夫人はるえふじんは包つゝみ兼かねたる喜悦よろこびの聲こゑで
『皆樣みなさまは、其樣そんなにあの兒こを可愛かあいがつて下くださつたのですか。妾わたくしは何なんと御禮おれいの言葉ことばもございません。』と雪ゆきのやうなる頬ほうに微※えくぼの波なみを湛たゝえて
『そして、あの兒こはもう其樣そんなに大おほきくなりまして。』
『大おほきくなりました段だんか。近々きんんに橄欖島かんらんたうでお逢あひになつたら、そりや喫驚びつくりなさる』とまた兵曹へいそうが飛とび出だした。
『あら。』
『そればかりか、少年せうねんの活溌くわつぱつな事ことツたら話はなしになりませんよ。獅子狩しゝがりもやります、相撲すまふも取とります。弱よわい水兵すいへいなんかは負まかされます。』と彼かれは至極しごく眞面目まじめに
『然しかし、其代そのかはり、大分だいぶん色いろは黒くろくなりましたよ。はい。』
『おほゝゝゝ。』と春枝夫人はるえふじんは半顏はんがんを蔽おほふて
『其樣そんなに黒くろくなりましたの、まア。』
『イヤ、中黒ちうぐろです。』と滑※こつけいなる兵曹へいそうの一言いちごんに、大佐たいさも、濱島はまじまも、私わたくしも大聲おほごゑに笑わらひ崩くづるゝ時とき、春枝夫人はるえふじんの優やさしい眼めは、遙はるかかの南みなみの方ほうの水みづと空そらとを懷なつかし相さうに眺ながめて居をつた。
其時そのとき私わたくしは膝ひざを進すゝめて
『今迄いまゝでは吾等われらの經歴けいれきをのみ語かたつたが、サア今度こんどは、貴方等あなたがたのお答こたへの順番じゆんばんですよ。』と先まづ春枝夫人はるえふじんに向むかひ
『夫人おくさん! 先刻せんこく貴女あなたも左樣さう仰おつしやいましたねえ。私わたくしも眞個ほんたうに、此世このよでまた貴女あなたにお目めにかゝらうとは思おもひ設まうけませんでした、實じつに不思議ふしぎですよ、一體いつたいあの時ときは如何どうして御助命おたすかりになりました。』と口くちを切きつて『回想くわいさうすれば今いまから四年ねん前まへ、私わたくしが日出雄少年ひでをせうねんを抱いだいて、弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつと共ともに、海中かいちうに飛込とびこんだ時とき、二度にど、三度さんど、貴女あなたのお名なをお呼よび申もうしたが、聽きこゆるものは、風かぜの音おとと、浪なみの響ひゞきばかり、イヤ、只たゞ一度いちど、微かすかにに、お答こたへのあつた樣やうにも思おもはれたが、それも心こゝろの迷まよひと信しんじて、其後そのゝち朝日島あさひじまに漂着へうちやくして、或ある時とき、櫻木大佐さくらぎたいさに此事このことを語かたつた時とき、大佐たいさは貴女あなたの運命うんめいを卜ぼくして、夫人ふじんは屹度きつと無事ぶじであらうと言いはれたに拘かゝはらず、日出雄少年ひでをせうねんも、私わたくしも、最早もはや貴女あなたとは、現世このよでお目めに掛かゝる事ことは出來できまいとばかり斷念だんねんして居をりましたに。』
春枝夫人はるえふじんは、四年よねん以前いぜんの恐おそろしき夜よの光景くわうけいを回想くわいさうして
『あゝ、あの時ときは、眞個ほんたうに物凄ものすごう御坐ございましたねえ。轟然がうぜんたる響ひゞきと共ともに、弦月丸げんげつまるは沈沒ちんぼつして、妾わたくしは一時いちじは逆卷さかまく波間なみまに數すう十尺しやく深ふかく沈しづみましたが、再ふたゝび海面かいめんに浮うかび上あがつた時とき、丁度ちやうど貴方あなたのお聲こゑで、私わたくしの名なをお呼よびになるのが聽きこえました。私わたくしは、一たび、二たび、お答こたへ申まうしましたが、四邊あたりは眞しんの闇やみで、何處どことも分わからず、其儘そのまゝ永ながいお別わかれになりました。幸さひはひ、沈沒ちんぼつの間際まぎわに、貴方あなたが投なげて下くださつた浮標うきにすがつて、浪なみのまにに漂たゞよつて居をる内うち、其その翌朝よくあさになつて見みると、漫々まんんたる大海原おほうなばらの遙はるか彼方かなたに、昨夜さくやの海賊船かいぞくせんらしい一艘いつそうの船ふねが、頻しきりに潜水器せんすいきを沈しづめて居をるのが見みえましたが、其時そのとき、丁度ちやうど通とうりかゝつた英國エイこくの郵便船いうびんせんに救すくはれて、廻めぐりめぐつて、再ふたゝびネープルスの家いへへ皈かへつたのは、夫それから一月ひとつき程ほど※すぎての事ことでした。』夫人ふじんは一息ひといきつきて
『妾わたくしが子ープルスの家いへへ歸かへつて、涙なみだながらに良人をつとの濱島はまじまに再會さいくわいした時ときには、弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつの噂うわさは大層たいそうでした。何事なにごとも天命てんめいと諦あきらめても、本當ほんたうに悲かなしう御坐ござんしたよ。いろろの噂うわさを聞きくにつけ、最早もはや貴方あなたも、日出雄ひでをも、全まつたく世よに亡なき人ひととのみ思おもひ定さだめ、また、一方いつぽうには、本國ほんごくの兄あにの病やまひを思おもひ煩わずらつて居をりましたが、幸さひはひ、兄あにの病やまひはだんんと快方くわいほうの由よし、其後そのごの便船びんせんで通知つうちが參まいりましたので、其その方ほうは漸やうやく胸むね撫なでおろし、日本につぽんへ皈かへる事ことも其儘そのまゝ思おもひ止とゞまつたのです。それから四年※よねんすぎての今いま、圖はからずも貴方あなたに再會さいくわいして、いろろのお話はなしを伺うかゞつて見みると、まるで夢ゆめのやうで、霖雨ながあめの後のちに天日てんじつを拜はいするよりも嬉うれしく、たゞゞ天てんに感謝かんしやするの他ほかはありません。はい、兄あにの病氣びやうきは、妾わたくしが子ープルスに歸かへつてから、三月みつき程ほど※すぎて、名殘なごりなく全快ぜんくわいして、今いまは人一倍ひといちばいに健全すこやかに、英國エイこくから新造軍艦しんざうぐんかんの廻航中くわいかうちう、此この「日ひの出で」に乘のつて居をる事ことは貴方あなたも御覽ごらんの通とうりです。』と語かたり終をはつて令兄れいけいなる大佐たいさと良君をつと武文たけぶみとの顏かほを婉然にこやかに見みた。
    第二十八回 紀念軍艦きねんぐんかん

帝國軍艦「日の出」――此虎髯が御話申す――テームス造船所の製造――「明石」に髣髴たる巡洋艦――人間萬事天意のまゝ

 松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさは相あひも變かはらず鼻髯びぜんを捻ひねりつゝ、面白相おもしろさうに我等われらの談話だんわを聽きいて居をる。
濱島武文はまじまたけぶみは春枝夫人はるえふじんに次ついで口くちを開ひらいた。
『春枝はるえは大分だいぶん愚痴ぐちが出でます。女をんなはあれだからいかんです。はゝゝゝゝ。けれど私わたくしも、弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつを耳みゝにした時ときには實じつに愕おどろきました。春枝はるえ丈だけは其後そのご無事ぶじに皈かへつて來きたものゝ、君きみの行衞ゆくゑは知しれず、私わたくしが兼かねてより、有爲りつぱな帝國海軍々人ていこくかいぐんぐんじんに養成やうせいして、國くにに獻さゝげんと心こゝろに樂たのしんで居をつた日出雄ひでをは、君きみと共ともに、印度洋インドやうの藻屑もくづと消きえてしまつたと斷念だんねんした時ときには、實じつに泣なくより辛つらかつたです。』といひ掛かけて、彼かれは忽たちまち聲こゑ高たかく笑わらひ
『ほー。私わたくしまで愚痴ぐちが出でた。イヤ、愚痴ぐちでない。實際じつさい失望落膽しつぼうらくたんしたです。其頃そのころ歐羅巴エウロツパの諸しよ新聞しんぶんは筆ふでを揃そろへて、弦月丸げんげつまるの遭難さうなんを詳報しやうほうし、かの臆病をくびやうなる船長等せんちやうらの振舞ふるまひをば痛いたく攻撃こうげきすると共ともに『日本人につぽんじんの魂たましひ。』なんかと標題みだしを置おいて、君等きみらの其時そのときの擧動ふるまひを賞讃しようさんするのを見みるにつけても、實じつに斷膓だんちやうの念ねんに堪たえなかつたです――何なに、あの卑劣ひれつなる船長等せんちやうらは如何どうしたと問とはるゝか。左樣さやうさ、一旦いつたんは無事ぶじに本國ほんごくへ歸かへつて來きたが、法律ほふりつと、社會しやくわいの制裁せいさいとは許ゆるさない、嚴罰げんばつを蒙かうむつて、酷ひどい目めに逢あつて、何處いづくへか失奔しつぽんしてしまいましたよ。』『愉快ゆくわいだ! 愉快ゆくわいだ!。』と武村兵曹たけむらへいそうは不意ふゐに叫さけんだ。
私わたくしは失笑しつせうしながら問とひをつゞけて
『濱島君はまじまくん、して、其後そのゝち、君きみも、夫人おくさんも、引續ひきつゞいてネープルス港かうにのみお在留いででしたか。今いままた此この軍艦ぐんかんに便乘びんじようして日本につぽんへお歸國かへりになるのは如何どういう次第しだいです。』と胸むねに手てを置おいて
『ちと想像さうぞうに※すぎるかも知しれないが、私わたくしは先刻せんこくから考かんがへて居をつたのです。今いま此この新造巡洋艦しんざうじゆんやうかんに君きみの愛兒あいじ日出雄少年ひでをせうねんの名なと何なにかの因縁ゐんねんある如ごとく「日ひの出で」と命名めいめいされて居をるのは何なにか深ふかい仔細しさいのあるではありませんか。』
『其事そのことは此この虎髯ひげがお話はなし申もうすのが順當じゆんたうでせう。』と不意ふゐに室内しつないへ飛込とびこんで來きたのは、例れいの磊落らいらくなる虎髯大尉こぜんたいゐ、本名ほんめい轟大尉とゞろきたいゐであつた。先まづ艦長松島大佐かんちやうまつしまたいさに向むかつて、何事なにごとをか二言ふたこと、三言みこと、公務こうむの報告ほうこくを終をはつて後のち、私わたくしの方ほうに向直むきなをつた。快活くわいくわつな調子ちようしで
『貴君きくん! 此この新造巡洋艦しんざうじゆんやうかんに「日ひの出で」と命名めいめいされたのは全まつたく君きみの想像さうざうの如ごとく日出雄少年ひでをせうねんの紀念きねんの爲ためと云いつてもよいのです。左樣さうばかりではお釋わかりになるまい、濱島氏はまじましは君きみも御存ごぞんじの通とうり、日出雄少年ひでをせうねんをば有爲りつぱな海軍々人かいぐんんじんに養成やうせいして、日本帝國につぽんていこくの干城まもりにと、兼かねての志望こゝろざしであつたのが、弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつと共ともに、全まつたく水泡すいほうに歸きしたと思おもはれたので、今いまは、其その愛兒あいじをば國くにに獻さゝぐる事ことの出來できぬ代かはりに、せめては一艘いつそうの軍艦ぐんかんを獻納けんなうして、國くにに盡つくす日頃ひごろの志こゝろざしを遂とげんものと、其その財産ざいさんの一半いつぱんを割さき、三年さんねんの日月じつげつを經へて、英國エイこくテームス造船所ざうせんじよで竣成しゆんせいしたのが、此この軍艦ぐんかん「日ひの出で」です。此この軍艦ぐんかんは最新式さいしんしきの三等とう巡洋艦じゆんやうかんで、排水量はいすいりよう二千八百噸とん、速力そくりよく二十三節ノツト、帝國軍艦ていこくぐんかん「明石あかし」に髣髴ほうふつたる艦ふねだが、もつと速力そくりよくは速はやい、防禦甲板ぼうぎよかんぱんは平坦部へいたんぶ二十粍ミリ、傾斜部けいしやぶ五十三粍ミリ、砲門ほうもんは八吋インチ速射砲そくしやほう二門もん、十二珊サンチ速射砲そくしやほう六門もん、四十七粍ミリ速射砲そくしやほう十二門もん、機關砲きくわんほう四門もんあるです。日本政府につぽんせいふは快こゝろよく濱島氏はまじましの志こゝろざしを容ゐれ、我わが海軍部内かいぐんぶないでは、特別とくべつの詮議せんぎがあつて、直たゞちに松島大佐閣下まつしまたいさかくかが回航委員長くわいかうゐゐんちやうの任にんに當あたる事こととなり、今いまや大佐たいさは本艦々長ほんかんんちやうの資格しかくをもつて日本につぽんへ廻航中くわいかうちう、濱島氏夫妻はまじましふさいは、此この軍艦ぐんかんの獻納者けんなうしやであれば、本艦ほんかん引渡ひきわたしの儀式ぎしきの爲ためと、一ひとつには、最早もはや異境ゐきやうの空そらも飽果あきはてたれば之これよりは、山やま美うるはしく、水みづ清きよき日本につぽんに歸かへらんと、子ープルス港かうから本艦ほんかんに便乘びんじやうした次第しだいです。』と語かたりかけて、轟大尉とゞろきたいゐは虎髯こぜんを逆ぎやくに捩ねじりつゝ『軍艦ぐんかん日ひの出で! 此この名なは確たしかに、日出雄少年ひでをせうねんの名なと或ある關係くわんけいを有もつて居をると信しんじます。然しかし、濱島氏はまじましは决けつして虚名きよめいを貪むさぼる人ひとでない、此この名なは彼かれが求もとめた名なでは無ないのです、すべて本國はんごく政府せいふの任意にんゐに定さだめた事ことで、軍艦命名式ぐんかんめいめいしきの嚴肅げんしゆくなる順序じゆんじよを經へて下くだされたのが「日ひの出で」の三字じです。けれど私わたくしは、此この名なと日出雄少年ひでをせうねんの名なとの符合ふがふをば、决けつして偶然ぐうぜんの事こととは思おもひません。』
『無論むろん偶然ぐうぜんの符合ふがふではありますまい。』と私わたくしは感嘆かんたんの叫さけびを禁きんじ得えなかつた。武村兵曹たけむらへいそうは前額ぜんがくを撫なでゝ
『やあ、だんんと目出度めでたい事ことが集あつまつて來きますな。新造軍艦しんざうぐんかんは獻納けんなうされる、海底戰鬪艇かいていせんとうていは現あらはれて來くる、日本海軍につぽんかいぐん益々ますす榮さかえ――。』と快活くわいくわつなる面おもてを擧あげてニコと笑わらふ。松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさも微笑びせうを帶おびて
『洵まことに兵曹へいそうの言げんの如ごとく日本海軍につぽんかいぐんの爲ために慶賀けいがすべき事ことである。今いまや遠とほからず橄欖島かんらんたうのほとりで櫻木大佐さくらぎたいさに對面たいめんし、それより本艦ほんかん「日ひの出で」と櫻木大佐さくらぎたいさの電光艇でんくわうていとが舳艫じくろ相あひ並ならんで颯々さつつたる海風かいふうに帝國軍艦旗ていこくぐんかんきを飜ひるがへしつゝ頓やがて、帝國ていこくの軍港ぐんかうへと到着たうちやくした時ときには如何いかに壯烈さうれつに且かつ愉快ゆくわいなる事ことだらう。』轟大尉とゞろきたいゐは双手さうしゆを擧あげて快哉くわいさいを叫さけんだ。濱島武文はまじまたけぶみは腕うでをさすつて
『實じつに人間にんげんの萬事ばんじは天意てんゐの儘まゝである。めぐり廻めぐつて何事なにごとが幸福かうふくとなるかも分わからぬ。私わたくしは今いまやまた軍艦ぐんかん日ひの出でのみならず一度いちど喪うしなつたと思おもつた日出雄ひでををも國くにに獻さゝぐる事ことの出來できるやうになつた事ことを感謝かんしやします。』と限かぎりなき滿足まんぞくの色いろを以もつて夫人ふじんを顧見かへりみた。
あゝ、人間にんげんの萬事ばんじは實じつに天意てんゐの儘まゝだと、私わたくしも深ふかく心こゝろに感かんずると共ともに、忽たちまち回想くわいさうした一事いちじがある。それは他ほかでもない、忘わすれもせぬ四年よねん以前いぜんの事こと、春枝夫人はるえふじんと、日出雄少年ひでをせうねんと、私わたくしとの三人みたりが、子ープルス港かうの波止塲はとばを去さらんとした時とき、濱島家はまじまけの召使めしつかひで、常時そのころ日出雄少年ひでをせうねんの保姆うばであつた亞尼アンニーとて、伊太利イタリー生うまれの年老としおいたる女をんなが、其その夜よの出帆しゆつぱんをとゞめんとて、頻しきりに、魔まの日ひだの、魔まの刻こくだの、黄金わうごんや眞珠しんじゆの祟たゝりだのと、色々いろろ奇怪きくわいなる言ことばを繰返くりかへした事ことがある、無論むろん、其時そのときは無※ばかな事ことと笑わらひ、また實際じつさい無※ばかな事ことには相違さうゐないのだが、それが偶然ぐうぜんにも符合ふがふして、今いまになつて考かんがへると、恰あだかも※去くわこの樣々さままなる厄難やくなんの前兆ぜんてうであつたかの如ごとく、甞かつて朝日島あさひじまの生活中せいくわつちう、櫻木大佐さくらぎたいさに此事このことを語かたつた時とき、思慮しりよ深ふかき大佐たいさすら小首こくびを傾かたむけた程ほどで、私わたくしの胸むねには、始終しじう附ついて離はなれぬ疑問ぎもんであつたので、今いま機會きくわいを得えて『何なにか此事このことに就ついてお心當こゝろあたりはありませぬか。』と春枝夫人はるえふじんに問とひかけた。

    第二十九回 薩摩琵琶さつまびは

春枝夫人の物語――不屆な悴――風清き甲板――國船の曲――腕押し脛押と參りませう――道塲破りめ――奇怪の少尉

 春枝夫人はるえふじんは清すゞしき眉まゆを揚あげ
『あゝ其事そのこと! 貴方あなたはよく覺おぼえていらつしやいましたねえ。亞尼アンニーは眞個ほんとうに妙めうな事ことをと、其その時分じぶんは少すこしも心こゝろに留とめませんでしたが、後のちにそれと思おもひ當あたりましたよ。全まつたく根ねなし言ごとではありませんかつたの、それは斯かうなんです。』と、そよと吹ふく海風かいふうに、鬢びんのほつれ毛げを拂はらはせながら
『魔まの日ひ、魔まの刻こくとか申もうしましたねえ。其その夜よに出帆しゆつぱんした弦月丸げんげつまるは、不思議ふしぎにも、豫言よげんの通とうりに印度洋インドやうの沖おきに沈沒ちんぼつして、妾わたくしが英國エイこく郵便船ゆうびんせんに救すくはれて、再ふたゝび子ープルスの家いへに歸かへつた時ときには、亞尼アンニーの姿すがたは既すでに見みえませんでした。いろろ探索たんさくして見みましたが、誰だれも行衞ゆくゑを知しつて居をる人ひとはありません。本當ほんたうに奇妙きめうな事ことだと思おもつて居をると、或ある日ひの事こと、ウルピノ山中さんちうとて、子ープルスの街まちからは餘程よほど離はなれた寒村かんそんの、浮世うきよの外そとの尼寺あまでらから、一通いつつうの書状てがみが屆とゞきました、疑うたがひもなき亞尼アンニーの手跡しゆせきで、はじめて仔細しさいが分わかりましたよ。』
『ど、ど、どんな書面しよめんで――。』と私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうとは身みを乘出のりだした。
夫人ふじんは明眸めいぼうに露つゆを帶おびて『可愛相かあいさうにねえ貴方あなた。其その書面しよめんによると亞尼アンニーは、弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつを聞きいて、私共わたくしどもに濟すまぬと尼あまになつたのですよ。其その事柄ことがらは一塲いちじやうの悲劇トラジデーです。亞尼アンニーに一人ひとりの息子むすこがあつて、極ごく放蕩ほうたう無頼ぶらいな男をとこで、十幾年いくねんか前まへに家出いへでをして、行衞不明ゆくゑふめいになつたといふ事ことは兼かねて聞きいて居をりましたが、亞尼アンニーは、それをば常つねに口僻くちぐせのやうに、斯かう言いつて居をりました「私わたくしの忰せがれは私わたくしの言いふ事ことを容きかずに、十月じふぐわつの祟たゝりの日ひに家出いへでをしたばかりに、海蛇うみへびに捕とられてしまひました。」と。海蛇うみへびに捕とられたとは、眞しんに妙めうな事ことだと思おもつて居をりましたが、それがよく隱語いんごを使つかふ伊太利人イタリーじんの僻くせで、其その書面しよめんではじめて分わかりましたよ。其その息子むすこが海蛇うみへびに捕とられたといふのは、生命いのちの事ことではなく、實じつは、印度洋インドやうの惡魔あくまと世よに隱かくれもなき海賊船かいぞくせんの仲間なかまに入いり、血ちをすゝつて、海蛇丸まるとかいへる海賊船かいぞくせんの水夫すいふとなつたのだ相さうです。其爲そのために亞尼アンニーは一人ひとり淋さびしく家いへに殘のこされて、遂つひに私わたくしの家いへに奉公ほうこうに出でる樣やうになつたのですが、御存ごぞんじの通とうり、極ごく正直しやうじきな女をんなですから、私共わたくしどもも目めをかけて使つかつて居をる内うち、丁度ちやうど私共わたくしどもが子ープルス港かうを出發しゆつぱつするといふ前まへの前まへの晩ばんです。亞尼アンニーは鳥渡ちよつと使つかひに出でました時とき、波止塲はとばのほとりで圖はからずも、絶たえて久ひさしき其その子こに出會であつたのです。いくら惡人あくにんでも、親子おやこの情じやうはまた格別かくべつと見みへ、正直しやうじきなる亞尼アンニーは「一寸ちよつとお出いで。」と其その子こをば、其邊そのへんの小ちいさい料理屋れうりやへ連つれて行いつて、自分じぶんの貧さびしい財嚢さいふを傾かたむけて、息子むすこの嗜好すきな色々いろろの物ものを御馳走ごちさうして「さて、忰せがれや、お前まへは此頃このごろはどうしておいでだえ。矢張やはり惡わるい業しわざを改あらためませんのかえ。」と涙なみだながらに諫いさめかけると、息子むすこは平氣へいきなものです「また始はじまつたよ。おつかさん、お前まへは相變あひかはらず馬鹿正直ばかしやうじきだねえ、其樣そんなけちちした事ことで此世このよが渡わたれるかえ。」と大酒おほざけ飮のんで、醉ゑふたまきれに「乃公おれなんかは近ちかい内うちに大仕事おほしごとがあるのだ、其その仕事しごとの爲ために今いま此この港みなとへ來きて、明後晩めうごばんにはまた此處こゝを出發しゆつぱつするのだが、其その一件いつけんさへ首尾しゆびよく行いけば、百ひやくや二百にひやくの目腐めくされ金がねはお前まへにもあげるよ。内秘ないしよ>。」なんかと、思おもはず知しらず口走くちばしつたのでせう。之これを聽きいた亞尼アンニーははつと愕おどろいたのです。其頃そのころ弦月丸げんげつまるが、今迄いままでに無ない程ほど澤山たくさんの、黄金わうごんと眞珠しんじゆとを搭載たふさいして、ネープルス港かうを出發しゆつぱつして、東洋とうやうに向むかふといふのは評判ひやうばんでしたが、誰たれも世よに恐おそる可べき海蛇丸かいだまるが、竊ひそかに其その舷側そばに停泊ていはくして、樣子やうすを窺うかゞつて居をるとは氣付きづいた人ひとはありませんかつたが、今いま現げんに海賊かいぞく仲間なかまの其その息子むすこが此この港みなとに居をる事ことと、今いまの話はなしの樣子やうすで、朧おぼろながらも其それと覺さとつた亞尼アンニーの驚愕おどろきはまアどんなでしたらう。私共わたくしどもの乘組のりくむ筈はづの弦月丸げんげつまると、同おなじ日ひ、同おなじ刻こくに、ネープルス港かうを出發しゆつぱつする海蛇丸かいだまるの目的もくてきは云いふ迄までもありません。其その息子むすこが大仕事おほしごとと云いつたのはまさしく弦月丸げんげつまるを襲撃しふげきして、其その貨財くわざいを掠奪りやくだつする目的もくてきだなと心付こゝろづいた時とき、彼女かのぢよは切せつに其その非行ひかうを諫いさめた相さうですが、素もとより思おもひ止とゞまらう筈はづはなく、其その暴惡ぼうあくなる息子むすこは、斯かく推察すいさつされた上うへはと、急きふに語勢ことばつき荒々あららしく「おつかさん、左樣さう覺さとられたからは百年目ひやくねんめ、若もし此この一件いつけんを他人たにんに洩もらすものならば、乃公おれの笠かさの臺だいの飛とぶは知しれた事こと、左樣さうなれば破やぶれかぶれ、お前まへの御主人ごしゆじんの家いへだつて用捨ようしやはない、火ひでもかけて、一人ひとりも生いかしては置おかないぞ。」と鬼おにのやうになつて、威迫おどしたんでせう。亞尼アンニーは心こゝろも心こゝろでなく、急いそぎ私共わたくしどもの家いへへ歸かへつて來きたものゝ、如何どうする事ことも出來できません、明瞭あからさまに言いへば、其その子この首くびの飛とぶばかりではなく、私共わたくしどもの一家いつかにも、何處どこからか恐おそろしい復讐あだうちが來くるものと信しんじて、千々ちゞに心こゝろを碎くだいた揚句あげく、遂つひにあんな妙めうな事ことに托たくして、私共わたくしどもの弦月丸げんげつまるに乘組のりくむ事ことを留とめやうと企くわだてたのです。けれど、誰だれだつて信しんぜられませんはねえ。船ふねの出發しゆつぱつが魔まの日ひ魔まの刻こくだなんて。あゝ亞尼アンニーがまた妙めうな事ことをと、少すこしも心こゝろに止とめずに出帆しゆつぱんしたのが、あんな災難さいなんの原因げんゐんとなつたのです。それで、亞尼アンニーは、いよよ弦月丸げんげつまるが沈沒ちんぼつしたと聞きいた時とき、身みも世よにあられず、私共わたくしどもに濟すまぬといふ一念いちねんと、其その息子むすこの悔悟くわいごとを祈いのるが爲ために、浮世うきよの外そとの尼寺あまでらに身みを隱かくしたのです。で、亞尼アンニーは、今いまは、眞如しんによの月影つきかげ清きよき、ウルピノ山中さんちうの草くさの庵いほりに、罪つみもけがれもなく、此世このよを送おくつて居をる事ことでせうが、あの惡にくむべき息子むすこの海賊かいぞくは、矢張やはり印度洋インドやうの浪なみを枕まくらに、不義ふぎ非道ひだうの業しわざを逞たくましうして居をる事ことでせう。』と、語かたり終をはつて、春枝夫人はるえふじんは明眸めいぼう一轉いつてん逈はるかの空そらを仰あほいだ。私わたくしは思おもはず膝ひざを叩たゝいた。短慮たんりよ一徹いつてつの武村兵曹たけむらへいそうは腕うでを鳴ならして、漫々まんんたる海洋かいやうを睨にらみ廻まわしつゝ
『此處こゝは所ところも印度洋インドやう、其その不屆ふとゞきな小忰こせがれめは何處どこに居をる。』と艦上かんじやうの速射砲そくしやほうに眼めを注そゝいで
『今いまは無上むじやうに愉快ゆくわいな時ときだぞ、今いま一層いつそうの望のぞみには、新あらたに鑄きたへた此この速射砲そくしやほうで、彼奴等きやつら惡につくき海賊かいぞく共どもを鏖殺みなごろしにして呉くれんに。』
『ヒヤヤ、壯快さうくわい! 壯快さうくわい!。』と轟大尉とゞろきたいゐは掌てを鳴ならした。艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさ、濱島武文はまじまたけぶみ、其他そのた同席どうせきの二三士官等しくわんらは、凛々りゝたる面おもてに微笑びせうを浮うかべて、互たがひに顏かほを見合みあはす時とき、軍艦ぐんかん「日ひの出で」の右舷うげん左舷さげんには、潮うしほの花はなは玉たまと亂みだれて、艦かんの速力そくりよくは飛とぶが樣やうであつた。
それより、私わたくしと武村兵曹たけむらへいそうとは、艦中かんちうの一同いちどうから筆ふでにも言ことばにも盡つくされぬ優待いうたいを受うけて、印度洋インドやうの波濤はたうを蹴けつて、コロンボの港みなとへと進すゝんで行ゆく。日ひうらゝかに、風かぜ清きよき甲板かんぱんで、大佐たいさや、濱島はまじまや、春枝夫人はるえふじんや、轟大尉とゞろきたいゐや、其他そのた乘組のりくみの士官しくわん水兵等すいへいらを相手あひてに、私わたくしの小説せうせつにも似にたる經歴談けいれきだんは、印度洋インドやうの波なみのごとく連綿れんめんとして盡つくる時ときもなかつた。ずつと以前いぜんに溯さかのぼつて、弦月丸げんげつまるの沈沒ちんぼつ當時たうじの實况じつけう。小端艇せうたんていで漂流中へうりうちうのさままの辛苦しんく。驟雨にわかあめの事こと。沙魚ふか釣つりの奇談きだん。腐くさつた魚肉さかなに日出雄少年ひでをせうねんが鼻はなを摘つまんだ話はなし。それから朝日島あさひじまに漂着へうちやくして、椰子やしの果實みの美味うまかつた事こと。猛狒ゴリラの襲撃しふげき一件いつけん。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさとの奇遇きぐう。鐵てつの響ひゞきと屏風岩べうぶいわの奇異きゐ。猛犬稻妻まうけんいなづまの世よにも稀まれなる犬いぬなる事こと。大佐たいさや少年せうねんや其他そのほか三十有餘名いうよめいの水兵等すいへいらが趣味しゆみある日常にちじやうの生活せいくわつのさまま、晨あしたには星ほしを戴いたゞいて起おき、夕ゆふべには月つきを踏ふんで歸かへる、其その職務しよくむの餘暇よかには、睦むつまじき茶話會ちやわくわい、面白おもしろき端艇競漕たんていきようそう、野球競技等やきゆうきようぎとうの物語ものがたりは、如何いかに彼等かれらを驚おどろかしめ笑わらはしめ樂たのしましめたらう。特ことに朝日島あさひじま紀念塔きねんたふ設立せつりつの顛末てんまつ――あの異樣ゐやうなる自動冐險車じどうぼうけんしやが、縱横無盡じうわうむじんに、深山しんざん大澤たいたくの間あひだを猛進まうしんしたる其時そのときの活劇くわつげき。猛獸まうじう毒蛇どくじやとの大奮鬪だいふんとう。武村兵曹たけむらへいそうの片足かたあしの危あぶなかつた事こと。好奇心かうきしんから砂すなすべりの谷たにへ顛落てんらくして、九死一生きうしいつしやうになつた事こと。日出雄少年ひでをせうねんと猛犬稻妻まうけんいなづまとの別わかれの一段いちだん。禿頭山はげやまの彼方かなたから、大輕氣球だいけいききゆうがふうららと舞まひ降くだつて來きた事こと。さては、紀元節きげんせつの當日たうじつの盛さかんなる光景くわうけい、つゞいて、電光艇でんくわうてい試運轉式しうんてんしきの夜よの大異變だいゐへんから、今回こんくわいの使命しめいに立到たちいたつた迄までの奇譚きだんは、始終しじう彼等かれらをヤンヤと言いはせて、吾等われら孤島こたうの生活中せいくわつちうは、いつも滑※こつけいと失策しつさくとの本家本元ほんけほんもとで――今いまは私わたくしの傍そばに、威勢ゐせいよく話はなしの相槌あひづちを打うつて居をる武村兵曹たけむらへいそうは、幾度いくたびか軍艦ぐんかん日ひの出での水兵等すいへいらに、背中せなか叩たゝかれ、手てを叩たゝかれて、艦中かんちう第一だいいちの愛敬者あいけふものとはなつた。武村兵曹たけむらへいそうは今いまは私わたくしと同おなじやうに、此この軍艦ぐんかんの賓客ひんきやくではあるが、彼かれは軍艦ふねを家いへとする水兵すいへいの身み――水兵すいへいの中うちにも氣象きしやう勝すぐれ、特ことに砲術ほうじゆつ、航海術かうかいじゆつには際立きはだつて巧妙たくみな男をとこなので、かく軍艦ぐんかんに乘組のりくんでは一刻いつこくも默念じつとはして居をられぬ、かつは艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさを始はじめ軍艦ぐんかん「日ひの出で」の全員ぜんゐんが、自分じぶんの最もつとも敬愛けいあいする櫻木大佐さくらぎたいさのために誠心まごゝろから盡力じんりよくして呉くれるのが、心こゝろから憘うれしく、難有ありがたく、せめて報恩ほうおんの萬分まんぶんの一いちには、此この軍艦ぐんかんの水兵等すいへいらと同おなじ樣やうに働はたらきたいと、頻しきりに心こゝろを焦立いらだてたが、海軍かいぐんの軍律ぐんりつは嚴げんとして動うごかす可べからず、本艦ほんかん在役ざいえきの軍人ぐんじんならねば檣樓しやうらうに昇のぼる事ことも叶かなはず、機關室きくわんしつに働はたらく事ことも能あたはず、詮方無せんかたなきまゝ、立たつて見みつ、居ゐて見みつ、艦首かんしゆから縹渺へうべうたる太洋たいやうの波濤なみを眺ながめたり、「ブルワーク」の邊ほとりから縱帆架ガーフに飜ひるがへる帝國軍艦旗ていこくぐんかんきを仰あほいで見みたり、機關砲きくわんほうを覗のぞいて見みたり、果はては無聊ぶれうに堪たえ兼かねて頻しきりに腕うでをさすつて居ゐたが、其内そのうちに夕刻ゆふこくにもなると、此この時刻じこくは航海中かうかいちう、軍艦乘組員ぐんかんのりくみゐんの最もつとも樂たのしき時とき、公務こうむの餘暇よかある夥多あまたの士官しくわん水兵すいへいは、空そら高たかく、浪なみ青あをき後部甲板こうぶかんぱんに集あつまつて、最もつとも自由じゆうに、最もつとも快活くわいくわつに、詩しを吟ぎんずるもある、劍けんを舞まはすもある。武村兵曹たけむらへいそうも其その仲間なかまに入いつて、頻しきりに愉快ゆくわいだだと騷さはいで居をつたが、何時いつ何處どこから聞知きゝつけたものか、例れいの轟大尉とゞろきたいゐの虎髯とらひげはぬつと進すゝみ出でて『これ、武村兵曹たけむらへいそう、足下おまへはなかか薩摩琵琶さつまびはが巧うまい相さうな、一曲いつきよくやらんか、やる! よし來きた。』と傍かたはらの水兵すいへいに命めいじて、自分じぶん兼かねて御持參ごぢさんの琵琶びはを取寄とりよせた。年少ねんせう士官しくわん、老功らうこう水兵等すいへいらは『これは面白おもしろい。』と十五珊サンチ速射砲そくしやほうのほとり、後部艦橋こうぶかんけうの下もとに耳みゝを濟すます、兵曹へいそう、此處こゝぞと琵琶びはおつ取とり、翩飜へんぽんと飄ひるがへる艦尾かんび帝國軍艦旗ていこくぐんかんきの下したに膝ひざを組くんで、シヤシヤン、シヤララと彈ひき出だす琵琶びはの曲きよく、聲こゑ張上はりあげて
「雲くもに聳そびゆる高山たかやまも。登のぼらばなどか越こへざらむ。空そらをひたせる海原うなばらも。渡わたらば終つひに渡わたるべし。我わが蜻蛉洲あきつしまは茜あかねさす。東ひがしの海うみの離はなれ島じま。例たとへば海うみの只中たゞなかに。浮うかべる船ふねにさも似にたり――。」と、高たかき調しらべは荒鷲あらわしの、風かぜを搏たゝいて飛とぶごとく、低ひくき調しらべは溪水たにみづの、岩いはに堰せかれて泣なく如ごとく、檣頭しやうとうを走はしる印度洋インドやうの風かぜ、舷げんに碎くだくる波なみの音おとに和わして、本艦々上ほんかんかんじやう、暫時しばしは鳴なりも止やまなかつた。
琵琶びはの調しらべが終をはると、虎髯大尉こぜんたいゐは忽たちまち大拍手だいはくしゆをした。
『うまいい、本物ほんものぢや、よし、よし、あんまり安賣やすうりをすな。』とばかり身みを跳をどらして
『兵曹へいそう、どうぢや一番いちばん腕押うでおしは――。』と鐵てつの樣やうな腕うでを突出つきだした。虎髯大尉こぜんたいゐの腕押うでおしと來きたら有名いうめいなものである。けれど武村兵曹たけむらへいそうはちつとも知しらない、自分じぶんも大だいの力自慢ちからじまん。『よろしい、參まいりませう。』と琵琶びは投なげ捨すてゝ、一番いちばん鬪たゝかつたが、忽たちまちウンと捩ねぢり倒たをされた。
『弱よはいなア。』と大尉たいゐは大おほいに笑わらふ。
『ど、ど、如何どうしたんだらう、こ、此この武村たけむらをお負まかしなすつたな、『どれもう一番いちばん――。』と鬪たゝかつたが、また負まけた。
『こんな筈はづではないのだが。』と腕うでを摩さすつて見みたが、迚とても叶かなひ相さうもない。きよろ]しながら四方しほうを見廻みまはすと、「日ひの出で」の士官しくわん水兵等すいへいらはくす]笑わらつて居をる、濱島武文はまじまたけぶみはから]笑わらつて居をる、春枝夫人はるえふじんは手巾ハンカチーフの影かげからそつと笑わらつて居をる。
『殘念ざんねんだな、よし。』と武村兵曹たけむらへいそうは忽たちまち毛脛けずねを突出つきだした。
『大尉閣下たいゐかくか、御禮おれいに一番いちばん脛押すねおしと參まいりませう。』
『脛押すねおしか。』と轟大尉とゞろきたいゐは顏かほを顰しかめたが、負まけぬ氣きの大尉たいゐ、何程なにほどの事ことやあらんと同おなじく毛脛けずねを現あらはして、一押ひとおし押おしたが、『あ痛いた、たゝゝゝ。』と後うしろへ飛退とびのいて
『これは痛いたい、武村たけむらの脛すねには出刄庖丁でばほうちやうが這入はいつて居をるぞ。』
『そ、そんなに強つよいのですか。』と彌次馬やじうまの士官しくわん水兵すいへいは吾われももとやつて來きたが、成程なるほど武村たけむらの脛すねは馬鹿ばかに堅かたい、皆みな一撃いちげきの下もとに押倒おしたをされて、痛いたいいと引退ひきさがる。武村兵曹たけむらへいそうは些いささか得意とくゐの色いろを浮うかべて鼻はなを蠢うごめかしたが、軍艦ぐんかん「日ひの出で」の甲板かんぱんには未まだ仲々なかか豪傑がうけつが居をる。『武村たけむら、怪けしからんな、我わが軍艦ぐんかん「日ひの出で」の道塲破だうじやうやぶりをやつたな、よし、乃公おれが相手あひてにならう。』と突然とつぜん大檣だいしやうの影かげから現あらはれて來きたのは、色いろの黒々くろろとした、筋骨きんこつの逞たくましい年少ねんせう少尉せうゐ、此人このひとは海軍兵學校かいぐんへいがくかうの生活中せいくわつちう、大食黨たいしよくたうの巨魁おやだまで、肺量はいりやう五千二百、握力あくりよく七十八、竿飛さをとびは一丈じやう三尺じやくまで飛とんで、徒競走フートレース六百ヤードを八十六秒びやうに走はしつたといふ男をとこ、三年ねんの在學中ざいがくちう、常つねに分隊ぶんたいの第だい一番ばん漕手さうしゆとして、漕力さうりよく天下無比てんかむひと云いはれた腕前うでまへ。
『そら來こい!。』とばかり、ヒタと武村兵曹たけむらへいそうの所謂いはゆる出刄庖丁でばほうちやうの入はいつて居をる脛すねに己おのが鐵てつの脛すねを合あはせて、双方さうほう眞赤まつかになつてエンヤヤと押合おしあつたが勝負しようぶが付つかない、甲板かんぱんの一同いちどうは面白おもしろがつてヤンヤヤと騷さわぐ
『もう廢よせせ、足あしが折をれるぞぞ。』と虎髯大尉こぜんたいゐは二人ふたりの周圍めぐりをぐるる廻まはつて、結局とうう引分ひきわけになつた。
艦橋かんけうよりは艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさ、例れいによつて例れいの如ごとく鼻髯びぜんを捻ひねりつゝ、微笑びせうを浮うかべて眺ながめて居をつた。

    第三十回 月夜げつやの大海戰だいかいせん

印度國コロンボの港――滿艦の電光――戰鬪喇叭――惡魔印の海賊旗――大軍刀をブンンと振廻した――大佐來! 電光艇來! 朝日輝く印度洋

 かくて、軍艦ぐんかん「日ひの出で」は、其その翌々晩よくくばんは豫定通よていどうりに、印度大陸インドたいりくの西岸せいがんコロンボの港みなとに寄港きかうして、艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさと、私わたくしと、武村兵曹たけむらへいそうとは、椰子やしや芭蕉ばせうの林はやしは低ひくく海岸かいがんを蔽おほひ、波止塲はとばのほとりから段々だんんと高たかく、電燈でんとうの光ひかりは白晝まひるを欺あざむかんばかりなる市街しがいに上陸じやうりくして、竊ひそかに櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさより委任ゐにんを受うけたる、電光艇でんくわうてい用ようの秘密藥品ひみつやくひんを買整かひとゝのへ、十二の樽たるに密封みつぷうして、今いまは特更ことさらに船ふねを艤裝ぎさうする必要ひつえうもなく、直たゞちに軍艦ぐんかん「日ひの出で」に搭載たふさいして、同時どうじに暗號電報あんがうでんぽうをもつて、松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさは本國ほんごく政府せいふよりの許可きよかを受うけ、來きたる二十五日にち拂曉ふつげうに海底戰鬪艇かいていせんとうていと相あひ會あふ可べき筈はづの橄欖島かんらんたうの方向ほうかうを指さして進航しんかうした。コロンボ港かうから橄欖島かんらんたうまで大約おほよそ一千五百海里かいり。明あけては、日ひ麗うららかなる甲板かんぱんに、帝國軍艦旗ていこくぐんかんき翩飜へんぽんたるを仰あほぎ見みては、日ひならず智勇ちゆう兼備けんびの兩りよう海軍大佐かいぐんたいさが新あたらしき軍艦ぐんかん「日ひの出で」と、新あたらしき電光艇でんくわうていとの甲板かんぱんにて、波なみを距へだてゝ相あひ會くわいし、それより二隻にせき相あひ並ならんで、海原うなばら遠とうく幾千里いくせんり、頓やがて、芙蓉ふえうの峯みねの朝日あさひ影かげを望のぞみ見みる迄までの、壯快さうくわいなる想像さうぞうを胸むねに描えがき、暮くれては、海風かいふう穩おだやかなる艦橋かんけうのほとり、濱島武文はまじまたけぶみや春枝夫人等はるえふじんらと相あひ語かたつて、日出雄少年ひでをせうねんの愛あいらしき姿すがたを待兼まちかねつゝ。四晝夜しちうやの航海かうかいは恙つゝがなく※すぎて、右舷うげん左舷さげんに寄よせては返かへす波なみの音おとと共ともに、刻一刻こくいつこくに近ちかづき來きたる喜劇きげきに向むかつて、橄欖島かんらんたうと覺おぼしき島影しまかげを、雲煙うんゑん渺茫べうぼうたる邊へんに認みとめたのは、日ひは二月ぐわつの二十五日にち、刻こくは萬籟ばんらい寂せきたる午前ごぜんの二時じと三時じとの間あひだ。下弦げゞんの月つきは皓々かううと冴さえ渡わたりて、金蛇きんだ走はしらす浪なみの上うへには、たゞ本艦ほんかんの蒸滊機關じようききくわんの響ひゞきのみぞ悽すさまじかつた。
軍艦ぐんかん「日ひの出で」の艦中かんちうには一人ひとりも眠ねむる者ものは無なかつた。艦橋かんけうには艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさをはじめとし、一團いちだんの將校しやうかうは月つきに燦爛さんらんたる肩章けんしやうに波なみを打うたせて、隻手せきしに握にぎる双眼鏡さうがんきやうは絶たえず海上かいじやうを眺ながめて居をる。甲板かんぱんの其處此處そここゝには水兵すいへいの一群いちぐん二群にぐん、ひそそと語かたるもあり、樂たのし氣げに笑わらふもあり。武村兵曹たけむらへいそうは兩眼りやうがんをまん丸まるにして『サア、いよよ橄欖島かんらんたうも近ちかづいて來きたぞ。大佐閣下たいさかくかの海底戰鬪艇かいていせんとうていはすでにあの島影しまかげに來きて居をるであらうか、それとも未まだ朝日島あさひじまを出發しゆつぱつせぬのかしら、えい、待遠まちどうやや。』と、手ての舞まひ、足あしの踏ふむ處ところも知しらぬ有樣ありさま。濱島武文はまじまたけぶみは艦尾かんびの巨砲きよほうに凭もたれて悠々いううと美髯びぜんを捻ひねりつゝ。春枝夫人はるえふじんの笑顏えがほは天女てんによの美うるはしきよりも美うるはしく、仰あほぐ御空みそらには行ゆく雲くもも歩あゆみをとゞめ、浪なみに鳴なく鳥とりも吾等われらを讃美さんびするかと疑うたがはるゝ。此この快絶くわいぜつの時とき、忽たちまち舷門げんもんのほとりに尋常たゞならぬ警戒けいかいの聲こゑが聽きこえた。艦中かんちうの一同いちどうはヒタと鳴なりを靜しづめたのである。只たゞ見みる本艦ほんかんを去さる事こと三海里さんかいり餘よ、橄欖島かんらんたうと覺おぼしき島しまの北方ほつぽうに當あたつて、毒龍どくりよう蟠わだかまるが如ごとき二個にこの島嶼たうしよがある。其その島陰しまかげから忽然こつぜんとして一點いつてんの光ひかりがピカリツ。つゞいて一點いつてん又また一點いつてん、都合つがふ七隻しちせきの奇怪きくわいなる船ふねは前檣ぜんしやう高たかく球燈きゆうとうを掲かゝげて、長蛇ちやうだの列れつをなして現あらはれて來きた。月つきは隈くまない、其その眞先まつさきに黒烟こくゑんを吐はいて進すゝんで來くるのは、二本にほん烟筒ゑんとうに二本にほん檣マスト! 見忘みわすれもせぬ四年ねん前まへのそれ!!!『海蛇丸かいだまる來きたる! 海蛇丸かいだまる來きたる!。』と私わたくしが絶叫ぜつけうした時とき、虎髯大尉こぜんたいゐは身みを翻ひるがへして戰鬪樓せんとうらうの方かたへ走はしり去さつた。
唯たゞ見みる、海蛇丸かいだまるの船首せんしゆよりは、閃々せんんと流ながるゝ流星りうせいの如ごとき爆發信號ばくはつしんがうが揚あがつた、此この信號しんがうは他船たせんの注意ちうゐを喚起くわんきする夜間信號やかんしんがう、彼かれ大膽不敵だいたんふてきなる海賊船かいぞくせんは、今いまや何故なにゆゑか其その信號しんがうを揚あげて、我わが帝國軍艦ていこくぐんかんの視線しせんを惹ひかんとして居をるのである。
我わが艦上かんじやうの視線しせんは果はたして一同いちどう其その方ほうへ向むかつた。
一度ひとたび戰鬪樓せんとうらうの方ほうへ走はしり去さつた虎髯大尉こぜんたいゐは此時このとき再ふたゝび私わたくしの傍そばへ歸かへつて來きたが大聲おほごゑに
『奇怪きくわいな船ふね! 奇怪きくわいな船ふね! あの船ふねは我わが軍艦ぐんかんに向むかつて、何なにか信號しんがうを試こゝろみんとして居をる。』と叫さけんだ。實じつに前後ぜんごの形勢けいせいと、かの七隻せきの船ふねの有樣ありさまとで見みると、今いまや海蛇丸かいだまるは明あきらかに何事なにごとをか我わが軍艦ぐんかんに向むかつて信號しんがうを試こゝろみる積つもりだらう。けれど私わたくしは審いぶかつた。今日こんにち世界せかいの海上かいじやうに於おいては、晝間ちゆうかんの萬國信號ばんこくしんがうはあるが、夜間信號やかんしんがうは、各國かくこくの海軍かいぐんに於おいて、各自めいいに秘密ひみつなる信號しんがうを有いうする他ほか、難破信號なんぱしんがうとか、今いま海蛇丸かいだまるの揚あげた爆發信號ばくはつしんがうのやうな、極きはめて重大ぢゆうだいなるまた單純たんじゆんなるものを除のぞいては、萬國ばんこく共通けうつうのものは無ないのである。然されば奇怪きくわいの船ふね、我われに信號しんがうを試こゝろみんとならば、果はたして如何いかなる手段しゆだんをか取とると瞻ながめて居をると、忽たちまち見みる、海蛇丸かいだまるの、檣上しやうじやう、檣下しやうげ、船首せんしゆ、船尾せんび、右舷うげん、左舷さげんに閃々せんんたる電燈でんとう輝かゞやき出いでゝ、滿船まんせんを照てらす其その光ひかりは白晝はくちうを欺あざむかんばかり、其その光ひかりの下したに一個いつこの異樣ゐやうなる人影ひとかげ現あらはれて、忽たちまち檣桁しやうかう高たかく信號旗しんがうきが上あがつた。心憎こゝろにくや、奇怪きくわいの船ふねは、晝間信號ちうかんしんがうを電燈でんとうの光ひかりに應用おうようせんとするのである。
三角かく、四角かく、さままの模樣もやうの信號旗しんがうきは風かぜに動うごいて
「其その軍艦ぐんかん止とゞまれ! 其その軍艦ぐんかん止とゞまれ!!!。」と示しめす。
我わが日ひの出で艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさは、一令いちれいを發はつして滿艦まんかんに電光でんくわうを輝かゞやかした。
一等とう信號兵しんがうへいは指揮しきの下したに信號檣下しんがうしやうかに立たつた。
「奇怪きくわいの船ふね! 汝なんぢは何者なにものぞ。」と我わが信號旗しんがうき上あがる。
ヒララと動うごく彼方かなたの信號しんがう
「我われこそは音おとに名高なだかき印度洋インドやうの大海賊船だいかいぞくせんなり、汝なんぢの新造軍艦しんざうぐんかんを奪うばはんとて此處こゝに待まつこと久矣ひさし、速すみやかに白旗はくきを立たてゝ其その軍艦ぐんかんを引渡ひきわたさば可よし、若もし躊躇ちうちよするに於おいては、我われに七隻せきの堅艦けんかんあり、一撃いちげきの下もとに汝なんぢの艦ふねを粉韲ふんさいすべきぞ。」と見みるる内うちに長蛇ちやうだの船列せんれつは横形わうけいの列れつに變へんじて、七隻せきの海賊船かいぞくせんの甲板かんぱんには月光げつくわうに反射はんしやして、劍戟けんげきの晃きらめくさへ見みゆ、本艦ほんかんの士官しくわん水兵すいへいは一時いちじに憤激ふんげきの眉まゆを揚あげた、中なかにも年少ねんせう士官等しくわんらは早はや軍刀ぐんたうの※つかを握にぎり詰つめて、艦長かんちやうの號令がうれいを待まつ、舷門げんもんの邊ほとり、砲門ほうもんの邊ほとり、慓悍へうかん無双ぶさうの水兵等すいへいらは腕うでを摩さすつて居をる。濱島はまじまは冷然れいぜんと笑わらひ、春枝夫人はるえふじんは默然もくねんとした。我わが勇いさましき武村兵曹たけむらへいそうは怒髮どはつ天空てんくうを衝つき
『えい、ふざけたりり、海賊かいぞく共ども、眼めに物もの見みせて呉くれんづ。』と矢庭やにはに左舷さげん八吋インチ速射砲そくしやほうの方ほうへ馳はせたが、忽たちまち心付こゝろづいた、夫それ海軍々律かいぐんぐんりつは嚴げんとして泰山たいざんの如ごとし、たとへ非凡ひぼんの手腕しゆわんありとも艦員かんゐんならぬものが砲ほうを動うごかし、銃じうを發はなつ事ことは出來できないのである。兵曹へいそう無念むねんの切齒はがみをなし、
『えい、殘念ざんねんだだ、此樣こんな時とき、本艦ほんかんの水兵すいへいが羨うらやましい。』と叫さけんだまゝ、空拳くうけんを振ふつて本艦々頭ほんかんかんとうに仁王立にわうだち、轟大尉とゞろきたいゐは虎髯こぜん逆立さかだち眦まなじり裂さけて、右手ゆんでに握にぎる十二珊サンチ砲ほうの撃發機げきはつきは唯ただ艦長かんちやうの一令いちれいを待まつばかり。
艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさは此時このときちつとも騷さはがず、平然へいぜんとして指揮しきする信號しんがうの言ことば、信號兵しんがうへいは命めいを奉ほうじて信號旗しんがうきを高たかく掲かゝげた。
「愚おろかなり、海賊かいぞく! 我わが縱帆架ガーフに飜ひるがへる大日本帝國軍艦旗だいにつぽんていこくぐんかんきを見みずや。」と。忽たちまち海蛇丸かいだまる滿船まんせんの電燈でんとうはパツと消きえた。同時どうじに七隻せきの海賊船かいぞくせんは黒煙こくゑん團々だんん、怒濤どとうを蹴けつて此方こなたに猛進まうしんし來きたる。轟然ごうぜん一發いつぱつの彈丸だんぐわんは悲鳴ひめいをあげて、我わが前檣ぜんしやうを掠かすめ去さつた。大佐たいさ一顧いつこ軍刀ぐんたうの鞘さやを拂はらつて、屹きつと屹立つゝたつ司令塔上しれいたうじやう、一令れい忽たちまち高たかく、本艦々上ほんかんかんじやう戰鬪喇叭せんとうらつぱ鳴なる、士官しくわんの肩章けんしやう閃きらめく、水兵すいへい其その配置はいちに就つく、此時このとき、既すでに早はやし、既すでに遲おそし、海賊船かいぞくせんから打出うちだす彈丸だんぐわんは雨あめか、霰あられか。本艦ほんかん之これに應おうじて先まづ手始てはじめには八吋インチ速射砲そくしやほうつゞいて打出うちだす機關砲きくわんほう。月つきは慘さんたり、月下げつかの海上かいじやうに砲火ほうくわ迸とばしり、硝煙せうゑん朦朧もうらうと立昇たちのぼる光景くわうけいは、昔むかしがたりのタラント灣わんの夜戰やせんもかくやと想おもはるゝばかり。士官しくわん水兵すいへいの勇いさましき働はたらきぶりは言いふ迄までもない。よし戰鬪員せんとうゐんにあらずとも如何いかでか手てを拱こまぬいて居をらるべきぞと、濱島はまじまも、私わたくしも、重おもき上衣うわぎを跳はね脱のけて、彈丸だんぐわん硝藥せうやくを運はこぶに急いそがはしく。武村兵曹たけむらへいそうは大軍刀おほだちブンンと振ふり廻まわし海賊船かいぞくせん若もし近寄ちかよらば吾われから其その甲板かんぱんに飛移とびうつらんばかりの勢いきほひ。春枝夫人はるえふじんの嬋娟せんけんたる姿すがたは喩たとへば電雷でんらい風雨ふううの空そらに櫻花わうくわ一瓣いちべんのひららと舞まふが如ごとく、一兵いつぺい時ときに傷きづゝき倒たをれたるを介抱かいほうせんとて、優やさしく抱いだき上あげたる彼女かのぢよの雪ゆきの腕かひなには、帝國軍人ていこくぐんじんの鮮血せんけつの滾々こんんと迸とばしりかゝるのも見みえた。海戰かいせんは午前ごぜん二時じ三十分ぷんに始はじまつて、東雲しのゝめの頃ころまで終をはらなかつた。此方こなたは忠勇ちうゆう義烈ぎれつの日本軍艦につぽんぐんかんなり、敵てきは世界せかいに隱かくれなき印度洋インドやうの大海賊だいかいぞく。海賊船かいぞくせんは此時このとき砲戰ほうせんもどかしとや思おもひけん、中なかにも目立めだつ三隻さんせき四隻しせきは一度いちどに船首せんしゆを揃そろへて、疾風しつぷう迅雷じんらいと突喚とつくわんし來きたる、劍戟けんげきの光ひかり晃きらめく其その甲板かんぱんには、衝突しやうとつと共ともに本艦ほんかんに乘移のりうつらんず海賊かいぞく共どもの身構みがまへ。えい、ものものしや、我わが神聖しんせいなる甲板かんぱんは、如何いかでか汝等なんぢら如ごとき汚けがれたる海賊かいぞくの血汐ちしほに染そむべきぞ。と我わが艦かんますす奮ふるふ。硝煙せうゑんは暗くらく海うみを蔽おほひ、萬雷ばんらい一時いちじに落おつるに異ことならず。艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさの號令がうれいはいよよ澄渡すみわたつて司令塔しれいたふに高たかく、舵樓だらうには神變しんぺん不可思議ふかしぎの手腕しゆわんあり。二千八百噸とんの巡洋艦じゆんやうかん操縱さうじゆう自在じざい。敵船てきせん右みぎより襲おそへば右舷うげんの速射砲そくしやほう之これを追おひ、賊船ぞくせん左ひだりより來きたれば左舷さげんの機關砲きくわんほう之これを撃うつ。追おへども撃うてども敵てきも強者さるもの、再ふたゝび寄よする七隻しちせきの堅艦けんかん、怒濤どたうは逆卷さかまき、風かぜ荒あれて、血汐ちしほに染そみたる海賊かいぞくの旗風はたかぜいよよ鋭するどく、猛たけく、此この戰たゝかひ何時いつ果はつ可べしとも覺おぼえざりし時とき。忽たちまち見みる! 東雲しのゝめの、遙はるかかの海上かいじやうより、水煙すいゑんを揚あげ、怒濤どとうを蹴けつて、驀直まつしぐらに駛かけ來くる一艘いつそうの長艇ちやうていあり、やゝ近ちかづいて見みると、其その艇尾ていびには、曉風げふふうに飜ひるがへる帝國軍艦旗ていこくぐんかんき! 見みるより、私わたくしは右舷うげんから左舷さげんに躍をどつて『大佐たいさ來きた! 大佐たいさ來きたる! 櫻木大佐さくらぎたいさの電光艇でんくわうてい來きたる!!!。』と叫さけぶ響ひゞきは砲聲ほうせいの絶間たえま、全艦ぜんかんに鳴なり渡わたると、軍艦ぐんかん「日ひの出で」の士官しくわん水兵すいへい一時いちじに動搖どよめき。此時このとき艦頭かんとうに立たてる武村兵曹たけむらへいそうは、右鬢うびんに微傷びしやうを受うけて、流ながるゝ血汐ちしほの兩眼りようがんに入いるを、拳こぶしに拂はらつて、キツと見渡みわたす海うみの面おも、電光でんくわうの如ごとく近ちかづき來きたつた海底戰鬪艇かいていせんとうていは、本艦ほんかんを去さる事こと約やく一千米突いつせんメートル――忽然こつぜん波間はかんに沈しづんだと思おもふ間まも疾としや遲おそしや、唯たゞ見みる本艦ほんかん前方ぜんぽうの海上かいじやう、忽たちまち起おこる大叫喚だいけうくわん。瞻ながむれば一隻せきの海賊船かいぞくせんは轟然ごうぜんたる響ひゞき諸共もろともに、船底せんてい微塵みぢんに碎くだけ、潮煙てうゑん飛とんで千尋ちひろの波底はていに沈しづみ去さつた、つゞいて起おこる大紛擾だいふんじやう、一艘いつそうは船尾せんび逆立さかだち船頭せんとう沈しづんで、惡魔印あくまじるしの海賊旗かいぞくきは、二度にど、三度さんど、浪なみを叩たゝくよと見みる間まに影かげも形かたちも。
『それ、櫻木大佐さくらぎたいさ來きたる! 電光艇でんくわうていの應援おうえんぞ! おくれて彼方かなたの水兵すいへいに笑わらはれな、進すゝめめ。』の號令がうれいの下したに、軍艦ぐんかん「日ひの出で」の士官しくわん水兵すいへいは勇氣ゆうき百倍ひやくばい、息いきをもつかせず發射はつしやする彈丸だんぐわんは、氷山へうざん碎くだけて玉たまと飛散とびちる如ごとく、すでに度どを失うしなつて、四途路筋斗しどろもどろの海賊船かいぞくせんに、命中あたるもも、本艦々尾ほんかんかんびの八吋インチ速射砲そくしやほうは、忽たちまち一隻いつせきを撃沈げきちんし、同時どうじに打出うちだす十二珊サンチ砲ほうの榴彈りうだんは、之これぞ虎髯大尉こぜんたいゐの大勳功だいくんこう! 今いましも死物狂しにものぐるひに、本艦ほんかん目掛めがけて、突貫とつくわんし來きたる一船いつせんの彈藥庫だんやくこに命中めいちうして、船中せんちう、船外せんぐわい、猛火まうくわ㷔々えんん舵かぢは微塵みじんに碎くだけて、船ふね獨樂こまの如ごとく廻まわる、海底かいていよりは海底戰鬪艇かいていせんとうてい、さしつたりと電光石火でんくわうせきくわの勢いきほひ、げにもや電光でんくわう影裡えいり春風しゆんぷうを斬きるごとく、形かたちは見みえねど三尖衝角さんせんしやうかくの回旋めぐる處ところ、敵船てきせん微塵みじんに碎くだけ、新式魚形水雷しんしきぎよけいすいらいの駛はしるところ白龍はくりよう天てんに跳をどる、殘のこる賊船ぞくせん早はや三隻せき、すでに一隻せきは右舷うげんより左舷さげんに、他たの一隻せきは左舷さげんより右舷うげんに、見みる間まに甲板かんぱん傾かたむき、濤なみ打上うちあげて、驚おどろき狂くるふ海賊かいぞく共どもは、大砲たいほう小銃せうじう諸共もろともに、雪崩なだれの如ごとく海うみに落おつ。今いまは早はや殘のこる賊船ぞくせん只たゞ一隻せき! 之これぞ二本にほん煙筒ゑんとうに二本にほん檣マストの海蛇丸かいだまる! 海蛇丸かいだまるは最早もはや叶かなはじとや思おもひけん、旗はたを卷まき、黒煙こくゑん團々だんん橄欖島かんらんたうの方向ほうかうへ逃にげて行ゆくを、海底戰鬪艇かいていせんとうてい今いまは波なみに沈しづむ迄までもなく、奔龍ほんりうの如ごとくに波上はじやうを追おふ、本艦ほんかん鳴なりを靜しづむる十秒べう二十秒べう。其その鋭利えいりなる三尖衝角さんせんしやうかくは空そらに閃きらめく電光いなづまの如ごとく賊船ぞくせんの右舷うげんに霹靂萬雷へきれきばんらいの響ひゞきあり、極惡無道ごくあくむだうの海蛇丸かいだまるは遂つひに水煙すいゑんを揚あげて海底かいていに沒ぼつし去さつた。此時このとき夜よは全まつたく明あけて碧瑠璃へきるりのやうな東ひがしの空そらからは、爛々らんんたる旭日あさひが昇のぼつて來きた。我わが艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさは、流ながるゝ汗あせを押拭おしぬぐひつゝ、滿顏まんがんに微笑びせうを湛たゝえて一顧いつこすると、忽たちまち起おこる「君きみが代よ」の軍樂ぐんがく、妙たえに勇いさましき其そのひゞきは、印度洋インドやうの波なみも躍をどらんばかり、我わが軍艦ぐんかん「日ひの出で」の士官しくわん水兵すいへいは、舷門げんもんより、檣樓しやうらうより、戰鬪樓せんとうらうより、双手てを擧あげ、旗はたを振ふり、歡呼くわんこをあげて、勇いさみ、歡よろこび、をとり立たつ、濱島武文はまじまたけぶみ、春枝夫人はるえふじんは餘あまりの憘うれしさに聲こゑもなく、虎髯大尉こぜんたいゐ、武村兵曹たけむらへいそう、一人ひとりは右鬢うびんに、一人ひとりは左鬢さびんに、微かすかな傷きづに白しろ鉢卷はちまき、私わたくしは雀躍こをどりしながら、倶ともに眺ながむる黎明れいめいの印度洋インドやう、波上はじやうを亘わたる清すゞしい風かぜは、一陣いちじん又また一陣いちじんと吹ふき來きたつて、今いましも、海蛇丸かいだまるを粉韲ふんさいしたる電光艇でんくわうていは、此時このとき徐しづかに艇頭ていとうを廻めぐらして此方こなたに近ちかづいて來きたが、あゝ、其その光譽ほまれある觀外塔上くわんぐわいたふじやうを見みよ!!! 色いろの黒くろい、筋骨きんこつの逞たくましい、三十餘名よめいの慓悍へうかん無双ぶさうなる水兵すいへいを後うしろに從したがへて、雄風ゆうふう凛々りんんたる櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、籠手こてを翳かざして我わが軍艦ぐんかん「日ひの出で」の甲板かんぱんを眺ながめて居をる。其その傍かたはらには、日出雄少年ひでをせうねんは、例れいの水兵すいへい姿すがたで、左手ひだりは猛犬まうけん「稻妻いなづま」の首輪くびわを捕とらへ、右手ゆんでは翩飜へんぽんと海風かいふうに飜ひるがへる帝國軍艦旗ていこくぐんかんきを抱いだいて、その愛あいらしい、勇いさましい顏かほは、莞爾につこと此方こなたを仰あほいで居をつたよ。       ――――~~~~~~~~――――
 讀者どくしや諸君しよくん!
 白雲はくうんは低ひくく飛とび、狂瀾きやうらん天てんに跳をどる印度洋上インドやうじやう、世界せかいの大惡魔だいあくまと世よに隱かくれなき七隻せきの大海賊船だいかいぞくせんをば、木葉微塵こつぱみぢんに粉韲うちくだいたる我わが帝國軍艦ていこくぐんかん「日ひの出で」と、神出鬼沒しんしゆつきぼつの電光艇でんくわうていとは、今いまや舷げんをならべて、本國ほんごく指さして歸航きかうの途中とちうである。昨夜さくや新嘉坡シンガポール發はつ、一片ぺんの長文ちやうぶん電報でんぽうは、日本につぽんの海軍省かいぐんせうに到達たうたつした筈はづであるが、二隻さうは去さる金曜日きんえうびをもつて、印度大陸インドたいりくの尖端せんたんコモリンの岬みさきを廻めぐり錫崙島セイロンたうの沖をきを※すぎ、殘月ざんげつ淡あはきベンガル灣頭わんとう、行會ゆきあふ英エイ、佛フツ、獨ドク、露艦ロかんの敬禮けいれいに向むかつて謝意しやゐを表ひやうしつゝ、大小だいせうニコバル島たうとサラン島たうとを右舷うげんと左舷さげんとに眺ながめて、西にしと東ひがしとの分わかれ道ぢなるマラツカ海峽かいけうをもいつしか夢ゆめの間まに※すぎ、今いまは支那海シナかいの波濤はたうを蹴けつて進航しんかうして居をるから、よし此後このゝち浪なみ高たかくとも、風かぜ荒あらくとも、二船せんが諸君しよくんの面前めんぜんに現あらはれるのは最早もはや遠とほい事ことではあるまいと思おもふ。
其時そのときは無論むろん、新聞しんぶんの號外がうぐわいによつて、市井しせいの評判へうばんによつて、如何いかなる山間さんかん僻地へきちの諸君しよくんと雖いへども更さらに新あたらしき、更さらに歡よろこふ可べき事ことを耳みゝにせらるゝであらうが、私わたくしは殊ことに望のぞむ! 西にし、玄海灘げんかいなだの邊ほとりより、馬關海峽ばくわんかいけうを※すき、瀬戸内海せとないかいに入いり、夫それより紀伊海峽きいかいけうを出いでゝ潮崎うしほざきを廻めぐり、遠江灘とほとほみなだ、駿河灣するがわん、相模灘さがみなだの沿岸えんがんに沿そふて、凡およそ波濤はたうの打うつところ、凡およそ船舶せんぱくの横よこたはる處ところ、海岸かいがんに近ちかく家いへを有いうせらるゝ諸君しよくんは、必かならず朝夕てうせきの餘暇よかには、二階にかいの窓まどより、家外かぐわいの小丘せうきうより、また海濱かいひんの埠頭はとばより、籠手こてを翳かざして遙はるかなる海上かいじやうを觀望くわんぼうせられん事ことを。若もし、水天すいてん一碧いつぺきの地平線上ちへいせんじやう、團々だんんたる黒烟こくゑん先まづ見みえ、つゞゐて白色はくしよくの新式巡洋艦しんしきじゆんやうかん現あらはれ、それと共ともに、龍りようの如ごとく、鯱しやちの如ごとき怪艇くわいていの水煙すいゑんを蹴けつて此方こなたに向むかふを見みば、請こふ、旗はたある人ひとは旗はたを振ふり、喇叭らつぱある人ひとは喇叭らつぱを吹奏ならし、何物なにも無なき人ひとは双手もろてを擧あげて、聲こゑを限かぎりに帝國萬歳ていこくばんざい! 帝國海軍萬歳ていこくかいぐんばんざいを連呼れんこせられよ、だんんと近ちかづく二隻そうの甲板かんぱん、巡洋艦じゆんやうかんの縱帆架ガーフに、怪艇くわいていの艇尾ていびに、帝國軍艦旗ていこくぐんかんきの翩飜へんぽんと飜ひるがへるを見みば、更さらに其時そのときは、軍艦ぐんかん「日ひの出で」の萬歳ばんざいと、電光艇でんくわうていの萬歳ばんざいとを三呼さんこせられよ。電光艇でんくわうていの觀外塔くわんぐわいたふには、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ、武村兵曹たけむらへいそう、日出雄少年ひでをせうねん、他ほか三十餘名よめいの慓悍無双へうかんぶさうなる水兵すいへいあり。軍艦ぐんかん「日ひの出で」の甲板かんぱんには、艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさ、虎髯大尉こぜんたいゐ轟鐵夫君とゞろきてつをくん、濱島武文はまじまたけぶみ、春枝夫人はるえふじん、及および二百餘人にひやくよにんの乘組のりくみあり。いづれも手てにに双眼鏡さうがんきやうを携たづさへ、白巾ハンカチーフを振ふり、喜色えみを湛たゝえて、諸君しよくんの好意かうゐを謝しやする事ことであらう。其その時ときは、私わたくしは、屹度きつと、軍艦ぐんかん「日ひの出で」の艦尾かんびの方かた、八吋インチ速射砲そくしやほうの横よこたはる邊へん、若もしくば水面すいめん高たかき舷門げんもんのほとりに立たつて――恭うややしく――右手めてに高たかく兜形ヘルメツトがたの帽子ぼうしを揚あげて、今いま一度いちど、諸君しよくんと共ともに大日本帝國萬歳だいにつぽんていこくばんざい! 帝國海軍萬歳ていこくかいぐんばんざい! を三呼さんこしませう。(軍艦「日の出」の甲板にて)
海島冐劍奇譚海底軍艦終



青空文庫より引用